らりほう さん
らりほうさんのレビュー一覧
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【自己を覗く自己】(0)
2014年9月3日 to インランド・エンパイア
観賞中に想った事は『私は無事に現実世界に戻れるのだろうか?』だった。
それほど私は映画の一部と化していた。
私は映画を[見た]のではない、『映画だった』のだ。
つまり作品が最大の目標に掲げたのは、ストーリーラインを語り 伝える手法ではなく、観客に同体験を強いり 同一次元に導く事ではなかったか。
映画内のダーンの迷妄はそのまま作品を見ている私の迷妄とシンクロし[ダーン=私]と化し、映画内映画の要素も[映画観賞する私]の環境とシンクロ。 つまりダーンに感情移入し憑依している私と それを映画として客観的に見ている《もう一人の私》がいて それも作品中の[自己を見る自己]とシンクロ。 既にこの思考自体妄想めいているが それすらも主人公ローラダーンの妄想的境地とシンクロ…。
映画と化した自分を見る自分…。 否、本来観るべきツールである映画に逆に見られる恐ろしさ…。 相当やばい考えであり自分が解らなくなりそうだ…。 気分が悪い…。
本作最大のポイントにして成功は【観客を丸ごと映画のメカニズムとして取り込み、その上で観客にそれを目撃させ、且つ映画が逆に観客を見る】点にあると思う。
『TVを見る自分が映るTVを見る自分が映るTVを見る自分…』の無限ループが示す通り【映画とは自分自身を見つめる事、自己の最深部に降りてゆく事】に他ならない。
映画から抜け出られぬ恐さに満ちた心侵食する悪夢であると同時に、映画が人の心に及ぼす影響と可能性をも大きく提示。 完璧だ。
《劇場観賞/生涯最高峰級認定》 -
【ONLY GOD FORGIVES】(0)
2015年1月5日 to オンリー・ゴッド
徹底寡黙。過剰暴力。ソリッド&ストイック。
赤色照明に照らされるブラック&レッドのmonotone。家屋開口部を利用したフレーミング。度々挿し込まれる近似主観ショット。スローリーなズーム。同空間に居ぬ人物がカットバックされる事による因果因縁と精神的対話の醸成。拳闘の拳/椅子に緊縛される腕/闇間に浮かび上がる腕/女の股間部へと誘われる腕/母が指先でなぞる腕/母に射し込まれる腕/切断される腕…腕への固執。元警官チャン尾行シーンに於ける人物及びロケーションのかつて見た事無き捉え方。黄金郷の如く眩く煌めくバンコクの雑踏。カラオケの意表。
…
懺悔・告解室の如き格子越しの入射光や、カインとアベル(兄弟の確執)とオイディプス(母子婚)を思わせる関係性等、作品に立ち上るのは『人の原罪・業とそれへの裁き(罰と赦し)※原題ONLY GOD FORGIVES』であり その抽象・神話性にも唸らされる。
だがやはり、本作品最主軸は 主題や隠喩の読解などではなく、最初に列挙した『レフン独自の意匠群が、まるで心臓の鼓動と同期するかのテンポで紡がれる事で醸されるその麻薬性』にこそある。
恐怖・不安に恍惚し、迷妄・茫漠に陶酔する。〜その抗い難い中毒性に打ち震えた。
《DVD観賞》 -
【仮象 読む果ての同質】(0)
2014年2月11日 to 赤い影
不気味だ…。
影とは実像が投げる本質の仮象であり予兆。 影が生む不穏が全体を覆うも 一向に見えぬ本質が恐慌を更に強めていく…。
構成的には[シーンに挿入する別シーン]に[登場人物の回想・予感・登場人物が気付かずに観客のみに示される暗示]の三種側面があり 各々が極めて曖昧な為 実像理解を困難化、結果[影]の印象具現とカルトトーンに全体が貫かれている。
光と闇を前面化した撮影は美しさだけでなく 実は主題的に機能。 随所スロー、水、鏡の使用や意図的[赤]の挿入、ベニスロケも全て主題の仮象[影]であるのも見事だ。
仮象構成を[読ませ]、深層に導いた果てに見る恐怖は 主人公体験と[同質]だろう。
《DVD観賞》 -
【悠久の瞬き】(0)
2015年8月21日 to エルミタージュ幻想
私が美術館に赴く時、作品の完成度等の直截的感動に加え 悠久の歴史/文化的背景に想いを馳せる〜即ち[思考の旅路]こそ最大の魅力だが、本作は正にその具現。
