えり蔵 さん
男性
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2020年11月22日 to スパイの妻〈劇場版〉
ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞というので興味を持って観に行った。
感想としては、神戸のセットはよく出来ているし音響や照明もいい。ただ大きな不満がいくつも散見された。
まず妻の総子役の蒼井優はハッキリ言ってミスキャストである。
彼女は『百万円と苦虫女』や『おらおらでひとりぐも』のような平凡な人生の中に幸せを何とか掴もうとするような女性像を演じたときは、演技者として勘の鋭さを見せるのである。それに対して、本作のようにバタ臭い大芝居を必要とするような役柄は合っていない。
それを特に感じるのは高橋一生と二人だけの場面での芝居である。監督の指導かもしれないが舞台調で臭い演技なのである。それは彼女の口跡にも問題がある。どうしても思慮が足りないというか幼く感じてしまった。それが分かるのは夫である勇作に真相を詰め寄る場面である。特にこの場面の演技はもう少し迫力が欲しかった。また憲兵達にフィルムを見せるシーンや最後の海辺のシーンの演技も今一つ物足りない。
しかしながらこの映画の最大の問題点は、高橋一生が扮する勇作の一連の行動に説得力が無さすぎることである。本作の時代背景は軍国主義真っ只中の昭和10年代中頃となっている。
確かに西洋かぶれで浮世離れした人物が当時日本にもいたとは思う。ただ共産主義者でもなく仮にでも会社の経営者である彼が、あのような行動に駆り立てられたのは義憤に駆られたからだけだろうか。それだけではあのような国家反逆罪をするに至った理由としては説明不足である。
あの行動をとることにより残された社員や妻はどうなるのか等彼は考えなかったのだろうか。つまり彼の思いあがった行動で身近な人達の人生を巻き込むことになるのは予想がつくはずである。結局そのような心理的葛藤が描かれていないため志の浅いドラマとなってしまった。それは高橋一生の演技力不足なのか、脚本上の問題なのかはわからないが。
それからあの資料が米国との開戦の原因になったのかは、映画の中では明かされていなかった。もしそうだとしたら、結果的に日本国民の何十万という巷の市民が原爆まで落とされて亡くなったことになる。そのため彼のとった行動に日本人である私としてはどうしても共感することができなかった。
ただ、映画の会話の中で日本軍がペスト菌を使って捕虜に人体実験を試みていることを満州の出張で偶然知ったという件があった。その中でそれを告発しようとして処刑された軍医の話に出たキーワードを、日本軍を中国共産党に、ペストを新型コロナウィルスに、捕虜をコウモリに、処刑された軍医をコロナウィルスを告発した医師に各々置き換えてみる。なんだか本作は近年の中国の国内事情を予想したようにも感じるが、これは深読みのし過ぎだろうか。
2020年11月7日 to 朝が来る
"映画の教科書″のような映画である。
太陽の光の上手い使い方(主人公の名前であるひかりをかけていると思う)、脚本の素晴らしさ(特に台詞)、ピアノによるシンプルな音楽、主要な登場人物4名の演技の自然さなど凄く良く出来ている。またドキュメンタリーの要素を取り入れ、少しミステリー仕立てで緊張感がある。
これだけ整い過ぎると逆に欠点を探したくなる。例えば養子縁組の場面など少しPRのやりすぎではないかと感じるときはあった。しかしこの場面も浅田美代子のホンワカした雰囲気がやりすぎ感を救っている。
他にも少しあざといと感じる場面はある。しかしその幾つかのマイナス面をカバーしているのがひかり役の蒔田彩珠なのである。
この映画蒔田が実質的な主人公といって間違いない。主人公のひかりは予期しなかった妊娠出産という経験からトマス・ハーディの『テス』の主人公のように人生の坂を転げるように落ちていくのである。純粋な中学生だったひかりが世捨て人のようのような女に変貌していく蒔田の演技が素晴らしい。出産してから数年間で彼女の表情や姿から廃れた生活を送ってきたことが想像できるのである。
2年前の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』で共演した南沙良と蒔田の心に迫ってくる演技を観て感心した。それから2年蒔田彩珠という才能が順調に開花しているのを確認した。次回の映画の出演作が今から楽しみである。
