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さくらんぼ さん

電話が鳴ったらサギと思え

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《パレット》


(2017.8.22)

@ 「あなたの代表作は何ですか?」。もし匠やアーティストにそう尋ねれば、彼は「次の作品です」と答えるかもしれません。日々精進の人なら言いかねない言葉です。

オーディオマニアも同じで、どんなに恋い焦がれて高価なステレオを買っても、手に入れた瞬間から、次のグレードアップを考えているものです。


@ 先日、五味康祐氏のオーディオ話をしたことがありました。彼は著作の中で、たしか「言葉で表せないものを表現するのが、音楽である」と(表現は正確ではありませんが)、いかにも作家らしい解釈を述べておられました。

私は最近「フォーレ」をよく聴いています。今流れているのが「ピアノ五重奏曲 第一番 ニ短調 作品89」というもので、夏の終わりの午後にふさわしいものの一つです。

嗤われるのを承知でこれを言語化すれば「哀しみをたたえた幻想的な世界」とでも言いましょうか…。

絵画に変換するなら「抽象的」なものになるでしょう。

そして混とんとした雰囲気は、「聴覚→視覚」で受けた諸々のイメージを、「視覚→音楽」に再構築した、「共感覚の世界観」のようでもあると気づきました。


@ いくらオーディオ好きでも、高価な製品を頻繁に買いかえられるものではありません。しかたなくオーディオ雑誌に掲載されている写真を眺めながら(読みながら)、自分のステレオを聴いたりするわけです。

すると妙なことに気がつきました。

たとえ数千円のトランジスタラジオの音でも、クラウンが買えるほどの高級スピーカーの写真を見ながら聴くと、その高級スピーカーが鳴っているように錯覚するのです。妙なる美音を奏でて。

どなたかの言葉を借りれば、「高級スピーカーというものは概して鳴らしにくいものです。レーシングカーが神経質なのと同じ」です。

ありふれたトランジスタラジオのように、素直な音で鳴らすことは案外難しく、一つの目標にもなるものです。

ですから、ラジオを聴きながら高級スピーカーの写真を眺めることは、一つの「理想郷の出現」と同じなのかもしれません。


@ 昔、仕事帰りに、玄関先で「お盆の送り火」をしているのを見たことがあります。

ちょうど隣の草むらでは「秋の虫」が鳴き始めていました。あれ以来、「お盆をすぎると涼しくなる」と、刷り込まれてしまった感があります。

ですから、「お盆すぎたら真空管アンプを鳴らそう」と思っていましたが、残暑が厳しすぎます。今年は公園へ行っても虫の音は聴こえません。

昨日までミニコンポに大型スピーカーを繋いで聴いていましたが、とりあえず今日からは普通のトランジスタアンプに戻しました。安物であっても、やはりミニコンポよりは格上の音がします。オーディオにも衣替えがあります。


(2017.8.21)

@ オーディオマニアにとってオーディオ雑誌はバイブルです。皆がグレードアップしたくても、伝説の名機、超高級機だけでなく、毎月のように出る新製品のほとんどは、一般ユーザーにとって試聴困難だからです。

オーディオ評論家は目に見えない音を言語化し、読者に提示してくれます。それを読んで「試聴した気に」なることができるのです。

オーディオ全盛期の頃、仕事帰り、毎週のように電気店へ立ち寄り、ときには店員さんに試聴のお願いをしていた私。マニアは、そんな恵まれた環境の人ばかりではありません。

それにしても、嫌な顔もせずに応じてくださった大多数の店員さんには、いまでも感謝しています。あの方たちは、私に青春の良き思い出の一つを作って下さいました。そして私も、偶然ですがスーツに革靴・ネクタイという、いわゆる正装で訪問していたことも、無関係では無かったと思っています。

前置きが長くなりましたが、本題はこちらです。

オーディオ雑誌を読んで、オーディオ評論家の皆様の耳と文才に酔わされ、つい「試聴した気」になることは「マニアの楽しみの一つ」でもあります。

でもその勢いで、その製品を購入し愛機として日常的に使っているユーザーに向かって、「一度も試聴したことが無いのに、したり顔で論評する」のはいかがなものか。「そんな赤面するようなこと、しないだろう」と思うかもしれませんが、これが案外やりがちなのです。さらに、視点を広く見渡せば、日常にも似たような事、あちこちにあるのではないでしょうか。自戒を込めて。


@ オーデォマニアが「自分のステレオが気に入らない」と言って、YouTubeでお目当ての製品を試聴するとき、もし魅力的な音に聴こえたら、それはお目当ての製品が良い証拠なのか、それとも自分のステレオのせいなのか。


@ お盆のUターンラッシュ、グアムから帰った人の声がニュースで流れていました。「グアムはミサイル心配だったけど、日本に帰ってきて安心しました」と。

お気持ちは大変よく分かります。「自宅・自国が最高!」な気分ですね。

でも、ふと私は思うのです。「もしかしたら、近い分だけ、日本は心配かもしれない」。


@ 「 長年スーツで働いてきた人はスーツが似合うし、ジーンズだった人はジーンズが似合う。休日に逆をすると、似合わないからすぐ分かる。」 ( アパレル業界の人から聞いた話。)


@ 「二十四節季」があって、

「雑節」もある。

「五節句」があり、

「月」(8月「葉月」)もあって、

「四季」(「梅雨」・「秋雨」をいれると「六季」)もある。

そして「元号」。

誠にありがたいと思います。それらは「もっとも品位の高い情操教育の一つ」でもありましょう。

なぜ「現代日本の気候に合わせた新しい二十四節気を創造する事」に反対の声が多かったのかは知りません。


「 … 二十四節気はほんらい中国の気候をもとに名づけられたものなので、日本の気候とは合わない名称や時期もある。よって日本ではそれを補足するため二十四節気のほかに、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを日本の旧暦に取り入れている。

2011年、日本気象協会は現代日本の気候に合わせた新しい二十四節気を創造する事を目標とした準備委員会を設けた。一般からも意見を募り、2012年の秋頃には“21世紀の二十四節気“を発表し、周知させていきたいという意向を示していた[1][2]。しかし反対の声が多く寄せられたことから、2012年9月にこの計画は中止となった。

2016年10月31日、中国の「二十四節気」のユネスコ無形文化遺産への登録勧告が決定した[3]。」

( ウィキペディア「二十四節気」の「概説」より抜粋 )


@ TVドラマ「天気予報の恋人」つながりで、深津絵里さんと妻夫木聡 さんが出演するTVドラマ「スローダンス」も観始めています。妻夫木さんも好きな俳優さんの一人ですし。

「天気予報の恋人」での深津さんは「やまとなでしこ」的な女性を演じておられ、シナリオの良さも相まって(NHK朝ドラ「ひよっこ」の岡田惠和さん) 、概ねおじさんのスイートスポットにはまる良作でした。

しかし、まだ初回しか観ていませんが、「スローダンス」での深津さんは「気丈」が過ぎて、心理的に「逃げだしている自分」がいました。それに、何か登場人物たちの行動センスにも同意できない点がいくつか出てきて…。

もしやと脚本家の方を調べたら、やはり私より二回りぐらいお若い方でした。一概に年齢だけで決めつけられるものでもありませんが、やはり年齢的に近い岡田惠和さんの方が、私にはしっくりくるのかもしれません。

そうこう思いながら観ていたら、突然「?…」というシーンが。

なんとCA役で在りし日の小林麻央さんも出演されていたのです。初回では1分程度の出演でしたが。

この機会に失礼を承知で本当のことを言わせていただくと、私はどちらかと言えば、お姉さんである小林麻耶さんのファンだったのです。しかし今、思いがけず小林麻央さんの動画を拝見すると、まるで「街角に昔の恋人を見つけた時のように」、胸が詰まる思いがしました。


@ 放送局によらず、TVの連ドラは「初回が命で、最終回はつまらない」。昔そんな話を読んだことがあります。視聴率獲得のために、制作者は初回には全力を傾けるけれど、最終回は「釣った魚にエサはいらぬ」で軽く流してしまう、という事なのでしょうか。

そう思って観ていると、そんな気もしないではありません。ですから、私の中では「最終回だから見なくてもいいや…」みたいな気持ちも育ちかかっていました。

そんな中で観たTVドラマ「天気予報の恋人」は、しっぽまであんこがつまったタイ焼きみたいに感動させてくれましたよ。


(2017.8.19)

彼はグレーのスーツにオレンジのネクタイ、

彼女は目の覚めるようなレッドのワンピース!?、

そして魔法使いの少女が身につけていたのはイエローのスカート。

夢を見ているようでした。


(2017.8.18)

@ ドラマ「天気予報の恋人」に出てくる架空のFM番組は「午後2時のシンデレラ」と言いました。DJは深津絵里さんが演じていて、とても上品な語り口のものです。

これで私が思いだしたのは「ワールド・オブ・エレガンス」(1976年〜1993年 13:00から)でした。こちらは本物です。細川俊之さんの上品な語り、女性ナレーションとクラシック音楽からなる、アンニュイな30分です。

ちょうどランチタイムの後、睡魔が襲うころに、罪作りな番組でした。


@ 2000年にTV放送されたドラマ「天気予報の恋人」が、先日BSで再放送されましたので(私には初見)、録画して観ています。

ドラマが面白いのはもちろんですが、挿入歌「空に星があるように」にあらためて感動しました。

「空に星があるように」は、作詞・作曲・歌:荒木一郎さんの1966年ヒット曲ですが、挿入歌はBEGINさんが歌っています。

「世の中に、こんなにも美しい歌があったのか」、それが素直な感想です。


「 空に星が あるように

浜辺に砂が あるように

ボクの心に たった一つの

小さな夢が ありました … 」


( 「空に星があるように」より抜粋 )


(2017.8.17)

@ 今、踊り場にいます。

皆は書きながら登って行きますが、

私は降りて行きます。

なぜかと聞かないでください。

私はただ帰り道をさがしているのです。


@ 匂い(臭い)は体に沁みつくのか。

私の体験では沁みつくと申し上げます。

「気」にも周囲の匂い(臭い)が付くからです。

その「気」は、気功をやらぬ人でも、大なり小なり人体を透過して体に出入りします。だから外部の匂い(臭い)は知らぬまに体臭の一部となっているのです。

いくら石鹸で洗ってもとれません。

それが「シャネルの5番」なら女性のアクセサリーになるかもしれませんが、もし気に入らないものなら、外気と人体の「内気」が循環して、消えていくのを待つしかありません。


@ もの心ついた時から、ずっとわが家は「牛乳石鹸」でした。ですから私など、ばくぜんと「石鹸=牛乳石鹸」だと思っていた伏しがあります。

大人になったある日の事、離れにあるお風呂場の「牛乳石鹸」に、なにやら爪でひっかいた様な跡を見つけたのです。

それは、その後も、ときどき見つけました。

気になって良く見ると、ウサギがニンジンをかじったような感じの歯型みたいでした。しかし、とても小さい。

私はネズミがかじったのだと思いました。

「牛乳石鹸」はミルクの良い香りがしますから、チーズの好きなネズミはかじってみたくなるのでしょう。もちろん食べられませんが。

それなら、「不味そうな臭いのする石鹸」を使えば良いじゃないかという事で、頂きものの〇〇石鹸を使ってみました。なんとか健康成分配合とかで、薬草を煎じたような臭いがします。

さっそく使ってみましたが、ネズミはともかく、人間様の体臭まで薬草になってしまう気がして、却下とあいなりました。

そして、現在はまた「牛乳石鹸」に戻っています。


@ 亡き親父が運転免許を止めたのは70歳前後です(何歳だったかは正確に覚えていません)。運転技能は人によって違いがあるでしょうが、親父の場合は60歳の頃に比べて明らかに下手になりました。それが助手席に乗っていて実感できたのです。

そうこうしている内、クルマのボディのあちこちに、スリ傷やヘコミも増えていきました。

そして、ある日の事、出先の人から「あなたのお父さん、駐車するとき、あちこちぶつけてましたよ。そろそろ運転止めさせた方が良いんじゃないですか…」と率直な御意見を頂きました。私は、我が事のように恥ずかしくなり、すごく恐縮して「すみません…」と頭を下げました。

きっとそれを言い出すまでには、出先の人も、言うべきか否かの葛藤があったことでしょう。それでも言ってもらって良かったです。本当にありがたい忠告でした。

さっそくその夜、私は父に言いました。もちろん出先の人の事は黙ってました。あくまでも私の意見として言いました。

「クルマもあちこち傷だらけだし、もう運転を止めたら!?。もし親父が事故を起こしたら、相手には僕まで謝らなければならなくなる。そのとき相手から、『なぜ貴方は、お父さんに運転を止めるように言わなかったのですか!?』と責められる。親父が事故を起こすと、僕の責任になる」と。

この「僕まで謝らなければならなくなる。僕の責任になる」が、私と、たぶん父の心も動かしたキーです。父は次の免許の更新をしませんでした。

仕事で膝を痛めていて、歩くのを嫌がった親父にとって、車を手放すことは行動半径の激減を意味し、とても淋しいことだったはずです。


@ BSなどから映画をたくさん録画しても、観るのはラブコメみたいなライトなものが中心です。シリアスなものは家の中の雰囲気が重くなりますので、観る時を選択しています。

しかしTV・CMは選択の余地なく飛びこんできますから(言葉は適当ではありませんが、ある意味「押し売り」的に)、受け取る方としては、CMがあまりシリアスだと困ります。ものによってはテーマが家族間に波紋を広げることもあるでしょうし。

ところで、昔のVHS時代のTV・CMがまだ録画保存されていたら一度観てください。CMのアナウンサーが、まるで「NHKニュースのアナウンサーみたいに文語的表現」をしています。

今のCMみたいに「バラエティー番組のトークみたいな口語的・映画的表現」になったのは、いつからだったでしょうか。


@ 「他人の中に自分と同じものを観る不快感」

西洋の大統領と東洋の将軍様が、にらみ合いを続けています。マスコミには「二人は似た者同士」だとの揶揄も。

また大統領は「人種差別を容認する」かの様な発言もし、さらに東洋の将軍様は「大統領の子どもの様な年齢」なのです。

感情がもつれて、不足の事態にならないことを祈るばかりです。


@ @「自殺したいほどの自己嫌悪」

A「他人の中に自分と同じものを観る不快感」


一年ほど前、ある大量殺人事件が起きました。

@犯行の何年も前から加害者は人生につまずいていました。就職なども上手くいかず、自分は世の役に立たない、認知されない人間だと、自己嫌悪になっていました。

Aそんな加害者はたまたま仕事で知った障害者を思いだし、「彼らの中に自分を投影した」のです。介護の仕事から受けた苦労も、不幸なことに彼の信念の裏打ちになりました。加害者は自殺したい衝動をすべて障害者に向けました。そこで事件が起こったのです。

加害者の中でそれは婉曲的な自殺でもあったのかもしれず、悪態は自己嫌悪をしている自分自身に向けて発せられているのかもしれません。もちろん普通の人はそんな事はしません。一線を越えてしまった点で、加害者には病的なものもあったのかもしれません。

自殺を人生の選択肢にはしないでください。留まれなければ逃げれば良いのです。私もそうやって生きてきました。(抜粋再掲)


@ 映画「ヒッチャー」と「コラテラル」。ここには「婉曲的な自殺」が描かれていました。世に「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、讃美歌にでも浄化されたい気分になります。


(2017.8.16)

@ ふと「あれ書こう」と思っても、1分後には「あれ、なんだっけ…」となります。

単語だけメモ用紙に書いても、5件に1件は後で読んでも意味が分かりません。

そんな過ちを何回も繰り返しています。


@ ジャズギターのアルバムを聴いていたら、吉岡 里帆さんの(少しだけ鼻にかった)声に似ていると思いました。あの「フルアコースティック」や、「セミアコースティック」ギターの奏でる音色は。


@ グアムは、日本を初めとする東アジアではメジャーですが、それ以外から眺めると、マイナーで辺ぴな、隠れ家的観光地の一つだったのかもしれません。

それが北朝鮮問題で世界中に名を知らしめたのです。トランプさんが言うように、10倍はともかく宣伝効果はあったのかもしれません。ただし北問題が解決すればの話ですが。


@ 「茶色(お茶の色)」は、なぜ「グリーン」では無いのかと、アイスティーを入れながらふと思いました。

あっ、そうか、入れた直後はグリーンでも、「時間が経つと確かにブラウン」に。


@ 暑いのか、涼しいのか分からないお盆明けの今日、ラジオから流れてくる「竹田の子守唄」が妙に沁みました。


@ 私のレビューは、映画「ヒッチャー」のレビューみたいに「考えた結論のみ」を書くことが多かったですが、この頃は映画「日本のいちばん長い日」みたいに、「考えながら書いていく」ことが多くなりました。歳を重ねると、どうしても、その方が楽ですから。

それに、もともと私のレビューは、マイページにも書いてあるように、「独りよがりな主題探しの打ち明け話」なので、とりとめのない呟きのようなものなのです。


@ 税金の差押えをする時、滞納者から「ひとでなし」と罵声を浴びせられても役人が立っていられるのは、法律に基づき正義を行っているという信念もありますが、それよりも真面目な大多数の納税者が味方になってくれている、と思うからです。(2017.3.8の再掲)


@ 運転免許証で、高齢者の認知症検査の枠が広がり、たくさんのお医者さんが検査医に指定されますが、そんな彼らの中は、認知症患者から「ひとでなし」と思われるのを恐れている人もいるようです。でも、事故を起こしたら悲しむであろう認知症患者の家族や、被害者になるであろう罪のない国民は理解を示し、きっと味方になってくれます。貴方はそこに立っていられるのです。(2017.3.8の再掲)


(2017.8.15)

@ 夏休み後の子どもの自殺者が多いそうです。ニュースでは「イジメ」再開の心配もしていました。

でも、「自殺をしてはいけない」の声はあっても、「自殺も悪である」との教育や啓発活動はあまり聞きません。「死者に鞭打つことになりかねない」から避けているのでしょうか。

しかし「イジメは悪である」「自殺も悪である」は車の両輪ではないでしょうか。

無事学校を卒業し、ブラックではない、人もうらやむような大企業・一流企業、官公庁の類へ入っても、古今東西まず間違いなく、イジメの一つや二つは存在するでしょう。その時にも「自殺しないで平然と生きられるように教育すること」。これは必要なことだと思います。


@ 伊豆大島が1986年(昭和61年)に噴火した翌年、私は一人旅でそこの温泉へ行きました。

旅先を探していた私の目に、朝日新聞の小さなコラム、「火山の地は人々を活性化させる」という趣旨の話が目にとまったからです。火山とはパワースポットの一つなのでしょう。地球エネルギーが噴出しているという。記憶ちがいでなければ、そんな話も書いてありました。

先ほどのラジオのDJさんが、「山梨県の健康寿命日本一」と話していました。その理由についてあれこれ言われていますが、私が最初に感じた事は「富士山もあるしなぁ…」というものでした。


@ ある男性ゴルファーが惜しくも優勝を逃しました。青木功さんがやさしくコメントをされていましたが、その中に「観客を味方につけるように…」との言葉がありました。

私は、それを「アウェーとホーム」のような違いだと理解しました。

観客から浴びるのエネルギーの陰陽が明らかに勝負に影響を与えるのでしょう。そして華のある選手や、人気選手の方が、たくさんの陽を受けることが出来る。もしそうだとしたら、いかにも青木さんらしい言葉でした。


@ 「 似合わぬことは 無理をせず 」

( 「時代おくれ」 作詞・阿久悠 作曲・森田公一 歌・川島英五 より抜粋 )


(2017.8.14)

@ 幼いころ伊勢湾台風を経験しました。TVが存在していたのかどうかは分かりませんが、わが家には無く、それどころか真空管ラジオすら無かったような気がします。有ったとしても停電で使い物にはならなかったでしょうが。

そんな中やって来た伊勢湾台風。親父は窓の前に椅子を置き、それに一人座って腕を組み、暴風の空を見あげていました。

薄暗い部屋での、その異様なシルエットを良く覚えています。親父は無学な職人でした。それでも一家を守るために自己責任で台風の状況を判断するしかなかったのです。


@ SNSが無かった昔、不安の爆発からか、ブラックマンデーが起こりました。

今、ラジオ・ニュースによると、「SNSを使う人は、災害時の避難が遅れる傾向がある」そうです。


(2017.8.13)

@ 「 目立たぬように はしゃがぬように 」

( 「時代おくれ」 作詞・阿久悠 作曲・森田公一 歌・川島英五 より抜粋 )


@ 「 … 葉加瀬は『何も鳴っていないときに作用するのが音楽の仕事』と語る。コンサートで熱狂したとしても、劇場を出れば『ご飯でも食べる?』と、すっと冷める。でも、その夜や数日後、場面とともに、メロディーや感覚をふと思いだす。あのとき、あそこで鳴っていた、あの曲、何十年も残る音楽の記憶がある。… 」

( 朝日新聞2017.8.10夕刊 「都ものがたり 京都 葉加瀬太郎 青春を過ごした喫茶店・『自分の音楽とは』顧みる原点」 より抜粋 )

追記 ( 借景への想い )

その夕刊の記事に載っていたお店の写真がまた魅力的なのです。京都・中央区にある喫茶店「築地」さんです。まだ行ったことはありませんが、コーヒーブラウンと赤で統一された店内が、いかにも「コーヒー専門店」を感じさせて、うっとりさせます。

実は、わが家にあるオーディオのスピーカーは、失礼ながら、そんなお店で鳴らすのが夢なのです。と言いますか、そんなお店に行って、ぐうぜんわが家のようなスピーカーが鎮座して静かに音楽を流しているのに遭遇するのが夢なのです。

きっと、私はそこの常連になることでしょう。

あっ、もちろんこれは夢を楽しんでいるだけですから、自分でお店を持つつもりもありませんし、スピーカーを貸し出すつもりもありません。そんな高級品でもありませんし。


(2017.8.12)

昔、井上陽水さんの自動車CMで「くうねるあそぶ」というセリフがありました。

つまり「食う、寝る、遊ぶ」ですね。

私もそうですが、仕事をリタイアしたら、しばらくはジタバタします。でも、やがて悟りを得て、そんな生活になるのが自然のような気がしてくるのです。

でもこれ、「遊ぶ」を「散歩する」に置き換えたら、まるで「犬の生活」ですね。お犬様は、毎日毎日、あの単調生活で良く退屈しないものだと思っていましたが、いざ自分の番になると、これがけっこう幸せ生活なのです。

