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新海作品の深部?
2021/1/4 23:31
by
IKA
口コミで感想を書いたら、BaadさんとSTAYGOLDさんから返信を頂きました。その折、STAYGOLDさんから示唆を頂きましたので、掲示板に移して返信を書かせて頂きます。
まず、STAYGOLDさんのサブリミナルについてですが、私の文章は、それとは無関係です。誘導とかとも関係なく、新海さんの作家性の問題だろうと思います。
そのあたりはおそらく、STAYGOLDさんと私は、ものの見方がかなり違うんじゃないかなあと感じます。技術的なものではなく、やはり作家性の問題だと私は思います。
文章については、私は、正確に書こうとすればするほどわかりにくくなり、逆に正確さを捨てればわかりやすい文章になると思っています。そういう点では、おっしゃるように読まれる方には優しくない文章かもしれません。これはまあ、仕方のないことですね。
Baadさんのラストのレスについては……口コミでレスを重ねていけば結局ネタばれになっていくので、遅かれ早かれ引越しはやむをえなかったのかな……と。以前もけっこうそうでした。なので、お気づかいなく……。
1についてですが、私は、テロを、肯定的なものとも否定的なものともとらえていません。肯定・否定は見方によるのであって、本質的なところとは無縁のものと思います。ただ、どういう立場からみても悲惨なことである……ということだけは確かだと思いますが。
2については、日本の状況が困ったことであるのはずいぶん以前からそうなのですが、この映画は、そのことを率直に描いていて、そこが……なんというか、せつないですね。生々しいといってもいいかもしれませんが……
新海さんの特徴は、すべてを屹立させていく……というところにあると思います。それまで曖昧になっていて、なんとなくみんなそれで納得していたものを屹立させていって、その結果としてぬきさしならなくなる……前作では、まだ物語的要素をまとわせていて、その分屹立させていく特徴はやや和らげられていましたが、今作では物語的要素を削りこんで、必要なものだけを屹立させていく傾向がさらに強くなっているように感じました。
前作でも見られた「霊のはたらき」みたいなものも、前作ではかなり民俗的要素や神話的要素をまとわせて多くの人に納得できるレベルに調整していたけれど、今作ではダイレクトにそれを使っていて、生々しいですね。制作やスポンサーやたくさんの人々が携っている映画において、ここまで生の作家性をむきだしにできてしまうというのは……やっぱり絵の力なんでしょうか……人の、今まで眠っていた感覚器官を目覚めさせる映画ですね。
これ以上書くと、ますますわけがわからなくなりそうなので、このへんで……。
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ikaさんの見方に共感してます
2021/1/5 10:30 by
リーガルマインド
初めまして。
私も先日この作品をテレビで見ました。
と言っても、最初の30分くらいと、最後の30分位しかみていないのですが…。
で、印象としては、
「テロ、とまでは言わないが、国民に主権者たる自覚を促すメッセージが込められている」というのが、率直な感想です。
この世界をどんな風にしたいのか?
若者よ、自分自身の問題として考えろ!
みたいな、メッセージを強く感じましたね。
守りたい人を守るためには、世界の方を変えなければならない!たとえどんな犠牲を払ったとしても!
みたいな印象なので、確かに、国民主権というよりは、テロリストに近いかもな、とも思えますかねぇ。
ま、とにかく、そういう自分自身であることを、若者達にちょっとだけ想像してみて欲しかったんだろうなぁ?新海誠監督は。
と言うのが私の印象です。作品の全部は見てませんけど。
なので、ikaさんに共感です。 -
私はラストシーンに激しく感動しました
2021/1/5 13:28 by
リーガルマインド
初めましてで、またコメントを付けてしまいます。
すみません。
この作品のラストシーンに激しく感動したのですが、ちゃんと全部見てないもので、自分の感想が書けないのです。
誠に申し訳ありません。ご迷惑をおかけします。
で、件のラストシーンですが、主人公の男の子が、自分の仕出かしてしまったことをくよくよと考え込みつつ、ヒロインのいる場所へ向かう、あのシーンです。
1.どうせこの世界は、もともと狂っていた
2.昔からこの辺りは海の底だった。元に戻っただけ。
彼は人から聞いた話を反芻しつつ、それでも自分の仕出かしを肯定出来ずにいた。が一方で、拭いがたく、否定もできないでいる感じ。
で、ラストシーン。
その後どのような目に遭ったかも、ある程度想像がつくヒロインが、数年が経った今でも、世界のために祈っている姿を、主人公の男の子は見て、自分のしたことを確信をもって肯定できた、あの瞬間。
感動的でした。
何の罪科のない、自分を犠牲にすることも厭わずに、世界を守ることをひたすらに祈っているのであろう少女を、見て見ぬふりをして犠牲にすることなどできるはずがない!
自分のしたことが正しいかどうか分からない。でも、そうする以外にできたとなど、何もない!
この、自発的な決意。
これに泣けましたねぇ、私は。
世界が元々狂ってるとか、この辺りが昔はどうだったとか、そんなこと、全然、関係ない。
ボクは、世界のために祈る少女を、見て見ぬふりして犠牲にすることを是とする世界などに、この世界をしておきたくない!
世界はこうであらねばならない!
こういう世界のために行動をしたい!
と、いう自発的な決意。
新海誠監督が主人公の少年に託した、そんな叫び出さんほどの熱情を私は感じました。
思えば、前作の「君の名は。」でも新海誠さんはたった一人の少女のために、世界を変えてしまっていましたね。
でも、前作ではむしろ、多くの人を救ったり、主人公達自身が重大な罰を受けたりしていたと思えるので、この主張は新海誠監督が、長く温めている本音であって、世間の反応を探るために、それを小出しにしてきたのかぁ?みたいな感じが、今となっては致します。
う〜ん、こう考えてくると、確かに新海誠監督が、限りなく確信犯的テロリストみたいに思えてきますねぇ。
ご免なさい。大変に勝手な思いつきを書き殴ってしまいました。
とにかく、IKAさんのレビューに、ワタクシは、大変に共感をした、ということが言いたいだけです。
大変に失礼を致しました。 -
うーん
2021/1/5 13:57 by
Baad
やっぱり、ある世代以上の方にとって、テロは肯定的に受け止められるもの、ということになるんですかねえ。
でないとお二人の反応は理解できない。
実際、日本では同時多発テロ以前にはそういう風潮があったという記憶があります。
あと、リーガルマインドさんは間の部分をご覧になった方が良いかと思います。
あの祈りの結果、世界が水没したという物語です。
(それは主人公の妄想だという微かな可能性も残りますが-j -
大切な陽菜さんを救いたいだけ
2021/1/5 16:10 by
STAYGOLD
リーガルマインドさんは、かなり本作を理解してると感じます。
私は新海カントクじゃないので断言はできませんが、
カントクの伝えたいものはリーガルマインドさんが感じた
「この世界をどんな風にしたいのか?
若者よ、自分自身の問題として考えろ!」
でしょう。
たぶん、今、現実が仮想世界を超えたこの瞬間も。
まー、それだけ伝わってるんだから、Baadさんがおっしゃる様に通して観てほしいですね。作品はトータルして一本のメッセージ。やはり全てを観て意図を感じてほしいかなあ。穂高や陽菜さんと凪が追い込まれて行く様は、部分部分を切り取って感じるだけでは、意図は十分には伝わらないから。ここで良く議論になる全部観てから感想を書け、にもつながる^^
帆高はこの世界に閉塞感を感じていて、世の中の理不尽にも触れて最後にはこの世界を生きながら死ぬより陽菜さんのいる世界を守ることを選んだ。たとえ、世界の形を変えても。
「君の名は。」では糸守を彗星から守ったけど(三葉を含めて全員)、本作では雨が降り続けることを選んだ。この時点では東京の水没までは予想していない。陽菜さんは人柱にならず、雨は降り続けるが、たぶんゆるやかな水没だから直接的な犠牲者もいない。だが二次、三次被災者はいる可能性が高い。トリガーを引いたのは穂高と陽菜さんだけど、被害はその後の話。
これをテロと呼ぶかどうか。
皆のために巫女は死ねと。戦国時代かよ。
たしかに、若すぎる二人が生きていくことを許さない、
この残酷でつまらない世界への復讐心もどこかにあっただろう。
けど、帆高はきっとそこまで考えて無い。
ただただ、大切な陽菜さんを救いたいだけ。
この幸薄い少女を、こんなふざけた世界のために、知らない奴らの天気のために、犠牲になんかなって欲しくないだけ。いちばん大事なものを選んで、結果世界は変わってしまった。もちろん水没した東京の景色にこころを痛める。おばあさんにも謝る。でも、それでも世界はまだまだ維持されていて、なにより陽菜さんが生きている世界がある。きっと、しあわせのかたちは変わらない。
大きな世界の物語だけど、
でも本当はとっても小さい世界の慎ましやかな愛。
この、ひたむきで真っ直ぐな愛をテロと呼びたくないなあ。
若いときの想いってほんとにピュアでまっすぐだから。
一人だけでは不安だけど、二人だから強く生きていける…
「僕たちは、きっと大丈夫だ」 -
事実誤認でしたらご免なさい
2021/1/5 16:44 by
リーガルマインド
Baadさん、初めまして。
私のコメントにレスを頂いてありがとうございます。
スレ主さんのIKAさんには、承諾も得ずに勝手にやりとりを始めますこと、済みません。
>あの祈りの結果、世界が水没したという物語です。
Baadさんのこのご指摘ですが、私の認識ですと、
少女は人柱であることを受け入れて祈り、世界を救おうとしたし、あの時点で現に救うことも出来たけれども、少年がこれをやめさせた。
というのが事実だと考えています。
なので、あの少女の祈りが東京都を水没させたというご指摘は「全く当たらない」と考えているのですが…。
ご免なさい。
全部を見ていないので、間違っていましたら、その時は責任を痛感することにします。