黒衣の男を介し 批判/崇拝が同居する豊潤なインテリジェンス。ワンカットの作劇的緊張と、エルミタージュの荘厳/静謐が高次融和し生む畏敬にも似た恍惚。実時間同期/途切れぬ一人称主観が主体的〈私〉を全編で維持し 体験録の体裁を取りつつも、紛れもなくこの地で息づいていた -数千-数万-数千万の- 人々の様々な想いが〈思念体としてのロシア〉へと昇華され、それが〈私自身〉の奥底から溢れ出る様な感覚の素晴らしさを、一体何に喩えれば言い表す事ができよう。
星霜の時を超え−。
気の遠くなる悠久史に零れ落つ言葉は残響の中、言霊と化して−。
《生涯最高峰級認定/DVD観賞》 -
【Rapture - 狂喜】(0)
2020年11月22日 to 鵞鳥湖の夜
フーゴーとグイルンメイ、其々から伸び 壁面に浮かび上がった二体の影法師は、その境目を溶解させ まるで融合した一つの生命体である。
幾枚の鏡に映し出された無数のフーゴーの鏡像を見遣るグイルンメイは、恰も自らの形貌を凝視しているかの様であり。
テントの内と外。帆布越しに歩み行く二人の同期/Synchronization。
その時 フーゴーは、グイルンメイの影と化しているのだ。
同一人物、托生、男から女への転生、そして再誕 ― その仄めかし。
同じ碗を喰らい、強姦に我が事の様に怒りを行使する。
葉巻を噛み咥え 口許からその端くれを唾棄するフーゴーの姿は、後半 陰茎咥え 精液を湖面に唾棄するグイルンメイへと対照/反復される。
最終局。それらに 朧に気付き始めた警部のリャオファンは、狐に抓まれた如く茫然と立ち尽くす ―観客各々の茫然を画面に刻印する様に―。
〈追記〉
撮影/照明/美術/ロケーション、完璧と言ってよい。映されるショットは全てが美麗 且つ洗練、更に寓意的である。
依って、全てのショットに見惚れ 考察してしまうが故に、映画の進行に思考追い付かず 取り残されがちと為るのが玉に瑕か。
「全てのショットが美麗 且つ洗練」と述べたが、被写体その物は 実は不浄粗雑なものばかりである。未整地の広場、朽果てた造営物、完成する事放棄したかの高架橋、集合住宅から廃棄される無数の残滓。
美麗と不浄の不離一体 〜 それは、都市開発〈洗練〉の為に唾棄され続けた〈中国の残滓〉だろうか。
理想都市の看板(!)の前を行くグイルンメイ。其処には、中国勃興から切り離され 忘れ 唾棄された 消え逝く地方の粗雑(を含む良さ)への憧憬が浮かび上がっていた。
〈追々記〉
「ナルニア国物語」の箪笥以上に その内部が異界へと繋がっていそうな、中古家具市場奥に鎮座する巨大な箪笥。溝口健二を想起する湖上の霧。そして前述した理想都市の看板。
地図に無い街=この世に存在しない世界。
男性優位/暴力/犯罪。嫌悪し唾棄すべきそれら因子から 尚醸成される麻薬の如き蠱惑。湖の水底で、箪笥の中で、そして鏡の中の世界(だけ)で未だ蠢き続けるもう排斥すべきそれら郷愁の 最期の恍惚は、どこか Rapture(キリスト教終末論に於ける再臨の狂喜)すら思わせる。
《劇場観賞》 -
【…大好きなパパ…】(0)
2014年1月19日 to エル・スール
絵画にも似て…、-one shot-の映画的時空の中を 光と影の階調が変遷してゆく…。 = 父に対す幼少期の絶対的憧憬から、思春期の理解し難い存在へ〜。 点在するミステリアスモチーフと移りゆく少女内象は、私には同義透過して見えた。
[南]〜地理的モチーフに 父の過去・戦禍が及ぼす傷・家族の絆・そして父理解を希求する少女の[成長性]が全て集約しており、全編にモノローグが多用されながらも その抽象的側面は全く損われていない。
[沈黙の対話]等の数々の目を疑うエピソードや 印象的shotが神秘的にコラージュし、少女成長性は《物語》ではなく 痛く美しい《観念的次元》へ…。
後悔や嫌悪の果てに「大好き」と言えたら…。
《生涯最高峰級認定/DVD観賞》 -
【神、秘なる川】(0)
2015年11月16日 to ミスティック・リバー
追走虚しく路上ホッケーのボールが排水溝に呑み込まれてゆく… 地下監禁を暗示する様に…。
その少年の悲痛な慟哭を[窓辺の影]のワンショットに留める尋常ならざる抑制に、言葉無く立ち尽くす。