そしてそれは、意外にも野生動物(「ほろ穴生活」時代の人間も含めて)の生態に似ているようです。

朝起きたら、すきっ腹で、獲物探しをする。→カラスと猫をにらみながら、体操がてら公園を散歩する。

空腹でダウンしそうな頃、やっと獲物を見つけて、食べる。→やっとランチタイムだ。

満腹になったらお昼寝する。→ もちろん、心地よい疲労感で、お昼寝。。。

夕方目が覚めたら今いちど縄張りをパトロールしてみる。→3時ぐらいになったら喫茶店にでも出かけ、新聞でもめくってみる。

そうやって、きょうも野生な一日は暮れていくのです。


(2017.8.11)

@ 気絶しそうになった事は何度もあります。出来た当時、初めてディズニーランドへ行って、何とかというジェットコースターに乗った時は、ほんとうに気が遠くなりかけました。

日常にもあります。最近は治ったようですが、若いころから、ときどき瞬断みたいに気を失いそうになるのです。まったく苦しくありません。むしろ眠りに落ちる瞬間のような安らかな気分です。

0.5秒程度でしょうか。そして体が崩れ落ちそうになる瞬間、元に戻って「おっと!」と立ち直るのです。貧血の一種かもしれませんが、大事でもないし、病院にはいきませんでしたので分かりません。

でも、何回も経験する内に「死ぬ瞬間はきっとこうなのだろうな…」などと思うようになりました。だから、やがて年老いて、お迎えが来たときも心配はいらないなと。

知人に、喘息か何かで時々発作を起こして気を失いそうになる人がいて、これを話したことがあります。一家言持ったような年配の人です。

そうしたら、彼も同じ気持ちでした。


@ 2〜3日前、夜寝る前に窓から外を見たら、満月がとてもきれいでした。ウサギさんももちろん元気でした。

でも次の瞬間には、いつものことですが、月までの38万キロが見渡せていることに驚きと快感を覚えるのです。そして、そこに広がる広大な空間にも。

河口湖へ行って露天風呂から富士山を見たときもそうでした。しばし絵に描いたような霊峰富士に感動した後は、富士山までとその周辺の広大なスペースを見渡せていることが胸にしみるのです。

先日、台風一過の公園で体操をしていた時は、青い空に白い雲が見えました。そのとき高いところにある雲はほとんど動かないのに、低い雲は高速で流れているのです。地上の私には、二つの雲と青空が見えます。そして、その広々とした空間に心安らぐのです。


(2017.8.10)

ヨガの世界の話でもありますが、人間の体には7つのチャクラ(エネルギーセンター)がありまして、その中の第4チャクラが胸の中央にあります。

第4チャクラは「愛・ハート」のチャクラと言われており、喜怒哀楽が脳ではなく、胸に感じたりするのはそのためです。重くなったり、きゅんとしたり


さらに両手のひらの中央には「労宮」(気功での呼び名)という「気」が出入りするツボがあります。気功師はそこから「気」を出して人を癒します。

私は一定の条件下で、手のひらから「煙のように立ち上る、あるときはビームのように直進する『気』」を目視できます。最初に気づいたときの逃げだしたいほどの畏怖が、私が気功を始めたきっかけです。ネットを見ての個人的感触では、「気」を目視できる人の割合は、もしかしたらLGBTの人と同じぐらいかもしれません。ただ実験する人が少ないため、気づいていないだけだと思います。

話がそれましたが、「ハートのチャクラの前で労宮のある手のひらを合わせる(「気」を閉じる)行為」と、「敬虔な合掌」とが重なるのは、直感的に無関係ではないような気がします。


(2017.8.9)

@ 先日から不調でしたが、とうとうキーボードの交換時期が来たようです。

何を買うか悩みました。在職中の私はプロ用キーボード(画像で見ると「東プレRealforce108US」だと思います。)を何年か使っていました。あのクオリティーは素晴らしかったですが、値段はともかく、フルサイズのために私の自宅ではちょっと大きいのです。使い慣れていて新鮮味がないという贅沢もあります。

希望としては「10キー付でコンパクトサイズ、キータッチもまあ満足でき、色も黒一色ではなくカラフル」な物。

最近までは「サンワサプライ SKB-SL08Y」を使っていました。外周のビタミンカラー(黄色)にずいぶん慰められました。しかし、もう生産完了品のようですね。新製品は規格が少し違うみたいですが、近所のお店にはありませんでした。

お店でいろいろ触ってみましたが(ある意味ミリタリー仕様のゲームキーボードも)、いずれも帯に短し襷に長しでした。

そのなかで選択したのが、激安有線キーボード「エレコム TK-FCM085BK」です。希望を100%満足したわけではありませんが、プロ用の1/20の値段でコスパは高いと思うので、しばらく使ってみようと思います。

一日使った感触では、ノートパソコンみたいにキーストロークがもう少し浅い方が私には良いみたいです。指が少々短めなので。機種選びにもう少し夢が見られます。

追記

二日目になると、より馴染んできたようです。「黄金の中庸」と言いますか、「コスパ最高」を再確認しました。


@ 何年か前、ある有名な男性ニュースキャスターの方がガンの手術を受けましたが、まもなく亡くなりました。週刊誌などでは、「あの手術はやってはいけない」の声が踊っていました。

最近、ある有名な役者さんの奥様がガンの手術を受けず、その他の治療法に頼って亡くなりました。週刊誌などからは「手術をすべきだった」との声が聴こえてきました。


@ ガンになった時、積極的に治療するのか、放置するのか。切るのか、切らないのか。それは悩ましい問題です。私の知人は放置を選択して、サラリーマンとして仕事を続け、最後だけ少し入院して亡くなりました。

今日のニュースには「がんの生存率 188病院公表」が載っていました。

これが発表されると、患者は生存率の高い病院を選択すると思われるので、病院は生存率を上げるために努力するでしょう。

そうすると、植物人間は増加しても、QOLへの努力が放置される懸念があるのではないでしょうか。


(2017.8.8)

@ 朝日新聞8/2夕刊・1面に、ハガキ大の写真入りで「広がるシルバーヨガ」が紹介されていました。「若い女性だけでなく、最近はお年寄りにも広がっている」として好意的に。

以前にも書いた事ですが、大まかに言えば、気功の「気」を、ヨガでは「プラーナ」と呼んでいます。太極拳ではそのまま「気」と呼んでいます。ですから、この三者は兄弟のようなものなのです。それに合気道もそうです。

私が買った太極拳の教本には、最初に数分間立禅をして全身に「気」をまとってから、その「気」を身につけたまま、ゆっくり体操する様子が書かれています。


@ どなたかの鶴の一声で、わが町の直前、台風は北へ向きを変え行ってしまいました。おかげさまで大事にならずにすみました。風も雨も大したことありませんでした(進行方向にお住いの方、すみません)。

ところで、気象庁・予報官(役者)が出てくる20年近く前のTVドラマの再放送を観ていますが、劇中の予報官が言うのです。「皆、天気が良いとか、悪いとか言うけれど、晴れとか、雨とかの違いはあっても、天気に良い悪いはありません。」と。

天気についてポエミーな作品なので、そうなるのでしょう。でも、それを承知で異見を申せば、ご承知のように近年では「気象病」と言って実際に体調不良になる方もいることが分かってきました。

気温・気圧・湿度の急変が影響しているようです。私もジョギングで膝を痛めた20代の頃、まるで神経痛になったように雨が近くなると痛みだしました(検査をしましたが、神経痛ではありませんでした)。

また、気功でも「雷と嵐の時は気功をしてはならない」と言われています。文字通り「天気が悪い」からです。私はそれ以外の普通の小雨の日なら室内ですることがありますが、ネットを見ますと、敏感な方なのでしょうか、それでも体調が悪くなったという人もいるようです。

昨日は台風の前に散歩をと思って家を出たら、途中で雨に振られてびしょ濡れになってしまいました(夏の雨はシャワーのように快適でしたが)。今日はじきに雨がやみそうですので、昨日の分まで体操して来ようと思います。


(2017.8.7)

@ LPからCDの時代になった時、「オーディオは終わった」と予言する人もいました。「デジタルだから音はみな同じになる」と主張して。

しかし現実にはCDでも音色は違いました。

@その理由はデジタル製品にも「アナログ回路があるから」です。

Aそしてデジタルデータの完全伝送はけっこう困難であり、CDから取りだすとき発生する情報の欠落を「疑似信号」で埋めているからです。CDプレーヤーの開発技術者はその回路を競っています。


@ 「核兵器禁止条約」が国連会議で採択されました。

国連加盟国中の122カ国が賛成して。

しかし日本政府は「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」としてボイコット。

そのときのニュース映像を見ると、日本政府席と思われる空席のデスク上には、「折り鶴」が一羽置いてありました。

誰が置いた物なのかは分かりませんが、仮に政府の役人が置いたものならば、「政府は一番大切なものを守る事を忘れていません。」というメッセージが聴こえたような気がしました。


(2017.8.6)

@ 「 フェイスブックが開発したAI(人工知能)が人間には理解できない独自の言語で会話をはじめ、同社はこのプロジェクトを緊急停止させた。

7月下旬、フェイスブックのAI研究チーム(FAIR:Facebook AI Research Lab)はチャットボット同士が、人間の指示を受けずに会話を行っていることを突き止めた。この事実は人類の想像を上回る偉業とも言えるが、同時にAIが恐ろしいほどのポテンシャルを持っていることを示している。」

( 人工知能が勝手に「独自の言語で話す」恐るべき時代の到来 フォーブス ジャパン 2017年08月06日 16:00より抜粋 )


@ 「ハウリング」というものがあります。スピーカーから出た音がマイクに入って循環し「キーン」と鳴る現象です。

でも「キーン」と鳴らなくとも、マイクが無くとも、スピーカーから出た音は入力信号を濁らせています。

スピーカーから出た音は、たとえばミニコンポのボディを振動させ、その振動は内部のプリント基板などに伝わります。さらにプリント基板からトランジスタなどの部品に伝わります。すると振動エネルギーが電気エネルギーに影響を与えてしまうのです。

そして音が濁る。

これを止めるためには、各部を重くガチガチに固める必要があり、コスパを考えるとあまり現実的ではありません。

そこでメーカーさんは、振動を不可避なものとして認知し、積極的に取り入れた音作りをしているのです。つまり写実ではなく絵画であり、それも立派なアート。技術者にも芸術的感性が求められるので、日本よりも欧米の方が得意な分野です。

オーディオ製品の上部に物を置くと音が変わります(たいてい締まる・クリアーになる・粗が出る)。しかし重ねて使うように設計された物でない以上、それはメーカーの意図した音色ではありません。

ボディにある「ネジの締め付けトルク」の違いでも振動モードが変化するため、メーカーはユーザーが裏ブタ開けることさえ嫌がるのです。いったん開けたら、素人が閉めても同じ音には戻らないと言われています。トルクによる音の違いは、スピーカーの取り付けネジでは顕著に現れます。


@ 「日本一やかましい祭り」と言われる三重県桑名市の「桑名石取祭の祭車行事」は、「国指定重要無形民俗文化財」とユネスコの「無形文化遺産」です。

そのニュースを見て、「ほんらい祭りとはやかましいものだ」と再確認しました。もし彼らのところへ行って「やかましい」と言ったら、きっと笑顔で「ありがとう」と言われそうな気がします。「やめろ」と言えば、「日本が世界に誇る伝統文化をなんと心得る」と説教されそうな気も。

ならば、その他大勢の祭りが、なぜ息をひそめて行わなければならないのか。たとえばイヤホンをしての無音盆踊りもあるそうですが、いかがなものでしょう。私の周囲の祭りでも、昔より音に神経質になっている様子が伺えます。


@ 穴場のような洒落た中堅レストランがあります。何回も通いました。不便な場所にもかかわらず、奥様方を中心にランチタイムは満員でした。

ところが先日、一年ぶりぐらいでランチに行ったら閑散としていたのです。厨房にも緊張感がありません。

このレストランは「@基本メニュー+A追加メニュー」でなりたっています。

ところが従来は@だけで満足できたのです。Aはコスパが良くありません。だからお客さんの多くは@だけ頼みました。

でも、それではお店が困るはず。お店は徐々に@の質を落とし、お客さんをAへ誘導しようとした気配あります。

しかし@の質の低下がレッドラインを越えたとき(コスパが悪いと実感された時)、お客さんは逃げてしまったのでしょう。この上、従来からコスパが悪いと思われていたAなど、追加注文する人は少なかったのです。

@だけでも1,500円以上します。普通の食堂で1,500円以上出せば、肉も野菜も、美味しい料理が、お腹いっぱい食べられますからね。


@ あいかわらずキーボードが不調です。気温や湿度によってか、体調みたいに具合が変化するので、治ったかなと思っても翌日は違い、落胆します。先日から2〜3回PCショップへ出かけて物色していますが、なかなか気にいったものがありません。

私の希望はノートPC程度の大きさで(もちろん10キー付)、キータッチがフィットするものです。でも、わざわざ買い替えなくともノートPCがあるからでしょう。ニーズが少ないようで、実際、商品もあまりありません。

さらに、キー・ストロークの大きいものか、小さいものか…。従来の私にはストロークの小さいものが打ちやすかったのですが、痛めた指には大きいものの方が衝撃が少なく快適のような気もするのです。

それに最近知ったのですが、ゲーム用のキーボードは事務用のものよりも性能が良いらしいのですね。バトル用(ある意味ミリタリー規格)だからです。私は格下に見ていましたが、誤解だったのかもしれません。一度見てこようかと思います。


(2017.8.5)

@ 以前、まだ寒い早春に、「毎日7時間、週5日、3か月間」のアルバイト依頼がありました。

リタイアしてすっかり伸びきっている私としては、働きたい気持ちもありましたが、体力・気力的に耐えられる自信がありませんでしたので、泣く泣くお断りしました。寒い折、途中でダウンしたらかえってご迷惑をおかけしますからね(案の定その早春は、近年にないほど不調でした)。

今の私は「毎日7時間、週5日」の条件なら、せいぜい「2週間が限度」です。一日7時間以上も働くという事を何十年も続けてきたのが信じられない気分なのです。

もし「3か月間」にこだわるのなら「毎日半ドン」、「7時間なら週2〜3日」にして欲しいと思いました。

もっと言うなら、気分の良い時に、ふらっと集合場所にでかけたら、半日、あるいは一日なにかしらの仕事をさせてくれ、帰りには日銭がもらえる、という御気楽生活がよいですね。お叱りを受けるのを承知で書いてみました。

追記

私が在職中、とくに仕事で悩んでいた頃、上記のような「おきらくな」書き込みを見ると、「逃げだしたいほどの嫌悪感と苦しみ」がわきました。だから、同じように感じる人が今いるかもしれないことが容易に想像できます。しかし前述したとおり私もその苦悩のトンネルを長年耐えて抜けてきたのです。ご容赦下さい。


@ 去年の秋、天皇皇后両陛下が長野県の昼神温泉に御出でになりました。偶然ですが、私も行ったことがあります。鄙びた静かなところです。

山の間を清流が流れており、桜と花桃が植えてあります。宿は川にそって並んでいますので、春には眺めが素晴らしいそうです(私が行ったのは冬でした)。

宿のロビー売店には、りんごジュースが置いてあり、そこで初めて産地である事を知りました。朝のバイキングでは「特産のりんごジュース」と「冷たいミルク」を半分づつブレンドて飲みました。ほんのり甘くて美味しい思い出になりました


(2017.8.3)

私はPCのセットアップが大の苦手です。最初に買ったのは20年ほど前ですが、その時は途中から分からなくなってサービスセンターへTELし、やっとのことで完了しました。どっと疲れた一日でした。

子どもの頃からハンダごて片手にステレオアンプなどの自作をしていましたし、10キーも含めタッチタイピングもできるという変なプライドが、今や一般人の常識とも言えるPCのセットアップができない事を甘受できなかったのです。

でも、何台買いかえたのか忘れましたが、最近の2〜3台は、買うときにセットアップも業者さんに頼んでいます。自分でやると寿命が縮むと思います。もう降参しました。

これから、世は「なんでも、かんでも、A.I.」な時代になります。「A.I.でPCの自動セットアップ」が出来るようにして欲しいですね。かつてはMS-DOSの知識が必須だったのが、ウインドウズの誕生で「MS-DOSって何?」な人でも扱えるようになりました。それと同じような革新が起こればと思います。


(2017.8.2)

@ 今まで一流芸能人としてチヤホヤされていた人が、持ちあげられるまま異業種に入ったら、今度は仕事もままならず、周囲になじめず孤独も感じ、気がつけば癒しスポットへ…。

いけない行為に違いないけれど、リタイアしても、なかなか新しい世界へ順応できないおじさんには、ちょっと分かる気もする。


(2017.8.1)

@ かつて黒船が来て、強引に日本に開国を迫りました。

現代でも、あちこちに黒船はあり、あいかわらず開国をせまります。

かつての開国には良い面もあったことは否めませんが、「オレがオレが」と伝統や規則の変更を迫り、日本の「謙虚の美学」を尊重しない者には、「(強引で)失礼な奴」という感情がわいてくる事も否めないのです。

本当に魅力がある人ならば、本人が黙っていても、周囲(日本)がほかっておきません。


@ 人気TV番組「モヤモヤさまぁ〜ず2」の男性ナレーターが、ときどき変なイントネーションを挟みながら、人懐こい雰囲気でしゃべるのが好きでした。

それがコンピューターの「ショウ君」だと知ったのは、しばらくたってからです。

先日のNHK・夜7時のTVニュースでも、「ラジオ局がコンピューターの女子アナを採用した」と紹介していました。少し聴いたところでは、「ショウ君」よりもクールで、十分実用になる(快適に聴ける)レベルのようです。すでにファンもいるとか。

しかし、こんなニュースを人間様の女子アナさんに読ませるのは「アイハラ」(A.I.ハラスメント)です(私の造語)。女子アナさんは健気にも笑みをたたえて紹介していましたが。

それはともかく、今後もニュースをうやうやしく人間様が読み上げるとしたら、その理由は何なのでしょう。「CG画像+A.I.音声」ではなぜいけないのでしょう。それを改めて考えなければならないという、そんな残酷を突きつけられた話でした(私の考えは映画「日本のいちばん長い日」の追記Zに書きました)。

女子アナさんだけでなく、週刊誌などでは「A.I.時代に無くなる仕事一覧」みたいな特集があったりして、明日は我が身なのですが。

追記

シンクロニシティでしょうか。先ほどラジオでも偶然にこの話題を話していました。TVよりもはるかに本音トークが多い民放ラジオ局。その人気DJの彼女は、「なんでも、かんでも、A.I.… 」と憤慨していました。座布団をさしあげます。人間様の証に。


(2017.7.29)

激安ノートパソコンを使ってますが、キーボードがペナペナで使い物になりませんので、気にいった別売りのものを乗っけてタイピングしています。ノートパソコンよりも横幅が一センチ大きいだけなので違和感なく使えていました。

先日、そのキーボードの「N」が入力できなくてエアダスターした話をしましたが、すぐに、またおかしくなりました。それどころか、複数の他のボタンも…。

このキーボードは何年使ったのでしょう。毎日のように使って、少なくとも15年、いや、それ以上になりそうです。そろそろ替え時かもしれません。表面の文がはげたボタンもありますし。


(2017.7.28)

@ ゴジラの次回作は「堤防」だ。

1,000年に一度ではない。数年に一度は日本に上陸するゴジラを防ぐために、巨大で頑丈な堤防を作り、日本を囲む話だ。

「海が見えない!」。

「人命と景色、どっちが大切なんだ!」。

そんなセリフも入れてみよう。

もしアメリカが作るなら、ワイキキに堤防を作る話も良い。


@「北朝鮮のICBM」と「米国の苦悩」の昨今、中にいる日本が「日報」問題で騒いでいる姿は、もしかしたら手塚治虫さんの漫画に登場する「ヒョウタンツギ」になっている可能性がある。


(2017.7.27)

@ わが家にまだろくなステレオが無かった頃、友人宅には立派な三点セパレートステレオが鎮座していました。そこでよくEPレコードを聴かせてもらったのですが、「瀬戸の花嫁」いや、「はしだのりひことクライマックス」の「花嫁」の甘い音が忘れられません。

オーディオで「甘い音」と言うと、一般に「ピントがボケた音」「ソフトな音」を指しますが、この場合はほんとうに「砂糖の甘さ」を感じる音だったのです。何十年たった今でもその秘密は分かりませんが、そんな甘い音で聴いた「花嫁」は青春の味でした。

もちろん「瀬戸の花嫁」も好きな歌でしたよ。平尾昌晃さんに合掌。


@ 若いころの話です。先輩が、「この仕事をしてると人間不信になる」と、半ば本気で悩んでいました。ときどき夜も眠れないようでした。お客さんの多くが約束を守ってくれなかったからです。しかし同じ仕事をしていましたが、私はまったく意に介しませんでした。「世の中そんなもの」だと思っていたからです。

先日、新聞で「デンマークの親は子どもを褒めない 世界一幸せな国が実践する『折れない』子どもの育て方」 〔 ジェシカ・ジョエル・アレキサンダー (著) 鹿田 昌美 (翻訳) (新書企画室単行本) 〕の広告を見て、「やっぱりそうなんだ!」と思いました。

子どもの頃、私の両親は、毎日私のアラ探しはしても、褒めることなど、まずありませんでした。

私は才能もなく小心な凡人です。それでもなんとか生きてこられた理由の一つには、「世の中そんなもの」だと両親が教えてくれたからでしょう。

その気持ちが、あの本の広告を見て裏打ちされたような気がするのです。


@ パラリンピックの選手と彼らには、どんな違いがあるのだろう。 


(2017.7.25)

@ アーチェリーで弓を引くとき、中級者までの人(大多数)は、大なり小なりブレーキとアクセル同時に踏んでいます。

選手の弓はオモチャではないのでバネが強力です(「重い弓」と言う)。普通の女子高生が使うものでも、アスレチックで腕力自慢の大の男が一度も引けないのを目撃したこともあるぐらいに。