あと、IKAさんもそうだろうと思いますが、取り敢えず私は、テロを肯定してはいませんし、彼や彼女をテロリストだとも思いません。
テロリストというかテロリスト的なのは、新海誠監督ですね。
ま、それはそれとして、主人公の少年が全くテロリストとは言えない理由は、彼があのディザスターを招いたのではない、という事実です。
元々あのディザスターは、「誰かのせい」で引き起こされていて、彼の起こしたテロではありません。
彼のしたことは。ディザスターを回避しうる能力を持つ少女が、その能力を発揮してこれを回避することを止めた、ということです。
ところで、このディザスターの原因が「ここに出てこない誰かである」という曖昧さによって、この作品は「設定の詳細を割愛している」とか「曖昧だ」、「プロットが出来損ないだ」などという批判を受けているかに思いますが、私が見るに、それは「敢えて」そうしていると思えます。
それは、「表現したいことはそこではない」という監督の主張なのでしょう。
つまり、
政治が悪い、親が酷い、教育が悪い、社会が悪い、といったような安易な結論を独断的に示して、「国民よ!さあ、立ち上がるのだ!」的なメッセージの込められた作品にしたくなかったのだろうと、私は個人的に思っています。
むしろこのことによって逆に、様々な人々がこの作品から、政治的匂いを感じたり、児童虐待や貧困問題、環境問題など、様々な要素を感じ取り、様々な印象を受けることになったのではないか?と思っています。
もちろん、ファンタジックなラブストーリーと取る方も多かったでしょう。
ただ、どう取るにしても、姿は見えないけれど、それぞれの問題に日々立ち向かっている人々、自らを犠牲にしてでもその問題を解決しようと頑張る人々のあることを知って欲しい、と願い、
その人達が引き起こしたのでもないそれらの問題を、その人達を消費・犠牲にすることで蓋をするかのように過ごすことを、あろう事か「よし」とする社会であってよいのか?という疑問を呈し、
その疑問から様々な問題の原因や解決法などに自らの答えを見いだそうとし、行動することを促している、
観客にも、描かれてはいないその「詳細」について主体的に考えるよう促し、想像させようとしている、
という作品であろうか、とは思っています。
全部を見てはいませんが、今のところ「傑作だ!素晴らしい!」と思っています。私個人としましては。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/5 17:43 by
Baad
リーガルマインドさんへ
以下の部分、見て判断してとしか言いようがありません。
あの祈りで晴れ女として事業をした結果、天の怒りを買ったという設定(あるいはそれは二人の妄想かも)です。
それをどの程度重く見るかによって、判断は変わると思います。
>あの祈りの結果、世界が水没したという物語です。
Baadさんのこのご指摘ですが、私の認識ですと、
少女は人柱であることを受け入れて祈り、世界を救おうとしたし、あの時点で現に救うことも出来たけれども、少年がこれをやめさせた。
というのが事実だと考えています。
なので、あの少女の祈りが東京都を水没させたというご指摘は「全く当たらない」と考えているのですが…。
以上ここまで引用。
最初と最後だけ見たら、それは傑作に見えるのは納得できますが、どうなんだろうなあ。
ちなみに、私も彼女が東京を水没させたとは考えていませんし、穂高が止めたせいでも無いと思ってます。
単なる気候変動かと。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/5 20:31 by
Baad
みなさまへ
STAYGOLDさんとリーガルマインドさんのレスは、私がIKAさんに聞こうとしていることとほぼ関係ないと思いますが、それでも重要な点として、皆さんの使っているテロの定義をのずれがあると思います。
もしよろしければ今一度、御自分の使っている意味で定義していただけたら、と思います。
私は、
正式の政府でない団体あるいは個人が、実際に保持している武力以上の影響力を狙って、人々の恐怖心を煽る形でする合法的でない攻撃。場合によっては無差別。
と考えています。これは一般的な定義に近いかと思います。今まで読んだ感触では、IKAさんの使い方は説明されれば納得できるかも。
細かい部分に個々人の危機感を煽る仕掛けがあると言うことでしょうか?
あと、超自然的な力の表現の仕方についてもご教示いただければ幸いです。これはIKAさんにのみお願いいたします。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/6 0:09 by
IKA
Baadさん、STAYGOLDさん、リーガルマインドさん、こんばんは。
私のテロの定義は、以下です。
<テロとは、充足理由律を無視しようとする行為。>
一般的なテロの定義はしりませんが……これは、それとはかなり違っているとは思います。
以下、説明させていただきますと……
充足理由律とは、ライプニッツの提示したものが有名ですが、「ものごとが起こるためにはそれなりの充分な理由がなければならない」というものだと思います。充分な理由……sufficient reason ということですね。
論理学では、同一律(自同律)、矛盾律、そして排中律の三つを立てますが、充足理由律は、これらにくらべて多少弱いイメージがあります。そのため、これを無視してショートカットできる……と、つい考えてしまうのだと思います。
心と身体が若いと、どうしてもこのショートカットに陥る。そのため、通常のしんどい延々とした手続きを無視して、自分の思い描く「理想」をできるだけ手早く実現したい!と願う。
これを、暴力行為や武力行為で行おうとすると、これは通常のテロの概念に近くなると思います。
でも……考えてみると、人間の持つ科学技術そのものが、もしかしたら、充足理由律を無視してできるだけ「結果をショートカットで得たい」というところに基軸があるんじゃないの……と、私は思います。
つまり、人間の科学技術そのものが、自然や地球や他の生命にとっては、立派な「テロ行為」になってるんじゃなかろうか……こういうふうにもいえると思います。
そして、その、ショートッカットをした結果として……いろんな「報い」が人間の社会にも襲ってくる。
しかし、人間の勝手な心は、それを「自分のテロ行為」の結果だとは夢にも思わず、さらに科学技術で自然を押さえこんだり、「災厄」を乗りこえようともがく。
本当は、自分自身の「テロ行為」の結果を受けているだけなのにね……
私は、新海作品の深部は、実はここのところにもリンクしているんじゃないか……と感じます。
もうひとつおもしろいのは……新海作品の登場人物は、作品中で充足理由律を無視しまくりですが、新海作品そのものの成立過程は、充足理由律を一歩一歩満足させながらきちんとできあがっている。スポンサーの獲得や、大勢の人々を作品制作のために動かし、配給系統もきちんと決め、そして広告宣伝に至るまで……今の日本の社会に充満する充足理由律をしっかり守って成立させている……この矛盾?がおもしろいです。
それともう一つ、たしかに新海作品の中の登場人物は、これでもかというくらい充足理由律を無視しまくっていますが、彼の作品世界にきっちりとした充足理由律を充満させて作品全体を支えているのが、実は「絵」ではないか……と私は思います。
あの、とことんデティールまで鬼のようにつくりこんだ「絵」が、実は充足理由律のかわりになり、主人公たちの行動をささえ、物語の緻密な基盤となっているわけですね。
今まで、こういう作品づくりをする人はいなかったから、その分、新鮮に感じられるわけで……そういう面でも、すごいなあと感心するのみ……
もう一つ、テロにかんしていうなら、私は、梶井基次郎の『檸檬』をあげたいですね。
あれはすごいと思う。ある意味、新海作品に通じる「瞬間の純粋性」……それをキラッとはなって歴史のかなたに消えていく……
『檸檬』の主人公は、丸善の書籍の並ぶ棚にレモンを一つ、そっと置いてくる。
これだけのことですが……これは、どう考えても立派なテロ行為です。
だれも、傷ついたり死んだりする人もいないんだけれど……もしかしたら、なにかがそこで大きく変わってしまうのかもしれない……
いや、実際には、店員さんがヒョイとつまんで「処理」するだけなんでしょうが……
でも、当時の青年たちに与えた影響は、多大なものがあったと思います。
というか、今読んでもとても新鮮で、心をぐっとつかまれてしまう。
ホンモノのテロは、暴力なんて無粋なことはせずに、あれほど優雅で、しかも鋭いんですね。
この『檸檬』の場合、「充足理由」となっているのは、「丸善の棚」で、そこに並ぶ古今東西の書籍、そこに詰めこまれた「思想」……これら全部を「充足理由」として利用している。
うまいなあ……
私は、新海作品のエキスみたいなところに、やっぱりこの、梶井の『檸檬』に通ずる感性を感じてしまいます。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/6 6:58 by
IKA
Baadさんの、「超自然的な力の表現の仕方」についてのおたずねに、お答えし忘れていましたので、補足的に……
「超自然的な力」というのは、私は、あくまで人間の側からみて、「自然法則という充足理由律」を満たしていないようにみえる現象にたいして付された概念であると思います。
しかし……われわれが「自然法則」と思っているものも、実は、自然の側にあるのではなく、人間の側にある……としたらどうでしょう。
自然の方は、勝手に、自分たちがそんな法則(人間が勝手に思いこみでくっつけた法則)に従ってると思われたら、それはえらい迷惑ではないでしょうか。
ニュートンの万有引力とか、アインシュタインのE=mc2とか、あるいは数学のいろんな公式や論理学の法則……そういったものすべてが、実は自然の側にはなくて、人間が勝手に自然の側にあると思いこんでいるだけだとしたら……
こういう「自然法則」が冒されたような現象を見たとき、われわれは「超自然的」という形容を課して、そこにはなにか、論理法則や充足理由律が働いていないような印象を受けるのですが、それはわれわれの勝手な思いこみであって、自然の側の責任ではまったくないのかもしれません。自然の側では、なにかわれわれにわからないような充足理由律がちゃんと働いていて、すべてはその結果としてきちんと現れている……と考えることもできます。