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2020年11月6日 to 罪の声
久しぶりにまともな日本映画を観た。
父の遺品からテープが発見されるまで上手い冒頭のシーンである。配役も料理屋の板前役の橋本じゅんなど適材適所で無理やり有名な役者を使ってないのが好感を持てる。特に主演の2人は好演である。脚本も上手いし、土井裕泰監督はいい仕事をしたと思う。
しかし、何だか物足りないというか食い足りないのである。日本国中を大混乱に陥れた戦後最大の犯罪事件の真相に迫っているのに背筋がゾクゾクするような緊迫感がないのである。何故なら30年以上経過しているといいながら、事件を捜査している新聞記者やテーラーの2人に身の危険が迫っているような場面がないからである。モデルとなった事件は暴力団や政治家が絡んでいるようであり、真相に近づけば近づくほど自分だけでなく家族に対しても死の危険が及ぶのではないだろうか。それに、こんな簡単に真相に辿り着けるのであれば「警察は30年以上何やってんねん!」ということになるのではないだろうか。
しかしそれは監督の責任だけではないと思う。以前原作を読んだとき、同じように真の闇の部分に触れていないもどかしさを感じたからである。
もし許されるならば映画のラストをホンワカムードで終わるのではなく、2人が以前から狙われているような雰囲気を醸し出して、ラストで両者の内どちらかが殺されるような結末(その前に子供の声を使って脅すとか)に変更すればば印象は変わったのではないかと思う。
それでも今年観た日本映画の中でもトップクラスの作品だった。
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2020年11月1日 to 空に住む
最初から最後まで多部未華子の前髪が気になって仕方がなかった。彼女は小顔の上に前髪を垂らすものだから表情が読み取れず、こちらは複雑な主人公の気持ちを表情から伺い知ることができなかった。それは監督の指示なのか、スタイリストが面倒くさいと思ったのか、将又多部自身が我儘で他の仕事の関係で前髪を切るのを嫌がったのか定かでないが、これはどうにかできなかったのか。
それに出てくる奴が皆いけ好かない人間ばかりで嫌になった。婚約者がいるのに作家の子を宿し婚約者に黙って産む最低女、お互いに役に立つ間だけ付き合って、役に立たないと分かったら別れるとほざく見栄えだけが取り柄の中身は空っぽの三流タレント、そのタレントと寝て、別れる時こんな野郎から人生哲学を聞き取り本にしようとする軽薄至極の主人公(この女両親は死んだときは涙を見せず、猫が死んだときは号泣し、猫の骨壺を両親の位牌の真ん中に置くという複雑な精神構造をもっている)、その主人公の部屋に合いかぎで勝手に入り込む非常識な叔父夫婦など。
それに主人公が住む部屋が外の景色でマンションの高層階であるというのはわかる。しかしセレブが多く住むという超高層マンションという触れ込みの割にマンション全体の映像を映さず、しかもマンション付近の階段などから察するにセレブが住むに相応しい場所には見えなかった。
結論として先の作家の子を妊娠した女や三流タレントがほざくフランス人のような個人主義的な考え方、映画の内容に合っている思えない音楽、それに大して似合いもしないのに登場人物がワインを飲んで会話するシーンなどから出来の悪いフランス映画を観たようだった。
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2020年7月18日 to のぼる小寺さん
現代の邦画の低レベルさがわかる作品。
まず、本編前の劇場挨拶みたいな場面、あれ要らないでしょ。映画をどう見ようとこちらの勝手だ。それなのに役者と監督のダラダラした撮影現場のどうでもいい話がやたらと長く、彼らから教養や知性というのが全く感じられなかった。「こんな人たちがこの映画を作ったのね」と映画を観る前からガックリ来てしまった。
次、原作の漫画は読んだことないけど、恐らく高校1年生の春から高校2年生の初夏までの話と推測する。そのためドラマの年齢と役者の年齢が釣り合わない。最初役者が出て来た時大学生の話かと思った。出演している役者どう見ても高校3年生以上でしょ。