そんなものを引くときは無意識に恐怖心が起こり、初心者は頭が真っ白になります。だからブレーキとアクセルを同時に踏んでしまう。つまり余分な筋肉まで硬直させてしまうのです。するといっそうバネが強力になったように感じ、ますます引けなくなる。当然当たりにくいし、疲労しやすいだけでなく、筋肉を壊すこともあります。

「余分な力を抜け」と何回言われても、簡単にはできません。

練習を重ね、ようやくその域を脱し、まるで幽体離脱したように、斜め頭上に浮かんで自分自身の全身を俯瞰して、重心はどこにあるのか、全身のどの筋肉に力が入り、どれが抜けているのか…そんな観察がクールにできるようになると一歩上達するのですが。


(2017.7.23)

@ ある新築映画館のロビー。私には逃げだしたいほどの違和感があります。しかし、それをどのように言語化したら良いものか。たとえば映画「ポセイドン・アドベンチャー」に出てきた、「ひっくり返った船内みたいな感じ」を受けます。

今日、新聞を観て膝を打ちました(朝日新聞、13面)。まさしく、こんな感じだったのです。

「やせる部屋」( ダイエットアドバイザー 清水理恵 著 )の広告に キッチンの写真が載っており、「 蛇口の向きを、コンロとは逆方向に変えるだけで、ストレスが消え、暴飲暴食がなくなる 」との説明があります。

あのロビーの、インテリア配置の微妙な違和感も、同様の「ストレス」を私に与えていたのかもしれません。人様から認知してもらえたような気がしてホッとしました。


(2017.7.20)

@ いわゆる公文書の廃棄では、文書ごとに最低限保存しなければならない期間が定められており、それを「保存年限」と言います。「廃棄期限」「廃棄命令」など、逆の概念は通常ありません。


(2017.7.18)

熱中症予防、真夏に本気でスポーツするときのお気に入りは、「ソルティライチ」と「緑茶」 の二刀流。体に聞きながら交互に飲みます。


(2017.7.17)

@ 水の入ったペットボトルを枕元へ置き、夜中に目を覚ましたら、必ず飲むようにしています。今回はそれで助かりました。


@ 昨夜は熱中症になりかけました。食べすぎたのであまり水を飲まずに寝たからです。夜中に目覚めたら頭痛がして、あわててたくさん飲みました。今朝は何とか回復したみたいです。今日はお出かけしてきます。涼しいところでランチして、久しぶりに映画でも観るかもしれません。


「 セミの音に カラスも黙る 夏の丼かな 」。


(2017.7.15)

@ 「 知らないものを人は恐れる 」

映画「手紙」、私のレビューより。


(2017.7.13)

@ 2020年東京五輪で、メインスタジアムの建築予算が当初の予定よりもかなり膨らんで問題になったことがありました。

あの時、ある偉いお方が、「日本の国力から言えばこれぐらいは当然!」(表現は正確ではありませんが、概ねこんな趣旨)の発言をされました。

それに対し、世論の大勢は呆れ顔の反応を示したのを覚えています。でも先日ふと思ったのです。あのお方が言うところの「国力」とは何だったのかと。

もしかしたら、「黙っていたらどんどん予算が減らされてしまう。歴史的なチープ五輪にでもされたら、天皇陛下に申し訳が立たない」と思っていたのではないかと。


(2017.7.12)

@ 映画「フィッシュストーリー」で「逆鱗」が歌った「FISH STORY」と、Juice=Juiceの「地団駄ダンス」は、どっちが刺さるか。


@ バブルのころ、わが町にも「回転展望レストラン」なるものがありました。私は妙にあれが好きでした。消えゆく運命だと言う人もいるようですが、展望レストランが他に出来ようとも、回転しなければ敵ではありません。

遠くからビルの屋上にあるそれを眺めても動いているようには見えません。しかしレストランに入ると…中央部の床と、外周との境目が少しづつズレていくのが分かります。客席はドーナツ状になっています。

席につき、ぼんやり外を眺めてから、中央部(キッチンがある)を見ると景色が違います。驚いてしばらく眺め、ふたたび窓の外に目を戻すと、今度はさっきまで在ったビルがありません。

トイレに行ったりすると、帰りには席がなくなっています。

エレベーターの乗降口もすぐに消えてしまいます。

だいたい不動産と言って、動かないはずのビルが動いている不思議は何度行っても克服することが出来ません。

目眩がするような、あんなワンダーランドなレストラン。驚いている内に、お店まで消えてしまったのは残念なことです。


@ >やっと宇宙(深層世界)から地球(表層世界)へ帰還したはやぶさ君が、涙目の地球写真を送り、健気にも命令どおりのカプセルを発射し、あとは力尽き、流星となって燃え尽きてしまう姿が、沢山の人々の心を揺さぶったのは、これが、大なり小なり多数の人が抱えている内的宇宙の物語だったからだと思いました。その琴線に無意識のうちにアクセスしたからです。( 私のレビュー 映画「はやぶさ/HAYABUSA」 本文より )

映画を観なかった人も、きっとニュースなどで目に焼き付いていることでしょう。あの「任務を果たしバラバラになりながら燃えつきていく姿」を。

比較的大きな隕石が落ちるときも同じように見えることがあります。

もう20年近く前になるでしょうか。会社の帰り道、大都会のど真ん中、何かを感じて、ふと夜空を見上げると、同じ光が見えたのです。無音でした。

生まれて初めてです。あんなスゴイものを見たのは。

私はその場の地理地形、人生経験を思いだし、「あれは何だろう?」と考えましたが、「比較的大きな隕石」としか思えませんでした。

後に、ラジオ局の音楽番組にメール(いわゆる「お便り」)を出すことを趣味にしていた時期があり、何かのついでにそれも付記しました。でも読まれたメールからは「隕石」の話題はほとんどカットされていたのです。


(2017.7.11)

8日に広範囲で火の玉が目撃されましたね。これは内緒の話ですが、あれはストウハ型の空飛ぶ円盤で、きっと今ごろは、どっかのホテルの屋上などに留まっているに違いありません。回転展望レストランみたいな顔をして。


(2017.7.10)

ある歯医者さんの待合室に掛けてあった額を見たら・・・

「 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり 」( 若山牧水 )


(2017.7.9)

都会にあって公園は数少ないオアシス、たいせつな屋外公共スペースです。老若男女はそこへ、「わざわざ緑陰のきれいな空気を吸いに出かける」のです。

でもベンチに座り、「きれいな空気」に満足したおじさんの中には、喫煙を始める人もいます。もちろんベンチには灰皿などありません。

その煙は、風下ならば数十メーター離れても臭います。風上に避難すれば良いと言うかもしれませんが、都会の公園は大抵そんなに大きくありませんし、そこに空きベンチがあるとも限らないのです。

「緑陰のきれいな空気が売りの公共スペース」なのに、タバコを吸わない人が我慢すべきなのでしょうか。


(2017.7.8)

先日、往年の人気TVドラマ「キイハンター」や、「TRICK」シリーズでおなじみの野際陽子さんが、お亡くなりになりました。遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。

私は前者の時は「クールそうなお姉さま」、後者の時は「おもしろい、おばさま」との印象をもち、楽しませていただきました。

先日の新聞か何かに、野際さんのプロフィールのようなものが書いてあり、その中の「座右の銘」のようなものに「期待しないこと」とか、あったような記憶です。

私はちょっと驚きました。実は私もそうだからです。日陰者の私なら当然かもしれませんが、大スターの彼女でさえそうなのかと意外でした。

私のはこれを含めて三つあります。勇気が無いので後二つを簡単には申せませんが、「紋次郎」を思い浮かべてもらえば文言はだいたい分かると思います。


(2017.7.7)

@ 「サラマンダー」はオスプレイで運んでほしい。

@ 世に「弓道」と「アーチェリー」があることは幸いです。

「弓道」では、日本一になってもオリンピックに出られず(種目がない)、試合でも「射形、射品、態度」などに問題があれば、たとえ「当たっても優勝できない」場合もあるようです。武道としての伝統を重んじる世界ですね。

一方「アーチェリー」では、初心者はたいていオリンピックを夢見て参戦します。ここでもマナー・ルールは大切で(安全のためにも)、品位のある方ばかりですが、誤解を恐れずに言えば「我流でも当たればOKな世界」なのです。それがオリンピック・レベルの選手なら、さっそく専門誌で「最新射形」として詳しく紹介され、世の注目を浴びます。ある意味「勝てば官軍」の世界なのです。

ときどき私は、「柔道」や「相撲」の明日に、「Judo」や「Sumo」も出来たらどうなるだろう、と夢想するのです。


追記

以下に「弓道」の「採点制」を転載しました。

「 採点制 
的中だけではなく、射形、射品、態度などを総合して審査員が採点する。全日本男子弓道選手権大会および全日本女子弓道選手権大会で行なわれている。」 ( ウィキペディア「弓道」の「競技方法」より抜粋 )


@ 「大相撲なつかしの名勝負」みたいな映像が、ニュースなどで時々流れますが、いわゆる「八百長問題」との整合性はどうなっているのでしょうか。

先日のニュースでは、勝負直後の土俵上で、二人の力士が「目くばせ」(そう見えた)をしていました。たんに「おつかれさま」の意味だったのかもしれませんが、スッキリしないまま古い映像を見ると、「八百長!?」と思ってしまいます。

むしろ「相撲は神事であり、スポーツではない」という考えも私は有りだと思います。「だから会社の人事みたいに、勝負は土俵ではない。会議室で決まるのだ」みたいなことも。


(2017.7.6)

少し前に、「本人にとっては悲劇だけれど、他人から見れば喜劇な事に、今陥っている」、みたいな話を書きました。そのことに、やっと出口が見えてきました。もう少し努力を続けます。


(2017.7.5)

「 モンゴル草原(中国だったかもしれないけれど)の村に太郎と花子が住んでいました。二人は恋人同士。でも横恋慕をする道男もいたのです。よくある三角関係。

そんなある日事件が起きました。宴会帰りに酔った道男が花子をレイプしたのです。花子は身籠ってしまいました。村の長老は太郎に言いました。『他人の子? そんなことは年月がたてば大した問題ではなくなる。すぐに花子と結婚しなさい』と。でも太郎は怒りと失望で一人村を出て行きました。花子を捨てて。

そして10年が経ちました。

都会で暮らしていた太郎は、一人あの村に戻って来たのです。

太郎は村の入り口で一人の少年に出会いました。とても素直な良い子で、太郎にもなつきました。太郎は少年の案内で村に入ります。

そして少年が花子の一人息子だったことを知るのです。花子はあの時から未婚の母として苦労しながら生きていました。

太郎は悔やみます。この少年とだったら親子になっても上手くやって行けたはず。どうして、あのとき花子と結婚しなかったのか。自分の器の小ささに自己嫌悪になりました。

そして改めて花子に求婚するのです。

でも花子は、太郎との再会を喜びつつも、最終的に別れの道を選択したのでした。」

その時の、彼女の気持ちの深いところは男の私には分かりません。でもきっとプライドもあったのだと思います。一番苦しい10年間を放置されたのですから。それに10年前なら子には何のストレスも加えず親子になれたでしょうが、今からでは、そうはいかないでしょうからね。

これは、私が若いころに観た映画のストーリー(正確ではありませんが概ねこんな話)。私にそんな彼女がいたわけではありませんが、将来も太郎と同じ轍は踏まないようにしようと思ったものです。

この映画タイトルは思いだせません。


(2017.7.3)

今日は7月3日だけれど、6月3日のつもりでTV番組表を見て「無い、無い」とつぶやき続け、7月3日だと気づくまでに12時間かかりました。

だから先生、認知症の検査で「今日は何月何日ですか?」などという、難しい質問をするのはやめてください。


(2017.7.2)

@ 海老蔵さんが喪中にディズニーランドに行ったらしく、不謹慎だと言われているようですね。私も喪中にAKBを観てましたから彼の心情が分かるような気がします。心のバランスを取るためには、そうしないではいられなかったのです。どうか静かに見守ってあげてください。

私は自分一人のメンタルを持てあましていましたが、老蔵さんは自分だけでなく子どもたちのメンタルも考えなくてはならないのです。喪中のディズニーランドであろうが、キャバレーだろうが、癒される場所に逃げ込んで下さい。

これに関連して言いますが、お通夜や、お葬式など、哀しみの中にいる家族に非難めいた言葉をかける親族がいます。「なかなか会う機会がないから」と、日ごろの不満を。たとえそれが正論であっても場をわきまえなければなりません。水に落ちた犬を叩いてどうするのですか。今は全力で慰める時です。もしどうしても言いたいことがあるなら、喪が明けて家族が落ち着きを取り戻してから話せば良いのです。


@ 生まれて初めてトカゲの取っ組み合いを見ました。ジェラシックパークみたいな。

なぜか、おもちゃのライエットショットガンも落ちてました。

今日はぶっそうな日曜日。


@ 梅雨時の今であれば、傘をさし、あまり自動車の通らない静かな道を散歩してみてください。

雨音との多彩さと、水流のおしゃべり、そのシンフォニー、

そして水たまりに出来る波紋の饗宴。

子どものころは「長靴で作った水たまりのコーヒー牛乳」だけでしたが。


(2017.7.1)

@ 私は子どもの頃から「マンガ雑誌内に点在するエッセイや編集後記」みたいな短文がすきでした。マンガ自体よりはるかに。先日、久しぶりに大人向けマンガ雑誌を見たら、短文が少なくなっていてがっかりですが。

その延長線上で新聞も好きになりました。新聞は毎朝でかけるまえに30分以上かけて読んでいました。

今から20年ぐらいの事、朝6時頃には届いていた新聞が、何かの理由で7時になっても届かなくなったのです。

しかたなく私は、早朝からネット・ニュースを見るようになり、それを機に、朝刊を読む習慣は崩れました。やがて晩酌とTVのため夕刊も読まなくなります。

リタイア後は、新聞はカフェへ持参して読むようになりました。たいてい数日遅れでまとめ読みです。しかし常連だったお店も廃業してしまい、今は別のお店に通っていますが、いきなり持ち込みをして「帰りに新聞泥棒」と疑われてもつまらないので持って行けません。つまり新聞の積読状態になっているのです。ときどき自宅でため息つきながら新聞をめくっています。これは私がものを知らない言いわけのつもりです。


@ 「ヒアリ」の時も「蟻」だと分かりませんでしたが、昨日のNHKニュースの始まりにも「ひふみん」とだけありました。私はAKBか何か、アイドルの話題かと思って待ち構えていたけれど、最後まで出てこずガッカリしました。それが「棋士の加藤一二三九段」の事だと悟るのに、それから一日かかりました。

NHKも「イスラム過激派組織『イスラム国』」を「過激派組織IS=イスラミックステート」と呼び変えたり、長い名前が得意なはずなのに、「ヒアリ」とか「ひふみん」とかは短すぎます。もしかしたら、これらを同一線上に論じてはいけないのかもしれませんが。


@ ハワイへ行ったとき、ワイキキあたりに美しい芝生のエリアがあったので、お弁当を買ってきて、座ってランチをしました。

思えば、子どもの頃からピクニックとかキャンプとか、バーベキューなどに憧れていましたが、両親にそんな洒落た趣味は無く、自分が大人になってからも、なぜか行けませんでした。

そんな夢の一片がハワイで叶ったのです。

そうしたら、お尻の辺りに「チカッ!」と何回も鋭い痛みが。周辺を見ると蟻がいました。日本のよりも一回り大きな強そうな奴です。

日本で蟻に噛まれた経験は無いので油断していましたが、ハワイのは凶暴です。でも後なんともなかったので「ヒアリ」では無かったみたい。今はどうなのでしょう。

ちなみにグアムでは「ムラサメモンガラ」みたいな奴に指を噛まれました。皮膚にゴマ粒大の歯が、いくつか、くい込んだまま残ってました。

追記

今、カフェで新聞を読んで来たら、「ヒアリ」は噛むのではなく「刺す」とのこと。ほかの蟻もたぶんそうなでしょうね。


(2017.6.30)

@ 私は花には詳しくありませんが、見間違いでなければ、その後の先生の浴衣の柄は、「藤」だったり「ハマナス」(たぶん)だったりします。

ここまでの話をして良いのかどうか分かりませんが、皇室の「お印」で言えば、「藤」は「貞明皇后」さまで、「ハマナス」は「皇太子徳仁親王妃雅子」さまです。そして先生の奥さま(香川京子さん)のイメージは、私には「皇后美智子」さまを連想させます。

ここに名前は出てきませんが、私は「香淳皇后」さまも敬愛申し上げておりました。ふくよかで優しそうな雰囲気をまとったお顔を、今でも懐かしく思い出します。

追記

ノラがいなくなり先生はアタフタしましたが、屋敷に入ってきた別の猫を、ノラの生まれ変わりだと信じて育てることにしました。あのとき「調和の霊感」が流れたような気がしますが、二匹の猫はノラだという記号だと思います。

さらに私は、少し大胆な仮説を立てようと思います。

「ノラはある人物の記号」でもあったのかもしれません。その人は、「 いつも先生の身近にいたはずなのに、映画には登場していおらず、癒し系のキャラをもち(猫は癒し系ですね)、いなくなって先生をひどく悲しませた人」です。

あえてお名前は申しません。ネコといっしょにしては大変失礼になりますから。しかし、先生をお慰めするにはぜひとも登場していただきたいお方なのです。黒澤監督は片手落ちではありませんでした。


( 映画「まあだだよ」を観て )


@ まだアンカを入れていない晩秋から初冬のころは、夜、冷たい布団に包まって温かくなるのを待ちます。「何秒間か筋肉に力を入れると発熱する」という話も聞いたことがあります。「一人おしくらまんじゅう」ですね。

色々試している内に、ふとした瞬間、「セラミックヒーターみたいに、布団の中に温風が噴出してくる」現象に気づきました。そうすると一気に温まります。極楽です。

最初は気のせいかなとも思いましたが、今はハッキリと認知しています。

あれは「体温で37℃弱に温められた、体内にある『気』の一部が吹きだした」のです。「一人エアコン」ですね。私には自由にON/OFFできませんが、ふと弛緩した瞬間に出てくるようです。「一人おしくらまんじゅう」とは対極です。

私は気功で下丹田に普通の人よりも多くの「気」を蓄えているので、そのせいもあるかもしれませんが、もし、忘れていなければ、今年の晩秋には観察してみてください。「冬休みの自由研究」には機が熟していませんが。


(2017.6.29)

@ 「家庭料理」なのに、フルコースにふくらまして、ドレスコードを議論している。


(2017.6.28)

@ 気功をすると最初は痩せるそうです。私もそうでした。特に邪気抜きの「スワイショウの1」が効果的。知らぬまに外から入り、個体化して蓄積されていた邪気が、気功をすることで排出されるからだと言われています。


@ 最近愛妻を亡くされたばかりの役者さんが、頻繁にブログ更新しているとしてニュースになっていました。ご本人は「 … 居ても立っても居られないとき、私はブログが1つの支えになっています。… お許しくださいね。… 」 ( 2017年6月27日 12時10分 シネマトゥデイより抜粋 )と話されているそうです。どうか理解してあげてください。


(2017.6.27)

昔は学校で夏休みの予定表を書かされました。一日24時間をどう過ごすかについて。皆は時計を描いて一時間ごとに予定を入れました。あの通り出来たのでしょうか。

定年になり会社をリタイアした人の中にも、毎日一時間単位で予定を作っている人がいると聞きました。

しかし私の拙い経験から言うと、「そこからの脱却」が第二の人生を幸せに生きる秘訣だと思います。


(2017.6.25)

言われなければ、その価値を知りませんでしたが、言われれば素人の私も、そうかもしれないと思います。「名古屋城は天守閣復元より先に、石垣の調査と保護が大切」という話。


(2017.6.22)

若いころ身内が病気になり、後の手術に多量の輸血が必要な状況になりました。会社へ行けば沢山の社員がいますので一度頼んでみようかと思いましたが、その時親族の一人から「待った!」がかかったのです。

「個人的に輸血を頼めば、借りを作ることになる。新人が借金までするのはやめた方が良い」と。たしかに「意地悪な上司・先輩がいたとして、そのうえ『血の借り』まで作ったら最悪」です。まだ学生気分が抜けていなかった私は、ふいに世の中の裏側を覗かされたような気がし、ガツンとショックを受けたのを覚えています。

私たちは、とりあえず皆で献血に行き「献血手帳」を作ることにしました。そうすれば優先的に輸血してもらえると当時は聞きましたし、公のシステムですので「個人的な因縁」は心配いりませんから(今は改正されているかもしれません)。

北朝鮮有事の際には、日本は米軍に助けを求めざるを得ませんが、その時はきっと「血の借り」を作る事になるのでしょう。いや、もう作ってしまったのかもしれませんが。

もしかしたら、それが「軍隊を持たないことの本質」なのかもしれません。


(2017.6.21)

「本人には悲劇でも、他人から見れば喜劇」みたいな話がありますね。今の私がそうかもしれません。

お披露目して笑っていただきたいのですが、まだお話しできる季節ではありません。

気分転換に映画にでも行きたいけど、雨が…。


(2017.6.20)

@ 「 平成29年6月18日
安倍晋三内閣総理大臣によるドナルド・トランプ米国大統領宛てメッセージ


親愛なるドナルドへ

6月17日、米海軍イージス艦「フィッツジェラルド」が、日本の領海内を航行中、フィリピン船籍の大型コンテナ船との衝突事案において、何名もの米海軍関係者が犠牲となられたとの報を受け、大きな悲しみに包まれています。

ここに、日本国政府及び日本国民を代表して、犠牲となられた方々に対し、心からの哀悼の意を表するとともに、負傷された方々にお見舞い申し上げます。

強固な日米同盟の下、我が国及び地域の平和と安定のために日々多大な貢献を果たされている米軍関係者の皆様に、改めて敬意を表します。我が国政府は、この困難な時に、米国に対し心からの連帯を表明するとともに、本件事故への対応において、いかなる協力も惜しみません。  

日米同盟は、日本及びアジア太平洋地域の平和と安定の礎であり、在日米軍関係者の皆様こそが、これを支える力です。ドナルドと引き続き緊密に協力し、日米同盟の絆を一層強固にするとともに、地域の平和と安定の確保のために共に協力していく決意です。

7月のG20サミットで、ドナルドと再会できることを楽しみにしています。

晋三

( 「首相官邸のホームページ」 新着情報・平成29年6月18日「安倍晋三内閣総理大臣によるドナルド・トランプ米国大統領宛てメッセージ」より転載 )