こんなことをいうと、自然科学の方からは、「だからシロウトは……」とあきれられるかもしれませんが(というか端的に無視ですね)、私は、ここは、これから重大な問題になってくると思います(驚くべきことに、ハイデガーが百年前にそのことを指摘していて、ビックリです)。
新海作品では、まさにここのところに触れているものが多いですね。
『言の葉の庭』なんかでも、現代の世界に行きわたっている「西洋の論理」(まあ、グローバリズムといってもいいかも)に対して、古来の日本人が持っている、それとはまったく違う、自然と人間がとけあったようなものの感じ方や考え方(それは和歌をつらぬく論理)を提示していました。アニメでまともにこれをやった作品をはじめて見たので、おおいに驚きましたが……
その感受性は、『君の名は』にも本作『天気の子』にも濃厚に受けつがれていると思います。
さて……「天候を変える力」というのは、今までのわれわれの観念からは「充足理由律を無視した超自然的な力」みたいに見えますが、ちがう観点からみたらどうなのか……
そんなことを考えてしまいますね。 -
檸檬の喩えは実に難解だけれど、最も分かり易い気がする
2021/1/6 11:46 by
リーガルマインド
皆さん、こんにちは。
先ずは私、責任を痛感しておりますことをご報告しまして、本作品に関するコメントは、作品の全部を見てからにすることと致します。
興奮して勇み足をしてしまいましたこと、お詫び致します。
ところで、IKAさんの「檸檬」の喩え、ビックリしました。
なるほど、書店の店先の本の上に「そっと檸檬を置いて去る」ことは、確かに「充足理由」を欠いており、ある種の人々にとっては「テロ行為」かもしれませんね。
非常に興味深く、面白い感性だと思います。
私の様な現実主義者、実務思考の者からしますと、夢にも想像の出来ない感性で、「テロ」という言葉を全く誤解しておったように思います。
私自身は、新海誠監督やその作品について、テロとまでは言わないが、それらを見る者の常識(二十歳までに獲得した様々な偏見)を破壊しかねない危険性をはらんでいるという意味で、テロリスト的だと感じておりました。
実に興味深い面白いお話を聞けて嬉しいです。
ありがとうございました。 -
テロの定義。
2021/1/6 17:44 by
STAYGOLD
みなさん、どーもです。
寒いですねえ。
どうぞお躰をご自愛下さいませ。
で、遅くなりましたがBaadさんのテロ定義に関してのレスポンスです。
ウィキでは、以下の記載。
「テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的目的を達成するために
暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。
元々の意味は恐怖政治。またテロリズムの実施者を
テロリスト(英: terrorist)と呼ぶ。
なお日本語ではテロリズムをテロ、
テロリズムによる事件をテロ事件との略称も使われている」
私の認識
国家または世界の秩序を、主に弱者やマイノリティ
(主流の勢力に対抗する宗教や団体や個人)が
自らの主張を鼓舞し貫き見せつけるために
暴力や脅迫という武器を用いて戦う手段。
目的達成のためには自己犠牲も厭わず、
巻き添えを食う一般人も同様に目的達成に協力した
聖戦の同胞と定義して自らの主義主張を正とする。
本作の登場人物の場合、
・単純に陽菜さんを助けることが目的で東京の水没が目的でない。
・穂高に政治的思想はない。主張も無い。
・ただし自分達のために国家権力への反抗や暴力への対抗を行う戦士の萌芽はある。
故にテロには当てはまらないと認識してます。
新海カントクの場合は、
・主義主張を映画という形で提示している。
・ただし、そこには暴力や脅迫という強制は無い。
・常に考える余地を観客に与え思考的かつ文化的なテーマを示している。
こちらもテロには当てはまらないと認識してます。
あえて言うなら「考えよう」とやらかく誘導する教祖さまか。
映像と言う手法で世界の数百万単位の人間に影響力を及ぼす。
ホンを書きコンテを切り音を当てて作品を生み出す人間は、
その世界の神だからなあ。作品世界でも、現実世界でも。
ハヤオなんかマジそうだし。
まー、そんな感じです。
ただ、深堀りすれば常識や国家権力に対する
テロの香りもほんのりと僅かばかしするかも…
とはいえ、ほとんどの観客が単なるSFラブファンタジーとしてしか
観てないと思いますが。
普段はやらないなかなかおもしろい解析でした。
今後の制作時のビジョンに参考にさせていただきます〜 -
テロの定義について
2021/1/6 22:48 by
Baad
IKAさん、リーガルマインドさん、STAYGOLDさんからも丁寧にお返事いただきありがとうございます。
IKAさんは意外にもニュートラルな使い方をしていて、ステイさんやリーガルマインドさんが必ずしも全て否定的には捉えていないことが意外でした。
私自身は国が同じことをしたら戦争で一般的には合法という部分で、一概に否定はできないな、という部分でしか合理化できないと思っていたので意外に思いました。
聞いてみるものですね。
みな様、お付き合いありがとうございました。 -
寝る前に「檸檬」読みました
2021/1/7 1:59 by
Baad
これテロです。
下手したら本は売り物にならなくなります!
そういえば、丸善って洋書だけじゃなく舶来の高価な雑貨や衣料も扱っていましたよね。
他の短編も「天気の子」と親和性高いですね。
三高の学生だから、転落の落差は帆高よりも凄まじいですが…
また時間のある時にゆっくりお返事します。 -
檸檬、読まれたんですね……
2021/1/7 7:10 by
IKA
私も、今はちょっと時間がないので、時間があるときにゆっくりと……(テロの定義についても)
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はい、ありがとうございます
2021/1/7 10:55 by
Baad
IKAさんの長文のお答えについての質問もあったんですが、書き直している時に消えてしまい、一部変なところがあったのでそのままににしております。何より「檸檬」読んだことにより少し理解が変わったので。
でも、レビューのレスにあった、「どのようなテロであっても結果は悲惨」というのは気になっております。
ゆるゆるとお付き合いいただければありがたいです。 -
テロを肯定しないですよ。
2021/1/7 15:11 by
STAYGOLD
Baadさんに、お返事です。
私はテロは認めません。
アレは理由をつけた卑怯者の手段です。
ただ、平和ボケしていると言われるこの國でも学生運動にしろ、宗教戦争にしろ、自分達の正義を掲げて、一部テロとしか考えられない狭い視野の攻撃(主張)をしてきた歴史がある。彼らは必ず自己を肯定するからねー。
まず、他人を犠牲にしてはならない。
そんなのは絶対に認められない。
国家レベルなら、この感染症地獄は国家の無能たちが起こした国民に対する無邪気なテロでしょうかね。私はかの国の兵器を利用した増えすぎた金のかかる国民の人口削減狙いとしか思えない。まー、彼らは自分たち本位で徹底的に自分たちに甘い。もう少し老人だらけの国会は危険領域であることを理解するべき。
お、ここに罹患させた無症状の若者を警備やその他の業務で紛れこまさせるのは、まさにテロだな。
まー、映画ならこういう自分勝手な連中はゾンビや巨人に喰い殺される哀れな末路で「ざまあみ!」と爽快感を得る結末ですが。
現実には権力に対抗する手段としてのテロ根絶は難しいんでしょうな。せつないのう。
私は本作、カントクともにテロでは無いと認識しています。 -
テロの定義……
2021/1/8 3:26 by
IKA
みなさん、こんばんは。
話は少し戻りますが……Baadさんの提言(各自のテロの定義は?)のおかげで、「テロの定義」がなんとなくわかってきました。ちょっと並べてみますと……
★STAYGOLDさんが調べてくださったWikiの記載
『テロリズム(英語:terrorism)とは、政治的目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。元々の意味は恐怖政治。またテロリズムの実施者をテロリスト(英:terrorist)と呼ぶ。なお日本語ではテロリズムをテロ、テロリズムによる事件をテロ事件との略称も使われている』
★STAYGOLDさんの認識
『国家または世界の秩序を、主に弱者やマイノリティ(主流の勢力に対抗する宗教や団体や個人)が自らの主張を鼓舞し貫き見せつけるために暴力や脅迫という武器を用いて闘う手段。目的達成のためには自己犠牲も厭わず、巻き添えを食う一般人も同様に目的達成に協力した聖戦の同胞と定義して自らの主義主張を正とする。』
★Baadさんの定義
『正式の政府でない団体あるいは個人が、実際に保持している武力以上の影響力を狙って、人々の恐怖心を煽る形でする合法的でない攻撃。場合によっては無差別。』
★私(IKA)の定義
『テロとは、充足理由律を無視しようとする行為』
ということです。ついでに、英語版のWikiを見ると……
★英語版のWikiの冒頭部分
『Terrorism is, in the broadest sense, the use of intentional violence for political or religious purposes.』と書いてあって、ほとんど日本語版のWikiと同じですが、violenceの前にintentional(意図的あるいは計画的と訳す?)という語が入っているのと、「政治的あるいは宗教的目的のために」というように「宗教的」という言葉が入っているのが少しちがうかな……というところですかね。これでみると、突然思いついて衝動的にやっちゃった……とかはテロには含まれないということで(intentionalではないから)、この記載からすると、本作の主人公の行為はあきらかにテロではないということになりますね。しかし監督さんの方は、「突然思いついて映画をつくっちゃいました」というわけにはいかないから、含まれる可能性が濃厚???