無理して少年少女で演じてるいるのが見え見えなのである。
そのため映画全体に不自然感がズッと漂っていた。
例えば高校生だったら微笑ましいラストのペットボトルのシーンも、役者の年齢が合わないので「こいつらフェチかな」と苦笑してしまった。
それから、「貴方を見ています」よっていうのは、中学生や高校低学年の男の子がやるのは可愛いが、どう見ても20歳を超えているおっさんの役者がやるのは無理がある。それにあんなにジッと見られている女もクライミングに集中しているのかもしれないが、全く気づかないのは鈍感を通り越して危ないぞ。
おそらく昔の角川映画だったらオーディションやって同年代のヒロインの新人を募集していたと思う。角川映画は大嫌いだったが、今考えると懐かしい。
監督の演出にも問題がある。ヒロインの食べ方に品がない。あれを見たら百年の恋も冷める。”不思議ちゃん”のイメージを監督は出したかったのかもしれないが、見ているこっちは引いた。
まだある、山のクライミングに監督やコーチなしであんな危険なことをやらせるなんて考えられん。そういえばこの映画スポーツをテーマにしているのに監督やコーチが全く出てこなかった。ありえんだろ。
最後にこの映画マスコミから比較的高評価なのが信じられない。忖度ありすぎで何か裏であるのかと疑った。
ただし主演女優のボルダリングシーンは努力の跡が見えるので☆1つ献上。
2020年5月10日 to 火口のふたり
日活ロマンポルノを令和の時代で撮るとこうなるのかなという感じである。
観ていて神代辰巳監督の『赫い髪の女』という作品を思い出した。比べては失礼であるが出演者、演出、話を含めて神代監督作品の方が断然上である。 しかし、映倫が緩くなったのか以前よりSEXシーンの表現は大胆である。(恐らく前張りは余りしていないのではないか)
ただ収音に問題があったのか、役者の口跡が悪いのか分からないが、何を喋っているか分からない場面が多かった。
この映画がキネ旬の2019年度の邦画部門の第1位をとったということで興味をもって観たが、それだけ高い価値の映画であるとは私には思えなかった。
2020年4月5日 to サーホー
ここ数年ハリウッドのこれ見よがしなCG満載のヒーロー映画に食傷気味だった。ところが、2年ほど前に公開された『バーフバリ』シリーズは、上手いCGの活用、お得意の歌や踊りやアクション、タイタニックをバロディ化して笑いを誘うなど本当に面白かった。特に、古代インドを舞台にすることで荒唐無稽な筋も気にならず、久しぶりに映画を観て興奮した。
ところで、数十年前に日本で上映された『踊るマハラジャ』は、本当に田舎臭い映画だった。それから映画の研究を重ねたり、ハリウッドで勉強して祖国に帰還した映画人が、才能を開花させたのがこの映画だった。私は万感の思いで観たものだった。
それでは、この『サーホー』どうだったのか。長くてダラダラ、筋が滅茶苦茶、男優や女優が同じな顔に見えるなど以前のインド映画に戻ったような残念の出来だった。
現代を舞台にすると、どうしてもインド映画の特徴である宗教観や身分制度など日本人には理解しにくいものを感じてしまったり、内容によっては説教臭さに癖々してしまうことがある。
やはり、インド映画は古代を舞台した方が合っているような気がする。
2020年1月14日 to パラサイト 半地下の家族
中盤まで展開が読めるとはいえ、演出と脚本が良く出来ており、特に辞めた家政婦が再び現れてからの急展開のシーンは素晴らしい。 昨年のパロム・ドールを受賞した是枝作品のように露骨ではなく、韓国の抱えている就職問題、学歴社会、住宅問題、脱北者などが映画の中で取り上げられている。しかしながら、ラスト近くがスプラッタ映画のようになったのは本当に惜しい。
この作品は面白いことは確かであるが、某週刊誌で担当者全員が満点をつけたり、“難点のない映画”,”この一年の最高傑作”などのマスコミの高評価には疑問がある。また、好きになれなかった昨年の是枝作品と同様にパロム・ドール受賞であるが、1990年代にマイク・リーやアンゲロプロスの作品が受賞した頃が懐かしい。
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2020年1月6日 to 男はつらいよ お帰り 寅さん