@ 「 … 衝突事故を受け、安倍晋三首相は18日、トランプ米大統領に『犠牲となられた方々に対し、心からの哀悼の意を表するとともに、負傷された方々にお見舞い申し上げます。本件事故への対応において、いかなる協力も惜しまない』とのメッセージを送った。… 」

( 「朝日新聞」2017.6.19朝 29面「イージス艦内 数人の遺体」より抜粋 )


@ 今日は午前中来客があり、今からまた人と会う約束もあります。むかし「リタイアして暇な人のマーフィーの法則」みたいな話を読みました。それによると、「それでも予定は重なるものである」とか。まさに真理だと感心しているところです。身だしなみもそこそこに、もうでかけます。


(2017.6.19)

@ 株を買うと分かりますが、たった一日でも値が上下します。じゃあ売って現金化しておけば安心だと言われるかもしれませんが、長年株をやっていると、案外「値動きの不安とスリルが生きがい」になっていたりするものです。つまり「株を持っていないと人生つまらない」と感じるのです。

ところで、韓国映画には「葛藤」というエッセンスが目立ちます。これは「同じ民族でありながら南北に分かれて対立している状況から発生したエネルギー」なのだと思います。彼らにはそれが人生のリアル。だから映画にも反映しています。

そして韓国は、無意識に「日本にも好き嫌いの葛藤を感じている」のかもしれません。

つまり彼らの中に「南北問題は二つある」のではないでしょうか。


@ 先日本屋さんで、20歳ぐらいの女性が、デアゴスティーニの「週刊ロビ2」を手に取り、穴の開くほど見つめていました。

まるでペットショップでの最終決断のようでもあり、私がオーディオ雑誌を立ち読みしている姿を観ているようでもありました。

そう言えば、何とかというTVドラマでも、一人暮らしの女性がロボットを飼っていましたね。彼女あれも観てたのかな。

グッドラックです。


@ 米国のイージス艦がフィリピン船籍のコンテナ船と衝突した事故ですが、7名もの死者を出し、船も沈没寸前という悲劇になりました。

あのイージス艦の任務は複数あると思いますが、「北朝鮮から日本を防衛するため」にも来てくれているはずです。たとえ交通事故死だったにせよ、遠い米国にいる御家族にとっては戦死同然の悲劇でしょうし、米国民にとっても胸の痛むことに違いありません。

それなのに日本のマスコミは、「捜査協力の壁」「北朝鮮への防衛力低下」など、「日本は迷惑してますけど!」的な報道が目立ちます。

またトランプさんは早々と「日本の協力に感謝します」みたいなコメントを出しましたが、日本の官邸の最高レベルからは「日本防衛のため、遠くから来てくださったのに、このような悲劇が起きてしまい、断腸の思いです。日本国民を代表してお悔やみ申し上げます」。みたいな声が聞こえてこないのはなぜでしょうか。私がニュースを良く見ていないせいかもしれませんが。


@ 性格や学歴といったバックボーンが違う、無数の老若男女と、初対面から込み入った話をして、相手様に納得してもらうだけでなく、良い気分で帰っていただくのは簡単なことではありません。

ましてや電話だと、電話機を通じて音質劣化した声しか分からない。難易度はさらに上がります。思いだせば、私も新人の頃は、否応なくかかってくる電話の、相手の話を理解することが難しかった。

職人だった晩年の父は、足腰が悪くなったせいもあり、家で一日中TVを観ていましたが、ラジオはまったく聴きませんでした。TVをつけっぱなしで寝ることも多くなったので、「たまにはラジオにしたら?」と持ってきても使いません。少なくともあの頃から「ラジオの話し声が理解できなくなっていた」のだと思います。

老人になり、軽度の認知症を患ったりすると、「一方的に話しかけてくるラジオの言葉は理解できにくい」のではないでしょうか。これがTVだと画を見ているだけでも楽しめますが。

ですから私などが、若い頃から電話や接客でわけの分からない話を聴いたり、日常的にラジオを楽しんだりするのは(ときにはラジオの話を楽しみながら、ブログを書いているのは)、いわゆる「脳トレ」になっているのではないでしょうか。


(2017.6.18)

@ しかし何十年間も、毎日見知らぬ人と、電話で、対面で話し続けたのです。ときにトラブルも挟みながら、一件ごとに内容が違う、わけの分からないような、絡まった話を。

その結果どうなったかと言うと、何十年間もそれをしなかった人たちに比べて、あきらかに人見知りしなくなりました。もっと正確に言えば、必要ならいつでもスイッチONにできるようになったのです。

( 映画「アマデウス」〈ディレクターズ・カット〉を観て。)


@ 昨日のNHK「ブラタモリ」では、名古屋市の熱田神宮・南端にある「七里の渡し」を紹介していました(地元では「宮の渡し」と呼んでいます。)。東海道はここから三重県の桑名市までだけ海路になったのです。

TVでは触れていませんでしたが「熱田祭り」、年配の人は「尚武祭(しょうぶさい)」とも呼ぶ伝統行事の時、昔は「七里の渡し」の辺りで「まきわら船」が川面をすべったものです。

たぶん5歳ぐらいの時、私もそれを見たことがあります。闇の中、川面に幻想的なオレンジ色の光を映して流れる「まきわら船」が、今でも目に焼き付いています。あれが「熱田の情緒」なのでしょう。

現在は祭り時に熱田神宮にてお披露目されていますが、いつの日かまた川面に戻ることを夢見ています。2020年までには無理でしょうか。


@ どこかで読んだ、「恋人と別れたい時は、ベッドの中で失禁しなさい」というアドバイスを。( 映画「居酒屋兆治」など思いだして。)


(2017.6.17)

@ NHK朝ドラの総集編なるものがあります。ありがたいです。昔は私もよく観ていましたが、本編を観るようになったら、総集編は「あらすじだけ」みたいな感じがして、あまり観なくなりました。

ところで、新聞か何かに書いてありましたが、時間節約のため、映画などは倍速で観て、その感想を掲示板などに投稿する人が増えているようです。


@ 名古屋城にタモリさんがいらした「ブラタモリ」が、名古屋地区でも過去最高17.5%の高視聴率をあげたようで、めでたい事です。

その名古屋城ですが、昔から私はこんなことを思っていました。

旅行でよそ様のお城を拝見しますと、失礼ながら意外と「小さい」ものが多いのです。これはきっと「名古屋城が鉄筋コンクリートのお城ビルだから、デフォルメしてわざと大きく作ってあるのではないのか。だから今度、木造で復元すると小さくなるかもしれない。それって、ちょっと寂しいなぁ」と。

しかし最近知ったのですが、お城ビルが勝手にデフォルメしたわけではなく、意外にも、もともと名古屋城が大きかったようなのです。なんでも、敵に戦意を失わせるほどの「大きな城」を目指して設計されたのだとか。

これは名古屋っ子でもあまり知らない話ですし、昔から話題にもなっていませんが、ネットを見ると「姫路城より大きい」とか、「日本一の大きさ」だとか、いろいろ書き込みがあります。その真偽の確認までは取っていませんが、「尾張名古屋は城で持つ」との言葉が持つ意味には、もしかしたら「大きさを誇る」意味もあるのでは。ここの所をもっと全国にアピールすべきではないでしょうか。

そして、すぐ近くには「愛知県庁」「名古屋市役所」という、二つの「お城風・大きくて古い建築物」もあります。と言いますか、正にあれは現代のお城。

つまり「名古屋にはお城が三つ在るも同然」なのです。外国人旅行者の中にはこちらを名古屋城と勘違いする人もいるとか。


@ 気功の段階と言うものは、修行をしていると、ある日突然階段を一つ上がるものらしいです。数日前から第四か、第三チャクラが、以前にも増して開閉するようになった気がします。

どちらのチャクラなのかは現段階では良く分かりません。開くときは、数秒前から急に「ほろ酔い加減のような良い気分」になります。そして口からの空気の呼吸と同時に、チャクラから「気」の呼吸が行われているのが感覚的に分かるようになります。胸のあたりの窓が開いた様な、開放的な、最高に良い気分になります。幸福感に満たされます。

それが何分間か続き、気がつくと普段の自分に戻っているのです。そんな瞬間が、ふいに、日に何度も訪れます。それは大抵リラックスしている時です。散歩していたり、お風呂や、ストレッチの時も。だからヨガは柔軟体操のような事をしながら、呼吸法をするのでしょう。


@ 恋愛は男と女の化学反応、

触媒は遠距離や三角関係、

あるいは不倫だったり。


( 映画「マディソン郡の橋」を観て )


(2017.6.15)

今日はちょっとお出かけしてきます。


(2017.6.13)

常設万博とも言える愛知県犬山市の「リトルワールド」の中に、アフリカ・エリアがあります。そこには土で作った「かまくら」みたいな家があります。

となりにレストランがあって「ワニの肉」も食べられるのです。たしか串焼き。何回か覗きましたが、なかなか勇気がいるので食べたことはありません。鶏肉みたいな味で、案外イケるという噂は聞いたことがあります。

私の定番は@ドイツ・エリアのソーセージとビール。A途中のどこかで、何かをつまみに、ビール。B日本エリアのコロッケ(メンチカツ)とビール。


(2017.6.12)

10年前から書きたいと思っていた「10年日記」を今春やっと買いました。

でも書くのを忘れてしまい1週間に1日ぐらいしか思いださないのです。いつも後でと先送りします。

その内、2〜3日に一回ぐらいは思いだすようになりましたが、やっぱり手は動きません。

とうとう毎日思いだすようになりましたが、それでも書けませんでした。

結局私には、「日記などと言うものを書く習慣と喜びはない」と。

でも頑張って1年続ければ、2年目からは前年を思いだす楽しみも増えるので、それまでは頑張ろうかと思います。

しかし映画生活への投稿と、壁カレンダーへの記入もあるので、そんなに、あちこちに書かなくても良いのではという疑問も浮かんできて…「10年日記」は前途多難なのです。


(2017.6.11)

NHK朝ドラ「どんと晴れ」では、ヒロインが職人さんに頼んで、いとも簡単にお皿か何かを作ってもらうエピソードがありました。その職人さんは頑固一徹な人で、ほかの人が何回頼んでもダメだったのです。それなのに…。

以前も書いたことがありますが、職人さんは往々にして頑固です。@客の都合でも、Aお金でもなく、B自己満足を追求しがちです。

でも@を軽視されては客としてはたまったものではありません。それなら他の職人さんに頼めは良いじゃないか、と言われるかもしれませんが、相手が余人をもって代えがたい超一流の職人さんでなくとも、世間様のしがらみで、その人に頼まなければならない場合もあるのです。

もしヒロインのように職人さんに気にいられた人が、商人(セールスマン・仲介業)をやってくれたらどうでしょう。これ、芸能界のマネージャーと似てるのでしょうか。


(2017.6.10)

@ どこかのサイトで読んだ言葉。

「専守防衛とは本土決戦のことである」。


@ 映画「プライベート・ライアン」や映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」には、戦争の不条理が描かれています。

リアルでも、「在韓米国人がまだ避難していない。それが終わらない内は、米軍による北朝鮮先制攻撃は無い」という見方に対し、先日TVのコメンテーターをしていた、記憶が正確なら、たしか元自衛官の方は、「軍隊というものは敵を安心させておいて攻撃するものです」と反論するのを見ました(表現は正確ではありませんが、概ねそんな話)。


@ サングラス。「そんなの、いちいち外してられないよ」という反論を承知で言えば、相手の眼差しが見えないと、「お面」に話しかけているような気分になるのです。


@ NHKの人気番組「ブラタモリ」が名古屋にやってくるようです。公共施設にも大きなポスターがありました。あそこに一TV番組のポスターがあるのは見た記憶がありません。やはりザワザワと押さえきれないものを名古屋っ子は感じているのでしょうか。


(2017.6.9)

@ 都心にあるシンボル的な大公園の再開発計画があるようです。@公園内にカフェなどを増設する。A樹木を間引いて明るくする、などが予定されています。

私は@には大賛成です。木漏れ日と、鳥の声の中、風に吹かれながらお茶をするのは、都心にあっては最高の贅沢でしょう。

でもAは反対です。聞くところによれば1本おきに間引くとか。たとえば100本の樹木が50本になるのです。

ヒートアイランドの中、トランプさんの地球温暖化の騒ぎも治まらないというのに、二酸化炭素を吸収する樹木を都心から激減させてしまう政策なんて理解できません。

さらに「気」の話をすれば、樹木は「気」が宿るパワースポットなのです。大きな公園を毎日のように散歩している私には、樹木の密集度により「気」の濃度に変化がある事が良く分かります。観察すると密度の高い場所にはよく人が集まるようです。無意識にも体が欲しているのでしょう。

さらに「気」は、樹木の体温を人に伝える効果もあるので、夏にはツリー・エアコン的効果もあります。樹々の下が涼しいのは単純に日陰だからではありません。


@ @くつろいで旨いランチが食べたいから、たっぷりとしたランチタイムの確保。それが優先事項。あとの半分が、行きか、返りに映画を観ること。そして陽の高いうちに帰宅したい。

A映画館にもお気に入りがあります。いつも面白そうな映画をやっている良い映画館でも、あんまり行きたくない場所に建っていると近づきません。なぜか哀しくなり逃げだしたくなる街もあるのです。あるいは、ひっくり返ったタイタニック号みたいに「何かがおかしい」ロビーの館も。

Bそして雨の日。公園にも行けないし、「道籠り」の私としては一日家にいたら窒息しそうになるし、電車に乗り、地下街やアーケード街、ビルなどをぶらついて映画館にでも行くのが、気晴らしと運動不足解消にもなると気づきましたから。

@ABを概ね満足させてくれるようなプランが出来るとイザ出発します。

そしてレビューを書いて驚くことがあります。

そうすると、全国でもあまり上映していない作品を観ることになるのです。たいていは。


(2017.6.8)

酒の酔いに「ほろ酔い」や「悪酔い」があるように、疲労感にも色々ありまして、中には病気になりそうなほど気分の悪いものもありますが、アーチェリーをした後の疲労感は、いつも「心地よい」のです。

ぐったりするまで練習しても、そこには「ほろ酔いのような幸福感」があるのです。もちろん夜は熟睡できるようになります。

それが疑問でしたが、どうも「射」にも「乗馬的な効果」があるようだと気づきました。矢を射るときの「バン」という強い振動は背骨を震わせます。それは乗馬の「パカパカ」にも通じるものがあるのです。

さらに弓は「禅」とセットで語られることがあるように、呼吸法を含め、矢を引いた瞬間に無心の境地に入るように訓練するものです。

そして、その延長線上には「座禅」「立禅」があるのです。つまりアーチェリーや弓道の正体は、「立禅」だったのかもしれないのです。


(2017.6.7)

@ 最近、脚の筋を延ばしたら、体内の「気」が外部へ漏れ出ていることに気がつきました。体内から出る「気」には時に匂いを感じることがあります。

筋を延ばすと、その刺激から体の電磁バリア的なものが瞬断し、漏れ出るのではないかと想像します。漏れ出るということは外部の「気」も入ってくるという事です。簡単に言うと「部屋の窓を開閉した」状態。

ヨガがなぜあんな柔軟体操のようなポーズを取りながら、腹式呼吸をするのかが、なんとなく分かったような気がしました。


@ 映画「モンタナの風に抱かれて」で描かれているのは、「A・まずホースウィスパラーが馬を癒し、B・次に癒された馬が乗馬する者を癒す」という構図です。そして私は、Bの代わりにC立禅「三円式站とう法」(さんえんしきたんとうほう)があるとお話ししました。

なぜCに代わりが出きるのでしょう。想像ですが、少し私見を書きます。


Bには@いわゆるスキンシップで癒される。

Aパカパカという振動による背骨への効果(背骨を適度に刺激することで自律神経に良い効果がある。背骨は「気」の大動脈とも言える通り道であり、未知の効果も期待できる)。

B馬の健康な「気」との交わりもある。

C立禅で集めた良い「気」の効果もある。


対して、Cには天国的な触り心地の「気のボール」を撫でることで@の効果も期待できます。

パカパカと体を揺らす流派ではAも、私のやっている「じっとしている流派」では「瞑想」もできます。

C立禅で集めた良い「気」の効果もある。


判定すると、Cが日常的に、どこでも、手軽に無料で出来ることを考えれば、コスパは高いのではないでしょうか。


@ いつかも触れたことがありますが、私の文章は在職中の「事務連絡」が基本になっていました。つまり学歴も人生観も違う老若男女100人が読んでも、私の意図したことが100%正確に伝わることを目標とした文章です。

映画監督のように「ご自由に解釈してください」ではないのです。だから、あいまいな表現は出きるだけ排除し、重要なポイントはあえて強調しました。

しかし最近はそれを放棄しつつあります。私の能力的にも「細大漏らさずは困難」ですし、「あいまいにすることが余韻になる場合もある」と経験から学習したからです。

そんな折、ある言葉を見つけて、「そんな文章を書いてみたいな」と思うようになりました。川上未映子さんと村上春樹さんの対談本「みみずくは黄昏に飛びたつ」の中の村上さんの言葉だそうです。

「 優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない 」

( 「朝日新聞」のコラム 2017.6.7「後藤正文の朝からロック 沈黙の深み」より抜粋 )


@ 雨で公園にも行けないので、今日は、おでかけしてきます。


(2017.6.6)

@ 人と人との引力は内面的な相性だと思います。映画「レオン」を観て思ったのですが、かりに実年齢20歳・精神年齢5歳の青年が公園にいて、そこに実年齢5歳・精神年齢5歳の少女も遊んでいたとします。

なにかのきっかけで少女は青年に好意を抱きじゃれつくかもしれません。しかし「好きじゃない」と思った青年は、20歳の腕力で排除するかもしれないのです。


@ 昨夜は打ち上げ花火(ドン)の本番がありました。

いつもは自宅で夕食を食べながら、ほとんど音だけしか聴いていないのですが、めずらしく外に出てビルの屋上から見てみました。

そうしたら大輪の美しさもさることながら、音がすごい。ドンが360度に反響して町中が祭りに包まれるのです。「花火はドンを借景にする」と改めて気づきました。


@ A子さんはあるチェーン店のアルバイトに入りました。しかし働き始めてまもなく接客で失敗してしまったのです。お客様から厳しく叱られて落ち込みましたが、お店の接客マニュアルを熟読し、二度と同じ轍をふまないと誓いました。

しかし、その後のA子さんの接客態度は慇懃無礼(いんぎんぶれい)とまでは言いませんが、まるでロボットのようになってしまったのです。個人としての人柄が感じられなくなったからです。そんな「あなたは誰?」状態でも彼女は自己満足しているようでした。


(2017.6.5)

@ 今、花火が打ちあがりました。今日は祭り。夜には花火大会がありますが、朝のドンは祭り開始の合図なのです。

子どもの頃は、たしか朝6時頃にドンがありました。私は布団の中でそれを聞いて目覚めたのです。一年に一度、あれほどうれしい朝はありませんでした。

しかし昨今は、「うるさい!」との苦情があるのでしょう。朝9時30分になって初めてドンと。

「ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番」で、ロシア詩情に浸っていたところ、一瞬で日本に引き戻されました。


@ 映画「武曲 MUKOKU」に出てきた前田敦子さん。主人公・研悟の恋人役としてほんの少し登場しただけでした。「ワンシーン+ぱんつ姿」ぐらいかな。

でも、独特の影を感じさせる存在感で、狂気の研悟に負けてませんでした。彼女は羽田に似た存在、これも「A≒B」なのです。

そのうち彼女は、映画を借景としてワンシーンだけ登場できるような役者になれそうです。


@ 花見の桜というものは、人ごみの借景として成り立つものだと最近気づきました。

喫茶店のコーヒーもそうです。お客さんも含めた、お店の借景なのです。

桜なんてどこでも見えます。コーヒーもどこでも飲めます。でも、新たな居場所を探そうとすると難しい。それは新たな恋人を探すようなものだから。


(2017.6.3)

@ ほんじつ、以前から気になっていた「海鮮どんぶりの店」に入りました。食べたのは「海鮮アボガド丼」。

写真で見たときはマグロも多く入ってるような気がしたのですが、実際は9割がアボガド・サラダで、マグロは1割でした。

つまり、ほとんど「サラダどんぶり」の体。でも半熟卵も乗っていて、あっさりと美味しく頂きました。しょうゆよりもミネラル塩をかけた方が合いました。

サンドイッチだとバターとか肉とかが入っていて、わりと腹持ちが良いのですが、「サラダどんぶり」では、食後に観た映画が終わらぬうちに、お腹が減ってきてしまいました。

次回はどっちにしようかな。


@「ジブリパーク」といっしょに寄りたい全国有数の観光名所が、名古屋とその近郊にもあります。

*「愛知高速交通東部丘陵線(愛称は『リニモ』)」  愛知万博記念公園(ジブリパーク予定地)へはリニモで入ります。商業運転している常設のリニアモータカーです。氷の上を滑るような、他では味わえないスムースな乗りごごちに感動します。

*「博物館明治村」 ( 明治時代の建物を移築したテーマパーク。根強い人気。文明開化の象徴「牛鍋」も人気。)

*「野外民族博物館 リトルワールド」 ( 常設万博&サーカスみたいなところ。世界各国の民族文化(食も)を紹介しているテーマパーク。陽気の良い季節は食べ歩きがたのしい。)

*「ナガシマリゾート」 ( 温泉、遊園地、アウトレットある大きな総合リゾート。スリル満点の木製ジェットコースターもあるはず。)

*「レゴランド」 ( ご存じ世界的なテーマパーク。「ここまでやるか!」的な細密レゴ作品に大人も感動。)

*「体験型歴史的資料『南極観測船ふじ』」 ( 本物の「ふじ」が係留されています。内部にはエンジン音と隊員の生活が再現されていました。でも隊員はいない。そんな中では自分が密航者になったような不思議な気分を味わえました。演出今でも変わってないかな? )

* 「名古屋城」 ( 現在の雄姿も素晴らしいですが、天守閣の木造復元も計画されています。すでに木造で復元されつつある本丸御殿も素晴らしい。近所にあるホテルの展望レストランがおすすめ。)