フランス語版のWikiの冒頭は……
★『Le terrorisme est l'emploi de la terreur a des fins ideologiques, politiques ou religieuses.』となっています(アクセント付きの文字が変換できないので、アクセントが抜けてます)。まあ、「イデオロギー的、政治的、または宗教的目的のために恐怖(テロール)を用いること」みたいなことでしょうか。イデオロギー的と政治的の違いがよくわからんですが、まあ、共産主義、みたいな全体的観念を「イデオロギー的」といい、自分の国や団体や……の具体的な政治的主張を「政治的」といっているのかな?ここらあたりは、詳しい方がおられればお教えください。それと「恐怖を用いること」という表現ですが、これは、けっこう重要なポイントかもしれません(Baadさんの定義にもありました)。というのは、本作に関連するかぎり、本作から「恐怖」を感じる人はあんまり多くないだろうからです(私は感じたのですが)。一般的に映画ってものは、それがいくらリアルでも「本当の恐怖」は感じにくいようにできてます。だから戦争や暴力が画面に満ちていても、観客はそれが「映画の中のこと」として安心して見ていられる。本作もやはりそのようにできている……はずですが、封切り時の日本の天候があんなふうだったから(雨ばっか)、ちょっとゾッとした方はおられたかもしれません(私はこの間地上波放映で見たので、そこはわかりませんが)。
ドイツ語版Wikiの冒頭部分はけっこう長文ですが……
★『Unter Terrorismus ( abgeleitet ueber " Terror " von lateinisch terror ' Furcht ' ,' Schrecken ' ) versteht man kriminelle Gewaltaktionen gegen Menschen oder Sachen (wie Morde, Entfuehrungen, Attentate und Sprengstoffanschlaege) , mit denen politische, religioese oder ideologische Ziele erreicht werden sollen.』とあって(ウムラウト付きの文字が変換できないので、複母音で表示)、まあ、「テロリスムス(テロル ー ラテン語のテロル、恐怖、驚愕、から派生した)は、自身の政治的、宗教的、あるいはイデオロギー的目的を達成するための、人あるいは財産に対する犯罪的な暴力行為(殺人、誘拐、暗殺、爆破物による攻撃のような)と解されている」みたいなことでしょうか。ここでもやはり、政治的、宗教的、イデオロギー的、と、フランス語版と同じ三つ組がでてきます(それにしてもいちいち細かいですね。細部まで確定しないと気がすまないのがドイツ人?)。
いずれにせよ、どの言語においても「政治的」ということは、かなり眼目にはなってくるように感じます。日本語版だけ「宗教的」が抜けているのは、日本では無宗教の人が多くて、なにかの宗教を信じている人でも、それでテロをやるとは思われていないからなのか……でも、あのオウム事件はもろに「宗教的テロ」でした。あれだけのことがあっても、日本では、やっぱりテロは「政治的」なものなんですね……。このあたり、やはり諸外国との受けとめ方の違いを感じます。
ただ、ここで私が思うのは……なんか、イメージ的に、この、どの言語にもある「政治的」という表現にものすごく違和感を感じるということですね。
これはつまり、テロをやる方の意識の問題なんですが……私の場合は、どうしても、「政治的」とは正反対のものをそこに感じてしまうわけです。
私の受けるイメージでは、「政治的」というのは、とにかく世間馴れしたおっさんたちのなにやらわけのわからない不気味な「はかりごと」が渦巻く世界で、それこそintentionalのカタマリなんですが……一方、テロを実際に実行する人たちの心情は、そういうものとは正反対で、いい言葉でいえば純粋で純真なんだけれど、悪くいえばナンも考えてない……これは、もしかしたら真逆なんじゃないかと感じます。
テロを実行する人たちは、自分の行為にまさに自分の命をかけるわけですから、「もうその先がない」というところでやるわけです。まあ、中には「計画的」で、自分の命が保全され、つかまることもなく安全に……という人もいるかもしれませんが、大多数のテロリストたちは、自分が死のうがつかまって死刑になろうがおかまいなし……でやっちゃう。そういう「そこでぶちっと切れてしまう」心情は、やっぱり「政治的」ではない。「政治的」というのは、むしろ、自分はなにがあっても生きのびて、どんな手段を使っても自分の「政治的目的」を達成してやろう……というしぶとい、老獪なものを感じてしまいます。テロリストのように「そこでオシマイ」ということになると、「その先」を確認できないワケですから、これはむしろ「私の行為によって世界は救われるはず」という一種宗教的な信仰の世界ではないかと……(そういう意味では、外国語版の「宗教的」というのははまってるのかな?)
私は、やっぱり吉本隆明さんの、『世界と私は倒立している』という意味の表現(正確な表現は忘れましたが)を思いだしてしまうのですが……結局これが、テロリストの心の根本にあるテーゼなんじゃないかという気がします。常に、自分と世界は逆立ちの関係にあって、なにをどうしようがそれが変わることがない……すべてはここから出発する。自分と世界が正立の関係にあると思っている人は、むろんテロなんか行う必要がなく、この世界で順等に自分を伸ばしていけるワケですから……もう、最初から「自分は世界に拒まれている」と思いこんでる人が、なんらかの「政治的目的」を持っている「腹黒い人々」にテロリストとして簡単に利用される……そういう仕組みになってるようにも感じます。
ただ、この吉本さんの『世界と私は倒立している』というのは、私は吉本さんの独創的な発想だと思っていたんですが、ヘーゲルの『精神現象学』の中に同じようなことを言ってる箇所があって、おどろきました。吉本さんはヘーゲルは徹底的に読みこんでるでしょうから、ヘーゲルの影響が大きかったのでは……とも推測されます。まあこれは余談ですけど。
ともあれ、本作の主人公たちの心情は、いささかも「政治的」ではなく、むろん「宗教的」でも「イデオロギー的」でもないから、上にあげた各言語のテロの定義には当てはまりませんね。しかし、彼らの「純粋な心」はやっぱり、テロを実際に行う人々の心情に通じるものが濃厚なような気がする。世間に自分は徹底的に拒まれている……吉本さんの「倒立感覚」ですが、そこは同じだなあ……と思います。
だいぶ長くなりましたので、梶井さんの『檸檬』については、またあらためて…… -
私の思う「テロ」の定義につきまして
2021/1/8 11:33 by
リーガルマインド
皆さんこんにちは。
私の思う「テロ」の定義を述べていませんでしたので、遅ればせながら述べさせて頂きます。
私としましては「テロ」という言葉を次のような要件で使用しております。
1.とある自らの意図を通すことを目的に
2.他者を慄かせる行為を行うこと
で、「とある自らの意図」は、必ずしも政治的宗教的なものである必要はなくて、例えば、
奥さんが高価なバックを買って貰いたいという意図から、
何年の前の旦那さんの過去の過ちの話を切り出す
みたいなことも、立派なテロ行為だと思います。
そういう定義で申しますと、この作品の少年少女の行為には、その行為自身の他に別途「通したい」という目的も「他者を慄かせたい」との意図もありませんから、彼らの行為はテロの要件を欠くと思います。
ただ、この少年少女の行為とその結果との因果関係を、この映画を通して俯瞰的に見た多くの大人達は、程度の差こそあるでしょうが、恐らくは、彼ら若者のの行為に「慄く」ことになるとは思われ、であったならばそれは少年少女たちにではなく、作者である新海誠監督の「多くの人を慄かす事になるかもなぁ』という漠然とした「目的や意図」によって引き起こされたことなのではないか?と考えられますので、新海誠監督がこの作品を作り、公開したその行為において、「テロ的だ」と言えるんじゃないか?と申したのが私の意図したところであります。
この作品の全部も見ていない分際で失礼かとは思いましたが、私の「テロ」という語に対するイメージと、「テロではない」とか「テロ的だ」と申したことの説明をば、させて頂きました。
たいへんに失礼をいたしました。 -
テロの定義
2021/1/8 23:19 by
Baad
続き
皆様からテロの定義をお聞かせいただきありがとうございます。
IKAさん、ステイさんはwikiの引用もいただきありがとうございます。
あまり大差はないのですが、論拠がwikiというのは若干弱い気がしないでもないので、日本語だけ、政府の法令上の規定を引用しておきますね。
>警察庁組織令第三十九条では、テロリズムの定義として、「テロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)」と規定されている。
>特定秘密の保護に関する法律第十二条第二項では、テロリズムの定義として、「テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。)」と規定されている。
で、実はIKAさんの用法は、いつものIKAさん独自の定義の用法で、本来の意味のテロでは無いと咄嗟に思ったのですが、その用法での「テロ」だとこの映画の矛盾点を綺麗に説明できるのでは?と興味を持ったのが質問のきっかけでした。
で、この映画にはテロはないよ、と当然のことを言っているのがSTAYGOLDさんでした。
「ただし自分達のために国家権力への反抗や暴力への対抗を行う戦士の萌芽はある。」の部分を読んで、頓珍漢な反応をしてしまい申し訳ありません。
で、wikiの定義で意外に思ったのが、テロを行う主体には規定が特に無いってことですね。脱線しますが、国家がやらかしても不法な暴力で恐怖感を煽って強権ふるったらテロになるわけですね。これは認識不足でした。
リーガルマインドさんもご説明ありがとうございました。なるほど、その定義だと、私は二年に一回はテロ行為をしているわけだ(笑)。
でも、この映画の解釈との関連はよくわかりました(^^)。
私は、この映画はテロでは無いと思うのですが、IKAさんの「檸檬」のお話は楽しみにしています。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/9 1:06 by
IKA
みなさん、こんばんは。
なるほど……警視庁組織令とか、特定秘密保護法の定義は、まさに「とりしまる」という観点から述べられたものですね。(ちょっとコワいですね。逆に)
みなさんの定義、wikiの各国語の定義、そしてBaadさんが紹介してくださった警視庁とか特定秘密保護法の定義をくらべてみて、あることに気がつきました。
それは……リーガルマインドさんと私の定義は、「必ずしも政治的、宗教的なものである必要はない」ということ。
これに対して、Baadさんとステイさんの定義、wiki及び警視庁と特定秘密保護法の定義には、「政治」とか「国家」とか「世界」という意味が含まれているということです。
ここは、ちょっとおもしろいですね。
おそらく、リーガルマインドさんと私は、客観的な定義というよりは、それを行うその人の心の問題として、テロというものをとらえているのかな……と思いました。
それと……一つ、だいじなことに気がつきました。
それは、映画の中のキャラは、当然自然人ではなく、むろん法人でもないので、テロを行うということがそもそもありえないということです。(たとえば、本作の主人公(の一人)のほだか君は、映画の中では自然人だけれど、映画の外の世界、つまりこの私たちの世界(人間の世界)においては自然人でも法人でもなく、単なる映画のキャラ)
テロはやっぱり人間の世界のことなので、それを行う主体は、自然人か法人、つまり法的な責任と権利を有する主体でないとダメだと思います。
映画の中のキャラは、たとえテロリストを描いた映画であっても、どこまでいってもそれはキャラであって、自然人でも法人でもないから、責任も権利もなく、映画の中でなにをやってもテロにはならない。
これ、あたりまえのことですが、いまさら……という感じで気がつきました。
これに対し、映画をつくる人や会社は、自然人あるいは法人であって、権利を有し責任を負うわけで、その映画の内容によってはテロ、もしくはテロを誘発するという責任を負う可能性があります。まあ、映画を見ただけで人が死んだりケガをしたり……ということはないでしょうから、実際には「テロを誘発する責任」が問われるケースがある……ということかな?
