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教育のもたらすもの
2019/8/8 23:31
by
とみいじょん
映画を素直に見れば、ひたすら続く苦境から、ラスト、ウィリアム君が作った風車が風を捕まえて大きく回る。清々しさを感じて、映画館を後にできる。
9.11の頃のマラウイの現状に驚き、
この映画を撮影した時点でも、マラウィでは未だにあのような乾いた風景の中に人が住むということに驚く。
なのに、空を含めた大地はあれほどにも雄大で、神々しく息をのむ。
たくさんの人に見てもらいたいと思いつつ、
聞きかじった情報が心と頭をよぎり、かき乱されて、絶賛とはならない。
「僕はちゃんと勉強している。なのに、なんで学校に行かなくてはいけないのか?」
何人もの不登校生に言われる言葉。
この映画でも思う。学校って何を教えてくれるところだ?もちろん、ウィリアム君が”あの本”を理解できる素養は初等科で学んだのだけれども。
「(教育によって)僕は父さんが知らないことを知っている」
父と息子の力関係が逆転する可能性。
教育の名のもとに、民族の知恵、いわゆるおばあちゃんの知恵袋と言われる伝承の否定。
知識を蓄えていたがゆえに尊重されていた年長者。でも、今は誰でも”情報”を入手できる。”知恵”を外部に求めることができる。お年寄りの権威の失墜。”労働力”となりえない者=無用論。
教育によって習う、環境=自然他、すべてを人間が管理できると思い込まされる方法。
そして、失われる危機にさらされる、口伝えの文化等、その土地が伝え続けてきたもの。
欧米化した各地で起こったこと。効率化や利益を上げることが主になってしまったことによる環境破壊が取りざたされて久しい。
地下水のくみ上げすぎで地盤沈下したと噂される地に関係する身には、この映画がめでたしで終わるとは思えない。
貨幣が浸透することによって、目先の利益に飛びつかざるを得ない状況。
アジェンダ(農園)の話が冒頭出てきたけれど、あれはどうなったんだ?洪水の備えは?
と、欧米の価値観を非難したくなるが、
あの、圧倒的な水浸しを、そのあとに続く乾いた土地を目にすれば、灌漑工事が必要なのではなかろうか。江戸時代の日本のようにため池を作る工事が必要なのではないか。バブルの頃はさかんに叩かれていた、インフラ整備のODAも捨てたもんじゃないと、マラウィの”土”がどういうものかも知らないで、考えてしまう。
非識字率が高い国で識字率を高める活動を続けてきた方がおっしゃった。
「土地の伝統文化は、その土地ならでの知恵を有している。守り伝えていけなければいけないもの。反面、貨幣はどこの土地にも浸透している。言葉を知らない、文字を読めないがゆえに、搾取される危険性から、身と家族を守るために、識字は、学問は必要なの」
要は、得た知識をどう使うかという知恵が問われるのだろう。
夫を罵りたい状況でも、子の前では父を立てる、父と子を繋ぎ続けた母のふるまいに心を打たれる。
また、失敗続きの父ではあるが、餓死者が出るような状況でも、一番先に倒れることの多い赤ん坊はこの家で育っている!!!この父なりに、家族を守り続けた証。
そして、伝統を否定する母が言う。「昔から、皆で力を合わせてきた。この状況の中で、いつ力を合わせるんだ」
この母にして、この子あり。
教育とは、学校での点取り競争ではない。偏差値だけで図ることではない。子どもの好奇心を応援してあげること、この母のような知恵を身につけることなんだなあと思った。
なんて、考えてしまうが、
映画はマラウィの状況を描くことに時間がさかれる。が、今一つ、どこかで聞いたようなエピソードの羅列で、どこかフィクションぽく見えてしまう。
”族長”が出てくるが、”族”の解体もあっさり描かれすぎていて、この国の話を別の土地に持っていっても同じ?と思えてしまう。それは、私がマラウィを知らないせいなのだろうが。
そして、粗筋から期待していた、ウィリアム君の知的好奇心に魅せられた姿や、風車完成までの苦労話はさっと描かれるので肩透かし。
原作未読。
聞くところによると、”改悪”している部分もあるようだ。
この映画をきっかけにして、原作を読んでみようか。
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