*「東山動植物園」 ( 規模内容ともに日本有数。広すぎるぐらい広いです。地下鉄の側にある名古屋市内とは思えない処も。美味しいレストランもあり、イケメン・ゴリラもいます。)

*「熱田神宮」 ( ごぞんじパワースポット。名古屋名物「ひつまぶし」の、名古屋っこも一目置く有名店が近所に二軒あります。また神宮境内には「きしめん」を食べられる処も。)

*「大須商店街と地下街」 ( 「名古屋っこの条件は迷子にならずに歩けること」だそうです。なんど歩いても飽きない。大須には寄席もあります。ピッツァ世界一のお店も。)

*「南知多のとらふぐと、温泉」 ( 実は、愛知県は日本有数の「天然とらふぐ」の水揚げ量を誇っています。他県にある、ふぐの観光地へも売っているほどに。ふぐを食べ温泉に入ると最高。白砂の海水浴場もあります。)

*「猿投温泉」 ( 奥には滝つぼがあってパワースポットになっています。風水的に言っても理にかなった場所のように思います。近づいて行くと数十メーター前から「気」のパワーを感じます。極点では怖いぐらいの強さ。そこには露天風呂もあるので最強でしょう。ちなみに飲める温泉です。方角的には「ジブリパーク」の近く。)

これは一例、書ききれません。


(2017.6.2)

@ 2005年・愛知万博(愛・地球博)の跡地は現在公園になっていますが、このたび「ジブリパーク」に生まれ変わる事が決まったようです。たんなる公園では遠くから来る人は少ないかもしれませんが、「ジブリパーク」となれば、また楽しみも増しますね。
 
「 … 鈴木敏夫プロデューサーと愛知県の大村秀章知事が三十一日、名古屋市内で会談し、大筋合意した。 宮崎駿監督が描いた「となりのトトロ」の世界観を、四季折々の草花や木々にあふれる自然豊かな園内二百ヘクタールで再現。二〇二〇年代初頭のオープンを目指す。… 」

( 「 愛知にジブリパーク『愛・地球博』公園を再生 」 東京新聞 2017年6月1日朝刊 より抜粋  )


追記 ( ライバルはディズニーランドか )

「 … −手始めにトトロのふるさと村。全体の完成はいつか

分からない。完成なんてないのかもしれない。ディズニーのミッキーは百年近く前からあって、いまだ色あせない。ジブリ作品もそういう存在になると期待しているし、永遠に進化していくのだろう。」

( 「 ジブリパーク、施設点在のイメージ 知事一問一答 」 中日新聞web 2017年6月2日より抜粋  )


@ タイトルは忘れましたが、片岡義男さんの短編にこんな話がありました。

「 カップルが海へドライブするのです。海岸でクルマを止めると、彼女が一人砂浜へ歩きだします。彼はクルマの中から後ろ姿を見ています。

彼女はしばらく海を眺めてから、クルマに戻ると唐突に言うのです。

『別れましょう』と。

何が起こったのか分からずに慌てる彼。しかし『どうしたの、いきなり』と言っても、彼女は理由を説明しないのです。でも決意は固く、別れることに。

そのあと失意の彼は、彼女を家まで送りました。

彼女は部屋に入ると、シャワーを浴び、そしてひとり泣くのです。」 ( 昔読んだだけだから、正確ではありませんが、概ねこんな話。)

「泣くぐらいなら別れなければいい」。20代私は彼女の気持ちがまったく理解できずにいました。ためしに知人の女性にも読んでもらいました。そしたら彼女は、「分かる!」とキッパリ一言。でも説明してはもらえませんでした。

映画「駅 STATION」を思いだしました。


(2017.6.1)

@ だから私は朝からスポーツやウオーキングをしていました。その時間を経過するまで、ランチや休憩時間を挟み、緑の中で体を動かし続けました。そうやって、かろうじて精神のバランスを保ったのです。その時はそれしか出来ませんでした。それが私の全身全霊だったのです。

映画「リトル・フォレスト 冬・春」のラスト近く、友人がヒロインに「君は一番大切なことから逃げるために、田舎で忙しくしている」と言いました。絶句するヒロイン。だから映画に描かれていることは本当なのです。


(2017.5.30)

@ 映画「メッセージ」は、皇帝みたいに威厳のあるイカ君が書いた救世主の言語を学ぶことで、人類が新たなるステージへ進化する話でもあります。

その言語は筆で書かれた草書体の「時制のない漢字」をモチーフとしているようです。映画の行間から、それは影の薄い日本ではなく中国、つまり中国語を示唆していると読めます。

と言うことは、「次世代の世界共通語として中国語を学べば、人類は新たなるステージへ進化できます」と言っているように聴こえるのです。

そして、その思想の延長線上には、さほど無理なく「AIIB」や「一帯一路」も連想されます。


@ 起業した30歳前後の若者はたくさんいますが、その中には先輩が仕切っているこの世界に「ご指導ください」と頭を下げて参入するのではなく、牙を向いて来る人もいるでしょう。

日本の裏庭にミサイルを飛ばしている人は、その延長線上に居るような気がします。彼の心を動かすには同世代の若者か、さもなければ彼からも尊敬される仙人のような人が必要なのかもしれない。


@ たびたび書いていることですが「気」は「霊」ではありません。「気」は科学者に解明されていませんが、気功師などの中には、科学者が言うところの「暗黒物質」「暗黒エネルギー」「素粒子」だと言う人もいます。

一般に「気は情報でありエネルギーである」と言いますが、カセットテープやUSBなどが「個体メモリー」なら、「気」は「気体メモリー」だと認識すれば良いのです。

コンピュータには「心」が宿るとか、「神」だとか、いう人もいますが、それとも関係ありません。


(2017.5.29)

@ 妊婦さんへのがん治療が問題になっています。抗がん剤などが胎児に悪影響を与える可能性があるのでしょう。

ところで妊婦さんたちは、皆お腹を撫でまわします。無意識に自分で「気功の手当て」をしています。

がんは気功で治るのか。

私の知る限り気功師さんたちは「効果がある」との立場を取っています。

もし本当に効果がある場合でも、胎児に悪影響が無いことは、すでにお母さんたちの「気功の手当て」で証明されている、のではないでしょうか。もちろん素人の見解です。


@ まんが喫茶へ行ったら飲み物もセルフでした。ボタンを押すだけで何でも出てくるのですが、意味不明だったのが炭酸水です。とうぜん「○+炭酸水」だと思っていたのですが、その操作方法が分かりません。後ろがつかえてきたので、仕方なく、炭酸水だけをもってテーブルへ。

そして生まれて初めて「ぴゅあ炭酸水」を飲んだのです。

これが意外といけました。炭酸のせいか、微妙に何か味がついているような感じで、ビールとは言いませんが、ノンアルコール・ビールの代用にもなりそうです。しかもノンアルコール・ビルは時に甘ったるいですが、「ぴゅあ炭酸水」は辛口ですから。これ、どんな料理に合うのかな。


@ 70m先にある的の、CD1枚分のスペースに、矢を当てられるようになった人がいます。

では代わりに本物のCD1枚だけを吊るしたら、同じ確率で中てられるでしょうか(破片が危険なのでやってはいけませんが)。

たぶん確率は下がります。なぜでしょう。

大ざっぱに言えば、本物の的は新聞紙を広げた位の大きさがありますが、それがCD1枚に変わったことで、見かけ上小さくなるからです。

的が小さくなったと認識することで、緊張し、筋肉がこわばり、イメージ通りには動きにくくなります。

これを克服するには、「的は大きいままだ」と自己暗示をかけることです。そして「狙いすぎないこと」が肝心。「的は凝視するのではなく、眺める」ぐらいでちょうど良いのです。


@ マサイ族はびっくりするぐらい視力が良いと言います。日常的に遠くのライオンとかを探しているからでしょう。

くらべて日本人はPC・スマホばかり見ているので、どんどん近視になって行きます。

でもアーチェリーは近視予防に効果的なのです(たぶん)。理由は分かりますね。マサイ族みたいに遠くのターゲットを見つめるからです。


@ ラジオのゲストに加藤登紀子さんが出ていました。映画「居酒屋兆治」のおもしろい裏話をされていましたが、その他にこんな話もありました。

加藤さんは50歳から年齢が若返るようにカウントしているのだそうです。昔から似たような話は知っていましたが、いざ自分がおじさんになってみると、しみじみとした実感を持って、良いアイディアだと分かりました。

そのカウントで行くと私は今30代になります。一瞬にして人生バラ色になりました。実際の30代はブルーな気分でしたので、今から染め直しましょうか。


(2017.5.28)

回転ずしで日本酒飲み過ぎたので、今日は一滴も飲みたくなかったけれど、なぜか今ごろになって、ビールが飲みたくなりました。


(2017.5.27)

@ 数か月ぶりに回転ずしに行ってきました。やっぱり給料日後の土曜日は混んでます。でも混んでる日はネタが良い。握りたては特にみずみずしかった。


@ 理由を一つ上げるなら、Aが中りやすいのは「他力本願」だからですね。@の「自己責任」だとプレッシャーで筋肉が微妙に固くなり、イメージ通りに動かせないからです。動きに1ミリの誤差が出るだけでも、テコの原理で、的に当たる時には何十倍以上にも増幅されます。似た例を挙げると、冬場は日陰から射つと中りにくい。日陰は寒さで筋肉がこわばるからです。


@ クギで地面に幅10cmの橋を書いても、その上を渡るのは楽勝ですね。でもビルとビルを同じ一枚板で結んだら怖くて渡れない。メンタルは微妙です。

アーチェリーでも同様なことがあります。

@的を狙ってただ射つ。

A「私の後ろから的までの空間に、モノレールのような線が通っていて(「矢筋」と言う)、矢はその上を誘導弾のように滑っていくんだ」と自己暗示をかける。

この二通りを試してみると、Aの方が中りやすいのです。

私の後ろは過去、私は現在、的は未来。三つの時制が一つになる瞬間です。


@ ( 映画、TV、原作本について )

映画の解釈に迷ったとき、原作本を読んで答えを知ろうとする人もいますが、あなたはどうしてますか。

正しい解釈に早く辿り着きたいのなら、読まないほうが良い、と申し上げておきます。

なぜなら、映画と原作本は、近似の、しかし別々の物語(パラレル・ワールド)だからです。この二つの情報を同時に頭に入れることは混乱を招きやすく、解釈の情報処理に得策ではありません。

数ある映画の中には、細部に仕掛けをして、一見原作と同じに見えながら、実は逆の結末を用意したものも在るようです。

どこかワンシーンの描写、ひと言のセリフで解釈がひっくり返る仕掛けを映画に仕込むのです。現実でもフロッピー・ディスクの改ざん事件がありましたが、あの現実の示すとおり、ほんの少しのことで結末はひっくり返るのです。

原作本に心酔し染まってしまうと、それは映画を冷静に観ることにはマイナスに作用します。監督は観客が騙されるのを遠くから「してやったり!」と、ほくそえんで見ているのかもしれません。

映画の解釈は原作本から離れて静かにすべきです。映画の補足説明ですら原作本に求めるべきではないと考えます。映画の事は画面の中だけで完結してください。(TV版ドラマも同様です。)そして、めでたく解釈が完了してから原作を楽しみましょう。別物として。(自己紹介より再掲)


@ そのタクシーの運転手さん。私より年配のおじさんでした。私は映画で頭がいっぱいだったから黙って乗ってましたが、運転手さんも沈黙していました。そして目的地近くになった頃、停車場所の打ち合わせをしたついでに少々雑談を。

そうしたら空気感が違うのです。「運転中のドライバー」な感じではありません。なにか「若いころに出会った、タバコをふかしてくつろいでいる、隣の気の良い係長」みたいな感じの人でした。自然体で受け答えしてくれて、宴会で隣席になったら楽しそう。

40年ぶりの映画タクシーとともに、一期一会の思い出になりました(ちなみに映画以外ではたまに乗ってます)。


@ 映画「007/死ぬのは奴らだ」が封切り上映された頃は、母たちを連れて映画館へ行くこともありました。たいてい朝一の上映で。でもモタモタして間に合わなくなってしまうとタクシーで駆けつけることもあったのです。「電車賃×人数分≒タクシー代」を目論んで。

そんなことを思いだしながら、映画「メッセージ」では久しぶりにタクシーに乗ってしまいました。2,500円也、一人ですから明らかに贅沢しましたが、40年以上やってませんでしたから、勘弁してもらいましょう。


(2017.5.26)

@ あくまでも個人的感触ですが、アーチェリーの好きな人は、概して「穏やかで内向的、でも個性的でマイペース。なぜなら内部に人知れず熱いマグマが渦巻いているから」。そんな人が多いと思います。その「マグマ噴出の代償行動が飛んでく矢」なのです。

安倍さんも学生時代はアーチェリーの選手だったそうですが、当たっているかどうかは分かりません。ハンターの麻生さんと仲が良いのは、なんとなく分かる気がしますが。


(2017.5.24)

@ 今日は映画館へ行こうかと思っています。映画を観るとはレビューの種をもらうこと。


(2017.5.23)

@ アーチェリーは中学生から70代の方まで、老若男女がマイペースで楽しんでおられます。良きメンタル効果もふくめ、素晴らしい全身運動です。もし今回の記事を読んで「私もやってみたい」と思った方がありましたら、学生さんならまず学校のクラブに入ってください。

クラブが無かったり社会人の方は、アーチェリー教室(講習会)などを受け、地元のアーチェリークラブとアーチェリー協会などに入ってから活動してください。安全管理と勉強のため、一匹オオカミではなく、羊のように組織の管理下に入るのです。

たとえば猟銃所持には公安委員会の「講習の受講や、所持許可」などが必要です。アーチェリーにおける「講習会や、クラブなどへの登録」は、それに代わるものだと認識するのが妥当でしょう。

マイボウ(自分の弓)を持つのはそれからです。先生や先輩の助言を元に、自分に最適なものを選べば良いのです。趣味の話ですから皆さんから親切に教えてもらえます。オリンピックを目指してがんばってください。

いけないのは、未経験者なのにどこにも属さず、良き指導者もいないのに、いきなりネットで弓矢を購入することです。組み立て方も、技術も、マナーも身についていないのに弓矢を扱うのは、非常に危険かつ、はた迷惑なことです。さながらそれは無免許でクルマを路上練習するようなものです。


@ 和弓のようにサイト(照準器)やクリッカーなどを付けない弓を、アーチェリーでは「ベアボウ」と言います。「ベアボウ」を使った競技を「フィールドアーチェリー」と言います。野山ような自然環境を持った競技場にターゲットが点在し、競技者はそこをハイキングのように歩きまわりながら射つのです。その姿は弓の原点であるハンティングを思いださせ、今も根強いファンがいる競技です。女性でも三度の飯より好きそうな人もいます。


@ ほんとうに神秘的なのはオリンピック選手です。70m離れた的の、CD一枚分のゾーンに、ほぼ百発百中で命中させるからです。それもリラックスした練習中ではないのです。世界中の人が注目する4年に一度の大舞台に、国の代表という重荷を背負って出場しているのです。凡人ならプレッシャーで頭が真っ白になってしまいます。そんな中であのパフォーマンスが出せるのは、高僧なみの平常心と言っても良いくらい。

さらに屋外の自然環境は、一射ごとに風向きや強さが変わっています。矢がそれに流されるのを計算して、エイムオフ(風上にずらして射る)までしている。風が見えなければ勝負に勝てないのです。

それなのにTVで見る彼らのパフォーマンスは「あまりに簡単に見える」。クールすぎます。だから私は、もし「彼らはフォースを持っている」と言われたら信じたくなるのです。


@ 矢を射るとき、初心者は「狙えば中る」と思っていますが、やがて「狙っただけでは中らない」ものだと悟ります。弓矢は全身のパフォーマンスなので、目だけ使っても足りないのです。さらに理解が進むと、時に「むしろ中ることを神秘的だと感じる」ようになります。

そして、ブレ動く身体で、的のまん中を狙うことは至難の技です。だいたいまん中なんて肉眼では良く見えない。

あるとき一人の男が、和弓みたいにアーチェリーのサイト(照準器)を外して射ってみました(アーチェリーにも類似の競技がありますが、いきなりは危険ですから初心者は真似しないでください。必ず先生の指導を受けてください)。そして驚いたのです。サイトを付けても外しても、的上の矢のバラツキにはそんなに顕著な違いは出なかったからです。

映画「スター・ウォーズ」のラスト、弾道計算をするコンピューターが壊れ、フォースに頼って直感でデススターにミサイルを撃ち込んだヒーローをちょっと思いだしました。でも本当は、基本の基である「狙っただけでは中らない」を改めて思い知った日なのです。


@ 矢は「弓なり」に飛ぶので「引き尺」(矢をどれだけ引くか)は大切です。バラツキがあると的に中る時には上下にブレが出てしまいます。

「引き尺」を毎回一定にするためにアーチェリーではクリッカーという道具を使います。小さな板バネです(詳細はネットで)。

弓にクリッカーを付け、矢を一定の「引き尺」まで引くと「カチッ」と小さな音と微振動が起こります。これを「クリッカーを切る」と言います。なるべくその時の微振動を手のひらでキャッチして矢を射るのです(音にたよると騒音のなかで聞こえなかったり、他人のものと勘違いすることがあるので)。慣れると条件反射的に矢をつかんでいる指の力が抜けるようになります。

そして引き方は、弓矢の重量も利用しながら、背中の筋肉を使って引きますが、ある一流の流派(日本人)では、最後の数ミリ(たぶん1〜2ミリ)、つまり「クリッカーを切る」瞬間だけ「呼吸で引く」のです。

最後の瞬間に息を吐くと、胴体の筋肉が弛緩し、少しだけ両肩方向に伸びます。すると力まずにクリッカーが切れるのです。「言うは易く行うは難し」で大変高度なテクニックです。

そして気づかれた方もいらっしゃるかと思いますが、「息を吐くこと」は断固たる意志を持ってする事であり、銃器の引き金を引く行為に匹敵しますが、クリッカー切れるか否か(テクニックが成功するか否か)までは自分でコントロールできません。それは「たぶん訪れるもの」なのです。未熟だと訪れないことも多々あります。

そして運よくクリッカーが切れても、指の力を抜くのは条件反射的な行為ですから、どこまで自分の意志でコントロールしているのかは微妙です。これを意識しすぎるとターゲットパニックと言って「矢が離せなくなる」トラブルに陥ることもあります。

そして人間はロボットではないので、つねにブレ動いています。体を完全に静止することはできません。しかし名人になると射る瞬間には的のまん中に来るようにブレ動けるのです。


(2017.5.22)

@ 樹脂系の振動板を持つスピーカー(最近は多い)を、金属製のボックスに取り付けて、拓郎さんの歌を聴けば、拓郎さんの声に、樹脂と、金属がミックスされた音がします。

NHK朝ドラ「ひよっこ」で、女子たちが作っているプリント基板で出来たラジオからは、プリント基板の音が聴こえます。でも、むかし舎監さんが作っていた空中配線のラジオからは、それはしないのです。

だからオーディオマニアの中には空中配線のアンプの方が音が良いと言う人もいます。音に雑味が無いという点でそれも見識ですが、私は固有音や共振音のスパイスも含めて音作りをするのがプロ(アート)だと思いますので、そちらにも価値を認めます。


@ ラジオを聴いていたら尺八の名人がゲストに来ていました。その人はプラスチック製の尺八と、昔ながらの竹で出来た尺八を鳴らし、聴き比べをしてくれました。

AM放送の悪い音を、小さなラジオで聞いていただけの私ですが、すぐに違いが分かりました。これは多分、私が何十年もオーディオにかまけていたからでしょう。

プラスチックの物はCDの様なクールな音がしました。モールス信号のように抑揚が少ないようです。JAZZとのコラボとか、前衛的な作品にするなら良いでしょう。竹の物はアナログのように、マッタリと、ふくよかな音がしました。ほっとなじむ音です。伝統を味わうとき、やっぱり尺八はこの音です。

これは素材のもつ固有音と、形から生まれる(工業製品ではない竹の特質が出ている)共振音の違い、などが反映していると思われます。


@ 先ほど「ぶ〜ん」と大きな音が窓際でしました。直後にオートバイも走り去りましたので、「オートバイ!?」とも思いましたが、音色が小刻みに変化して消えず、マシンとは違う感触がありました。

もしや「蜂!?、クマンバチ!?」。

そう思って窓に近づくと、アルミサッシの二枚のガラスの間に、ウインナーのように大きなクマンバチが一匹入っていたのです。彼は歩きまわっていますが、出口が分からないようす。

私はアルミサッシを注意深く動かし、網戸も空け、部屋の中にだけは飛びこまないようしながら様子を伺いました。

5分ぐらいたったでしょうか。やっと彼は飛んでいきました。


@ 「朗読劇」と言うのでしょうか。小学校の国語の時間に、教科書に載っていたお話しを使ってやらされたことがあります。40人ぐらいのクラスで、役になった5人ぐらいが起立し、演じるのです。

でも私がセリフを言うと、いつも皆から笑われました。先生も笑いました。そして「もっと、押さえた演技をしなさい」とかアドバイスを言うのです。私はその通りにしたつもりなのですが、またも爆笑の渦に。

私は漫才をやっているつもりはありません。一所懸命に、冷や汗を流しながら教科書を読んでいるのです。感情を押さえると棒読みになります。押さえないと漫才になりました。その中間に正解が有ったのかもしれませんが、不器用な私は何回やっても漫才にしかならないのです。

昨日の事の様な記憶。ふと思ったのですが、もしかしたらあれが、私のカラオケ嫌いの根っこになったのかもしれません。


(2017.5.21)

@ 「マルちゃん 緑のたぬき天そば(東)」を食べ始めたとき、どんぶりの向こう側から突然「おでんのダイコン」が現れたのです。

「え!?」っと思って我に帰りました。

「ダイコン」だと思ったのは、麺から半分顔を出した「かき揚げ天ぷら」でした。そのとき思いました。「おでんのダイコン」でも良いじゃないかと。

夏には冷たい「おろし蕎麦」が旨いですが、冬に温かい「おろし蕎麦」はあまり聞きません。ならば丸いダイコンの入った熱い「おでん蕎麦」を作るのです。私がそば屋なら名物にしたい。


@ お気持ちが痛い。

お忍びで街へ出た王様が、

居酒屋で寅さんと酌み交わすことを夢見る。

隣席にいた戸籍係の役人も加わって。


(2017.5.20)

