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さくらんぼ さん

電話が鳴ったらサギと思え

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《パレット》


(2017.3.27)

人気ラジオ番組、本日の「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」で、「聴くこと、見ること、触ること」について語られていました。

なんでも作曲家マーラーが、「見ることは△△だが(聴くことだったかな)、触ることは〇〇だ」」と言ったとか。

私、△△のところは忘れてしまいました。○○のところは、表を通ったトラックの騒音で聴こえませんでした(受験のコツ、記憶は関連付けて)。

ちなみに私が触った経験では、「気のボールの感触」は、厳密には他のものに例えようもありませんが、あえて言えば、往年の名歌手「フランク永井さん歌声のよう」でもあります。


(2017.3.26)

@ も少ししたら、また散財するのだろうな。

子どもの頃は「おとなになるまでがまんしよう」で一件落着したけど、おじさんになると「がまんしているうちにじんせいおわっちゃう」を言いわけにして。

金は使っても使わなくても、むなしいものだ。


@ リタイアした時にオーディオのリニューアルをしたけれど、ふと思いたって、現在リタイア後二度目の大規模リニューアル中。

映画の事は努力しないと思考できないけれど、オーディオの事は努力しないと思考を止められない。ほかっておくと病気になるまで考え続ける。まるで遺伝子レベルで優先順位が決まっているかのよう。


(2017.3.25)

@ 私は定年前にリタイアしました。その計画を立て始めたのはずい分前です。いつも一人、しずかな喫茶店にこもって夢見ていました。

「けっきょく先立つものはカネだな」。

ちょうどその頃、いつも有線から流れていたのは宇多田ヒカルさんの名曲「ファーストラブ」でした。

今ですか。カネは無いけど、「ファーストラブ」のCDは手に入れました。


@ なぜか藤圭子さんのファーストアルバム「新宿の女」はLPで持っています。前に偶然見つけて私が確保したのですが、買っただけで聴いてませんでしたので、一度聴いてみました。

「ディスコ音楽集」、「ブランデンブルグ協奏曲集」、についで本日3枚目のLP。

一曲目の「新宿の女」が流れたとたん、シャウトする彼女にガツンとやられました。感動はフルアクセルです。

これはロックだと分かりました。音楽言語が違うだけで藤圭子さんの歌魂はロックだったのです。

ジャケット、彼女が白いギターを抱える左手の小指だけは浮いていました。


@ 数年前から伊東ゆかりさんのCDが、出来ればLPが欲しいと思っていました。癒し系ボイスの女王が歌う、ヒット曲「恋のしずく」が聴きたいからです。

でも、先日中古レコード店で見つけたのはLP「小指の想い出」。良さそうでしたが、確かあれには「恋のしずく」が入っていません。

だから小指で歩くのは、きっと、ゆかりさんのせいなのです。


@ 昨日散歩しているとき、ふと「手の小指で歩いてみよう」と思いました。と言っても、逆立ちして歩くわけではありません。

よろしければ小指を曲げてみてください。腕から胸にかけて軽い緊張感が走ることが分かります。少なくとも手首と肘の間の筋肉までは実際に収縮しています。指はグーにしてもパーにしても腕の筋肉まで収縮するのです。

その収縮や緊張感は肉体やメンタルに微妙な影響を与えます。余分なストレスは無い方がスムースに歩けるはず。

私はマラソンの瀬古選手のファンでした。あの精密機械のような完璧な美を感じさせる走り、若いころの私もそれをイメージしてジョギングに励んでいました。

たしか瀬古選手は、腕を前に振る時には軽く拳を握り、後ろへ降る時には小指あたりの三本の指の力を抜いて開き気味にしていました。

一グラムたりとも余分な力を筋肉に入れない、そんなフォームに見えました。今やっと理解できたのですが、もしかしたら瀬古さんもあの時、小指で走っていたのかもしれません。歩くときも指の真似をすれば良いのです。

それから、私の記憶が確かなら、五木寛之さんのエッセイで、五木さんは長時間歩いて足がくたびれると、脚を労い、今度は脚以外の筋肉を使って歩くのだと、そんな趣旨の話が書いてありました。そうイメージすると疲れないのだそうです。

ちなみに弓矢で矢を射るときに「矢を放す(リリースする)」と言います。昔は「パー」をしていました。今でもやっている人もいます。それは流儀ですから命中すればよいのですが、余分な力が入るほど矢はそれやすいので、最近では「指の力を抜くだけ」のスタイルもあります。理由は前述したとおりです。

古武術なども、動作には意外な筋肉を使っているらしいですから、この話は珍しいことでは無いかもしれませんが。


(2017.3.22)

@ ふと、私のブログは「エントツのけむり」だと思いました。ご近所迷惑になることはあっても、有難がられることはありません。ある種の活動に伴って、やもうえず吐きだしているだけのモノなのです。小さくなりながら。

そうしたら往年の名エッセイ「パイプのけむり」を思いだしました。あのタイトルに込められた意味も、もしかしたら…。

まずい…私は「センコウのけむり」にしておきます。


@ 私のブログ一本に100万円くれるような奇特な人はいませんが、もしそんな事があったとして、私が「いりません」とお断りしたとします。

そうしたら「では、私どもへの御寄付という事で…」と言われ、私も同意した場合の架空話をします。

その場合、税金の上で四角四面に考えると、

@「寄付を同意した段階」で、いったん私の財布に100万円が入る。(申告納税の義務が発生する。)

A私から100万円寄付をした。(寄付金控除の対象になる場合もある。)

事になるのではないのかと、素人の私は疑問に思うのです。「つまり私は100万円受け取ったことになりませんか!?」。現実的には「なあ、なあ」で良いかもしれませんが。


(2017.3.20)

@ ティータイム。


@ 中古LPレコードのバーゲンがあって、10枚ぐらい買って「1,000円です」と言われた時は、「目まい」がした。

目まいがするほど高いものを買ったことは無いが、目まいがするほど安いものを買ったのも初めてだった。

たぶん、あの目まいは「罪の意識」から発せられるものだ。

あの瞬間「もってけドロボー!」と言われてたら、どうなっていたか分からない。

壊れていたかもしれない。


@ シェーンベルグと弟子ベルグの「浄められた夜/抒情組曲・ヴァイオリン協奏曲」のCDを一昨日聴きました。

なんと言ったらよいのでしょう。

お叱りを受けることを承知で書けば、ダイナショアのジャズボーカルの「小さな不安を感じさせるビブラート」、あるいは映画「リング」のオープニングテーマ曲。あの波の映像にかぶって鳴っている「シンフォニーのレコードを手で不安定に逆回転DJ」しているような嘔吐的BGM、そんな曲。

いや、そこまでではありません。もう少し救いがあります。ちょっと説明がデフォルメしすぎでした。

でも、そんな曲が沁みる夜もあるのです。


@ 昔、CDプレーヤーが出来た頃、音が悪かったので、マニアはLPを見直しグレードアップにはげみました。

しかし昨今はCDプレーヤーの音も良くなり、写実性において生半可なLPプレーヤーでは勝てないのです。

すると住み分けが始まります。写実的はCDで、絵画的にはLPでという時代に。

LPの音をさらに絵画的に「紗を入れて鳴らす」ために、本来CDプレーヤーとアンプの間に挿入する「趣味のトランス」を、LPプレーヤーとアンプの間に入れてみました。

そうしないと鳴らない製品に、特殊なトランスを繋ぐ場合もありますが、それ以外でやったという酔狂な話は聞いたことがありません。

こうすると波形が鈍り「ソフト」に聴こえます。

また、趣が違って悪くありません。

あるいは「安価なLPプレーヤーにグレードダウン」するという手もあります。


@ 「Mr.Children」が主題歌を歌っている理由は、朝ドラ「べっぴんさん」が子供服会社の話だからでしょうか。

それに映像の被写体深度が深いからか、ミニチュア風(絵本風)の映像にもなってます。もちろんデジタル加工もできるようです。


@ 昨年の夏から、「おことば」をめぐって国民そうぐるみの話題になっていますが、専門家の議論は峠を越え、おおむね私にも受け入れられそうな結論に近づいているのでホッとしています。

しかし先日の新聞では、まだ映画「チョコレートドーナツ」に出てきた「法律家」を思いださせるようなご意見の方もお見かけました。いつでも、どこでも、映画のような事が起こる可能性があるのだと、あらためて思いました。


@ 港の埋立地、その南端に、とある植物園があります。バスで行くと殺風景な工場地帯を大回り。その殺風景が心を病気にしていくのです。

港からの渡し船もあります。向こう岸の公園は目でも見えますし、はるかに短時間で着きます。

でも足の下20センチほどの所の、どす黒い、墨汁のような、コールタールのような海水が波打って流れていくのを見ていると、やっぱり何かに絶望してしまうのです。

ラジオからは 宇多田ヒカルさんの「First Love」が。


(2017.3.18)