暴力と復讐の永劫輪廻の如く、映画は対照・反復・再来を徹底して繰り返す。
時を隔てた自動車後部座席からの振り返り。小児性愛者の帰還。過去と現代の少年達がそれぞれ持つホッケースティック。二回切り裂かれる腹部。所有者を喪失し尚 血を求め彷徨い続ける銃。そして、地下に監禁された少年に階段から近付く影は、終盤 酒場裏手階段の影と成って再来するのだ。
星条旗はためくパレード − 全事象が圧倒的悲痛を伴い アイロニカルに綴られゆく様に、大量破壊兵器無きイラク侵攻の時世が暗喩透過する − 細部迄隙の無い完璧な作劇だが、映画は更なる“異様”を提示してみせる。
執拗に映し出される“十字架”。
教会は無論、デイブ(ロビンス)宅 部屋壁掛かる十字架、デイブが見るヴァンパイア映画の僅かに映るワンシーンですら十字架の場面、と偏執的な迄に徹底している。そんな中 最も象徴的なのが、冒頭-少年連れ去る男の[十字架の指輪]と、終局の[背の十字]だろう。
「背の十字」は"罪を背負う"意味と同時に〈神を信じる者の殺人〉を示している。 また 少年は「十字の指輪」した男を〈信頼し〉連れ去られてゆく。 〜 自己思考忘失し熟慮考察抜きに漠然と神を盲信する脆さ。 神に拠る事で、自分の判断を絶対唯一 神の正しい答だと錯覚する危うさ。
客観的素因追求に向かわず、神の教え(=多数派・社会常識と言い変えてもいい)に基づき、勝手に推測・理屈付け それを生きる糧としてしまう−極端な原因帰属−全て自己都合/正当化方便のその形骸を〈神〉と呼び崇めるのか。
実態空疎な神妄信し 破滅してゆく男達の悲劇…。
過去にもイーストウッドは説明・答・主張・断定を避けてきた。 言い換えれば監督としての自己の存在を消失させてきた。 「ミスティックリバー」では 倫理観の提示・予定調和への導きといった (映画を司る神としての) 監督の存在と、救済と断罪の行使・ 人物の運命を左右する作品世界の神(絶対神)が究極的に[equal]となる。その上でその存在を消しさる。「神なき世界」を説明・主張で成立させるのではなく イーストウッド自身の存在-主張-を消失させる事で[神なき世界]を表出する。
依って『答えを与えてもらおう』等と受け身で待っているだけでは、劇中の男達同様に 混迷の輪廻を永劫彷徨い続ける事になるだろう。
多数派、社会常識、神の教えだから、国の意向だから、世論が支持してるから…。それら既成フォーマット依存に〈自己〉はいるのか。
流れ行くパレードの喧騒を、静粛 に見遣りつつ悟る − 神、監督、主張、説明、教導、それら無き世界に必要なのはやはり自分自身の眼差し -自律/主体- なのだと。
「神秘なる川」……確かに神は秘められ、そして消えた。
《生涯最高峰級認定/劇場観賞》 -
【悲愛/痛みある真摯な直表現】 (0)
2014年2月14日 to 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
現日本家庭に澱む家族間不共和・最小コミュとしての家族崩壊を 一切の情け容赦無しに描く一大傑作で、テーマの即時性・掬い上げ・場面展開・俳優の演技等 ここまで完璧な『現社会危機冷笑提起作品』を私は寡聞にして識らない。
極端に強いテンポと強調的画面構造。 往復書簡により無理無く説明してしまう家族構成と来歴。 田舎を主舞台に据えた事で更なる強調を生む訴求等 特筆項目には列挙暇無しだが、最優秀点はやはり『笑いと痛みの往来の中での 明らかな痛み寄りのスタンス』だろう。
家庭内暴君の暴れ放題を甘受し続ける家庭を『腑抜け』明言し 現状日本家庭を縮図化。 引きこもり・ニート等問題の内包をも標榜。
本来 最安息地である筈の家庭が極度緊張を孕む修羅場と思うと胸が痛いが、目を逸らしがちな問題には痛み・毒のある真摯な直表現が必要だ。
《生涯最高峰級認定/劇場観賞》 -
【グッバイ、ミスターバタフライ…】(0)
2014年11月9日 to ラスト・ターゲット
完璧、全てが。 最大級の敬意と伴に「最高の暗殺者映画」の称号を捧げよう。
劇的誇張表現無し、荒唐無稽展開無し、台詞頼りの安易心理説明無し。 全てがストイックな 私が望み続けた理想像。