と、これは、テロというものを客観的にとらえて、政治とか国家とか世界をからませた場合に出てくる見解ですが、リーガルマインドさんや私のように、それを行う主体の心の問題としてとらえた場合には、映画自体が「テロ」になりうるし、場合によっては映画の中のキャラの行為も「テロ」になりうるのかもしれません。まあ、ややこしいことですが……いろいろ考えるとおもしろいですね。 -
海の力
2021/1/11 19:38 by
IKA
この作品、録画しておいたので、もう一度見てみました。
再見の感想ですが……もしかしたら、この作品、主人公は人じゃなくて天気なのでは……そう、思いました。
Baadさんもどこかでご指摘されていましたが、主人公たちの心の動きにどこか不自然なところがあり、矛盾に感じられたり、あまりにも唐突すぎるところもあります。つまり、通常のドラマトゥルギーからだいぶ外れてるんじゃなかろうか……というところがかなり目立って、そこで「共感できないなあ……」と思う人も多いんじゃないかと。
でも、この作品、人じゃなくて天気が主人公なんだとしたら……なるほど、圧倒的なお天気の描写(雨、雲、雪、雷、陽の光、風……)に対して、人々はそれを受けるのみ……でも、実は、人の心の動きって、そんなに着実なものじゃなくて、現実にはみんな、矛盾だらけで唐突な動きもいっぱいしてるんじゃないでしょうか。
私は、新海さんのお話つくりのベースには、やっぱりそれがあるんじゃないかと今回とくに感じました。いわゆる、西洋から入ってきたようなお話のつくりかたや登場人物の動かし方ではなくて、日本人が昔からもっている感性みたいなものを中心にした心の動き……と、そこからでてくる言葉や行動……こういうものに寄せていこうとする傾向性を感じます。
もろにそれが出ていたのは『言の葉の庭』でしたが、他の作品でもそこはやっぱり彼の特徴になっていると思う。日本人は、自然……というか、まわりの環境と自分自身があまり分離していないところがあって、それは、世界でも独自の感性になっていると思いますが、彼は、そこのところから軸足を離したくないんだろうと思う。そんなつくりですね。
私自身は、たとえば司馬遼太郎みたいにヘンに日本と日本人を特別視?するような思想は大キライなんですが、新海さんのように自然にそれをやられると、なるほどそうなのかなあ……と思ってしまいます。以前、角田忠信さんという耳鼻科のお医者さんが書かれた『日本人の脳』という本を読んで、そうだったのか……と感心したんですが……
この本によると、たとえば、欧米の人々などは樹々のそよぐ音や波の音や虫の声など、いわゆる「自然の音」を右脳(音楽脳)で受けるそうですが、日本人は左脳(言語脳)で受けるんだそうです。これは数多くの人々の臨床試験の結果で、例外なくそうなる。でも、日本人でも外国で育って、小さいころから英語なんかが母国語になってる人だと左脳で受ける。
逆に、欧米の人でも、数少ない例ですが、小さい頃から日本で、日本語を母国語として育った人は日本人と同じ脳のパターンになる……ということで、角田先生によると、これは人種じゃなくて、言葉が原因なんだろう……と。つまり、日本語という言葉が脳をつくって、自然の音を一種の「言葉」として左脳で聴くようになるんだと。
それで、先生は、世界中の人々の脳のパターンを調査されたらしいのですが……その結果、おどろくべきことに、中国人も韓国人も、他のアジアの国の人々も、みな欧米の人々と同じ脳の構造だった……アフリカの人もやっぱり欧米型(自然音を右脳で聴く)だったそうです。世界では、欧米型の脳が普遍(コモン)なんですね。
それで、世界に、日本人と同じ脳の構造の人はいないのか……と思って調査を続けると、太平洋諸島の人々がその型だったそうです。つまり、太平洋の島々の人と日本人だけが自然音を左脳(言語脳)に入れる言葉を用いていて、世界の他の地域の人々はみなそれとは逆である(自然音を右脳で聴く)……ということで、これは驚くべき結果だと思います。
私は、新海監督の作品に、この角田先生の説を具体化したようなものを強く感じるんですね。いや、新海さんだけではなく、日本のアニメやマンガって、結局この「日本人脳」のつくりだしたものじゃなかろうか……だから、「世界」にとってはとても新鮮で、「自分たちにはない感性」ということで、大好きになる人が多いんじゃないでしょうか。
とはいえ、この、新海さんの一連の作品は、そこをさらに進めて、これまでの「主人公は人間」という西洋流のドラマの作り方から大きく違う道に進みはじめているような気がするんですが……本作はとくにそれが顕著で(前作『君の名は』では、まだドラマを作っていた)、一歩踏み出して、主人公をお天気そのものにしてしまった……。
欧米だと、たとえばライオンキングみたいに主人公が人間ではないタイプのものもありますが……あの場合はかたちだけ動物たちでも、実際はすべて人間化されていて、人間が主人公のドラマとなんら変わるところはない。しかし、新海さんの作品のように「お天気」が主人公になると、これを「人間化」することはとてもできないわけで……。
だから、人間の方が、画面一杯に展開する「お天気」を受けて、いろんなことを感じ、語り、行動する。それは、人間のいとなみというよりは、もうすでに「お天気ナイズされた人間」みたいな感じになってくるわけで……これは、昔の巫女さんに近いですね。神を受けて神の声を語り、神の意図を人々に伝える……そんな役割なのか……
昔から、巫女さんが神がかりになるとき、「お天気」ってけっこう重要な役割を果していたみたいですね。嵐が近づいてくると神がかりになったり……京都の上賀茂神社は雷の神様をお祀りしますが、あそこへいくとかなりそういう気分を感じます。日本の各地にあるいろいろなお社も、そういうものを感じさせるところは多いようです。
この作品の中では、廃ビルの屋上にある小さなお社(稲荷社?)がそれにあたりますが……あんなデザスタークラスの「お天気」を受けるお社があんな小さな粗末な、もっというならキッチュなものでいいの?ということですが、あそこは、実は、巨大都市東京の「お天気受信所」みたいな、核になる「施設」だったのかもしれません……
ということで、この作品は、実は、人間の登場人物が「受信した」お天気の物語……と考えてみると、けっこういろんなことが描かれているような気がする。やまない雨。夏に降る雪。龍神のような雷。そして奇跡のようにさしこむ陽光……しかし、それらすべてを統合して、全体をコントロールしている巨大な「力」がある……それはなにか……??
私は、それは、結局「海の力」であると感じました。
この日本列島は、海に取り囲まれており、「海の力」をもろに受ける地としてあります。この地に暮らす人々は、太古からこの「海の力」をさまざまに受け、その力と共に暮らし、その話す言葉も生活習慣も考えることも……感受性も文化も芸術も、すべて、この「海の力」を実は基盤にしてできあがってきたのではないだろうか……
そう考えるとき、「東京が海に戻る」ということも、やはりまた一つの必然として理解できるような気がする。海がそう考え、海が呼び、海がそのようになした……通常、天候と考えられるものも、この地では結局ベースに「海の力」があって、それとともに変化し、人々に海の想いを伝えていく……この作品は、そのようにも読めると思います。
そしてまた、この作品が意義深いのは、これが、実は今、実際に起こっていることだから……ということではないでしょうか。聖書に「人はチリからとられたからチリに還る」という言葉がありましたが、日本列島は海から生まれたから海に還る……そのプロセスが、もう何年も前からゆっくりと起動しつつあるように感じます。
先に……「自然の音」を左脳に入れるのは、日本語と、太平洋諸島の言葉だけ……ということを書きましたが……それはやはり、「海の力の及ぶ圏域」にある地に暮らす人々の言葉なのであり、世界の他の地域に暮らす人々にはわからない「海が語る言葉」が、実は、この作品に満ち満ちているのではないだろうか……
この作品を再見して、そんなことを感じさせられました。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/12 3:36 by
Baad
IKAさんへ
テロとういう言葉についてのまとめ、よくわかりました。
テロリズムとterrorの違いかな、と理解しました。
ただ、この理解だと、IKAさんの最初の解釈は宙に浮いてしまうかな、と心配になりました。
で、IKAさんはテロを行う人の心中、リーガルマインドさんは「テロ」の「被害」を受けた人の心中を問題にしている、というところに違いがありますね。
テロリストが純粋かどうかに関しては個人差があるようにも思いますが…
それから、映画についてのお話をありがとうございます。
読んだ結果、私も色々と考えがまとまりました。
ただ、私の発言について誤解があるようなので、補足させていただきます。
> Baadさんもどこかでご指摘されていましたが、主人公たちの心の動きにどこか不自然なところがあり、矛盾に感じられたり、あまりにも唐突すぎるところもあります。
これ、一緒にしておられますが、ちがいます。
心の動きには特に不自然なところも矛盾も私はかんじませんでした。未熟ではありますが。こういう勘違いした少年は結構おりますね。
一般的な秩序とはズレていますが、物語の性格設定から外れているとは感じませんでした。
多少行動が設定からもズレているかもと思うのは雇い主のおじさんだけですね。
つまり、変だと感じるのは、登場人物の設定と、物語の描き方です。
唐突に感じるのも主に物語の組み立て方ですね。必要な説明ですら足りないんです。
会ってなかった三年間の説明がほぼない。
多分公的な支援で二人ともなんとか無事に暮らしてたんだろうとしか考えられないんですが、だとしたらあのラストは要りませんよね。
あの時点で会う意味もわからない。
ですので、あそこは本来物語には必要ないと思いました。
>つまり、通常のドラマトゥルギーからだいぶ外れてるんじゃなかろうか……
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ドゥラマトゥルギーに則った上でわざと外しているので不自然なのでは?
で、あのラスト、大抵の夢を諦めた大人がやっていることです。新しくもなんとも無い。
こういう決断の積み重ねが今です。
だから君も多少はズルしていい、生きるためには、と言っているようにしか思えませんでした。
それはそれでいいんですが、二つ気になりました。
1-現実問題として、先進国の中で日本は例外的に経済が沈んでいるんですよね。(この映画の日本での初日の時点)
今更、あまりうまくいっていない大人の道を子供に教えることになんか意味があるんでしょうか?