私がこの映画を観る前の疑問は、“寅さんは生きているのか、それとも死んだのか”と言う事である。
山田洋二監督が「寅さんは渥美さんより10歳くらい若く設定しています」というのを以前雑誌で読んだことがある。さすれば渥美清が生きていたら大体90歳を超えたくらいなので、寅さんが生きているとしたら80歳前後ということになる。80歳のテキ屋がいても不思議ではないが、あの厳しい生活である。生きていてもヨレヨレではないかと想像できる。
その回答はこの映画を観るしかないので映画館に足を運んだ。結論を言うと「この映画ではそれを明白にしていない」のである。
生きているのではないかと推測できるのは2つのシーンである。1つは満男の亡くなった奥さんの法要のシーンで、仏壇におじちゃんとおばちゃんと亡くなった奥さんの写真が置かれているだけで寅さんの写真がないということは“寅さん生きているのか”と一瞬思わせるシーンと、もう1つは、満男の恋人だった泉が旧とら屋の2階に泊まるかもしれない時に、さくらが「お兄ちゃんがいつでも帰ってきてもいいように2階をいつも整理しているの。」との発言があったシーンである。
もし生きているとしたら、随分冷たい妹や義弟である。さくらや博は年老いた寅さんの捜索願を出すどころか、「お兄ちゃん今頃どうしているかな」の台詞もなく、余り心配しているようには思えないのである。それとも帰ってくると、年老いた自分たちでは寅さんの対応は無理であると恐れているのかもしれない。実際、泉の父が病んで福祉施設に入っているシーンは、ある意味年老いた寅さんを投影しているようにも見える。
ラストで年老いた寅さんが後ろ姿でもいいから出現することを期待した。しかし、残念ながらそうはならなかった。
「寅さんの生死などどうでもいいじゃないか!」と言われればそれまでだが、映画を観終わって何故かやるせないものを感じてしまった。
映画自体は、満男や家族や関わった人たちが、寅さんの思い出を語る時、旧作からそれらしきシーンを抜粋して話を進めるので、旧作を見ていない人には余り面白さが伝わってこないのかもしれない。(有名なメロン事件も出てくる)それにしても満男は寅さんに似て優柔不断なところがある。泉に“あの事”を話していたら、関係も変わっていたかもしれない。(そうなると違う雰囲気の映画になっていたかも)
最後になるが、映画の冒頭で桑田佳祐が主題歌を歌っていたが、違和感があり過ぎる。しかも寅さんの例の台詞まで喋っていたのはあきれるどころか怒りをおぼえた。アニメを使って渥美清が歌った主題歌を流す等色々方法があったはずである。これだけは止めて欲しかった。これで★2つ減である。
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2019年12月31日 to スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け
実は、前作の『エピソード8』は観ていない。理由は、『エピソード7』が余りにも期待外れだったからである。
監督の整理整頓されていない演出、魅力のないキャラクターに俳優、必要とは思えないアンドロイドの登場、余りにも映画を難しいものにしようとするかのような難解な筋書き、○○サスペンス劇場の終盤の犯人が告白するかのような安っぽいラストシーンなど、どうしても次回作に足を運ぶことができなかった。
しかし、今回、スターウォーズも最後ということで不安を抱えて観に行った。結論は「なんじゃこりゃ」と言う悲惨な出来であった。
映画館の窓口に『光に弱い方気をつけてください』の注意書きを読んで嫌な予感があったがその通りだった。(途中目が痛くなった)
映像に頼り切った余りにも目立つ中身なさ、ただだらだらと長くしただけの必要のないシーンの多さ、懲りずに新アンドロイドの登場、相変わらず魅力のないキャラクターと俳優、“以前このシーン観たことあるよな”のオンパレード、嫌になるほどご都合主義の展開、心霊映画のようなシーン。
やはり、『エピソード7』以降は作るのではなかったのではないだろうか、いやディズニーが制作したときからこの結果はわかっていたのかも。
結局このシリーズ、私が一番面白かったのは、新鮮で筋が単純だった『エピソード4』とシェークスピアを題材にしたかのような語り口と俳優陣が揃っていた『エピソード3』ということになる。