@ 「ウェスティン・ナゴヤ・キャッスル」が21年ぶりに旧名の「ホテル・ナゴヤ・キャッスル」に戻るとか。オールドファンとしてはこっちの方がしっくり来ますね。わりと好きなホテルです。

地図を見ると分かりますが、ある意味ロケーションが最高です。

数年前に、ここのカレーライスが美味しいと知人から聞きました。どこかで写真を見たら名古屋らしく「大きなエビフライ」がど〜んと乗ってましたし、「スプーンに乗った前菜」みたいなものも何種類もついてました。

あれから何度も食事に出かけました。一度食べたいと思っていますが、色んな事情にほんろうされ、いつも違うメニューに。

いつかはクラウンを…ではなくて、いつかあのカレーライスを食ってやる。

追記

ちなみにこのホテル、5年後を目途に建て替えを検討をしているそうです。名古屋城も木造で建て替えを予定していますので、どちらも楽しみ。


@ NHK・TV「ためしてガッテン」で、「これが世界最先端!“認知症”予防SP」なるものをやっていました。それによると、認知症の元になるアルツハイマー病の発症原因は「能にゴミ」が溜まるからだそうです。そして「ゴミ」を排出するには適度な睡眠が効果的らしいのです。

私は気功も、「条件によっては固体ゴミを気体化し『邪気』として排出する」と言われていますので、効果があるのではないかと勝手に思っております。長年気功を続けると、小周天や大周天と呼ばれる「脳内に気を通す技」が容易に出来るようになりますから。


@ ネットを見ていたら、東京都立川市にある映画館「シネマ・ツー」さんのページに「極上音響上映」と書いてあるのを見つけました。かつては真空管アンプで鳴らしていた処もあるのですが、「極上音響上映」とはいかなるものなのか。ホームページによるとそれは「KICリアルサウンドシステム」という独特なものらしいのです(詳しくはHP参照)。

私は行ったことがありませんが、興味津々。

昔の映画館は劇場でしたから、音がワンワンと響き、セリフが聴き取りにくい時もありました。しかし「あの響きがオールドファンにとっては感涙の郷愁」なのです。逆に言えば、今の暗室映画館の音はハイテクを使っても映画館らしくありません。いや、「映画館らしい音」は古物として廃棄したのでしょう。

昔の名画を再上映する時には、そんな昔の音世界も再現できるのでしょうか。映画「追憶」などもそれで観てみたいけれど。


@ 職場に女性が二人(A子さん・B子さん)いるとします。同僚なら二人と仲良くするのは自然なことです。

そのうちのA子さんは既婚者で、B子さんは独身です。独身の太郎さんは、加えてB子さんとはプライベートなお付き合いもしたいと思いました。

でも告白したら振られてしまったのです。それどころか、B子さんはA子さんにその顛末まで話したのです(太郎さんのプライバシーでもありますから、太郎さんの同意が必要なはずなのに)。

以後、B子さんからは無視され、A子さんは怒りに満ちた目で太郎さんを見るようになりました。まるで太郎さんが二股をしたと言わんばかりに。

でも間違ないのは、この三者で二股をかけようとしていたのはA子さんだという事です。夫と太郎さんとの。さらに、だれかにLGBTが潜在している可能性も排除できません。( 映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」によせて。 )


(2017.5.18)

@ 私は映画の表層・深層についてレビューに書くけれど、音楽にもそれが在ることを最近まで知りませんでした。(2017.5.15の記事より抜粋)

その本を再読したところ、ここで言う音楽とは「前衛音楽」のようでした。

と言うことは、ウェザー・リポートのファーストアルバム「ウェザー・リポート」(これも前衛音楽と言って良い)を聴いていると、「心に風穴が開いて、自由に何かが出入りしている、心地よさ」を感じる私も似たような体験をしていたのかもしれません。そして前衛音楽ではないけれど、日野皓正さんのJAZZ・「シティ・コネクション」も。

ぶっとんだアドリブや、前衛音楽の奏でる、ときに耳障りな、不協和音のような音を聴いていると、「 問題はその鳴り響く音の向こうに聴こえるものにある。『聴く』ではなくて『聴こえる』ものであり、『見る』ではなくて『見える』ものである。… 」(「音と心の旅」 村田武雄 著の「音の向こうに聴こえるもの」より抜粋 )という話が分かるような気もします。

そして、小説でも映画でも、NHK朝ドラ「ひよっこ」のテーマ曲も、井上陽水さんの歌でも、みんな、その可能性を秘めいていたのです。


@ Q:「 なぜ逮捕したんだ。
   
一般人は対象にならないと言ったじゃないか。」


A:「 もちろん対象にはなりません。
    
逮捕されたから、
    
彼は一般人ではありません。」


(2017.5.15)

@ 「サザエさん症候群」という言葉がありますが、先日のラジオによると、予防には「日曜夜に楽しいイベントを用意すると良い」のだとか。「お楽しみはこれからだ!」的な。

NHK朝ドラ「ひよっこ」では、日曜夜には皆で「コーラス」を楽しんでいるようですね。独りぼっちの日曜日を過ごした人も、夜にはたくさんの仲間と一丸になって歌を歌えるわけです。

そして「一丸になって」は「ベルトコンベア仕事」に繋がるものがあり、巧妙に作られた「仕事への助走」でもあった、のではないでしょうか。


@ たとえば日野皓正さんの「シティ・コネクション」を聴いていると、今で言えば、「ツイッターでつぶやいたら炎上しちゃったので、泣きが入りながらも、一所懸命に反論している人」が見えてきます。

ウェザー・リポートのファーストアルバム「ウェザー・リポート」を聴いていると、「心に風穴が開いて、自由に何かが出入りしている、心地よさ」を感じます。

これが音楽を「聴く」のではなく、「聴こえる」ことなのかは、良く分かりませんが。


@ 私は映画の表層・深層についてレビューに書くけれど、音楽にもそれが在ることを最近まで知りませんでした。

そもそも私は音楽を聴いてすらいなかったのかもしれない。私にとっての音楽はいつもBGMであり(今でもPCのお供や、子守唄代わり)、真剣に対峙することは退屈するし、疲れるから好きではありませんでしたから。

「 … つまり音楽の音は、音楽の実体を作りだしてはいるのだが、音そのものはあくまでも科学的なもので、音楽の外面に鳴り響くものにすぎないからである。問題はその鳴り響く音の向こうに聴こえるものにある。「聴く」ではなくて「聴こえる」ものであり、「見る」ではなくて「見える」ものである。… 」

( 「音と心の旅」 村田武雄 著の「音の向こうに聴こえるもの」より抜粋 )


これは私の知らない世界なので上手く表現できません。共感覚のない人には音がどのように見えるのかが語れないのと同じです。

ただ、「音そのものはあくまでも科学的なもの」というところでは、私が映画「スターウォーズ」の追記で書いた「そして第9シンフォニーの『楽器で演奏された部分→科学文明』」を思いだしましたが。


(2017.5.14)

@ 近年中に引っ越しの予定があります。そうすると、お気に入りのカフェにも別れを告げなければなりません。

何が哀しいって、それが一番かもしれない。

ところが先日驚くことが、

そのカフェが近日中に閉店する事を知ったのです。

想いが一杯ありすぎて、どう表現するのが粋なのか、考えがまとまりません。


@ 歩きスマホをしながら、彼女は向こうから現れた。

うつむき加減の長いまつ毛、

ショートカットの髪形も、

そして競歩みたいに活きの良い歩き方も、身長も、完璧に彼女のものだった。

ただ一つ変わっていたのは、10年前とは違い、心なしか横幅が増えていたことだ。

それに服装も地味に。

私は立ち止まり、すれ違う後ろ姿を眺めた。

そして数秒後、こらえきれず10mほど追いかけた。こんなことをしたのは初めてだが。

50m先は駅の改札口。予想通り彼女は入って行った。

やめておこう。

遠くから彼女の横顔を見送った。


(2017.5.13)

私は「道籠り」だから広いところが好きです。若い頃、今のレゴランド周辺の広大な埋立地へ、一人ドライブに行っていました。遠くまで見渡せて、空も広く、静かで、人気(ひとけ)も無くて、そんな場所。

何十年も前の話、そうしたら男の人が一人歩いてきて「東京はどう行ったらいいんですか?」と聞くんです。JR駅の構内でならともかく、あの場所での質問は???。

私はとりあえず、「駅まで行ってから新幹線に乗ってください」と答えました。

「駅はどこですか」と言うので、「あちらです。遠いですよ」と指を刺したら、その人はまた歩いて消えていきました。


(2017.5.12)

@ NHK朝ドラ「ひよっこ」の主題歌「若い広場」の歌詞が意味不明とか騒がれていますが、歌詞の一言一言から受ける「イメージは連鎖(行間も含め)」しているように思います。だから聴いていて心地よいのです。「言葉の連鎖」ではなくても、これがアートだと思いますがいかがでしょう。

井上陽水さんの歌詞が分からないという話も昔聞きましたが、あれも同様なのでしょう。

私はレタスをかじると「クラシックのシンフォニーな味」がしますが、それも同じです。


@ あのベートーヴェンも第9シンフォニーのクライマックスで、「このような音ではない!」と自らの音楽を否定して「歓喜の歌」に入るように、吉田拓郎さんも「イメージの歌」中の一節で語るように、ときに人は「ちゃぶ台返し」にたどり着くのです。

凡人の私も、おじさんになったせいか、彼らの心情が少しは分かる気がします。

映画「駅・STATION」の上映時間が132分なのに対し、映画「追憶」は99分です。短くなった理由は色々あるでしょうが、時短をして、登場人物の心情に寄りそうような、じっくり、しっとりとした内面描写をせず、どちらかと言えば映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズのように、アニメばりのライトな演技にしたのは、意図的な「ちゃぶ台返し」でもあったのではないのかと思うのです。


「 … きどったしぐさが したかったあんた 鏡を見てごらん

きどったあんたが映ってるじゃないか あんたは立派な人さ … 」

( 「イメージの歌」作詞、作曲・吉田拓郎 より抜粋 )


(2017.5.11)

@ いや、本気に取ってもらっては困るんです。

あくまでも冗談。

冗談で言ってますから、

そのつもりで聞いてください。

もし本気にした人がいたらセンスありませんよ。

映画「追憶」のオープニングには「冬の日本海」が映ります。降旗映画独特の、スローモーションによる砕け散る波です。

寒々とした海、主人公の心象風景を描いた、渾身のお約束。

あれが本編だと思ってください。

短いですか?

世界最小の文学「俳句」だって短いでしょ。だから、ヲタクにはあれで十分なんです。

その後に続く話はエンドロールの特典映像みたいなもの。

そうです。

この映画はオマケが98分あるんです。


(2017.5.9)

@ 小さかったり、特殊な飲食店の場合、店の入り口に「喫煙店」「禁煙店」「分煙個室あり」「分煙個室なし」などの表示を「法律で義務づける」だけでも良いのでは。

どの旗を揚げるのかは、客層、喫煙人口などを加味して、店主自らが選択すればよい。

そして、その店を選択するのは客です。


@ 社会の歯車を記号化したとも言える「ベルトコンベア」で仕事をしたこともあります。設置されているのは工場だけではありません。

あれで大量に仕事が流れてくるとすぐに溜まってしまいますが、溜めないためには「80:20の法則」を思いだして(本来の意味とは違うが)、自分にとっての20を選別し力を注ぐことです。

余裕しゃくしゃくなら何をしても良いですが、ほんらい他の方の責任である80まで自分の責任だと誤解すると、自分の20さえ出来なくなります。

追記

今ラジオで、「働く」とは仏教用語であり、「傍(はた)を楽にする」、つまり「他人様を楽にする」という意味だと言っていました。

では80まで手を付けるべきでしょうか。もちろん手を付けるべきです。ただし自分に余裕があればの話。

余裕が無ければ、各自が自分の20を完ぺきにこなすことで、仕事の全体もバランスよく回りだし、それが他人様を助けることになるのです。

その区別もなくだらだらと仕事をしていては、ミスや混乱を招くだけです。まず全体を俯瞰しなければなりません。


(2017.5.8)

台湾で水利工事に尽力した八田與一像の首が切り取られる事件がありました(もう現在は修復されましたが)。

その直後のハワイでは、おなじみの「ホノルル国際空港」が、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に改名されました。彼は米政府から一般市民への勲章としては最高位の「自由勲章」を授与された人です。

ハワイの話が、偶然とはいえ、リンクしたように日本人を慰めてくれたことはともて嬉しいことです。

ただ…ハワイに到着するとき、機内放送で「ホノルル空港」のアナウンスが聴けなくなるのは、ちょっと寂しいかも。


(2017.5.7)

@ オーディオなどの工作で、私も舎監さんの空中配線をしたことがあります。もちろん、みね子のプリント配線も。

中学生の頃から始めましたが、何が楽しいと言うと、「バラバラの部品を組み上げ、電気という血液を流すと、そこに生命が宿る」ことです。

そして「生命が宿るためには常に100点満点の必要がある」ことも。部品が、配線がひとつ違っていても、音が出ないばかりか、火事になる危険さえあります。

学校のテストではほとんど体験できない喜びを、あの工作では味わえるのです。


(2017.5.6)

@ 屋久島には樹齢4,000年以上の縄文杉がありますが、名古屋市の熱田神宮にも樹齢1,000年以上の大楠があります。弘法大師のお手植えだそうです。


@「振替休日」を取って仕事をしたのだけれど、振替日が忙しくなったので、再振替をする。

でも再振替した日がまた忙しくて休めない。

そんな休めない「振替休日」がすぐに何日も溜まってくる。

そのうち、手続きで上司と相談することが言いにくく、メンドクサクもなって放置するようになる。

気がつくと、残業はするが「振替休日」はいつもうやむやに。

その時、あれは賢い人が設計した「合法的サービス残業システム」だったのだと悟る。


(2017.5.5)

@ レゴにソロバン、

キュボロとバスの運行表。

舎監さんの空中配線と、

みね子のプリント基板。

とかく人の世は住みにくい。


@ 大きな鯉のぼりを私に与えてくれた親父でしたが、あまり空に興味は無いようでした。

とくに晩年、体力が衰えると、窓から見える空を、トタン屋根で塞ぐようになりました。庭仕事をする隣人や、走り抜けるトラックから覗かれるのを嫌がったみたいです。

私が反対すると、「おれの目の黒いうちはダメだ!」などと言って、頑と拒否しました。

そんな親父ももういません。でもあのトタン屋根にも、なぜか手を付けられないのです。


@ 大きな鯉のぼりのメンタル効果は測りしれませんが、煙突も素晴らしい。

もの心ついた時、近所には電信柱の二倍ぐらい高い煙突がありました。周りには補強のためか東京タワーのような鉄組も。カッコよかった。

小さな私はそれを眺めて成長しました。富士山があれば富士山を眺めていたでしょうが、近所には他に珍しいものも無かったので。

たぶんそれがきっかけでしょう。青い空と、白い雲にも視線が注がれるようになったのです。

「前向き、上向き」、そんな言葉があります。

煙突を眺めることで自然とそれが心に沁みこんだような気もします。総理大臣にはなれませんでしたが、少なくとも自殺などと言うことは考えたことすらありません。私の辞書その文言は無いのです。


(2017.5.4)

@ アルコールが入ると体がだるくなるし、眠くもなるので、若い頃ならともかく、今は「アルコール+運動」を同時にしたいとは思いませんが、連休になると毎年行きたいのは、熱田神宮境内の「宮きしめん 熱田神宮店」さんです。

間違いなく「正統的パワースポット」である熱田神宮にの中にある、オープンエアなきしめん屋さん。

あそこで「天ぷらきしめん大盛」を食べ、隣接する「お休み処 清め茶屋」で休憩して帰ってくるのです。

ちなみに熱田神宮の外周を歩くだけでも、樹木に宿った、ヒンヤリとした「気」のおすそ分けを浴びることができます。樹木と電信柱との間にはクモの巣があったりするので、通りぬけは要注意ですが。


@ オフィースにこもって事務仕事ばかりしていると、連休ぐらい太陽を浴び、緑の匂いに酔いしれたい衝動に駆られます。

もう20年ぐらい前になるでしょうか、愛知県犬山市にある野外民族博物館「リトルワールド」(詳しくはネットで)へ通った時期がありました。

その「常設万博」のような公園をそぞろ歩き(巡回バスもあります。)、点在するお店でビールと珍しい料理を食べ、おしまいはサーカスを見ながら酔いを醒まして帰ってくるのです。今は「世界の肉フェスタ」も開催してるかな。

追記

実はココ、若いころ京都へ旅行に行ったとき、普茶料理の店員さんから「良いところよ!」と勧められたのがきっかけでした。


(2017.5.3)

@ 第二次大戦直後、台湾が日本から中国へ引き渡された時、やってきた中国軍の「だらしなさ」を見た台湾人たちは唖然としたと言います。

その轍を踏まないためか、香港がイギリスから中国へ返還された時には、中国軍の精鋭部隊が絵に描いた様に立派な行進を見せました。

さらに、ここ何年も、TVニュースなどで繰り返し北朝鮮兵士の行進場面が流れます。ロボットのようなそれが目に焼き付きます。

ところで、米軍の補給艦を防護するため自衛隊の護衛艦「いずも」と「さざなみ」が出港しました。実戦の危険は少ないと言えども歴史的な航海です。

しかしニュースで見ると、「登舷の敬礼」と言うのかどうか知りませんが、「だらしない」印象を受けました。出港の挨拶をやる気があるのか、ないのか、いっそ何もしない方が良いのではないかと思う様な動きとバラつきでした。

そこからは、いつかのオリンピック柔道でのだらしない礼と、台湾にやって来た「だらしない中国軍」を連想したのです。TVカメラを通して世界中の人が見ている(敵も)事を、どうか忘れないでください。


@ TVの「世界!ニッポン行きたい人応援団」では、「そろばんが大好きなハンガリー男性」を紹介していました。

彼は昔、日本のそろばんを知り、自宅に小さな工場まで作って、学校でのそろばん教育に貢献している人です。

それで思いだしたのですが、私も小学生の頃はそろばん塾へ通いました。

「茶」→「黄」→「白」ってご存じですか。

そろばんの玉の色です。

初心者は「茶」を使います。上達すると「黄」に買いかえます。そして最終的には「白」を使う人もいます。だんだん値段も高くなります。

私は「黄」レベルまで上達しました(記憶が正しければ1964東京オリンピックの頃で4,000円ぐらいしました。今ならいくらぐらいでしょう。貧しかったのに良く買ってもらえたものです)。

「茶」と比べると「黄」の方が玉の質量が高く「重たい」感じがしました。ハイスピードで玉をはじくと、軽い「茶」では戻ってしまうことがあるのですが、「黄」ではパチッと落ちつくのです。「白」は使ったことがありません。

当時はコンピューターも発達しておらず、計算と言えばそろばん・計算尺が花形でした。では、そろばんを習ったことが現在でも何かの役に立っているのかと言えば「?」です。暗算能力も使わないから劣化し、もうほとんど実用にはなりませんし。

今、若者に勧めるのなら、「10キーとローマ字のタッチタイピング」です。

それと、楽器をひとつ。


@ 国内産のミネラルウオーターの中には、この新緑から夏にかけての季節にだけ、「緑の香りが濃厚になる」ものがありました。

その香りを愛でたいばかりに、お茶代わりに、すきとおったミネラルウオーターを買っていた時期もありました。

今でも売ってるのかしら。


@ 憲法9条は私たちの日常生活にも生きています。

イジメがあっても存在を認めない。

イジメがあっても仲間を助けない。

イジメからは逃げることを事を第一に教え、戦う事はもちろんご法度、加害者への処罰もなるべくしない。


(2017.5.2)
 
@ 新聞を見たら雑誌の広告に踊っている大きな文字が心に刺さりました。それは「老害」という言葉です。

「老害」とは「老人に対する蔑称」の一つではないでしょうか。「差別用語」です。歳を取ればいろいろ問題も出てくるのは理解できますが、それは個別に指摘すべきです。

それが陰口で聞かれるならともかく、一流紙で広告される一流誌の大見出しに恥じらいもなく出てくるのはいかがなものか。私はまだ老年者ではありませんが、もうすぐ到達する身としても驚くばかりです。現代の「姥捨て山」を見ているようです。

「障害者」を「障碍者」とか「障がい者」と呼び変えるセンスがあるならば、日本を作ってきた人生の先輩である人たちにも、もう少し敬意を払ったらどうかと思うのです。


@ 会社をリタイアする最後の日は、出勤したらバッチや身分証、定期券などを庶務係に返します。

その日の夕方、いつものようにポッケに定期券が無いのを思いだし、財布から小銭を取りだして切符を買うときの寂しさ。

お金の問題ではありません。何十年も会社にご奉公しても、退職したら帰りの電車賃も出ないことに、「使い捨てにされたような冷たさ」を感じるのです。

もし定期券を返すときに、「長年ご苦労様でした、これでお帰りください」と書かれたのし袋に、1,000円札一枚、いやワンコインでも入ったものを貰っていたら、喜んだ私は使わず、ずっと記念に取っておくことでしょう。

嘱託で同会社に残ることになった者たちも、私の感触では3人に1人、いや2人は、後輩から敬意を持った扱いをされず、晩節に哀しい思い出を付け加えて去っていきます。


@ 会社をリタイアして始める「第二の人生」は、第三の成人式というよりも、「第二の誕生日」がふさわしい。それくらいの別世界。


@ 2017.5.1ブログの続きです。私にもこの様な卒業経験はありました。今にして思うのですが、この節目を「第二の成人式」として祝うのも一興かもしれません。先輩から叱られるというのは、実はありがたい事だったのです。

「 40代後半になった頃から、自分を叱ってくれる人が減ってきたことに気づきました。そうなると、自分で自分の振る舞いに気をつけなければいけない。それで、俯瞰して見ることを大切にするようになったんです。」  

( 浅田美代子さんのインタビュー記事「今も昔も自然体のまま」 2017.4.30朝日新聞「リライフ」より抜粋 )


@ ランチにも毎日肉を食べていますが、風を引いた時にはあっさりとした食事を欲しました。風邪だから栄養を付けるために無理に肉食すべき、とも頭で考えましたが、体の欲するままにしました。