行き詰まりが再生産されるだけだと私は思いました。
それでも死ぬよりはマシかもしれませんが…
2-陽菜の意思がほぼ描かれていない。
これも、日本に特徴的。女性の意思は表だっては無いものとして問題にしない(実際にないわけでは無い)。
たぶんこれも経済が振るわない理由の一つ。
ただ、自然については、一つ疑問が解けました。
ここまで物語をときほぐしていただいて感謝しております。
陽菜の力は限定的で、いくらその力でかなりお金を稼いだとしても、力がなくなったあとまでも3年近くも雨が降り続くのは不自然だと思いましたが、自然が主人公なら、同じような働きかけを自然にした人は複数人いる可能性もありますね。
だから、帆高が自然との調和を学ぶことには意味があるのでしょうし、彼なりに責任は取っていることになるのでしょう。
でも、学び終える前に、どこかに難民として移住せざるを得なくなるかもですね。ま、それはその時ですが。
ただ、海についてはどうだろう。
海に程近いところに生まれて海を見て育ったわたしには、司馬史観と同様、単なる一見わかりやすい例え話にすぎないように思えますが。
IKAさんは〇〇で新海さんは長野出身。どちらも海のない府県ですね。
だからこういう海の扱いが趣向として面白いと感じられるのかもと思いました。
海の天候はあんまり変わりやすくは無いですよ。
波や風はともかく、雨や晴れは割と予想がつく。 -
Baadさんへ
2021/1/13 0:53 by
IKA
なるほど…Baadさんがおっしゃってたのは、主人公たちの心の動きではなく、登場人物の設定と物語の描き方の方である……ということですね。この点には私の誤解があったみたいですね。失礼しました。
雇い主のおじさんはたしかにもっともヘンですが、私の見解では、彼はトリックスターなんだと思います。要するに、作品を作者の思いどおりに動かすために投入されているキャラクター……なので、かなり不自然な部分も多いのかと。
一応、彼にも彼なりの物語はくっつけてあるようですが……なんかみえみえの感じで、トリックスターの導入方法や動かし方にかんしては、やっぱり宮崎さんみたいな何枚も顔をもってる手練にくらべるとまだまだかなあ……と感じます。
物語の組立てにいたっては、もう破調もいいところで、つじつまを合わせようと努力する気にもならない……そういう、いわばスゴイレベルに行っていると思います。この点、彼の物語は、一種「神話的」なものを、どうしても感じてしまう。
神話だと、えてしてそういうことはあるようです。たとえば、日本神話における須佐之男命の描き方など……天上界での乱暴狼藉ぶりにくらべて、出雲の地ではまさに英雄……この両者をつなぐのは至難の業なんですが、でも、どちらもスサノヲ。
そういう点から見ても、新海作品の作り方は、いわゆる「現代の物語」からかけはなれていて、なにか古代的というか神話的といいますか……舞台は目一杯現代なので、そこに生じるギャップは、これはもうなんとも丸めがたいものがある……
だから、やっぱり「絵」なんじゃないかと思います。説得性があるのは……見る人はみな、とにかく「絵」の力にごまかされて?あんまり細かいところを問う気にもならない……少なくとも私はそうでした。彼の作品は、最初からずっとこの路線。
ところで、Baadさんが二つ気になられた点ですが……まず、日本の経済的沈下については、私はちょっとよくわからないのですが、データ的にそうであるということでしょうか……たしかに、景気のいい会社20社だかに日本企業はない……みたいな。
これは、大学のレベルとか、多くの点でもそうでしょう。もう日本はダメなんだと思います。そういう点では。ただ、別の点ではそうでもないと私は思っているんですが……いずれにせよ、データで比較できるほどの知識はないので、あまりなにもいえない……
こどもたちに教える……というか、こどもたちは、大人に教えられずとも、みずからいろいろ学ぶんだと思います。今の政府のように、誠実さを欠いて昔日の夢ばっかり追っていると、これは最も悪い見本をみせることになってしまうとは思いますが……
二番目の、ひなの意志ですが……彼女は、「天気の子」なので、人間的な意志というのはあんまりないんじゃないでしょうか。はじめの部分では、ヘンな仕事に誘われてくっついていっちゃいそうになるし……宮崎さんのヒロインなどとはかなり違う。
でも、もしかしたら人間の子じゃなくて天気の子である……としたら、なんとなくわかるような気はする。そもそも、もともと人間世界にはいない(存在の根拠を持たない)のかもしれません。この物語の主人公は天気……と感じるのとリンクしている気がする。
ひなの力で天候が変わるのではなく、彼女が天気の子だからそうなるのかもしれません。つまり、天気自身の意志で……人が自然にはたらきかけるのではなく、あくまで人は自然を受ける……そういう解釈の方が私には自然にかんじられるのですが……??
海については……私は、海に近いところにいくと、海が地平線にまで降りてきたなあ……と感じます。今、私が住んでいるのも山の中なんですが、山では海は天のかなり高いところにある感じです。それが、海に近づくにしたがって、海がだんだん降りてくる……
そして、海岸線のところで、海はグラウンドラインまで降下して海になる……そういう感じです。だから、行ったことはありませんが、たとえばシベリアのアンガランドみたいなところでは、海はもう、成層圏のはるか彼方まで昇り切っているのでしょう。
東京の下町なんかだと、海は完全にホリゾンタルラインまで降りてきていますね。だから「水没」といってもそれはごく自然なことで、海からすればちょっとあいさつにきました……ということかもしれない。そこに「街」をつくってしまった人間は大変ですが。
私は、この作品には、なんとなく小松左京さんの『日本沈没』みたいなものを感じるのですが……その話はまた。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/13 13:18 by
Baad
この物語を神話的なものとして見たら、そりゃ無茶苦茶ですね。
つう、や、かぐや姫を無理やりオトコの力で地上に引き摺り下ろしているわけですから。
もう、これはテロではなく、堂々たる物語文化の破壊ですわ。
それは、そこまでやれば天も怒るでしょうと-
二人だけでも、いや帆高一人で天変地異起こしてますわ。
面白いので、細かい部分もお聞きしたいと思います。
また後ほど。
海については、他にも思うことがあるので後で書いてみますが、絵以外の部分は随分ざっくりとした発想で作っているんだなあ、と思いました。
それをたぶん他のスタッフの人との共同作業でコーティングするのだろうけど、そのコーティングが今回はまあまあ上手くいっていて、私は陽菜が天に連れて行かれるまでは普通に見てられたんですね。
そっから先は絵も含めて??だったんですが。上手いだけにえっ??その方向に行くのはあり?となってました。
大筋はぶれないけど、そりゃ大筋だからぶれようも無いよなあ、と思います。舞台装置レベルの大筋だもの。
元々のファンの人は細部だけつなげて見てるのかしらん?
色々私なりに納得することもあり、ありがたいです。
経済的沈下は、データを見つけるまでもなく、先進国の中で、日本だけGDPが成長していないとはよく言われることですよね。
説明するまでもなく当たり前だと思ってました。
デフレと円安もあり、そう感じない人も多いかもですが、円安になってから久しいんで、やはり相対的には落ち込んでいることにはなると思う。
パッケージを小さくする形での値上げはわかりやすいですよね。
企業とか、そういうことは考えてなかったですが、特殊な先端科学領域以外は勢いがないとは感じます。 -
ホダカは海の神?
2021/1/14 1:15 by
IKA
Baadさん、こんばんは。
この作品に神話的なものを感じるのは、登場人物の名前によるところも大きいと思います。
まず帆高。ホダカという音からは、やっぱり穂高を連想します。穂高岳ですが、穂高神社というお宮さんが安曇野にあり、その奥宮が上高地に、嶺宮が穂高岳の山頂にあるそうです(私は、安曇野の本宮におまいりしたことがあります)。祭神は穂高見命(ほだかみのみこと)ですが、ふしぎなことに、この神様は、海の神の綿津見(わだつみ)の子であるとのこと。前に、「海の力」について書きましたが、天空の神である穂高見が、実は海と関連しているとは……
おんなじようなことを言ってる人がいました。(アタマにhをつけてください)
ttps://book.asahi.com/article/12624465
あと、私としては、ホダカという音から、どうしても「タカチホ」を連想してしまいます。いうまでもなく、天孫降臨の地ですが……
つぎに、陽菜ですが、「ヒナ」という音からは、やはりヒナ人形のヒナが思い浮かびます。今でこそ女の子の祭になってますが、元々は、身の汚れを人形に移してそれを流す「流し雛」だったという説もあり……これだと、もろに人身御供ですね。
なお、陽菜は、天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)とする説もあるみたいです。たしかに、天野陽菜ということで、そうも考えられますが……ただ、この神様は男性神なので、そこに?がつきますが。
そして、陽菜の弟の凪。この名前から連想するのは、やっぱりイザナギですね。古事記に出てくる国生みの神。凪君は、この作品では補助的な役割ですが、やがて成長したら、彼を主人公とする物語がつくられるのではないか……とすると、そこで相手方として出てくるのは、必然的にナミ(イザナミ)ですね。もしかしたら監督さん、次回作でそんなことを考えているんでは……
ただ、本作の中では凪君はヘンなおじさん(須賀圭介)と同じく、役割としてはトリックスターですね。帆高と陽菜の間に入って、ラストを迎えるまでは二人の距離が必要以上に狭まらないように支える……それだけのために入れられたキャラになってるような気がします。実際、本作では、陽菜に弟がいる必然性は、そこのところにしかないような……ただ……彼は、今後の成長が楽しみですね。
経済沈下については……たしかにGDPのことは私もきいたことがあります。ただ、そのあたりはなかなか実感としてはとらえにくいですね。まあ、おっしゃるようにデフレと円高なんでしょうか……経済のことはわかりませんね……(経済オンチです)でも、全体的にいって、「日本沈没」は近いような気もします。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/14 14:20 by
Baad
お返事ありがとうございました。
内容自体は興味深いのですが、なんか、ますますわからなくなってきました。
神話的由来の話の続きをする前に、一旦お話元に戻しませんか?
二つわからないことがまだあります。
1-IKAさんの定義ではこのアニメのどこがテロか?
これがわからないので話がつながりません。
2-この部分の優しさの意味
具体的には誰が誰に優しいのか?
誰がその優しさに甘えているのか?
最初の質問の中にあり、重要なことだと思ったのですが、混乱するかと思い、控えていました。
でも未だによくわかりません。
この辺クリアにしないと先の話がわからない気がするので、今のうちにお願い致します。
>> 社会がここまでひどいことになっていながら、表面的にはなにも起こっていないのは、みんながあまりにやさしいからだろうか?