@ その昔、「愛の町から幸福へ」とばかり、北海道にある「愛国駅⇔幸福駅」のチケットが「御守り」として熱狂的話題になったことがありました。

それなら名古屋にも地下鉄「栄町駅⇔金山駅」と、「亀島駅⇔鶴舞駅(ポケモンの聖地)」などがあります。

名古屋発のTVドラマや映画もあるのに、「おめでたい駅名」が利用されていないのは不思議です。


@ 先日、名古屋の栄町地下街にある「シャバーニの等身大のレゴブロック像」の話をしました。

もともと、あの場所には噴水があって人々の待ち合わせの場所になっていました。そこに今回シャバーニ君が加わっていっそう賑やかになった訳です。

不思議なもので、すでにシャバーニ君は場に馴染んでいました。噴水もありますし、熱帯地方に迷いこんだようなカラフルに明るい雰囲気が生まれています。

「お地蔵さんだ!」。

私はそう思いました。

ひとりで人を待つ期待と不安、その気持ちをシャバーニ君というお地蔵さんは慰めてくれているのです。

彼はいずれ転勤する予定だそうですが、いつまでもあの場所に居てもらいたいものです。


(2017.3.15)

@ ウォーキングではあまり感じないけれど、ジョギングすると、バイオリズムと言うか、その日の体調によって体が重かったり軽かったりするのが良く分かります。

ある日のこと、ランチにカツ丼を食べました。そうしたら、消化にエネルギーを使い果たしたのか、夕方に走っても体が重かったのです。

逆に、ランチにサンドイッチを食べた日は、楽に走ることができました。

先日、TVの「孤独のグルメ」で、主人公の井之頭 五郎(松重豊さん)が、ランチにカツ丼をモリモリ食べる若者を横目で見て、「どんな仕事をしていようとも、ランチにカツ丼食べて、エネルギーに変えられるようでないと成功できない」みたいなセリフを言っていました。

納得しました。


@ 名古屋の東山動植物園に「イケメンゴリラ」として有名なシャバーニ君がいます。私も一度ご挨拶に行ったことがありますが、すなおに「負けた!」と思いました。彼は意外とシャイで、そこにも好感が持てました。

そんなシャバーニ君が「等身大のレゴブロック」になって名古屋の栄町地下街に登場したのです。

大人がレゴなんて…と、正直あまり期待はしていませんでしたが、この目で見て感動しました。ほんものに、そっくりだったのです。

でも、感動のポイントはそこでは無い事にも気づきました。

あの感動は円谷さんに代表されるような、日本の特撮時代黄金期の「ミニチュアを使った特撮を観たときの感動」に似ているのです。

「手作り感」とでも言いましょうか、「おもちゃ感はあるけど、よくもまあ、こんな緻密な作業を…」という感動。

大人は「作業工程にも想いを馳せる事が出来る」のです。

来月には名古屋市に「LEGOLAND®Japan」がオープンします。「2歳から12歳のお子様とそのご家族」が対象らしいですが、大人が行っても「特撮感動」出来るような気がします。


@ 今日は3月15日。

所得税は納税者が悩みながら「自分で税額計算」して申告と納税をする。税務署は後で内容を点検して、誤りを見つけたら指導し、延滞金や加算金を付けて納めさせれば良い。

住民税は申告などに基づき、大慌てで「役所が税額計算」をして、納税通知書を送り納めてもらう。もし誤りがあったら、追加納付の場合でも基本的には役所が謝ることになる。

やっぱり国のやることは賢い。


(2017.3.14)

昔、バレンタインデーに職場で義理チョコを配っていた女性が、その後しばらく休むことになってしまいました。ちょうどその時にホワイトデーが重なったのです。

残された男性陣はあわてて緊急会議を開き「義理を欠いては男がすたる!」との結論に達しました。そして、すみやかに代表をデパ地下へ送り込み、彼女の自宅へお菓子を発送したのでした。

バレンタインとは無縁になった昨今、なつかしい思い出です。


(2017.3.13)

@ かの国では父を殺された子どもが安全な場所へ亡命する事件がありました。ニュース報道などでは、父が亡くなった事を知った友人・知人・関係者たちのネットワークがすばやく動いて子供を救ったとの話もあります。

不謹慎だとしかられそうですが、私はこの映画を思いだしていました。映画「アトランティスのこころ」です。


@ お茶が息道に少し入ったので、ゴホン、ゴホンと無理に咳をして出そうとしました。もっと下を向いた方が出やすいかなと思って、さらに前かがみになって咳を続けたら、とたんに「しゃっくりが」。

私はめったに「しゃっくり」はしないけれど、あれは「横隔膜のけいれん」だ、ぐらいの知識はあったので、さっそく手当てをしてみたら、ほとんど瞬時に止まってしまいました。

やった本人も驚く効果があって、安心したので、直後にむりやり咳を再開したらまた「しゃっくり」が。あわてて手当てをしたら、また瞬時に止まりました。

少なくとも私のしゃっくりは「気功の手当て」が即効です。方法は、「みぞおちの辺りに、手のひらを、上下に並べて当てる」だけ。よろしければお試しを。


(2017.3.12)

今朝こんな夢を見ました。

コンサート会場の受付のような場所で、私はお世話になった多くの方々に、心ばかりのお礼の品を配ろうとしていました。対象者は…はっきり覚えていませんが、素直な女子大生みたいな人たちだったかもしれません。まだ一人も現れていませんが。

お礼の品は、一見普通の「ルーズノート」です。

ただ表紙をめくると、最初のページには「デパートの5,000円商品カード」が、切手シートのようなミシン目で添付されています。このアイディアがちょっと気に行ってました。

私は「これを万年筆を買う足しにでもしてください」と言いながら配ろうと準備していたのです。

すると突然、そこへ頑固そうなおじいさんがやってきて、「なんだこれは、5,000円じゃ、万年筆は買えんじゃないか!」とクレームを付けたのです。

彼は今回の「催事とは無関係な人」です。それを理由に反論することぐらいできましたし、だいいち「5,000円は足しにしてもらおうと思っているだけ」です。

おじいさんには、即座にお帰り頂くことぐらい出来ましたが、黙って彼がすべて言い終わるのを待ちました。なぜか、私はそんな気分だったのです。

言い終わった彼は、わが身を顧みるゆとりが生まれたのか、私が言いたかった反論を自分から言い始め、「あなたの気持ちも分かる…」と自己反省して、静かに帰って行きました。

私は「春一番が吹いたな」と、そんな気持ちでたたずんでいました。


(2017.3.11)

@ あの日は、ビルの上階にある映画館で被災しました。

シートで上映開始を待っていると、突然ガタガタと揺れ始め、ビルがキシミ音をあげたのです。尋常ならざることが起きていると思いました。

しかし支配人の異例のあいさつの後、映画は上映されました。観賞後、街へ出てもいつも通りの風景でした。ケータイも持っていないし、津波で大変なことになっているのを知ったのは、夕方自宅に帰りTVをつけてからでした。

映画に行くたびにそれを思いだします。だから、あのときの自己嫌悪、罪人のような心の痛みは、一年中忘れることがありません。


@ 昔から、人気実力ともに問題のない芸能人の方が、なぜか突然に引退をされることがあります。

それぞれ色々な事情がおありだと思います。いちいち詮索する趣味はありませんが、その中にはLGBTの方もいらしたのではないかと、先日TVの芸能情報と、それとは無関係の映画のエピソードを重ね合わせ、ふと思ったのです。

たとえば女性として芸能活動をされていたのが、どうしてもカミングアウトして男になりたいがために引退される、という様な話が、可能性としてゼロではない気がします。

そして、今は男性として、まったく違う風貌で市井にとけ込み、ひっそりと生活しておられるのでしょう。実際にあったとしたら、たぶん関係者の間では公然の秘密になっているのでしょうね。今頃想像しているのは私ぐらいのものかもしれません。幸せをお祈りしています。


(2017.3.8)

@ 安倍首相の話から「北朝鮮のミサイル脅威が新たな段階に入った」らしい。私の翻訳では「お手上げだから、我々も新たな段階に進みたい」と聞こえる。

つまり「一度に複数の発射基地(例えば2か所)から、同時に複数のミサイル(例えば4発づつ)が飛んでくる」可能性が現実的になったということ。例えば8発同時に日本へ飛んでくるのです。

それは、今までのミサイル防衛網では防ぎ切れないことを意味する。しかし防衛技術的には限界で、現在どうしようもないらしい。

でも「座して死を待つ」わけにはいかないので、「攻撃は最大の防御なり」で、「先制攻撃」も視野に入れた本気の議論が必要になるのだろうか。まだ人ごとのように思っている人も多いようだが。ほんとうは顔面蒼白の事態ではないのか。


@ 「 半ドンにおけるランチまでの仕事とは、『おはぎ』の『あんこ』に入れる『人つまみの塩』のようなもの。 」

景気は「気分」が大。プレミアムフライデーの肝とは、「人つまみの塩がもたらす化学反応的な幸福感・高揚感・開放感」が生む消費であって、時短が生み出す単なる「暇」とは一線を画します。


@ 統計を取った訳ではないですが、高齢者が駐車場などで暴走する理由の多くは、もしかしたら「マニュアルシフトで免許を取ったのに、オートマチック車を運転するから」ではないのか、と思います(もうマニュアル車が少ないのも一因)。