そうしたら夕方4時頃、無性に肉が食べたくなりました。だから夕食には美味しくいただきました。もしもランチに食べてたら胃に持たれたであろうそれを。


@ 在職中にストレスチェックを受けました。私はストレスで休職したい気分でしたが、結果は「問題なし」となりました。だからストレスチェックは信用していません。

登校拒否、ひきこもり、イジメ問題などでも、ストレスチェックをするのかは知りませんが、もししたとして、「問題なし」との結果が出たら、尻を叩いて家から追い出し、学校や会社へ無理やり行かせるのでしょうか。


@ 中学3年間は坊主頭でした。生まれて初めて坊主にしたときのショックは忘れられません。中学校では「曲げた指(第二関節)でもつまめる長さになると叱られた」のです。それぐらいはすぐ伸びるのに。

そして高校へ進学して長髪に戻したときの右往左往。ビートルズカットにすることを心配した両親の差し金で(私にはそんなつもりも無かったのだけれど)、毎回床屋さんは異様に短い長髪にしたのです(どっかの将軍様にもちょっと似てる)。

やがて恐怖で床屋さんに行けなくなり、何年も母に簡易カットしてもらっていました(どっかに矛盾点がある)。

昨今では、長髪はときに「地毛証明書」が必要だとか。でも地毛かどうかはプライバシーなのでは。


(2017.5.1)

@ >…ヒロインは自分の我がままで、どらだけ周りの大人に、心配と迷惑をかけているのか自覚がないのです。名前の欠落はその記号です(イレギュラーをしたことの)。(2017.4.29の記事より)

そしてこの伏線が、「通学するとき、自分たちのために、毎朝バスを平気で待たせる」エピソードです。


@ 戦後のどさくさで北方領土をロシアに、竹島を韓国に盗られた日本は、「今回の北朝鮮危機でも尖閣諸島を中国に盗られる心配がある」との話にはハッとさせられます。

しかし問題は盗られる事だけではありません。

韓国では慰安婦像だけでなく、新たに「強制労働者像」が設置されそうです


@ 新聞か何かに、浅田美代子さんのインタビューが掲載されていました。それによると、彼女が40代になったころから「叱ってくれる人がいなくなった」のだそうです。

だから「いっそう自分を律して行かなくてはいけないと気を引き締めた」のだそうです(表現は正確ではありませんが、概ねこんな趣旨の話だと記憶しています)。

それで思いだしましたが、やはり私も、そのくらいの年代から「叱ってくれる人が少なくなりました」。おやっと思うほどに。

それまでは先輩上司の顔色ばかり伺って生きてきましたが、あまりその心配がなくなってノビノビ出来たことを覚えています。

しかし、それは「自分が叱る立場になってきた」ことを意味していることには気づいていませんでした。それどころか自分には叱ることのできる実力もありません。歳ばかり取るということは情けないことです。

追記 

浅田美代子さんのインタビュー記事「今も昔も自然体のまま」は、2017.4.30朝日新聞「リライフ」にありました。

「 40代後半になった頃から、自分を叱ってくれる人が減ってきたことに気づきました。そうなると、自分で自分の振る舞いに気をつけなければいけない。それで、俯瞰して見ることを大切にするようになったんです。」(抜萃)


@ 日曜お昼にやっている「開運!なんでも鑑定団」を楽しみに観ています。すると続いて2時間ドラマも流れます。先日は「【金曜8時のドラマ】釣りバカ日誌 新入社員 浜崎伝助」でした。

新生「釣りバカ日誌」を初めて観ましたが、なかなか面白いですね。

もちろんオリジナルも何本か観たことがありますが、もうひとつ乗れなかったのは、内容の一部に「棘」を感じていたせいだと改めて分かりました。新生にはそれがありませんでしたから。

「棘」は複数ありましたが、その一つはハマちゃんが妻役の浅田美代子さん相手にいちゃつくシーンで、いつも露骨に「合体」の2文字が入ったことです。あの演出で一気に興醒めになります。

それに…おじさんたちにマドンナは沢山いますが、「赤い風船」を歌っていた当時の浅田美代子さんは、少年の心には間違いなく聖なるマドンナでしたから。


(2017.4.30)

@ 午前中には公園へ行ってきました。あまりにゴールデンウイークらしい陽気でしたから。

くまんばち!?のホバリングが、低空飛行で耳元をかすめていきました。

散歩中のノーワイヤーのわんちゃんが、においを嗅ぎに近づいてきました。

歩きながらふと気がつくと、空気の呼吸と同時に、口で「気」の呼吸もしていることに気がつきました。まだ気功もしていないのに自覚するのは珍しいです。

この暖かさなのにメントールの香気を吸いこんでいるようなヒンヤリ感と、空気ではない質量感があるから分かります。そして正確には口と、口の辺りから(肉体を透過して)入ってくるのです。

風邪もほぼ治りました。皆さまにご心配をおかけしました。

ラジオからは「琵琶湖周航の歌」が流れています。


@ よく職人さんが「頑固一徹」だと言われるのは、長年同じ仕事ばかりしているからだと思います。きっと「慢心」が起きているのだと想像します。

公務員のように、5年前後で係を異動し、同一係内でも毎年のように担当が変わるから、50代のベテラン職員でも20代の若者に頭を下げて仕事を教えてもらうのが当たり前の世界と比較すると、それが見えてきます。

また、職人さんと比較することは適当では無いかもしれませんが、同じ仕事を一生続ける人として天皇陛下という存在があります。しかし失礼ながら、天皇陛下から慢心を感じたことなど全くありません。お手本とすべき存在なのでは。


@ アニメ「ジパング」を思い出して気がついたのは、もし自衛力だけで戦争を回避することが可能ならば、その自衛力にも他国を圧倒するテクノロジーが必要だということです。

大学がその研究を拒否するのは自殺行為なのでは。


(2017.4.29)

@ 昨年の春、友人たちと観光地へ行きました。彼らはさかんに写真を撮っていました。

その時ふと気づいたのです。彼らの見ている世界と、私の見ている世界が違うことを。

彼らは絵葉書にもなりそうな観光シンボルを探しています。

私は近所の公園の樹々を愛でる時と同じポイント(草木の美)を探しています。

それで再確認できました。

旅行好きの私が、最近あまり旅行に行きたくなくなったのは、近所の公園の美を発見したからだと言うことを。


@ 本日のNHK朝ドラ「ひよっこ」では、東京に出てきた3人の少女たちを迎えに来た人の名簿に、ヒロインだけ名前がありませんでした。

落ち込むヒロイン、慌てる会社の人と、付き添いの先生。

しかし電話で調べた結果、単なる記入漏れだと分かります。

でも、その直後のヒロインのモノローグが子どもです。

「あの事務員さんは頼りない」。

ヒロインは自分の我がままで、どらだけ周りの大人に、心配と迷惑をかけているのか自覚がないのです。名前の欠落はその記号です(イレギュラーをしたことの)。

両親以外にも、付き添いの先生は、同僚の手も借りて、期限後にもかかわらず、きっとサービス残業で電話をかけまくって就職先を探してくれたのだし、会社にしたって先生の熱意が伝わったからこそ、他ならぬヒロインを採用することになったのです。

大人になれば追々それも分かってくる事だけれど、これからは周囲の先輩が耳触りの良いことばかり言っていては、それこそヒロインは「慢心」でダメになりかねないのです。


@ 「プレミアムフライデー」は毎月末の金曜日なので、「月末は忙しくて休めない人も多いから効果は疑問」という話もあります。でも、月末が忙しい人は他の週にチャレンジすれば良いのです。

官公庁も現状では昔の「土曜半ドン」みたいに閉庁にはできませんので、少なくとも2グループ(2週)に分けて実施するはず。

たぶんその後には、「月一回、各自いちばん都合の良い(仕事に支障のない)週末にプレミアムフライデーを楽しむ」という方向へ自然と流れて行くのでは。

ひかくてき有休休暇を取りやすい職場とか、極端な繁忙期がある職場では、閑散期に毎月2回以上実施する人も出ることが予想されます(「金曜半ドン」も)。

つまり、月末の金曜日と言うのは誘い水であって、実際は毎週金曜日は誰かが(民間企業であっても)「プレミアムフライデー」を楽しんでいることになります。だから商店なんかも「毎週お祭り」することになるのでは。

そして何年かの後、金曜の午後は…

電話をしても先様が閉庁・閉店していたり、担当者退社の事務所がポツポツと現れてきて、自分だけ働いても仕事の効率が悪いので、制度としての「金曜ドン」へと舵が切られる!?。(これは2017.1.29の再掲です。)


@ 一昨年でしたか、近所の公園で続けて二回「四つ葉のクローバー」を見つけました。鉄棒にぶら下がりながら、なにげなく地面を見ると「あった」のです。「あんなもの、探さなくても楽勝」と思いました。

しかし、以後は探しても見つかりません。

それがビギナーズラックと言うものでしょう。

ちなみにあのクローバーは大切に本に挟みましたが、どの本に挟んだのかを忘れてしまいました。


@ なぜこんな季節外れに風邪を引いたのか。最近ちょっとストレスを感じることがあったからだと思います。何気ない日常は、実はとても大切ですね。


@ 昨夜は1.5時間おきにトイレに起きてました。ビールを飲んだわけでもなく、毛布だけでも眠れそうなほど暑い夜なのに、不思議でした。

( ちなみに夏から秋への境目には毎年このような現象が起きます。あまりクーラーを使わぬ私の体が、夏仕様から冬仕様へ切り替わるためだと思っています。熱中症対策のために体内にため込んだ水分を排出しているのだと。)

実は昨夜は風邪で熱があったのです(落ち込むだけなので測りませんし、薬は好きではありません)。でも経験上、朝には治っているとの確信がありました。

「 熱が下がらないのは上がり切らないからだ。上がり切ればすぐ下がる 」と気功の本に書いてありました。

熱を上げる方法として「上を向いて寝転び、両手のひらを後頭部にしばらく当てておく(枕みたいに)」のだそうです。「気」を頭に入れるのですね。すると熱が上がり、下がるのだそうです。昨夜2時頃にトイレに起きた後、それを5分〜10分ぐらいやってみました。

すると次に目が覚めた時には寝汗をかいていたのです。寝汗は朝まで続きました。起きるとき下着を替えました。

そして今朝は熱も下がったようでスッキリ・サッパリしています。

どうやら昨夜1.5時間おきにトイレに行ったのは、「体内の水分を排出して体温を上げやすくしようとする自動システムが起動していた」のかもしれません。


(2017.4.28)

「自分をほめてあげたい」とか流行語になりましたが、私のジョギング経験から言うと「精神力は体を前から引っ張り、体力は後ろから押すもの」です。

だからあの「自分」とは、ままにならない体の事だと思います。ちなみに今日の私は「風邪が頭に来た」ようです。


(2017.4.27)

@ 「風邪の効用」(野口 晴哉 著)には、記憶が確かなら、「鼻風邪だと思って不養生すると、喉に来て、最後は胃腸にくる」と書いてありました。

今の私は逆で「胃腸から、喉、鼻」へと、2〜3日で上がってきました。

頭に来なければ、もうすぐ治るかもしれません。


@ 都市伝説かもしれませんが、「川が流れていて、例えばその右側に都市があり、左側に町村がある場合、川の堤防は(もし切れるなら)町村側に切れるように設計されている」と、どこかで聞いたことがあります。私の住む市町村の事です。「よかった!」と言ってはなりません。

都市側に住むおじいさんにこの話をしたら、「あっち側は、土地も安いし家賃も安いからな…」と納得してました。


(2017.4.25)

@ 個人的な好みを言わせてもらえば、Aとは居酒屋のフレンドリーなおばちゃん店員みたいな接客を言います。あれに洗練を加えれば一流ホテルでも十分通ります。映画「プリティーウーマン」に出てくる血の通った計らいをするホテル支配人や婦人服係などはそうでしょう。

逆に洗練だけで中身のないのを@みたいな接客と言います。これは概して大きなお店やチェーン店に多いです。でも、ご夫婦でやっているような小さなお店には少ない。小さなお店は経営トップみずからが店頭に出ているのと同じですから気合が違いますね。


@「パック寿司」とお寿司屋さんで食べる「握りたてのお寿司」とでは美味しさが違いますね。昔「寿司が冷める」と言ったグルメの先輩がいましたが、まったくその通りです。

接客でも同じで、@「パック寿司みたいな接客」とA「握りたてのお寿司みたいな接客」があるのです。先日フレンチのビストロへ行ってきましたが、料理も接客もまさしくAでした。大きなホテルでさえ@が多いから大感激です。

そこは都会ならどこにでもありそうな、一見普通っぽい小さなお店ですが、中身は一流。帰り際に二度も「おいしかった」と言ってしまいました。

一度目は味に、二度目は接客に。


(2017.4.18)

@ 日本は戦争を放棄した国だったけど、日本だけそのつもりでも、戦争からは逃げられないと悟った夏。

もっと早くから手を打っておけば、もっと早くに準備をしておけば。


@ アクション映画などでは、「逃げるのを嫌がるヒロインを、殴って戦意を失わせて、救出する」シーンがあります。なぜ思いだしたのかは良く分かりません。


@ 踏切やホームなどの事故には、少なからず自殺志願者も混じっているようですね。

つまり対象者には、救助を待っている人と、「救助されるのを拒否する人」が混在しているという事です。そこに高速道路並みのスピードで電車が接近してくるが、夢中の救助者は気づかない。

「救助を拒否する人」を1人で助けに行っても無理な場合があります。でも周囲の人を誘ってはいけない。死者が3人以上になる可能性があるから。

ほんらい学校、政府、鉄道会社も「列車非常停止ボタンを押して、ホーム下の避難所に入るように声をかけてから、駅員にも連絡してほしい」などとは言っていても、自分で助けに行け、とは言ってないはずです。

二次災害防止の必要性はアマチュアもプロも同じのはず。広報・改善をせずに、毎回「かわいそう」「勇気がある」だけで終わりにしては亡くなった人にも申し訳ない。

「溺れている人には、泳ぎの得意な人でも不用意には近づかない。死にもの狂いの相手から抱きつかれ、二人とも溺れてしまうから」というのは常識です。もし抱きつかれそうになったら「蹴飛ばしてでも離れろ」とどっかで読んだ記憶も。鉄道の常識も関係者は早急に作ってほしい。


(2017.4.16)

@ NHK朝ドラ「こころ」のオープニングに流れるヒロインの写真。一人称で寂しさが漂っています。私に写真の趣味はありませんが、若いころに撮った写真に雰囲気が似ているから分かります。彼らの心象風景。そして、それを謳いあげる情緒的なメロディー。

このドラマは、にぎやかな祭りの聖地!?浅草を舞台に、キラキラ光るヒロインや、老舗の鰻屋の女将にふんする元トップアイドルの蘭ちゃんなどが出てきますが、みな「一人の寂しさを隠している」のです。


@ TVドラマ「ボク、運命の人です。」が始まりました。これが、けっこう面白い。

「隕石が降ってくる」「運命の人と結ばれたい」とくれば、映画「君の名は。」へのオマージュでしょう。

ご丁寧に、「・・・。」というタイトルスタイルまで似ている。


@ 「若者は死を美化している」のではないのか。

先日おじさん二人でお茶しました。私が、「今までの人生に苦しい事は沢山あったけど、『留まる、逃げる』の二択だけで『自殺』の選択肢など無かった。そんな事、一度も考えたことすら無かった!」と言ったら、友人は一瞬考えた後「そうだなぁ…たしかに俺もそうだった」と、意外にも「目から鱗が落ちた」ような顔をしました。

映画などを見ると、戦争当時は特攻隊に代表されるように、軍部の情報操作などで、「お国のために死ぬ事が美化された」ようです。今の若者はそれと同じメンタルになっているのではないでしょうか。彼らはきっと「留まる、逃げる、自殺する」の三択主義者なのです。

( これは2017.2.17の再掲です。)


(2017.4.15)

@ 野良犬の話。近づいてきた狼がいたので友だちになったけど、しばらくしたら「なんだ野良犬か」と言って去って行った。だから狼は怖いって。


@「木枯し紋次郎」の再放送が始まりました。

ヤクザ同士の戦争では、親分がそれを決定し、子分たちは有無を言わさず参戦させられます。親分には決定権があるけど子分には無いから、その分だけ子分の方が、損で危険とも言えるのです。

どうしようもないから、すぐ散る花見に行く人もいるかもしれないが。


(2017.4.14)

@ NHKニュースを見ていたら、「北朝鮮が核実験をするのではないかと、関係国では警戒を強めている」などと言ってました。何か他人事みたいな言い方ですね。国民に不安を与えないためでしょうが、世は一触即発の危機なのに、それで良いの? 


@ 誰がどんな資格審査して、責任持って監視役に任命したのかは知りませんが、「不審者監視中」などのステッカーを買い物カゴにつけた自転車で、街を流しているおじさん、おばさんを時々見かけます。

しかし彼(彼女)ら自身、道交法を順守しているとは限りません。たぶん改正道交法を良く知らないのでは。私は法令順守の自信がないので自転車運転をやめましたが。


@ 右腕を故障してスポーツを数か月間休んでいましたが、陽気も良くなりましたし、体調も戻りましたので、先日から再開しました。

しかし、運動場まで重い荷物を持って往復50分ぐらい歩かなければいけませんし、その間は当然スポーツで動いてます。なまった体にはこたえるだろうなと思っていました。

しかし、最初だから運動量を控えたためか、翌日以降にも、ほとんど疲労感は残りませんでした。何年もスポーツした体もありますし、日々のウオーキングと気功のおかげもあるでしょう。ホッとしています。これから再起動です。


(2017.4.13)

@ 名古屋城の木造復元が正式に決まり、現在のお城ビル内部に入れるのは今秋までだと言うので、先日、花見がてらに行ってきました。戦後、お城ビルが出来てすぐに入ったきりですので、半世紀ぶりに。

名古屋城は、遠くから見ても、まじかで見ても、なんど見ても、ほれぼれする雄姿ですね。肴にして酒が飲めるほど。

しかし内部に入ったとたん、「すすけた様な、解体まじかな古ビル」の姿を露呈しました。とくに、「ビルなのに、窓が小さい(お城だから)」という違和感・窮屈感がいけません。

そんな帰り道…

となりに木造で再建された白鳥のように美しい「本丸御殿」内で、思いがけず「和硝子屋」さんの展覧会を見ることができました。白木に金屏風の本丸御殿も素晴らしいですが、「和硝子屋」さんの展示品も素晴らしい。そこは秘密の花園の様なオーラを放っていました。

「和硝子」とは「着物を2枚のガラスの間に閉じ込めたもの」。「溶けたガラスは高温なのに着物はなぜ燃えないのか」については、聞いてくるのを忘れましたが、不思議さと美しさが共存したアートでした。特に、和硝子や着物の端切れを使ったランプが素晴らしい。

あれは「和のステンドグラス」と言っても良いものです。


@ 先日、仏さまの様なお顔をしたスケート選手が引退されました。あの方が貴重だったのはアスリートとしての実力はもちろんですが、生き仏のオーラをまとっていたことです。

もし彼女のことを知らない人に紹介したら、彼女は「良家の箱入り娘で、趣味は読書」で通るでしょう。とても世界の頂点にいるアスリートだとは思わせない。それが引退するまで変わらなかったことは凄いことです。

映画「たそがれ清兵衛」や「隠し剣 鬼の爪」など、時代劇に登場するヒーローには「とても剣の達人だとは思えない、ぼくとつな男」が出てきますが、どこか共通するものを感じます。

ある意味、彼女も「日本人の理想を体現した人」だったのでしょう。とうぜん国民栄誉賞をあげてほしい。今後のご活躍も期待しています。

追記

このような人生の大決断をするときには、見聞きするすべての情報が決断材料の補助に使われます。もしかしたら無意識に「平成の終わり」もその中に入っていたのかもしれませんね。


@ NHK朝ドラでは2003年「こころ」の再放送をしています。私は初見ですので楽しんでいますが、先日の放送では「おやっ」と思うエピソードがありました。

ヒロイン・こころが青年医師に惚れて告白したのです。「ふりむいてくれるまで、いつまでも待ちます」と。彼はとても困惑していました。

ところが、それを知ったこころの職場の先輩が「あなたは人の気持ちが分からない。彼はバツイチ子持ちでしょ。彼の気持ちを考えたことある!? 私もバツイチだから彼の気持ちは分かるわ」と、言うのです。

先輩の言わんとするとは理解できますが、20代前半の、まだ初恋みたいなハシャグ恋しかできないこころに、「10歳も年上の、バツイチ子持ち男性気持ちを忖度しろ」というのは、言う方が問題でしょう。私にだって分からない。

こころは同年代の女性と比べても理性的な行動をしています。

問題なのはむしろ、10歳も人生経験が長く、こころの気持ちも知りながら、自分が「困惑している理由を言語化して表現しない彼の方」だと思います。


(2017.4.10)

@ 桜姉さん。

  もう出てもいいですか。

  緑ですけど。


@ 下ばかり見ていたら、

  見上げられる、

  桜になりました。


@ 大きなトイプードルだな、

  ぼくは満開の桜です。


@ 私が何をしたと言うのだ。

  そう、靴の下のタンポポが言った。


@ 冬はあたたかい毛布のようだ。

  包まれていれば、

  春の寒さを知らずにすむ。


@ 私は幼いころから「人見知り・引っ込み思案」でした。そんな私ですから「接客・接遇」は大の苦手。

でも縁あって、何十年もその仕事につくことになりました。だから在職中、一度だって自分が上手だと思ったことはありません。それどころか、いつも「至らない」とばかり思っていました。お客様からなんども叱られましたし。

でもリタイアした今、あちこちで「接客・接遇」を受けるだけの身になると、@店員さんの素晴らしいそれに感激することはもちろんですが、A意外にも「店員さんの至らなさ」も目について仕方ないのです。

@は一所懸命な、女子高生から中年の女性パート・アルバイトさんたちに多いです。この「一所懸命」がお客に伝われば、たとえ技術が未熟でも納得してもらえることもあるのです。Aは意外にもリーダー格の古参店員さんや、元管理職だったような嘱託らしき男性に多いです。ときに客を客とも思わず、それどころか「なにしにきた」みたいな態度の人も。