> >でも、いつまでもそのやさしさに甘えていると……
>なんでここに優しさが出てくるのかもわかりませんでした。
以上です。
どうぞよろしくお願いします。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/15 2:28 by
IKA
Baadさん、こんばんは。
話がそうなってくると、この先、見通しが暗いので(たぶん、建設的な話にはならない)、このスレッドはこのあたりでおしまいにしましょう。
答えは、今までのやりとりで充分出ていると思いますので……。
ではまた、どこかで……おやすみなさい。 -
では、後半だけなら?
2021/1/15 9:20 by
Baad
おはようございます。
では、テロの話を除いて、後半の優しさの対象について答えていただいてから神話的な話につなげるのではどうですか?
テロの定義についてはIKAさん的には十分答えを出せるだけのこと語っているという感触はあったのですが、後半がわからないと私は話の方向性が見えずに不安なのです。
たぶん世界の見方自体がたぶん逆とういか、同じ世界を違う方向から見ているという感じがするので。
話の方向はIKAさんのしたい方で良いです。
国民が政府に対して優しいので政府が国民に甘えているということであってますか? -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/15 18:09 by
IKA
Baadさん、こんばんは。
そうですね……スレを立てた責任?もあるのですが、この問題に的確に答えるのは、なかなかむずかしいですね。
私が、国民が優しいと思うのは、たとえば香港の若者たちと比べると、ほんとに、こんなに優しい国民でいいのかなあ……と思うわけです。
日本って、実は、みんなが思っているほど自由でもなく、とくに未来が見えないといいますか、もうみんなあきらめてるのだろうか……。
与党の支持率は異常に高いですが(とくに阿部さんのときは)、なんでみんな、あんな不誠実な政権を支持するんだろう……と率直に思います。
ふしぎな国民ですね。
たしかに、政府はそこに甘えているんだろうと思います。
較差に、細かな分節構造がつくってあって、なかなか怒れないようにうまく組み立ててありますね。
私は、大正と平成が、なんか似ているような気がします。
明治の終りに、日清・日露で一応勝って、国民の間には一等国意識が高まったけれど、実際の生活はとても苦しくて……そういう矛盾を抱えこんだまま、大正時代に入って、大正ロマンというのですか……いろいろ、栄えますね。
梶井基次郎が生きたのが、ちょうどこの時代。
梶井は、昭和7年に亡くなってますが、ここらあたりまでが、日本がいちばん幸せな時代だったのか……
梶井のテロは檸檬でしたが、そのあと、ほんとのテロがいっぱい起こって、日本は戦争の暗い時代に入っていく……
今は、どうなのでしょうね。平成が終わって令和になりましたが……
明治と昭和、大正と平成、そして昭和と令和……
歴史はくりかえす?のか……
まとまりのない話になって申し訳ありませんが、そんなことを感じます。 -
ありがとうございます
2021/1/16 1:47 by
Baad
方向性が分かりましたので、お話続けても大丈夫だと思います。
取り敢えず、帆高の物語として神話的なものを頼りに読む、ということで大丈夫です。 -
優しさの話ですが
2021/1/16 14:05 by
Baad
民主主義社会で国民が政府に優しいっていうことは、政府がちゃんとやっていないと感じるのなら、困っている人に冷たいってことになりますね。
でも、民主主義がちゃんと機能しているなら、香港まで激しい異議申し立てをしなくとも、選挙や請願や公募案件への意見表示や平和的なデモや情報開示請求や司法的な手続きで政治は動くのではないでしょうか。
とはいえ、この映画の中では大枠では政治はうまく機能していて、小さな枠で、陽菜も帆高も制度をうまく使えないか家庭内の人間関係に問題があるのかな、と思いました。ですので、優しさの話が唐突だと思いました。
逮捕もその後の処分もちゃんと機能していて、二人ともちゃんと生活してましたよね。
大正と平成が似ていると言うのは直感的にはそういう部分もありますよね。
ただ、この映画、梶井の檸檬のような現状への異議申し立てとして、実際のテロの先駆けにはならないのでは。と思います。
むしろガス抜きか現状追認のように私は感じるのですが…
テロの話、レスポンスなしもどうかと思ってのでこのくらいで。
後、IKAさんが「君の名は。」よりこの作品を評価する理由も既に語ってはいらっしゃいますが、知りたいです。私は、前者全く印象に残りませんでしたが、この作品は気になります。 -
理性の賞味期限?
2021/1/17 1:27 by
IKA
梶井さんの檸檬の話について補足ですが……彼は、昭和7年(1932)の3月に亡くなっているんですが、そのすぐ後に515が起こりますね。そして、4年後の昭和11年(1936)に226。ちなみに、檸檬が発表されたのは大正14年(1925)。そういう時代だったんだなあ……と。もうじき百年がたちますが……。
民主主義は、やっぱりルソーあたりからなんですかね。政治思想史にはうといので、まちがっているかもしれませんが。ただ、私は、彼の『社会契約論』なんか読んでも、やっぱりどうしても疑問が残るのが、彼の理論は、「人間は理性的な動物である」ということを前提にしている点です。
つい先日、元農水大臣が書類送検されたみたいですが、ルソーの論理からいえば、彼のような人は人間ではない。なぜなら理性を持っていないから。民主主義というのは、その前提として、社会の構成員すべてが理性を持っていないと成立しないような気がしますが、どうなんでしょうねえ……???
前に、私のテロの定義で、「充足理由律を無視しようとする」ということを言いましたが、これも実はそこに関係しています。充足理由はサフィシエント・リーズンですが、リーズンは「理由」と同時に「理性」でもありますね。要するに、理性が充満していないと、それは結局テロリストと変わりない……
なんていうと、そりゃ極端だよ……といわれそうですが、農水大臣さんのようなことをどんどんやっていけば、社会は無茶苦茶になって、結局力を持ったものが勝つのだ……みたいな、戦国時代の様相を呈してきますね。なので、充足理由律はやっぱり理性やそれを基にした民主主義とけっこう結びついてると感じます。
ただ、もう一方で気がかりなのが……もしかしたら、理性も民主主義も、もう「賞味期限」を迎えちゃってるのではないか……という気配が最近濃厚なこと。トランプさんの登場は象徴的ですが……18世紀、19世紀、そして20世紀と続いてきた「理性と民主主義の時代」も、もしかしたらもう終り???
要するに……人間にとって、理性や民主主義は、もしかしたら「上等」すぎて、咀嚼しきれなかったんじゃなかろうか……という解釈もできますが、さらに過激なのは、理性や民主主義って、もしかしたら「絶対」じゃなくて、「相対」だったんでは……という解釈です。これは、けっこうオソロシイ……
中国って、あんなに民主主義に反しているように見えるのに、ちっとも崩壊しませんね……強権で抑えこんでる……という解釈も成り立ちますが、でも、もしかしたら人民さんの多くが、まあ、それでも暮らし向きもよくなってるし、これでいいんじゃないの? 民主主義も自由もなくてもオレたち幸せじゃん……と。
アメリカはどうなんでしょうね……フランスの理性や民主主義や自由をたっぷり継承したはずの国が、なんかちょっと中国ぽくなりつつある……やっぱり、民主主義も理性も自由も、そろそろ賞味期限を迎えているのかもしれません。この作品『天気の子』も、そういう時代のものとして見ると……どうなんでしょう?
私がもう一つ思うのは、「科学主義」のことですね(言葉がちょっとヘンですが)。もしかしたら、これももう賞味期限なのかもしれない。日本人の感覚だと、科学と民主主義って、一方は理系で一方は人文系で、ジャンルが違う感じなんですが、アチラの人にとってはどうなんでしょう。双子みたいなもんでは?
なぜなら、どちらも「理性」が根本原理になっているから。サフィシエント・リーズンは、民主主義では人間の理性ですが、科学においては自然法則になります。つまり、ナチュラル・ロー。そしてまた、この言葉を人文系に使うと、「自然法」となる。つまり、どっちも基本的に一つの原理、「リーズン」から成る。
だから、人文系においてこの「リーズン・理性」を破ると農水大臣さんみたいなことになるし、自然科学でこの「リーズン・理由」(因果律)を破るとオカルト(超常現象)になります。この作品でも、『ムー』がけっこう出てきました(ヘンなおじさんの資金源)が、なんか、やはり暗示的なものを感じます。
『君の名は』との関連については、あらためまして…… -
前半はよく分かりました
2021/1/17 23:57 by
Baad
あと、IKAさんのテロについての考え方もよくわかりました。
科学とオカルトの話とか、科学の捉え方はあまり今風では無いようにも思い、私は飲み込めませんが、それはそれとして、そういう前提に話として続けていただければ嬉しいです。
ありがとうございました。
あと、前回のレス、機能しているのは政治というより行政ですね。訂正します。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/19 0:09 by
IKA
ルソーについての続きですが……一般意志でしたね。アレは。ジェネラル・ウィル……つまり、だれもが普遍的に、理性に基づいてこの一般意志を持っているがゆえに、社会の規模がいくら大きくなっても、直接民主制の延長として、代議制による「民主主義」は成立するのであると。
要するに、選挙で選ばれた人は、自分を選んでくれた人のためではなく、ひたすら「全体」のために奉仕する。これが「民主主義」の基本ということであれば、今選ばれている先生方は全員失格になります。むろん、元農水大臣のような方は論外で、もうすでに人間ではない。「理性」ではなく、「我欲」で動く害獣……
そういうことであれば、もし彼を殺した人がいたとしても、その人は殺人罪に問われることはない。なぜなら、理性、リーズンを持っていない害獣を殺処分したのだから、せいぜい器物損壊か動物愛護法違反になるくらい……というオソロシイことになってしまいます。これがフランス革命の帰結で、テロルの発祥なのでしょう。
ということで、テロの基になる理論をつくったのもルソーさん……これは半分冗談ではなくて、ルソーさんは日本では民主主義の生みの親みたいに尊敬されているけれど、外国ではしばしば「全体主義」の根元ともみなされているという話をききました。現に、フランス革命のプロセスがそうなってしまっている……
科学も結局そうだと私は思うんですね。理系では、「一般意志」は人文系よりもはるかにうむをいわせない力を持ってるのではないでしょうか。「科学的に」とよくいい、「科学的根拠を示せ」といいますけれど、これはもう、絶対普遍というものがあって、それにはダレも反対することはできないはず……という全体主義。
本作のような「リーズン」に違反しまくりの展開は、結局物語の中でしか許されない。この点については、ハイデガーが『ニーチェ』の中でみごとな分析をしています。なぜ、人は、とくにヨーロッパ思想は、「一般意志」みたいなものに行きついてしまうのか……そこは、とてもおもしろい点だと私は思います。 -
一般意志?