普段は運転楽勝でも、なにかで理性がゆるんだ瞬間、ふと体がマニュアルシフトの動作をしてしまうのでは。だから今は過渡期かもしれません。


@ 税金の差押えをする時、滞納者から「ひとでなし」と罵声を浴びせられても役人が立っていられるのは、法律に基づき正義を行っているという信念もありますが、それよりも真面目な大多数の納税者が味方になってくれている、と思うからです。


@ 運転免許証で、高齢者の認知症検査の枠が広がり、たくさんのお医者さんが検査医に指定されますが、そんな彼らの中は、認知症患者から「ひとでなし」と思われるのを恐れている人もいるようです。でも、事故を起こしたら悲しむであろう認知症患者の家族や、被害者になるであろう罪のない国民は理解を示し、きっと味方になってくれます。貴方はそこに立っていられるのです。


(2017.3.7)

最近「気」は「指でつかめる」ものだと気づきました。

布団の例で説明します。

物干しざおに干してある布団を取り込もうとする時、手のひらをパーにしていては、引きよせることはできても、取り込むことは困難ですね。

指を使ってつかむ必要があります。

空間にある「気」を取りこもうとするときも、ワンアクションで、ゾウさんの首を抱くようにして囲い込んでから、指でもつかむのです。指に弾力というか、手ごたえもあります(フックで引っかける感覚に近い)。

そのとき「気」の大きさがざぶとんだと思えば、ざぶとん程度の気が、布団だと思えば布団程度の気が、それ以上だと思えば、それ以上大きな気が回収できます。

意念は筋肉を動かすのと同じ電気信号だと思うので、人がイメージした場所まで電気信号が飛び、気をコントロールできるのだと思います。

そして、回収した気は下丹田(あるいは、お腹の内臓間にある空間)に溜まり、風船が膨らむような圧力を感じますから良く分かります。夢見て欲張った人がたくさん回収できます。


(2017.3.6)

気功師が治療をするとき、患者さんが「心理的にその治療を拒絶」していると、気功師の「気」が患者さんに入りにくく(輸血できないのと同じ)、治療が困難なことがあるそうです(気功師さんは己の命も削って治療しているのです)。似たような事は私にも経験があります。「意気投合」と「気づまり」という言葉でも表現できます。

これと同じで、公園を散歩している時には、公園の新緑や、快晴の春の空と、自分の体が「一体化」するような気分でいると効果的です。自然とのリズムの一体化。これはプチ「転地療養」です。その瞬間「今、健康とリンクしている」と思えるものです。

力みを解いてリラックスするのです。全身の「気」の通り道から邪気が出ていき、正気(良い気)が入ってくるとイメージします。仕事のことなど考えていてはいけません。それでは足の運動にしかなりません。私はそう思います。


ダイエットはすべきですが、「ビール腹」など、もし自分の体に気にいらない部分があっても、あまりそれを嫌ってはなりません。根をつめれば自分の体に呪いをかけるのと同じです。ときには原因不明の体調不良になりかねません。

だから、ラジオ体操に代表されるような各種の体操は(ヨガや太極拳・気功なども)、体操であると同時に、「自分の体を愛する祈り」でもあると、私は思います。祈りも体を健康にするのです。


(2017.3.5)

かつて私が行ったことのある、タンスみたいに大きなスピーカーを鳴らす本格的なクラシック喫茶、ジャズ喫茶は、地元ではほとんど壊滅状態になりました。ウオークマンな時代だから、これもしかたのない事なのでしょう。

実は私にも喫茶店経営!?の夢はあります。私がやりたいのは、ビル街の裏通りにひっそりとたたずむ趣味のオーディオルーム(兼・喫茶店)。

店の雰囲気は昔ながらのコーヒー専門店風。コーヒーブラウンの壁紙、インテリアで統一します。小さなランプもたくさん置きたいな。提供するものはコーヒー・紅茶、サンドイッチぐらい。

そして看板はありません。いえ、看板代わりに、窓辺に古いステレオセットなどを飾ります。

「なんだろう?」と気にかかり、お店の前を何回も往復したのち、とうとう、がまんできずに入店してくれた人がお客様です。

店の奥には私の趣味のオーディオセットを置くのです。高級品ではありません。ときには買ったばかりのラジカセやミニコンポが鳴ってる時もあるでしょう。趣味だから、ときどき機器は入れ替わります。とうぜんお店の経費で落として。

そこで私は、接客の合間に、自分の好きな音楽を聴きます。AM放送のトーク番組、FM放送の種々の音楽。お気に入りのCD、LP。

BGM的に流れる音楽は、毎日何がかかっているのか分かりません。音楽専門店ではないので会話もOK。

こんなふうに、儲からなくとも毎日たのしく社会参加でき、いつの日かオーディオ好き、音楽好きの、たまり場になっていれば良いなって思います。

追記

でも、これは夢見ているだけ。お金も商才もないし、だいいち木枯し紋次郎のような「道籠り」の私は、じっと店内で生息するなど出来ない相談です。むしろ、もしそんなお店を見つけたら、あきれながら常連客になりたい。

追記U

これを読んで「そんなもん、もうからんやろう」などと言う方がいらしたら、私の説明が適当ではありませんでした。

私は「ただオープンスペースのオーディオルームを作りたい」だけなのです。家賃を払ってでも。

従来の閉鎖的・個人的な自宅オーディオルームではなく、同好の士が自由に集うことが出来る処を。

どこでも友が集まれば主はお茶ぐらいは出しますが、毎日おじゃましては失礼だとか、たとえお茶程度でも毎度では申しわけない、あるいは「ただより怖いものは無い」という客人もいるでしょうから、喫茶店形式にして、見知らぬ人も自由に出入りしてもらい、コーヒー代ぐらいは頂こうという事です。

それには「喫茶店の空き店舗」などを利用し、客席の半分は取っ払ってスペースを確保して、オーディオセットを置こうかと。

実際に、広い自宅で似たような事をされている方もいらっしゃいます。


(2017.3.4)

@ 勝二が定年後の「第二の人生の夢」を追って作った喫茶店ですから、勝二の思うように営業させなければなりません。その「自由こそがすべて」です。

なのに息子の龍一が喫茶店の名前を書いています。自分の店でもないのに無断で店名を変えてしまいます。龍一は多国籍レストランをやりたいらしいですが、それなら、他に自分で店を探すべきで、父を無理やり事後説得してレストランにしようなどとは親不孝なこと。

さらに、すみれたち御一行がやってきたら、入口のドア横にペンキの缶と筆を置いたままにして店に入って行きました。誤って誰かが蹴飛ばしたり、子どもがイタズラして汚したらどうするのでしょう。

このように龍一は「レストランをやりたい」という一心だけで、前後の見境がありません。心は刹那に生きています。

だれかが「子どもだと思っていたのに、みんな大人になったねぇ〜」と言ってましたが、とんでもない話です。「ず〜たいばっかり大きくなって、なかみは、がき」でした。

皆の前で唐突に「○○と結婚させてください!」と言った健太郎も同じです。まずは、すみれと紀夫の二人だけに「○○さんとお付き合いしています」と言うべきです。

当然「いつからだ」という話になるでしょうから、「○年前からです」と答え…結婚話はその後のことです。

答えに「ダメだ!」あるいは「出直して来い!」と言われても仕方ありません。将来社長になるかもしれないのです。それでなくとも、それぐらいで逃げだすような男ではダメです。(コーフンしてタイトルを書くのを忘れていました。本日のNHK朝ドラ「べっぴんさん」の話。)


@ 「 天皇陛下の退位めぐる法整備 与野党 意見集約に至らず

… 公明党の北側副代表は国会内で記者団に対し、「『一代限り』というのは、将来の天皇の退位を一切認めないという趣旨ではなく、特別法であっても重要な先例になる。将来の天皇については、その時の国民の感情や意思、皇室の状況、天皇の年齢などを勘案して、その時の国会が慎重に審査するのが望ましい」と述べました。… 」

( NHKニュース 3月3日 19時34分 より抜粋 )


先日、映画「太陽」の追記でも述べましたが、私が考えていることは北側副代表の話に近いものです。でも一般にはあまり理解されていないようですので、「『一代限り』というのは、将来の天皇の退位を一切認めないという趣旨ではない」という事を、関係者やマスコミはもっと国民に説明すべきだと思います。


(2017.3.3)

10年以上も前の話。ある役所のトイレが突然汚くなった時期がありました。聞いてみると清掃業者に労働問題が起こり、「一日2回のトイレ掃除を1回にした」らしいのです(広義のストライキか)。

でも役所の事務員たちは、事務仕事でそんなことはできません。

たとえば住民税・普通徴収(自営業などの個人払い)の納付は年に4回ですが、これを事務員たちが勝手に年2回に減らす(金額を2倍にして)などと言うことは法律違反になるので不可能なのです。

また事務処理方法も、細部にわたってマニュアル化されているので(映画「県庁の星」にも完璧なマニュアルを作るエピソードがありました。)、事務員が勝手に「はしょる事」はできないのです。

ちまたでは、よく「仕事の20%は大切だが、残り80%は大切ではない」みたいな話が語られますが、役所でそれを実行して事務の合理化をするのが困難なのは、「法律違反をしたり、マニュアル無視をしても、合理をしろ」と言える人は誰もいないからです。