冒頭、二人の男との銃撃戦が 呆気ない程早くカタがつく。 盛り上げる為の誇張を排した その即物性に痺れる。 その場から逃げ、車でトンネルを延々と行くクルーニー迄がアヴァンタイトル。 完璧な導入部だ。 暗殺者なのか諜報員なのか? 映画はそれすら説明しない。 銃の改造に長けている事から ガンカスタムをメインとしたアサシンである事が『伺える』のみだ。
街行く人々 〜単なる一般人なのかそれとも男を追って来た刺客なのか解らない〜 敵に追われ田舎街に身を潜める男の緊張と焦燥を 『説明しない』事で見事に表現する。
男は危険を断つ為に 人との関わりを絶ち孤独へと身を置く。 よって台詞は最少。 ガンカスタムのプロフェッショナルぶりだけが只々映されてゆく。
…徹底して自己を孤独に置く男をストイックに捉え続けるキャメラアイに浮かび上がるのは、しかし『人への切な過ぎる迄の希求』だ。 いかに人との交歓を欲しているのかを 真逆環境-孤独を徹底視する事-だけで表してゆく。
…娼館での情事で 男を悦ばす為に娼婦がイったフリをする(様に見える)。 演技はヤメろと男は言う。 〜誰も信じられない男は、しかし だからこそ狂おしい程『人を信じたい』のだ。
…銃を受け取りに来た女が 「自分の直ぐ側を試射しろ」と言う。 男と女の顔がカットバック。 試射後「消音効果を確認した」のだと女。 …コレだけ…。 ただコレだけに『この負の世界から抜け出すには、誤射 或いは確信射によって齎される"死"のみ』とゆう男女の絶望的境遇が透過する。
…ヤラれた。 完全に見誤っていた。 これは「完璧なロマンティシズム」だ。
ハード&ストイックな世界は、繊細甘美なプラトニックを発露する為の[方便]だったのか。
その刹那、それ迄の全てがロマンチックな色を帯びてゆく。
最少台詞であった故に胸鷲掴む『愛の告白』。 そしてまた車を走らせるクルーニー。 …嗚呼、遂にトンネルを抜け出せたんだ…。
そして行き着く先。 鳴り続けるクラクション。 キャメラは上へ、上へ…。
…グッバイ、ミスターバタフライ…。
そのロマンティシズムに、その美しさに立ち尽くした。
《劇場観賞》 -
【無理解の世に 人と人が解りあう無上の喜びへの気付き】(0)
2014年9月3日 to バベル
BABELの塔に準え意思伝達の希薄が主題な為、作品も明確なメッセージの発信を控えている。 つまり作品の想いを我々に届けない事。我々に「解らない」と感じさせる事。
その為一見不必要とも思えるエピソードまで交え 曖昧さを貫く作りとなっている。
反面、もう一つの主題である【届けたい想い】も存在する。 真逆の主題を同時にどちらも消滅させずに成立させる事がいかに困難な事か。
『無理解に溢れた世界の中で 人と人が理解しあえる無上の歓びへの気付き』とゆう最主題への到達には メッセージが届きすぎても、また届かなくてもいけないのだ。
監督のメッセージの希薄感と訴求感。 相反するこの二つに気付いた時、作品の真意に触れるだろう。
《追記》
4エピソードは度々切り替えを見せるが「逃げる少年達から かくれんぼする姉弟へ」、「鶏の流血からバス中の出血へ」、「ブランシェットの絶叫から凛子の無音へ」と異なるエピソードが 透過移行するクロスカッティングが見事だ。 またエピソード単体の描写も素晴らしく、中でも凛子がクラブ内で見せる恍惚・トリップ、ストロボ表象される直後の喪失・絶望、他 キャメラと同期する公園遊具の揺れ、モロッコでの排尿中の愛撫等 殆どの場面に唸らされた。 俳優陣も素晴らしく 中でもブランシェット 〜なんとコーラ缶を開ける「プシュ」にも彼女のストレスの表出が現れている事に驚愕。 そしてそれを上回る存在感を示すのが凛子だ。 その演技も作品中随一だが、凛子に施される演出が他エピソードを圧倒しており より印象深く、私には彼女が作品の中心に位置し その他エピソードが付随する様に思えた。
それまで描かれた全苦悩を浄化するラストシークエンスの美しさは 映画屈指であり、ただ〃震えた。 至高の映画体験。
《劇場観賞/生涯最高峰級認定》
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