2021/1/19 18:28 by
Baad
えっと、それは、自然科学とはあまり関係しないのじゃ無いでしょうか?
科学的研究とは、科学的方法論によって行われる研究のことで、その正しさは再現性によって保証されるのだと思っていました。
同じ方法で研究したら違う人が行っても同じ成果が出ることが必要。
人文科学の場合は技術より経験の蓄積が物を言う場合が大きい場合が多いので、同じ条件での再現は難しいでしょうが。
それに一般意志が関わるとしたら、モラルとして、研究を許可するかどうかのところで関わる以外にちょっと思いつかないです。社会にダメージしかもたらさないことが予想される研究には資金を出さない、とか、援助しないとか最悪禁止するという形で。
人文科学でもそれは一緒です。
科学に一般の人が口出ししにくいのは、研究成果を評価する技術はその分野の研究者しか持っていないことが多いからです。 -
私は、大ありだと
2021/1/19 23:50 by
IKA
思うのですが……
科学は、結局、一般意志を最も純粋なかたちで発露できる分野では……と。
科学の再現性を担保するものは、なにもないと、私は思っています。
100回やって同じ結果になっても、101回目もそうなる保証って、実はどこにもないわけで……でも、絶対そうなるはず!というのは、結局「信仰」なのでは……
自然法則って、「自然の側にある」と思われがちですが、実は人間の側にあるのかもしれません。人間が勝手に「自然の側にある」と思っているだけで。
人間は、自然に、勝手に自分たちがつくった法則を押し付けて、自然がそのとおりにならないと「オカシイ」というけれど、オカシイのは人間の方では……
カントの純粋理性で、どこまで「認識」を詰めていっても到達できずに残る「モノ自体」というのがありましたが、自然科学はそこを切り捨てて「自然法則」を自然に押し付けている……そういう気がします。
社会科学より自然科学が厳密に見えるのは、ただ、自然が人間より「おとなしい」だけだからじゃないでしょうか。
というか、人間はあまのじゃくだから、自分が作った「法則」が自分に押し付けられると、反発したくなる……ということなのかもしれません。
この作品は、「オレたちにヘンな法則を押し付けるのをやめてくれないか?」という「自然の声」を描いたもの……そういう見方もできるのではないでしょうか? -
えっと、話が噛み合ってないかも?
2021/1/20 1:24 by
Baad
> 科学の再現性を担保するものは、なにもないと、私は思っています。
100回やって同じ結果になっても、101回目もそうなる保証って、実はどこにもないわけで……でも、絶対そうなるはず!というのは、結局「信仰」なのでは……
ここの科学って、科学一般のこととして捉えていらっしゃいません?
再現性によって担保されるのは個々の学説の信憑性の意味で言っています。
ですので、100回やって100回とも同じ結果になる方が珍しいのでは?
もちろん分野によっては全く同じにならなければ使い物にならない場合もあるでしょうが。
実用に使わなきゃいけない場合は特に。
で、わたし、社会科学や哲学は科学と想定して発言してませんでした。ごめんなさい。
人文系で手続きが厳密なのは、例えば歴史学ですね。
どっちが正しいとかの問題じゃないので、気にしないでも大丈夫と思いますが。 -
なるほど……個々の学説
2021/1/21 0:53 by
IKA
でしたか……それはまあ、それぞれになりますね……
科学一般……というのが、なにを表わすのか、いまいちわからないのですが……高校なんかで習う数学、物理学、化学……のようなイメージでよいのでしょうか。
100回やっても100回とも同じ結果にならない……これは、例のSTAP細胞のことを思い起こさせます。
あれはまさに、「再現不能」みたいな感じでしたね。
まあ、「実用」にはほど遠い……そういわれても仕方ないですね。
社会科学や哲学は、一般的には「科学」とはみなされていないと思います。
それをやろうとした人が、例のフッサールさん……
彼は、元々数学者だったみたいですが、哲学も数学も物理も化学も……社会科学みたいなものも……すべての「学問」(ヴィッセンシャフト)の基礎になるものとして「現象学」を考えたと思います。
彼にとっては、「現象学」という根っこから、哲学も数学も物理も社会科学も……ぜんぶの学問が「はえてくる」のでした。(実際には失敗したけれど、哲学には大変革を起こしてしまった)
歴史学のことはあまり知らないのですが……ヘーゲルの考えた「歴史」はすごいですね。
歴史とはすなわち「精神の歴史」であって、最後に「世界精神」が目覚める……
人類の歴史は、そこで「完結」するわけです。
「手続きが厳密」……というのがよくわかりませんが、よろしければ詳しくおききしたいです。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/21 12:35 by
Baad
>科学一般……というのが、なにを表わすのか、いまいちわからないのですが……高校なんかで習う数学、物理学、化学……のようなイメージでよいのでしょうか。
そういうイメージではないです。(でも、高校の教科書だとそれぞれの教科の成り立ちを最初に書いてあったりしますよね。
実証的な方法でなされた過去の研究の蓄積程度程度の意味です。
歴史と歴史学は違いますよねえ。
歴史学は歴史を記述するための学問ですが、資料の扱いが厳密です。
過去のある出来事を記述するためにはまずは一次資料、つまりそのことの当事者の記述を第一に比較検討して記述する。大体日記とか勅令なんかがそれに当たる場合が多いです。参考に間接的な記述を二次資料として使う。
考古学的な資料は、今は年代決定とかある程度技術的にできるので一次資料ともなりますね。
ですので、新聞記事を集めていくらきちんとまとめてもそれだけでは歴史にはなりません。(日付があるので日時を決めるのには使えるかもですが)
時代によっては資料がありすぎて記述しにくかったり、ほぼなくって物語を二次的に使わざるを得なかったり。
哲学などの思想系の学問は宗教的とか政治的な目的がないと、あるいはそうした背景を知らないと議論自体成り立たなくなることが多いように思います。ですので今回は外して考えていただけで、科学と言えるかどうかは私にはわかりません。
で、話が大幅に脇道に逸れているようなので、そろそろそろ「君の名は。」の方に話を移しません?
その方がこの話の続きもしやすそうな気がします。
あと、もう一つポイントとして今気になっているのは東京の標高の問題です。
東京の場合、(大阪もですが)非常に標高が低いところに商業地が江戸から明治にかけて形成されてきたということがあります。
で、国会とか高級住宅地は高台にある。
皇居とか霞が関はその中間ですか?
そういう地域性からする物語のあるインパクトには一部の人しか反応しないかもと思います。つまり古くからの東京の住人には嫌われる映画かなあと。
銀座や東京駅や御用聞きさんの住んでいるところがごっそりなくなるわけです。すわ、東京消失か、とも思ったのですが、都庁は有楽町から新宿に移転済みですし、東京駅迂回しても周辺の県は鉄道で繋がってもいるので、意外に復興も可能そうで、平成以降に生活している人には意外にすんなりうけいれられるかもと思いました。 -
縄文海進!
2021/1/22 0:55 by
IKA
ですね……まさに。
ラストを見たとき、そう思いました。
おそらく、沖積平野部分の水没ということで、8000年くらい前の地形に戻るということ?
ただ、雨が降り続いてそうなる……というのには、違和感も少々。
縄文海進クラスの水没となると、雨だけではムリで、やはり北極と南極の氷が溶けた結果ではないかと。つまり、いうところの「地球温暖化」ですが……
海はつながってるので、東京に雨が降り続いたとしても、東京の沖積層のみが水没ということは考えにくい。
おそらく、日本全体の沖積層の領域がすべて水没に見舞われているのではないかと。
まさに、縄文海進ですね……
日本だけではなく、世界中で起こっている……と考える方がムリがない気がします。
そうなると……海岸の沖積平野沿いに展開する都市は、すべて深刻なダメージを受ける。
特に、日本の太平洋側は、壊滅的といっていい打撃でしょう。
多くの人が住むところを失い、交通や都市インフラも失われ……人々の生活は、まったく変わってしまう。
そんな世界が想像されます。
水没した街からは、いろんな疫病が発生……高台にもむろん蔓延してコロナどころじゃない悲惨な状況……
水田の殆どはダメになるから、食糧問題も……
沿岸工業地帯も全滅するし、原発は浸水でメルトダウン……
まあ、この世の終り……
そんな状況が想定されますね。
縄文時代は、サケが本州でも採れるくらい温暖になって、食糧豊富で陽気で気楽な?文明を享受できたかもしれないけれど……
今、縄文海進になったら、現代文明はほぼ崩壊。
オソロシイ……
以上、妄想でした。 -
Re: 新海作品の深部?
2021/1/23 1:11 by
Baad
別に縄文海進しなくても、東京のメインの部分は何かあれば簡単に水に沈む海抜にあるってことでこの話成り立ってるんだと思うんですけどね。
縄文時代は5〜6メートルのところまで海があったということですが、2メートルも降れば東京駅は水浸しで皇居のお堀端が海岸線になるのが東京です。海抜0メートル、場合によってはそれ以下のところに下町があるわけですし。
なんか変なところで緻密なんですよね。この話。
沈むのは近代以降にできたものが殆どだから、環境学べばなんとかなるだろうという発想も出てくる。 -
なるほど……
2021/1/24 1:04 by
IKA
縄文海進は、やっぱりおおげさかもしれません。
映画の中では、東京の下町水没しか言ってないわけですし。
でもまあ、日本の沖積平野に展開する都市はどこも似たようなもんですよ。
私の住む近所にも、広大な濃尾平野のゼロメートル地帯がありますし……
昔の人は、そういうところでも、自然堤防の微高地を選んで街をつくっていたけれど、今の技術は水面下の水田地帯にもどんどん高層ビルを建てますしね。
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