それどころか、ここは学生時代にテストで100点を目指していた人が新人で入り、仕事でも「法律やマニュアルの100%履行」を目指す処なのです。

そして合理化すると、トイレの話のように、多くの場合「住民にしわ寄せが行く」処なのです。はたして皆がそれを甘受できるのか。


(2017.3.1)

むかし資生堂のTV・CMで、「春の予感‐I've been mellow」など、すごく春らしいウキウキとした歌が流れた数年間がありました。なつかしい古き良き時代です。毎年新曲が流れるのは、たしか2月中ごろから。

最近気づいたのですが、「萌える」気分になるのもやっぱり2月中ごろからなのです。まだ吹く風は冷たいのに、どこかに「春の兆し」を感知して、冬とは違う、ザワザワとした「萌える」気分が胎動し始めるのです。今思えば、あのCMたちはそんな気分を視覚化したものでした。アーティストたちはすごい。

では3月はどうかと言えば、これはもう「狂う」季節なのでしょう。

毎年思いだすのは、井上陽水さんの歌「桜三月散歩道」。


「 …だって君が花びらになるのは

だって狂った花が咲くのは三月 」

        
      ( 「桜三月散歩道」より抜粋 )


(2017.2.28)

@ 30代の頃、多人数の会社で働いていると相手によって「くん」「さん」を使い分けるのが難しくなるので、私はいつも「さん」で統一していました。同期や新人君にも「さん」です。

でも、私が「さん」と呼んでいるのに、年下の友人の中に私を「くん」と呼ぶ人がいて、呼ばれるたびに笑顔で「このやろう」と思っていました。


@ 宅急便の皆様にはいつもお世話になっております。不在連絡票を書いていただくことも度々で申し訳ありません。

でも不思議な事もありますので、それを聞いてください。

けっして不在にしていたわけではないのに、不在連絡票が入っていることが少なからず有るのです。いろいろ理由を想像しましたが、その一部を申し上げます。

今の宅急便の人は玄関先で「○○さ〜ん、宅急便で〜す」などと大声を上げないし、「ノックもしない」のですね。私も外回りの仕事を経験していますが、昔は「ノックして、大声で名前を呼ぶ」のが当たり前でした。でも今は、プライバシーなどのせいで難しいのでしょうか。

ただ無言で「ケータイで電話」して、それで相手が出なければ「不在連絡票」を置いているようですね。

でも「オレオレ詐欺」な現代、おじさん年齢の者は「常時留守電にしている」とか、「一人でお留守番の時は電話に出ない」人もいるのです。

そんな人の場合、誰も訪ねてきた気配がないのに、不在連絡票が入っていてビックリするのです。


(2017.2.27)

仕事をリタイアしたおじさんたちは、趣味の各種講座・教室に申し込んだりします。

何年か前のこと、私は春の講座に申し込みましたが抽選で落ちてしまいました。半年待って再度秋にトライし、やっと当選することができました。中に入ってから分かったのですが、二回も三回も連続して当選している人がいるのです。つまり「彼らが連続当選したために、私は初回で落ちた」とも言えるのです。

さらにこんな経験もしました。私の居る講座を見学に来た人がいました。ちょっと雑談すると、メモまで取りながら私の話を聴き、目をキラキラさせて「次回申し込むんだ!」と言って帰りました。しかし次回の受講者に彼はいませんでした。あの熱意からは、止めたとは思いにくく、惜しくも落選したのだと思っています。

先日、東京マラソンがありました。倍率は10倍以上とのこと。でもTVニュースには「2回目です!」と笑顔で語っていた人が映っていました。

私は自分が落選した苦い経験から、当選が「初回者優先方式」でないことに疑問を持っています。原則として初回者を当選させてあげて、それでも枠が空いていら、2回目以降の人にも順次割り振れば良いのです。

今はコンピューター時代。そんな事は、やろうと思えば簡単なことでしょう。


(2017.2.26)

@ 「シンクロニシティ」=「ライプニッツの予定調和」!?。


@ 梅の樹も、南がわから花が咲く。


@ 映画「サバイバルファミリー」に出てきたエピソードですが、停電になり天の川が見えても、今の若い子は「あれ、なに?」と言うらしい。

そうかもしれない、かく言うおじさんの私も、天の川を見たのは今までの人生で2回しかないからです。1回目は中学生の時、学校行事で行ったキャンプの夜。2回目は30代に行ったケアンズ郊外のパームコーブ。

特にパームコーブのゴルフ場で、夜行性の生き物の鳴き声に怯えながら見た、本当の満天の星空と、そこに、とうとうと流れる天の川には言葉を失うぐらい圧倒されました。まるで宇宙遊泳をしている気分。そう言えば天の川って、英語で「Milky Way」と言うらしい。


(2017.2.25)

@ ぜいたくはすてきだ。


@ 私も一冊ぐらい入門書を読んでおくべきだ思い、昨年末に暑さ2センチの「読まずに死ねない哲学名著50冊」を買いました。

その本ですが、さすが入門書、とても分かりやすく書いてありました。しかし午後の喫茶店で読んでいるせいか、すぐに眠くなってしまい、まだ5ミリほどしか進んでいません。そんな折、昨年末に右肩を痛めた衝撃で哲学も挫折、いや一時中断となってしまいました。

そして肩の痛みも消え、すっかり本の事も忘れかけた頃、先日の新聞に「ライプニッツ」哲学の文字が。意味不明の私は「そうだ、あの本で調べてみよう」と思い、2カ月ぶりに紐解きました。

そうしたら、なんという事でしょう。「栞(しおり)を挟んでいたページ」つまり、2か月前に中断したページが「ライプニッツ」哲学の項だったのです。こう言うのを「シンクロニシティ」と言うのでしょう。

ちなみに「ライプニッツ」哲学は数回読みましたが、「で、なんなの?」と聞かれても答えられません。


(2017.2.24)

@ 「いい旅を、と誰もが言った/片岡 義男」、

そんなプレミアムフライデーな午後。


@ 半ドンにおけるランチまでの仕事とは、「おはぎ」の「あんこ」に入れる「人つまみの塩」のようなもの。


@ 先日タクシー運転手さんと話したとき、運転手さん「まったく気無し」でしたが、今日はもう「プレミアムフライデー」、年が明ければ速いものです。

以前、私は「プレミアムフライデー」発案の深層には、役人の「半ドンへの郷愁」もあるのではないのか、みたいな話を書いたことがありましたが、すでに一部の官公庁や企業などでは、3時退社ではなく、有給休暇を使っての「金曜半ドン」を呼びかけているようですね。

そんな官公庁・会社で働く者は幸せもの。後ろめたさなど不要で、どうどうと半ドンを楽しめます。

開放的な気分で、少し足を延ばし、おしゃれなランチから休日をスタートしましょう。軽くアルコールを飲んでも良いし…。


@ 「プレミアムフライデー」は毎月末の金曜日なので、「月末は忙しくて休めない人も多いから効果は疑問」という話もあります。でも、月末が忙しい人は他の週にチャレンジすれば良いのです。

官公庁も現状では昔の「土曜半ドン」みたいに閉庁にはできませんので、少なくとも2グループ(2週)に分けて実施するはず。

たぶんその後には、「月一回、各自いちばん都合の良い(仕事に支障のない)週末にプレミアムフライデーを楽しむ」という方向へ自然と流れて行くのでは。

ひかくてき有休休暇を取りやすい職場とか、極端な繁忙期がある職場では、閑散期に毎月2回以上実施する人も出ることが予想されます(「金曜半ドン」も)。

つまり、月末の金曜日と言うのは誘い水であって、実際は毎週金曜日は誰かが(民間企業であっても)「プレミアムフライデー」を楽しんでいることになります。だから商店なんかも「毎週お祭り」することになるのでは。

そして何年かの後、金曜の午後は…

電話をしても先様が閉庁・閉店していたり、担当者退社の事務所がポツポツと現れてきて、自分だけ働いても仕事の効率が悪いので、制度としての「金曜半ドン」へと舵が切られる!?。

( 上の三つは2017.1.27・29、2.6の記事に加筆再掲したものです。)


(2017.2.23)

@ NHK朝ドラ「べっぴんさん」では、武が明美に振られました。理由は「明美には戦争で家族を失ったトラウマがあり、もう家族を失いたくないから」と言うものです。でも、これにあっさり諦めた武は問題。

往年の人気TVドラマ「101回目のプロポーズ」みたいに、もう少し「ぼくは死にましぇ〜ん!」と迫るべきです。女性もそれを密かに望んでいたはず。

人が本心を打ち明けてくれたということは、ときに「それを承知で、も少し口説いてほしい」という気持ちもあるはず。「え!、あきらめちゃうの?」と、彼女を失望させてはいけません。もちろん引き際は大切ですが、ある程度の押しも大切。武はもの分かりが良すぎるんです。

さらに…

武のお見合いの席に明美も同席し、武を称賛するポエムを読むのはいかがなものか。お見合い相手から見れば「だれ、あの娘」、「武さんと、なんか訳アリなの!?」と勘繰られ、結婚してからもずっと、そんな色目で見られ、その内「むかし武が好いた相手」だとバレて家庭争議の元。

