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我が名はマックス
2015/7/9 6:13
by
カケル
高速で疾駆する重戦車の如きエネルギーに、視聴環境によっては本当にヘロヘロになってしまいそうですが(IMAXとか4Dとか)、映像技術の発達に乗っかって勢いだけで作られたわけではなく、過去作への反省も踏まえて熟慮の跡が窺えます。
『2』への先祖帰りのように舞台をほぼ路上での追跡劇に限定し、飽きのこないよう前作を上回る数々のギミックを投入してテンションを維持することに成功してます。また『サンダードーム』のように世界描写に拘ることで物語が停滞しないよう砦のシーンは冒頭と最後に限定されています。但し細かい説明が為されないため、マックスのフラッシュバックに現れる少女の存在とか『2』で破壊された筈のインターセプターの登場とか、いくつかの疑問点が残ってしまってます。どうやら今作の前日譚としてのコミック版の設定をそのまま引き継いだためのようです。気になる方もいるでしょうが全てを轢き潰して爆走する今作には相応しい切り捨て方だと思います。
そして今回最も特筆すべきがマックス自身の物語です。魅力的な女戦士の登場でかなり霞んでしまっていますが、終盤のある行為によってマックスは重要な選択をします。自身の存在の記憶を残すこと、つまりそれを受け取る存在としての他者を受け入れることです。かつて「希望」を砕かれた為に落ち込んだ狂気が今や世界に蔓延している中で、その狂気を根底に渡って被りながら他者=希望を持ち続けること。それはとても正気の沙汰とは思えない困難な選択です。それはもうひとつの狂気と云えるでしょう。
「マッドマックス」の真の誕生です。
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