それとも明美自身も自覚せぬうちに「あっさり諦めた恨み」が転じて、(内面の怒りから)「ほめ殺しの刑」にされたのかもしれない。

ちなみに武は「ほめ殺し」について少しも嬉しくない。同席されたらバイアスがかかり、お見合い相手に対する正当な評価の妨げになる。さらに愛するA女子と仲良く仕事をしながら、恋愛感情だけ強制的にA女子→B女子へ移動させる「改宗」は、非人間的であり、不可能なほどの過酷を極める。


@ 以下2点の就職試験にまつわるエピソード。「べっぴんさん」の時代背景を考えると、私の考えはあながち厳しいとは言えないと思います。むしろ普通に近いのかも。

でも、このような甘いシナリオになっているのは、現代の就職戦線の厳しさに疲弊している若者に対する優しさ、いえ「おもねている」のかもしれないと思います。


@ NHK朝ドラ「べっぴんさん」では、「キアリス」への就職試験に落ちた青年が「理由を教えて!」と押しかけました。これ、やってはいけないことです。

でも、それだけなら「若気の至り」で、まあ可愛げもあるかもしれません。ふるえながら、小さな声で、精一杯の勇気を振り絞ってなら。

でも、一人前に「上司を出せ!」と声を荒げるのです。こうなると、ある意味「モンスタークレーマー」。「10年は会社の方針に口出しするな」と言われた私にとって、入社試験の段階ですでに会社の方針に口出しし、モンスタークレーマーになるような人間は「いりません」。

問答無用でお帰り頂きます。


@ NHK朝ドラ「べっぴんさん」では、「キアリス」にアルバイトに来ていたさくらが、ジャズ喫茶のアルバイト・五月も「キアリス」で雇ってほしいと、あろうことかアルバイトの身分をわきまえず、正社員・上司たちの会議中に割り込み、すみれに直談判をしたのです。

私なら問答無用でさくらを摘み出します。

「なぜ摘み出されたのか」、さくらには一般常識としてのそれを、自分で理解させる必要もあります。

私は「会社の方針には就職してから10年間は口出しするな」と言われて社会人になりました。そんな私から見ると、他人の人事という大問題に、アルバイトの身分で口出しした娘や、それを、なんのお叱りもなく「いいわね!」で済ませてしまう上司などありえません。

ただ五月への処遇は、さくらの一件とは別途考えてあげます。あれはあれ、これはこれです。

この時さくらを甘やかしたので、後にすみれたち両親に無断で「キアリス」に就職しようとしたのです。すみれ達は少なくとも事前に両親に説明すべきでした。その説明がなかったことを持って、私なら就職させません。

もしさくら達に10年に一人の才能があったとしても、「まずは他人の釜の飯を食って来い」と言って修行に出します。

さくら達や人事部長に押し切られ、満足な人生修行もさせずに自社に就職させる「才能だけ搾取」は、私の感性ではありえません。

人事部長だって上司の子供が「入社したい」と言ってくれば「世間知らず!」と叱責するわけにもいかないでしょう。それぐらい分からないでは「親バカ」と陰口を言われても仕方ありません。


(2017.2.20)

@ 公園では「水仙」が見頃です。白と黄色の花。ほんのりとした香り。

どんな花でもそうかもしれませんが、香水のようにピーンとした植物性の香りだけでなく、まったりとした動物性の香りも混じっているのですね。

もしかしたら花粉なのか。花のくせに人肌を感じさせるのです。


@ むかし神戸に高速バスで遊びに行ったときの事。せっかくウオークマンを持って行ったのに、マイ音楽を楽しみにしていたのに、車内ではBGMやらTVやらが鳴りっぱなしで使えなかったことがありました。残念無念でした。

むかしハワイへ行ったとき、観光バスに酔いました。それで休憩時間に降車し、新鮮な空気を吸おうとしましたが、島中にあふれる「花の香り」に、さらに気分が悪くなってしまいました(通常は「花の香り大歓迎」ですが。)楽園が地獄に変わった1日でした。

ですから、このニュースを見たときは「マジか」と。

「 名鉄「香りバス」に異論 化学物質過敏症の患者団体 」 ( Yahoo!ニュース 朝日新聞デジタル 2/20(月) 5:04配信  )


@ 庭で体操したら、足元の雑草に花のつぼみを見つけました。高さ3センチ、糸のように細い茎、その先っぽにゴマ粒の1/4ほどの、小さくて白いつぼみが付いていたのです。

毎朝・晩体操していますが、今朝初めて見つけました。早春の小さな、小さな命。でも、一人前に「花」を用意してました。


(2017.2.18)

本当の美を知っているか。

冬木立ってのはツンデレで、

通つめても、

めったに微笑んでくれないが。


(2017.2.17)

「若者は死を美化している」のではないのか。

先日おじさん二人でお茶しました。私が、「今までの人生に苦しい事は沢山あったけど、『留まる、逃げる』の二択だけで『自殺』の選択肢など無かった。そんな事、一度も考えたことすら無かった!」と言ったら、友人は一瞬考えた後「そうだなぁ…たしかに俺もそうだった」と、意外にも「目から鱗が落ちた」ような顔をしました。

映画などを見ると、戦争当時は特攻隊に代表されるように、軍部の情報操作などで、「お国のために死ぬ事が美化された」ようです。今の若者はそれと同じメンタルになっているのではないでしょうか。彼らはきっと「留まる、逃げる、自殺する」の三択主義者なのです。


(2017.2.15)

@ 「夏の汗疹と、冬の神経痛」は堪えます。汗疹は暑さを増幅し、神経痛は寒さを増幅するから。あの時は、まさに凍りつくような痛さに耐えられず、鎮痛を求めて行動しました。こんなことは小学校の歯痛以来。普段の私は「寒さと痛みはコラエルもんだ」主義者でしたから。

その右腕を痛めたとき(神経痛風に)、まず薬局へ行き、薬剤師さんに薬の相談をしました。近くに病院はありますが、注射は平気でも長時間待つのが嫌で気が進まないから。

薬剤師さんはとても親切に相談に乗ってくださいました。そして湿布薬と関節痛の飲み薬を買い(飲み薬はビックリするほど高価、お医者さんへ行って保険で買った方が…。)ました。

おかげさまで10日間ほどの治療で症状が改善し始め、独断で治療を中止。一か月経過した今は、ほぼ全快です。念のためスポーツは4月以降までお預けですが。

先日のニュースで「癌に詳しい薬剤師さんを養成し、病院を卒業した癌患者さんの便宜を図る」みたいな話がありました。人命にかかわる事、こじらせたら大変になる事などは別ですが、日常生活の中の軽い疾病・怪我などは、薬剤師さんに相談して売薬を買うという選択肢を知っておくと良いと思いました。

ちなみに腰が痛くても、実は内臓の病気だったりすることもあります。また湿布薬も「冷湿布」と「温湿布」があり、間違えると症状が悪化することがあります。

薬剤師さんは問診でそれが見極められないと、責任問題になりかねませんから、「病院へ行ってください」と言い、薬は推薦してくれないこともあります。だから安心。


(2017.2.13)

最近の横恋慕は、包丁ではなくてミサイルになったらしい。


(2017.2.12)

「犯罪人引渡し条約」に異論はないけれど、ときに「おぞましい」と感じるのはなぜだろう。


(2017.2.10)

何十年も前のこと。なにかで結婚相談所に勤める人の話を読みました。それによると「結婚に際し、皆、相手へ条件をいろいろ挙げますが、男性は女性の身長が好み、だとまとまりやすい」のだそうです。ツバメの恋愛みたいですね。

無自覚かもしれないけれど男には誰しも「お気に入りの身長」があり、それさえ合えば惚れやすい。惚れてしまえば、あとは盲目、みたいな事らしいのです。だから「女の後ろ姿に惚れる」とも言える。

それを読んだとき、私の中には「へ〜!?」と、「そうかもしれない」の感想がありましたが、何十年も生きてみて、今は「やっぱり、そうかもしれないなぁ」と思っています。女性の方、靴の選び方を変えてみますか。


(2017.2.9)

「終身雇用」がもし「死ぬまで働け」という意味だったとしても、機会を見つけて「もう退職したい」と大声を上げる事はできます。その「大声」が貴方の道を開きます。大変な勇気が必要ですが、貴方にはそれがあります。


(2017.2.7)

トランプさんは大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓しましたが、日本の公務員には「憲法尊重擁護義務」があり、就職時には「宣誓」の儀式も行うのです。

そんな公務員の生きざまは「順法」「公平」の二つでも表されます。あってはなりませんが、もし彼らが「順法」しない時、それは、なにかに「公平」ではないと感じている時かもしれない。


(2017.2.6)

@ それが尊い経験になったのか、はともかく、後輩に聞かれたらこう言うつもりです。「定年の一年前に退職するのも悪くない」と。


@ 半ドンにおけるランチまでの仕事とは、「おはぎ」の「あんこ」に入れる「人つまみの塩」のようなもの。


(2017.2.4)

いつものように、つまらんことが書けるようになった。やっと右腕の痛みも少しだけ鎮まってきたようだ(まだ、一日中仕事をすることはできないけれど)。こんな痛みは人生初体験。スポーツは桜が咲くまでお休み予定。



(2017.2.3)

あるいは、

社長:「生産性を上げるために労働時間の退縮をする」。

首長:「労働時間の短縮をするために生産性を上げる」。

と言うべきか。


(2017.2.1)

年末に恩義のある友人から、この春、少しだけ仕事を手伝ってほしい旨の依頼がありました。古巣は懐かしくもあり、ぜひ働きたい気持ちが4割ありましたが、もう心身が鈍って働けない気持ちも6割あり…悩んだ末、断腸の思いでお断りしました。

そして、お断りしてからも、それで良かったのかと、何度も思いだしていました。

でも、お断りして良かったみたいです。

正月休み中のスポーツ疲労と、家庭内のちょっとした打撲事故で、10日ほど前から右腕に痛みが走り、湿布薬と内服薬を使っています。ときに神経痛のように、痺れるように痛くて…このタイピングも必死の形相で打っているぐらいですので。


(2017.1.29)

@ 役所(公務員)は「管轄全体の公平を第一」に考え、企業(会社員)は「自社の利益を第一」に考えます。これは在職中に実地教育され、知らぬうちに「その人の人生観」にまでなりますが、お互いの特殊性に気づかぬまま退職後も消えません。

だから、たとえば津波の危機が迫った時、リーダーが役人の場合は「全員が避難できる場所」へ、会社員の場合は「最も安全な場所」へ誘導しようとする。

以前そんな話を書いたことがありました。

でもワンマン大統領のあの人も、支持者もこの違いを知らないのでしょう。企業家として一流であるなら、政治家としても当然に一流だと思っている。だから総合的に見て、すぐに今の彼が悟ることは大変難しい。もし悟れば、そのときは恥ずかしさのあまり引退も辞さないと思うのですが。


@ 「プレミアムフライデー」は毎月末の金曜日なので、「月末は忙しくて休めない人も多いから効果は疑問」という話もあります。でも、月末が忙しい人は他の週にチャレンジすれば良いのです。

官公庁も現状では昔の「土曜半ドン」みたいに閉庁にはできませんので、少なくとも2グループ(2週)に分けて実施するはず。

たぶんその後には、「月一回、各自いちばん都合の良い(仕事に支障のない)週末にプレミアムフライデーを楽しむ」という方向へ自然と流れて行くのでは。

ひかくてき有休休暇を取りやすい職場とか、極端な繁忙期がある職場では、閑散期に毎月2回以上実施する人も出ることが予想されます(「金曜半ドン」も)。

つまり、月末の金曜日と言うのは誘い水であって、実際は毎週金曜日は誰かが(民間企業であっても)「プレミアムフライデー」を楽しんでいることになります。だから商店なんかも「毎週お祭り」することになるのでは。

そして何年かの後、金曜の午後は…

電話をしても先様が閉庁・閉店していたり、担当者退社の事務所がポツポツと現れてきて、自分だけ働いても仕事の効率が悪いので、制度としての「金曜半ドン」へと舵が切られる!?。


(2017.1.27)

今日は1月最後の金曜日、来月の同日はもう「プレミアムフライデー」。年が明ければ速いものです。

以前、私は「プレミアムフライデー」発案の深層には、役人の「半ドンへの郷愁」もあるのではないのか、みたいな話を書いたことがありましたが、すでに一部の官公庁や企業などでは、3時退社ではなく、有給休暇を使っての「金曜半ドン」を呼びかけているようですね。

そんな官公庁・会社で働く者は幸せもの。後ろめたさなど不要で、どうどうと半ドンを楽しめます。

開放的な気分で、少し足を延ばし、おしゃれなランチから休日をスタートしましょう。軽くアルコールを飲んでも良いし…。


(2017.1.25)

女性の社会進出がふえると職場の産休・育休も多くなります。

昔いた職場では3年ぐらい欠員1が続いた時もありました。当然に仕事の負担は増になりましたが、上司も同僚も、誰一人陰口を言う者はいませんでした。皆、産休・育休とは無関係な事のように沈黙していました。下手なことを言うと「マタハラ」と非難されかねないからですね。

本日早朝のNHKラジオで「マタハラ」に苦しみ、戦っておられる女性の方が登場しました。その方は過酷な「マタハラ」の話の後に、「逆マタハラ」についても言及されました。

女性が休んでいる間、同僚に仕事のしわ寄せがあるわけで、その事に対する「対価と評価」をする必要があると、そんな趣旨の話をされました。

残業手当は出るにせよ、上司も同僚も、苦しさを皆が沈黙している状態は、メンタルの上でベストとは言えなかったのだと気づきました。


(2017.1.23)

@ 警察官、自衛官、税務署員などは、強面のするその仕事をしたくて就職します。しかし市町村役場職員の多くは普通の「一般事務」がしたくて就職するわけです。

でも、数年に一度ある人事異動で、好むと好まざるとに関わらず、一定数の人が生活保護担当になります。たとえば昨年まで戸籍係で一日中黙々とタイプを打っていたようなもの静かな人が、今年から生活保護担当になり、カッターナイフで襲撃されたりするわけです。

でも負けてはいられません。周囲から二重人格と言われようとも、押しつぶされそうな心を奮い立たせ、明日からも仕事をしなければなりません。

これは想像ですが、あの過激で問題のあるジャンパーは、深層的には「変身のためのマント」であったのかもしれません。メンタル的に事件直後はそうせざるを得なかったのでしょう。


@ いわゆる公務員の仕事は楽ばかりではありません。

生活保護の仕事は、底辺で生きるたくさんの人々と深くかかわる必要のある大変なものですし、税金・国民健康保険などの徴収・差押えは、まじめに一所懸命にやればやるほど、相手から嫌われトラブルが起きやすいものです。

しかし生活保護の不正受給は税金泥棒の可能性がありますし、税金などの不正な滞納は、ちゃんと納税している大多数の人々を裏切るもの。そのとき公務員は正義を行う砦なのです。世論は非難の矛先を誤ってはなりません。


(2017.1.21)

なにか無性に「カホン」が欲しくなって仕方ない。


(2017.1.19)

@ 「とちの実せんべい」を食べた。とちの実の白い味がした。フィーレの奏でる「白」に似ていると思った。そういえば映画「アイ・イン・ザ・スカイ」を観た直後に感じた疲労感も、静かな「白」だった。


@ 昨夜「グレゴリオ聖歌」 ( 聖モーリス及び聖モール修道院ベネディクト派修道士聖歌隊 )を聴きました。

以前にどこかで買った安価なCDで、自己嫌悪に陥った時など、ときどき聴きたくなるものです。「ギンギンのロックとグレゴリオ聖歌の両方を楽しめる人は、情緒に問題がある」みたいなジョーク!?を昔聞いた事がありますが、白状すると私もその一人です。

最近スピーカーを買い増しましたので、その音質チェックも兼ねていたのですが、聴いて驚きました。音質のことではありません。

この聖歌の、厳かな歌のバックには、暗騒音のように静かなオルガンが流れていたのです。ジャケットにも書いてありませんし、何回聴いたCDか分かりませんが、今回初めて気づきました。

あわてて、以前から持っていたスピーカーに切り替えてみると、チャント聴こえるではありませんか。

いったい私は何を聴いていたのでしょう。

見ても見えない、聴いても聴こえない。あわてるばかりです。


(2017.1.17)

そうか、大使館の次は、竹島か。


(2017.1.12)

@ 今一度読みたい「国家の品格」(藤原 正彦 著)。


@ オバマさんが大統領になったとき、「米国に人種差別は無くなった」という人がいました。

トランプさんが大統領になったら、「人種差別は誤りだった」という人が出るのでしょう。


(2017.1.7)

記録的な大ヒットをしている、深層的には在日のヒロインを描いたあのアニメでは、「夫が自分の妻(ヒロイン)を、出征まじかの妻の幼なじみの男性に、娼婦のように一夜あてがうエピソード」があります。翌朝、妻はこの事を夫に怒りましたが。

たしかに日本の戦争映画には、出征まじかの男性と、「女性が未亡人になるかもしれないのに急いで結婚させる」とか、「子づくりだけをする」とか、そんなエピソードはありました。

でも、「夫が自分の妻を娼婦のようにあてがう話」は聞いたことがありません。このエピソードに内包されたものは何だったのでしょう。もしかしたら、私の不勉強であり、日本のどこかにそんな悲話(秘話)があったのかもしれませんが、喉に刺さった小骨のように感じています。

先日よりニュースでは「従軍慰安婦」問題が再燃し始めました。


(2017.1.1)

新年あけましておめでとうございます。 

元旦の朝、上天気です。


(2016.12.31)

@ 今年も、まだやり残したことがいくつもあります。どれも、けっして忘れていたわけではありません。毎日思いだしては「近いうちに」と…でも、とうとう行動できませんでした。お許しください。

そんな今年も、もうすぐ日が暮れます。皆さまの新年が良い年でありますように。


@ いっそ日本中の除夜の鐘が一つも鳴らなければ、今、何が起こっているのか理解できるような気がします。


(2016.12.28)

「 『荒れる』成人式を変えたい! リーゼント姿の新成人が国際通りを清掃 」
(沖縄タイムス+プラス ニュース2016年1月11日 12:09)

かっこいい。

酒を飲んで暴れると顔にボカシが入って報道されるけど、清掃する写真には入らない。

その写真こそ一生の思い出。

ご両親や友人知人、彼女だけでなく、孫子にまで、どうどうと見せて自慢できる。


(2016.12.27)

若いころハワイの「アリゾナ記念館」へ行ったことがあります(古い記憶なのでいけませんが、もしかしたら岸壁にあるビルか、係留されている船だけ、だったのかもしれません)。

ほんとうは別の観光地の予定でした。でも理由は忘れましたが、急きょ、そこへは行けなくなったらしいのです。それで日系人らしいガイドさんに「日本人なら必須学習!」の体で、有無を言わさず連行されたのでした。

わたしたちは「禁・Xサインの記念撮影」を合言葉に、沈痛なおもむきで入館しました。

線香のにおいがした記憶です。ほんとうに線香が有ったのかは分かりません。キリスト教でもお葬式には「お香」みたいなものを焚きますので、そんなにおい有ったとしても不思議ではありません。

息子を亡くした、あるいは戦友を亡くしたような年齢の、米国人らしき善男善女がしんみり写真を見つめていました。

「いたたまれない空気」、それが正直な感想です。

暴言を浴びせられたり、嫌がらせを受けたりはしませんでした。みんな静かでした。

楽園に行くはずが、墓地へ行ったような、結婚式へ行くつもりが、お葬式に行ったような…

黒い日本式の礼服に隠れたいと思いました。


(2016.12.23)

このような事を書いて、良いのかどうかわかりませんが、83歳のお誕生日おめでとうございます。

泊まった温泉は、かつて天皇皇后両陛下も泊まられたことのあるお宿でした。

スポーツ選手や芸能人、作家先生などの色紙が飾られているコーナーがありましたので、気がつくと天皇陛下の色紙を探している自分がいました。

あるわけないですね。

途中でハッと我にかえり気づきました。

ならばツイッターぐらいは…

そんなものも有るわけないし、ブログも無いでしょう。

やっぱり特別なお方なのですね。

追記

でも…もしかしたらH.N.で…。


(2016.12.22)

温泉では夕食前と後、それに朝にもお湯に入りました。

夕食後は少し疲れた感がありましたが、せっかくなので入りました。そうしたら湯上りに立ちくらみがして5分間ぐらい動けませんでした。水で体を冷やしてようやく治まりました。軽度の立ちくらみは毎度の事なのですが、あんな重度は初めてです。

その夜は布団に入ってから喉が乾き、チビチビと朝までの6時間、酒ではなく、1リットルの冷水を飲んでしまいました。それでも朝のオシッコの色は濃い黄色です(失礼)。体調が良い時はほぼ透明なのに。

どうやら重度の立ちくらみの原因には脱水症状もあったのかもしれません。

実は、お昼発のシャトルバスで温泉に行くために、午前中から水分を少し控えていたのです。ランチもサンドイッチにして。その延長で(入浴前にお茶を飲んだのですが足りなかったみたい)水分が不足していたのでしょう。

そう言えば、先日のニュースで「温泉の熱中症」を紹介していました。

追記

ちなみに風呂上がりの軽度の立ちくらみは、湯から出るときに両手に5秒間ほど冷水をかければ治まります。毛細血管が冷水の刺激に収縮し、血圧が上がるからだそうです。

しかし温泉では、あまり湯船のそばに水道の蛇口はありません。しかたなくステンレスの手すりや、湯船脇の大きな石で冷やそうとしましたが足りませんでした。さらに洗い場までやっとのことでたどり着いて蛇口をひねっても通常お湯しかでません。

倒れそうになりながら、必死で蛇口を冷水に切り替えて水を出してみましたが、今回のように重度のものには即効性はありませんでした。


(2016.12.21)

山奥の温泉に行ってきました。清流の川沿いに遊歩道があったので、さっそく歩いてみると、花吹雪の春ならともかく、さすがに12月では誰も歩いていませんでした。夕暮れ時の寂しい小道。


(2016.12.13)

「プレミアムフライデー」の実現で、かつて役所にあった「土曜半ドンの味」を、多くの方が疑似体験できるようになるのかもしれません。


(2016.11.27)

どうやら映画「この世界の片隅に」には「国旗論争」があるらしい、と言うと、「お前もその一人だろう」と突っ込まれるのが落ちでしょう。

しかし私が思っていることと、世間様で話題になっている「国旗論争」とは少し違う気がするのです。

すでに述べたように、良い映画の多くは「騙し絵的二重構造」になっています。たとえば映画「大脱走」は、表層では戦争映画であり、深層ではベースボールの映画なのです。そんな二重構造の映画の中には、深層に「在日の方へのメッセージ」を込めたものもあるのです。

普通に見れば日本人の物語なのに、在日の方が観るとピンとくる記号を持ちいて、「在日の方を慰める目的等」も持った作品が、「不定期かつ密かに何本も作られている」ようです。そして、その魂は「映画の行間」に宿っているという事です。記号には「国旗」もありますが「国旗」がすべてではありません。

例えて言うと、映画「ローマの休日」のラストの記者会見みたいに。

たとえ第三者がその場にいても真実は分からない。セリフの意味を二人に問いただしても、表面的な回答しか得られない。しかし二人は雄弁に意思疎通を完了するのです。

誤解があっては困りますが、私はけっして、それを非難していません。ただ他の多くの映画とおなじように、「もったいない」から両方味わう努力をしているだけなのです。在日の方が歩んでこられた道にも想いをはせながら。映画「ローマの休日」が好きな人なら誰だってそう思うでしょう。

追記

これもすでに書いた事ですが、映画の解釈はスクリーンにて行わなければなりません。不明な部分を原作に求めても、原作は映画のモチーフにすぎません。言いかえれば「パラレルワールド」です(限りなく似た、しかし決定的な別世界)。だから映画の解釈を完了する前に原作を読むと、情報が混乱し迷宮に入りかねません。原作は映画の解釈が完了した後に別物としてゆっくり楽しみましょう。


UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU
 

「 成長できない者にかぎって、飛躍したがるものである 」
                

             (エリック・ホッファー)

飛躍したいという野心は、実は、成長できない者が破滅していく前奏曲だったのかもしれないのです。
 

UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU


( 映画について )

昔は、人が「面白い」と言えば「そんなに面白いなら観ないわけにはいかない」と、人が「つまらない」と言えば「その、つまらなさ、自分の目で確かめてやろう」と、休日はほとんど映画館に入りびたりでしたが、最近は映画館は月に3回ぐらいになりました。

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( 掲示板について )

思うところがありまして、近年返信をお受けしておりません。あしからずご了承ください

人にものを伝えるのは難しいことです。

対面していても難しい。ましてや掲示板に書き込んだだけで、完全なる意思疎通をするのは困難だと思っています。老若男女、生まれも育ちも違う無数の人たちが匿名で参加しているのですから。

私の書き込みに反感などをもたれた方は、それは私の本意ではないと好意的に解釈してください。どこかに誤解が混じっているかもしれませんから。

ときどき「その解釈は違うと思う・・・」とか、返信を下さる方がいますが、できましたら御自分のスレッドを立ち上げて、返信ではなく、自主的な発表として、あなたの解釈をお披露目してください。その方が嬉しく思います。返信を下さるほどの自信とエネルギーが有る方なら、ご自分のスレッドを立ち上げることは容易だと思います。

議論をしないことについてもご意見をいただく事がありますが「議論をしないための議論」になりかねないため返信できません。どうぞご理解くださるようお願いいたします。

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( お気に入りユーザー登録について )

お気に入りユーザーとして登録してくださる方がいらっしゃいます。心より御礼を申し上げます。

大変恐縮ですが、私自身は現在この機能ボタンを使用しておりませんので、悪しからずご了承くださいませ。でも、私も、心の中で、皆様をお気に入り登録させていだだきました事をお伝えいたします。

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( 映画生活ユーザー登録について )

遅ればせながらユーザー登録をさせていただきました。私の現在の登録HNは2001/5/22から使用している「さくらんぼ」ですが、2000/12/31からHN「街の灯」で、2001/1/7から2001/5/14までは、HN「まちのひ」で投稿しておりました。当時はメルアドの入力も不要な、のんびりとした時代でした。でも入力が必要事項になった時、直後の数日間は、皆さんの投稿数が激減してしまいました。きっと警戒心がわいたんでしょうね。懐かしい思い出です。

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( 私のレビューについて )

子供のころ学校で「本を読んだら次の順序で読後ノートをまとめるように」と教わりました。

@あらすじ、A主題、B感想、の順です。

この中で私がいちばん興味をもっているのがA主題さがしです。私の投稿はおもに「独りよがりな主題探しの打ち明け話」で、レビューとしては中途半端なものです。少なくともBの感想をプラスして初めてレビューの体をなします。Bの感想は何を書いても良いのですが、主題が分からないと的外れなものになりかねないので、こちらもまた難しい。

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( 映画の解釈方法について )

私は映画の解釈をするとき、ふと「映画とはシンフォニー」ではないかと思ったことがあります。たぶん「どちらも小さなパーツが集まって展開し、相似形の全体が完成している」からです。

だから、どこか「小さなパーツひとつを解釈することで、映画の全体が理解できるのでは」と、仮説を立てたのです。

つまり「パーツAの解釈が、パーツBやC、Dなどにも当てはまるか、そして映画全体にも当てはまるか」を考えていくのです。そうすると、だんだん、その映画が解ってくると。

ところで、昨日、新聞を読んでいたら、理論物理学者の方の、面白いコラムを見つけました。

「 …私は、科学者、特に物理学者であることがどういうことか明確な感覚を持っています。観測や実験から得た情報に基づき、初期の理論を組み立てる。うまく行ったら、より多くの現象、より小さなスケール、より大きなスケールに当てはまる数式にまとめていく。常に実験や観測に照らしつつ、さらに異なる現象を統合し、より統一された理論を目指す。それが科学です。… 」

( 2016.6.8 朝日新聞朝刊インタビュー「オピニオン&フォーラム『科学者とは』・アリストテレス 科学の源流でない 実は退屈な詩人 」理論物理学者、米テキサス大学教授 スティーブン・ワインバーグさん より抜粋 )

きっと皆さまは「つまり君の解釈は科学的なのか?」と、お尋ねになりたいと思います。それには「1パーセントぐらいのレビューは近いかもしれません」と、お答えしておきます。「では、あとのレビューは?」とは聞かないでください。「あとは退屈なポエムですらありません」から。

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( 映画、TV、原作本について )

映画の解釈に迷ったとき、原作本を読んで答えを知ろうとする人もいますが、あなたはどうしてますか。

正しい解釈に早く辿り着きたいのなら、読まないほうが良い、と申し上げておきます。

なぜなら、映画と原作本は、近似の、しかし別々の物語(パラレル・ワールド)だからです。この二つの情報を同時に頭に入れることは混乱を招きやすく、解釈の情報処理に得策ではありません。

数ある映画の中には、細部に仕掛けをして、一見原作と同じに見えながら、実は逆の結末を用意したものも在るようです。

どこかワンシーンの描写、ひと言のセリフで解釈がひっくり返る仕掛けを映画に仕込むのです。現実でもフロッピー・ディスクの改ざん事件がありましたが、あの現実の示すとおり、ほんの少しのことで結末はひっくり返るのです。

原作本に心酔し染まってしまうと、それは映画を冷静に観ることにはマイナスに作用します。監督は観客が騙されるのを遠くから「してやったり!」と、ほくそえんで見ているのかもしれません。

映画の解釈は原作本から離れて静かにすべきです。映画の補足説明ですら原作本に求めるべきではないと考えます。映画の事は画面の中だけで完結してください。(TV版ドラマも同様です。)そして、めでたく解釈が完了してから原作を楽しみましょう。別物として。

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( 映画の記号について )

津波と水素爆発で破壊された原発の映像がニュースに流れていましたが、その映像に私は違和感を感じました。バックの空がとてもきれいな青だからです。破壊された原発の残骸から受ける悲惨なイメージに打ち勝つほどに強く美しい青でした。それはワイキキの浜辺に似合うほどです。

もし、これが映画なら、空は少なくとも曇天でなければなりません。嵐の時のような真黒な雲ならお似合いです。逆に言うならば、映画で不穏な雲がでてきたら、その後には悲劇が起こると言う記号でもあります。

私のレビューには記号の解釈がいくつか出てきます。もちろん真面目に書いていますが、どれも私の独断と偏見で解釈したもですので話半分で読んでください。ご質問を頂いても多分お答えできません。

かつて私は「映画の記号辞典」を手に入れたいと思い、本屋さんで探した事がありましたが、売っていませんでした。

その時に立ち読みした本(タイトルは忘れました。)によると、記号というのは、ある程度の普遍性があるにしても、映画によって、また時代背景によっても変化するので、完全なる記号辞典は出来ない、というような事が書いてありました。

結局、映画の記号を解釈するには、多少の知識は必要だとしても、最終的にはその映画文脈の前後から動的な判断をするしかないのでしょう。学術書や原作に拘りすぎる静的な判断は間違いのもとです。一本の映画と言うものは、それだけで唯一無二の完結した世界、であることを忘れてはいけないのです。

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( その他 )

@ 「共感覚」についてお話しします。レビューやブログの中にときどき余談として出てきますので。

自慢話をしていると思われると困るのですが、私はおじさんになって初めて「自分には音→形が見える」(正確には、音を聴覚・視覚・触覚で味わえる)ことに気づきました。たぶん生まれつきなので、当たり前すぎて自覚すらしなかったのです。誰でも同じだと疑っていなかったのです。

ところが中年になり酒席で、なにげなくオーディオマニアの友人に話したところ、友人が「オカルト話は嫌いだ」と機嫌を損じたので、もしかしたら違うのかもと、気がついたわけです。

その特殊な感覚はオカルトではなく、まっとうな科学であり、一般に「共感覚」と呼ばれています。

しかし当時(10年近く前)ネットで調べても「文字に色がついて見える人」が一般的で、「音→色が見える人」ぐらいはあっても、「音→形が見える人」についての記事は皆無と言ってよい状態でした。だから「私のは本当に共感覚なの?」と疑問がふくらんだのです。

そんなある日、図書館で「ねこは青、子ネコは黄緑・共感覚者が自ら語る不思議な世界」(パトリシア・リン・ダフィー/石田理恵〔訳〕)という本を見つけて、救われました。

その中の「6章 作曲家マイケル・トーキーと音楽の色」で、音楽から視覚と触覚が刺激されるとして、「フレンチ・ホルンの音は丸」、「トランペットの音は先が尖った感じ」、「フルートは綿のような音」、「クラリネットは滑らかな音。まるでヒョウの毛皮のような感じ」と、そしてこれは「比喩」ではなく「知覚」だと書いてあったからです。

オーバーに言えば、私は「不安と孤独」の世界で、やっと「仲間に巡り合えた安心」を感じました。

今日、あらためてネットで「音 形 見える」で検索すると、わりと多くの情報がヒットするようになりました。日本にも多数の仲間がいそうです。これもある意味カミングアウトなのですが、自己紹介であると同時に、誰かを救えるとしたら必要なことだと思いました。


@ 「気功」、「オーラ」についてお話しします。レビューにも時々出てきますので。

おじさんになってからの事です。雑談中に友人から「あなたはオーラが見えますか?」と質問され、後に試してみたところ、自分にも「少しだけ見える」ことに気づきました。友人も「オーラ」が見え、同類の人はなんとなく判るのだそうです。

「オーラ」を一口で言えば、「仏像の背にある光背(こうはい)と呼ばれる放射状の後光」です。生身の人間にもそれはあります。光背みたいに放射状に鮮明に見えるのは希で、たいていは「体を包むぼんやりとした光」として見えます。私には。

見えることが何か役に立つのかと言えば、「うつ状態」の人からは「黒いオーラ」が出ている場合があり、それが見えることがあるのです。

「黒い光なんて矛盾する」と思われるかもしれませんが、「昔の家庭用の、黒いゴミ袋を膨らませたような、『テラテラ黒光りする膜』みたい」と言えば分かってもらえるでしょうか。そんな光に包まれているのです。オーラが見える友人も同じものを見たことがあると言っていましたし、ネットにも書いてあります。

そのとき偶然に「気」も見えることが分かったのです。「気」を一口で言えば、「全身から立ち上る白っぽい煙・湯気のようなもの」です。「煙・湯気」との違いは、「煙・湯気」は光を当てるとより鮮明に見えるのに対し、「気」は明るくても見にくいし、反対に暗闇でも見にくいのです。「気」を見るには「ちょうど良い加減の薄暗い場所」で、「暗色を背景」に手のひらを見ることです。私には手からモウモウと立ち上る「気」が見えます。

こんな「自分に起こっている現実」を無視するわけにはいきません。私はその「オーラ」と「気」をもっと知りたくて関係本を探しました。そして「気功」と出会ったのです。

「気功」を学ぶことで「気」を健康に役立てることができました。今の私は「気」が見えるだけでなく、手のひらで触れることも、多少操ることも出来ます。今の私にとって「気」は神秘であると同時に、「空気や水」と同じような「日常生活の一部」なのです。

他の人にも尋ねてみると、「臨死体験」みたいな事があった人、生まれつき日常的に「オーブ」が見える人などがいました。見えるのに私と同じように気づいていないだけか、あるいは気づいていても人目を気にして「秘密」にしている人は意外に多そうです。


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以上です。

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さくらんぼ さんのレビュー投稿

見出し 満足度 作品名 投稿日
長く見つめ合うと誤解されるよ(0) 0点 俺たちの勲章 2015/09/16
刑事ドラマで謳ったフォークソング(0) 100点 俺たちの勲章 2015/08/12
愛をプログラムに織り込んではならな...(0) 100点 ネットワーク・ベイビー 2014/07/28

さくらんぼ さん


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