接客下手の会社をリタイアした、ほんとうに接客下手の私ですらため息をつくような人たちがAなのです。だからこうやって日本の行く末を憂いているのです。

追記

先日の、新聞の人生相談では、「相手のささいなところに気が障る人」のことを、「愛に満たされていない人」だと一刀両断していました。自分が満たされていれば「他人の事はどうでも良くなる」からだそうです。これ…たぶん本当のことです。


(2017.4.9)

リクライニングシートのある乗り物では、座席を倒せば後ろの人が我慢で、倒さなければ前の人が我慢。どちらかが我慢する「仕様」になっています。さてどうしましょう。

くりかえしますが座席の「仕様」は倒せるようになっており、とうぜんに座席料金に含まれており、それを承知でチケットを購入しています。

だから原則として後ろの人が我慢すべきです(倒せる人はつきあいで自分も倒せばよい)。

ただし、いきなりバタンと倒して驚かせてはマナー違反だから一声かけましょう。

もちろん後ろの人に事情があれば(妊婦さんだったりして、倒されては窮屈すぎる場合など)、例外として前の人が我慢する心づかいも必要でしょう。


(2017.4.8)

@ あきらかに満開の桜は行きすぎている。
  
  桜はふと気づき、
  
  恥ずかしさのあまり散るのだ。


  花ちらしの雨が野暮なのは、

  花を散らせるからではなく、

  己に気づいていないからだ。


@「泡だったトマトジュースで酔わせて!」と言ったら、ちゃんとジンベースのカクテル出してくれるでしょうか、あの高級ホテルのバーでは。


@ お買い物に出かけて店員さんとお話しをすることがあります。その時、お目当ての商品があれば問題ありませんが、無かったときには店員さんの力量が試されます。

@「まず、挨拶とお詫び」、A「なぜお目当ての商品が無いのかの説明」、B「待てば手に入るのか」、C「他にお勧めの商品はあるのか」…。そんなことを言わなければなりません。

でも、@〜Bまでを納得できるように話してくれる店員さんが高級店にも意外と少ないのです。説明する技量が無いのか、有っても私という客を軽くあしらっているのか分かりませんが、二度聞きましたが要領を得ません。

うやむやのままCの説明に入ろうとするのです。そんなことでは納得できませんし、もし私が主のお使いだった場合、帰宅しても主に説明できません。「子どもの使いじゃない!」と叱られるのは私の方です。


@ 私はギャンブルをしませんが、コンピューター制御のスロットマシンやパチンコなどは、「念」を送ることで勝率を変化させることが出来るのでしょうか。あるいはシリア空爆の日には勝率に変化があったのでしょうか。


(2017.4.7)

過日NHK・Eテレで放送された「モーガン・フリーマン 時空を超えて」にこんな話がありました(表現が正確ではありませんが)。

「 コンピューターでランダムに奇数と偶数を発生させると、それは50対50の割合になる。

しかし湾岸戦争の始まりなど、世界中を震撼させるようなニュースが流れると、たとえば52対48のようにバラつきが生まれる。

これは、たくさんの人間の震撼する気持ちが、地球磁場を伝播して伝わりあい、世界中を染める。それがコンピューターにも影響を与えているのだそうです。」

それは台風が接近している時の気持ちに似ているかもしれません。あの落ち着かない不安が混じった高揚感。

私はなんとなく自分への影響を自覚しましたが、まったく自覚していない人も、たとえば「棘」という表現で視覚化できるような影響があった可能性があります。

追記

それではと言う事で、実験室でPCに向かい、一人の人間が、たとえば「偶数になれ!」と「念」を送ったらどうなったのか。やはり52対48のようにバラつきが生まれたのだそうです。

今ちょうど、FMでジョン・レノンの名曲「イマジン」が流れてきました。BGMとして妙にしっくりきます。


(2017.4.6)

@ 実戦経験のない組織にとって、自分たちの周囲で起こった、数少ないリアル実戦の記録は、とても貴重な財産。徹底的に分析し自分たちの明日に備える。だから、たとえ1年保存の規定でも廃棄せず、抜きだして、とりあえず永年保存箱にでもほうりこんでおくのが普通だと考えられる。


@ 突然上司から呼ばれ、「君はAくん(後輩)に面倒な仕事を全部押し付けているようだね」と言われて驚きました。隠すつもりもありませんでしたが、その通りでした。

でも驚いたのはその点ではありません。

その頃、私たちはペアである点検仕事をしていました。後輩のA君は主に8割の単純作業、先輩の私は主に2割の付箋分(A君の苦手な問題あり分)を解決する役目です。もちろん手が空いたらお互いの分を手伝います。そうする内にだんだんとA君も仕事を覚えていくのです。

ところが担当替えの内示があり、3か月後には私は担当から外れ、A君がリーダーになって後輩を指導しなければならなくなったのです。普通なら一年後なのに異例です。

私は一計を案じA君に説明しました。そしてA君の了解の上で行いました。

それは…「これからの3か月はA君と仕事を交換し、A君には付箋分だけをやってもらう。勉強のためですから教えるだけで手伝わない」、というプランです。

すでにA君は単純作業はこなせます。でも付箋分の解決は苦手。そんなA君に早く一人前になってもらうためには、集中的に付箋分をこなしてもらうことが近道だと考えたのです。

それなのに、いつのまにか私が悪者にされている雰囲気。幸い上司は私に理解がある人でしたから、事情を説明したところ、快く了会していただけましたが。


(2017.4.5)

私は最近「これは、あの映画のオマージュだ」とか言って、その「詳細」をレビューに描くことが多いですが、正直なところを言いますと、「詳細」については、あまり書きたくありません。けっして出し惜しみしているわけではありませんが。

私はレビューもブログも、書くのは寝食を忘れるほど大好きですが、それは「創造」できるからです。ある意味その時間には「空想にふける」のと同じ広大な自由があります。ウサギ小屋にいても心は時空を飛び越えられるのです。

確かに「あの映画のオマージュだ」と言えるまでは、私は空想の自由の中にいます。しかし「詳細」の段階に入ると、それは「たんなるデータ集計」であり、緻密でない私には向いていないのです。だから苦痛。

これからは「詳細」まで書くことは減らして、それは皆さまのご想像にお任せしようとも考えています。


(2017.4.1)

@ 「気」を下丹田に貯蔵していると、ここ一番、脳を活性化したいときには「内気」を脳に上げ、リラックスしたいときには下丹田に戻すという芸当ができる。

そんな話を気功の本で読んだことがあります。

そのときは「へ〜!?」でしたが、やがて私も「内気」が小周天ルートを循環して脳に出入りすることを経験することになりました。「気」にはメントールのようなクールな刺激感を感じることがあるので、移動するのが分かるのです。

ただし脳が活性化したかは分かりません。顕著な変化は感じられません。ただ、なんらかの刺激は在るようで、まるで西川きよしさんみたいな、おめ目パッチリ顔になります。

それよりも長髪の人がスポーツ刈りや坊主頭にしたときの方が脳の活性化感があります。あれは物理的に「さっぱり」しただけではないと思います。なにか頭頂の第七チャクラあたりに、「傷口を逆なでするようなヒリヒリ感」すらあります。お坊さんがあの頭なのは隠れた理由があるのかもしれません。


@ 最近、急速充電ではありませんが、短時間で「外気」を取り込みたいときに頭頂(第七チャクラ)から「外気」を吸いこんで下丹田に貯蔵するみたいな事をしています(いわゆる大周天)。ターボチャージャーを付けたような「外気」の流れが頭を通過します。

この時に右耳の奥、頭の中に軽い痛みを感じた時期がありました。その時は「?」でしたが、その後中耳炎(たぶん)になりましたので、あれは「気」が沁みたことで、前兆を察知出来た、と言う事になります(完治しました)。

「気」の取り込みには、一呼吸あたり約5秒かかります。これを9回行うと、ワインをのんでほろ酔い加減になったように、ぼんやり眠くなります。今もやったばかりなので、すこし眠いです。なにか脳の演算速度が下がった気分。

私は勝手に、せめてこれが認知症の予防にもなればと期待していますが。


@ 今日は4月1日。

私は、日本人に新年は3回くるように感じます。

元日と、

新年度と、

桜の開花日に。


(2017.3.31)

地下街にシュークリーム専門店が出来たので、前を通るたびに気になっていた。

今朝見たら「プレミアムフライデー特売」とかで6個セットがお買い得に。

反射的に「ほしい!」と思ったけど、6個買ってもすぐには食べきれないと思い買えなかった。

年度末の後悔ひとつ。


(2017.3.30)

@ 愛知万博のとき、会場近隣の住民の中には、徒歩や自転車で毎日のように通う人がいることが話題になりました。

彼らの中には、夏場は涼しい朝一番に入場して楽しみ、ランチタイムの後はいったん自宅でお昼寝でもして、また空いてきた涼しい夕方から夜にかけて再出陣する人もいたようです。パスポート券を使いますから半年間の開催期間を超お得に遊べました。

ところが名古屋市内の人には、同じようにパスポート券を購入してもそんな芸当はできません。ひかくてき空いた平日に行っても、自宅からの往復に3時間は立っている覚悟が必要ですから。そのうえ現地では歩きまわり、行列に並ぶ必要もあり大変疲れます。家族連れなら行くのは2回ぐらいが良いところでしょう。

このように、知人の中には同じパスポート券なのに近隣の人との間に不公平が生じているという意見の人もいました。せめてパスポート券を無くして回数券にすべきだと。

しかし主催者側としてはパスポート券で少しでも入場者数を増やしたいから無理でしょうね。

つまり、それくらい、時にはやっかみたくなるほど、万博は価値ある行事だという事です。


@ 例えば「バイク」と「旅客機」の運転手では、安全に関する意識が違っていて当然だ。

言うまでもなく「旅客機」は空を飛ぶし、たくさんの乗客がいるからだ。

でも世の中には、そんな危機管理意識の段階に無頓着な人がいるようだ。

リーダーには学歴とか専門的知識とは別に、「志」が必要だと言われている。先日TV放送された「LEADERS2」を観ると良く分かる。

「安全に対する厳しさのある志」。

ところが、大勢の命を預かるその人たちからは、それが感じられなかった。


(2017.3.29)

@ 昔から女は猫に例えられる。


@ 的外れだと言われるのを承知でむりに例えれば、ノラ・ジョーンズさんのファーストアルバム「Come Away With Me」と、最新アルバム「DAY BREAKS」のカラーには、伊東ゆかりさんと藤圭子さんほどの違いがある。いや、藤圭子さんよりTVドラマ「トリック」の主題歌を歌っていた鬼束ちひろさんの方が近いかもしれない。


(2017.3.27)

人気ラジオ番組、本日の「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」で、「聴くこと、見ること、触ること」について語られていました。

なんでも作曲家マーラーが、「見ることは△△だが(聴くことだったかな)、触ることは〇〇だ」」と言ったとか。

私、△△のところは忘れてしまいました。○○のところは、表を通ったトラックの騒音で聴こえませんでした(受験のコツ、記憶は関連付けて)。

ちなみに私が触った経験では、「気のボールの感触」は、厳密には他のものに例えようもありませんが、あえて言えば、往年の名歌手「フランク永井さん歌声のよう」でもあります。


(2017.3.26)

@ も少ししたら、また散財するのだろうな。

子どもの頃は「おとなになるまでがまんしよう」で一件落着したけど、おじさんになると「がまんしているうちにじんせいおわっちゃう」を言いわけにして。

金は使っても使わなくても、むなしいものだ。


@ リタイアした時にオーディオのリニューアルをしたけれど、ふと思いたって、現在リタイア後二度目の大規模リニューアル中。

映画の事は努力しないと思考できないけれど、オーディオの事は努力しないと思考を止められない。ほかっておくと病気になるまで考え続ける。まるで遺伝子レベルで優先順位が決まっているかのよう。


(2017.3.25)

@ 私は定年前にリタイアしました。その計画を立て始めたのはずい分前です。いつも一人、しずかな喫茶店にこもって夢見ていました。

「けっきょく先立つものはカネだな」。

ちょうどその頃、いつも有線から流れていたのは宇多田ヒカルさんの名曲「ファーストラブ」でした。

今ですか。カネは無いけど、「ファーストラブ」のCDは手に入れました。


@ なぜか藤圭子さんのファーストアルバム「新宿の女」はLPで持っています。前に偶然見つけて私が確保したのですが、買っただけで聴いてませんでしたので、一度聴いてみました。

「ディスコ音楽集」、「ブランデンブルグ協奏曲集」、についで本日3枚目のLP。

一曲目の「新宿の女」が流れたとたん、シャウトする彼女にガツンとやられました。感動はフルアクセルです。

これはロックだと分かりました。音楽言語が違うだけで藤圭子さんの歌魂はロックだったのです。

ジャケット、彼女が白いギターを抱える左手の小指だけは浮いていました。


@ 数年前から伊東ゆかりさんのCDが、出来ればLPが欲しいと思っていました。癒し系ボイスの女王が歌う、ヒット曲「恋のしずく」が聴きたいからです。

でも、先日中古レコード店で見つけたのはLP「小指の想い出」。良さそうでしたが、確かあれには「恋のしずく」が入っていません。

だから小指で歩くのは、きっと、ゆかりさんのせいなのです。


@ 昨日散歩しているとき、ふと「手の小指で歩いてみよう」と思いました。と言っても、逆立ちして歩くわけではありません。

よろしければ小指を曲げてみてください。腕から胸にかけて軽い緊張感が走ることが分かります。少なくとも手首と肘の間の筋肉までは実際に収縮しています。指はグーにしてもパーにしても腕の筋肉まで収縮するのです。

その収縮や緊張感は肉体やメンタルに微妙な影響を与えます。余分なストレスは無い方がスムースに歩けるはず。

私はマラソンの瀬古選手のファンでした。あの精密機械のような完璧な美を感じさせる走り、若いころの私もそれをイメージしてジョギングに励んでいました。

たしか瀬古選手は、腕を前に振る時には軽く拳を握り、後ろへ降る時には小指あたりの三本の指の力を抜いて開き気味にしていました。

一グラムたりとも余分な力を筋肉に入れない、そんなフォームに見えました。今やっと理解できたのですが、もしかしたら瀬古さんもあの時、小指で走っていたのかもしれません。歩くときも指の真似をすれば良いのです。

それから、私の記憶が確かなら、五木寛之さんのエッセイで、五木さんは長時間歩いて足がくたびれると、脚を労い、今度は脚以外の筋肉を使って歩くのだと、そんな趣旨の話が書いてありました。そうイメージすると疲れないのだそうです。

ちなみに弓矢で矢を射るときに「矢を放す(リリースする)」と言います。昔は「パー」をしていました。今でもやっている人もいます。それは流儀ですから命中すればよいのですが、余分な力が入るほど矢はそれやすいので、最近では「指の力を抜くだけ」のスタイルもあります。理由は前述したとおりです。

古武術なども、動作には意外な筋肉を使っているらしいですから、この話は珍しいことでは無いかもしれませんが。


(2017.3.22)

@ ふと、私のブログは「エントツのけむり」だと思いました。ご近所迷惑になることはあっても、有難がられることはありません。ある種の活動に伴って、やもうえず吐きだしているだけのモノなのです。小さくなりながら。

そうしたら往年の名エッセイ「パイプのけむり」を思いだしました。あのタイトルに込められた意味も、もしかしたら…。

まずい…私は「センコウのけむり」にしておきます。


@ 私のブログ一本に100万円くれるような奇特な人はいませんが、もしそんな事があったとして、私が「いりません」とお断りしたとします。

そうしたら「では、私どもへの御寄付という事で…」と言われ、私も同意した場合の架空話をします。

その場合、税金の上で四角四面に考えると、

@「寄付を同意した段階」で、いったん私の財布に100万円が入る。(申告納税の義務が発生する。)

A私から100万円寄付をした。(寄付金控除の対象になる場合もある。)

事になるのではないのかと、素人の私は疑問に思うのです。「つまり私は100万円受け取ったことになりませんか!?」。現実的には「なあ、なあ」で良いかもしれませんが。


(2017.3.20)

@ ティータイム。


@ 中古LPレコードのバーゲンがあって、10枚ぐらい買って「1,000円です」と言われた時は、「目まい」がした。

目まいがするほど高いものを買ったことは無いが、目まいがするほど安いものを買ったのも初めてだった。

たぶん、あの目まいは「罪の意識」から発せられるものだ。

あの瞬間「もってけドロボー!」と言われてたら、どうなっていたか分からない。

壊れていたかもしれない。


@ シェーンベルグと弟子ベルグの「浄められた夜/抒情組曲・ヴァイオリン協奏曲」のCDを一昨日聴きました。

なんと言ったらよいのでしょう。

お叱りを受けることを承知で書けば、ダイナショアのジャズボーカルの「小さな不安を感じさせるビブラート」、あるいは映画「リング」のオープニングテーマ曲。あの波の映像にかぶって鳴っている「シンフォニーのレコードを手で不安定に逆回転DJ」しているような嘔吐的BGM、そんな曲。

いや、そこまでではありません。もう少し救いがあります。ちょっと説明がデフォルメしすぎでした。

でも、そんな曲が沁みる夜もあるのです。


@ 昔、CDプレーヤーが出来た頃、音が悪かったので、マニアはLPを見直しグレードアップにはげみました。

しかし昨今はCDプレーヤーの音も良くなり、写実性において生半可なLPプレーヤーでは勝てないのです。

すると住み分けが始まります。写実的はCDで、絵画的にはLPでという時代に。

LPの音をさらに絵画的に「紗を入れて鳴らす」ために、本来CDプレーヤーとアンプの間に挿入する「趣味のトランス」を、LPプレーヤーとアンプの間に入れてみました。

そうしないと鳴らない製品に、特殊なトランスを繋ぐ場合もありますが、それ以外でやったという酔狂な話は聞いたことがありません。

こうすると波形が鈍り「ソフト」に聴こえます。

また、趣が違って悪くありません。

あるいは「安価なLPプレーヤーにグレードダウン」するという手もあります。


@ 「Mr.Children」が主題歌を歌っている理由は、朝ドラ「べっぴんさん」が子供服会社の話だからでしょうか。

それに映像の被写体深度が深いからか、ミニチュア風(絵本風)の映像にもなってます。もちろんデジタル加工もできるようです。


@ 昨年の夏から、「おことば」をめぐって国民そうぐるみの話題になっていますが、専門家の議論は峠を越え、おおむね私にも受け入れられそうな結論に近づいているのでホッとしています。

しかし先日の新聞では、まだ映画「チョコレートドーナツ」に出てきた「法律家」を思いださせるようなご意見の方もお見かけました。いつでも、どこでも、映画のような事が起こる可能性があるのだと、あらためて思いました。


@ 港の埋立地、その南端に、とある植物園があります。バスで行くと殺風景な工場地帯を大回り。その殺風景が心を病気にしていくのです。

港からの渡し船もあります。向こう岸の公園は目でも見えますし、はるかに短時間で着きます。

でも足の下20センチほどの所の、どす黒い、墨汁のような、コールタールのような海水が波打って流れていくのを見ていると、やっぱり何かに絶望してしまうのです。

ラジオからは 宇多田ヒカルさんの「First Love」が。


(2017.3.18)

@ その昔、「愛の町から幸福へ」とばかり、北海道にある「愛国駅⇔幸福駅」のチケットが「御守り」として熱狂的話題になったことがありました。

それなら名古屋にも地下鉄「栄町駅⇔金山駅」と、「亀島駅⇔鶴舞駅(ポケモンの聖地)」などがあります。

名古屋発のTVドラマや映画もあるのに、「おめでたい駅名」が利用されていないのは不思議です。


@ 先日、名古屋の栄町地下街にある「シャバーニの等身大のレゴブロック像」の話をしました。

もともと、あの場所には噴水があって人々の待ち合わせの場所になっていました。そこに今回シャバーニ君が加わっていっそう賑やかになった訳です。

不思議なもので、すでにシャバーニ君は場に馴染んでいました。噴水もありますし、熱帯地方に迷いこんだようなカラフルに明るい雰囲気が生まれています。

「お地蔵さんだ!」。

私はそう思いました。

ひとりで人を待つ期待と不安、その気持ちをシャバーニ君というお地蔵さんは慰めてくれているのです。

彼はいずれ転勤する予定だそうですが、いつまでもあの場所に居てもらいたいものです。


(2017.3.15)

@ ウォーキングではあまり感じないけれど、ジョギングすると、バイオリズムと言うか、その日の体調によって体が重かったり軽かったりするのが良く分かります。

ある日のこと、ランチにカツ丼を食べました。そうしたら、消化にエネルギーを使い果たしたのか、夕方に走っても体が重かったのです。

逆に、ランチにサンドイッチを食べた日は、楽に走ることができました。

先日、TVの「孤独のグルメ」で、主人公の井之頭 五郎(松重豊さん)が、ランチにカツ丼をモリモリ食べる若者を横目で見て、「どんな仕事をしていようとも、ランチにカツ丼食べて、エネルギーに変えられるようでないと成功できない」みたいなセリフを言っていました。

納得しました。


@ 今日は3月15日。

所得税は納税者が悩みながら「自分で税額計算」して申告と納税をする。税務署は後で内容を点検して、誤りを見つけたら指導し、延滞金や加算金を付けて納めさせれば良い。

住民税は申告などに基づき、大慌てで「役所が税額計算」をして、納税通知書を送り納めてもらう。もし誤りがあったら、追加納付の場合でも基本的には役所が謝ることになる。

やっぱり国のやることは賢い。


(2017.3.14)

昔、バレンタインデーに職場で義理チョコを配っていた女性が、その後しばらく休むことになってしまいました。ちょうどその時にホワイトデーが重なったのです。

残された男性陣はあわてて緊急会議を開き「義理を欠いては男がすたる!」との結論に達しました。そして、すみやかに代表をデパ地下へ送り込み、彼女の自宅へお菓子を発送したのでした。

バレンタインとは無縁になった昨今、なつかしい思い出です。


(2017.3.13)

@ かの国では父を殺された子どもが安全な場所へ亡命する事件がありました。ニュース報道などでは、父が亡くなった事を知った友人・知人・関係者たちのネットワークがすばやく動いて子供を救ったとの話もあります。

不謹慎だとしかられそうですが、私はこの映画を思いだしていました。映画「アトランティスのこころ」です。


@ お茶が息道に少し入ったので、ゴホン、ゴホンと無理に咳をして出そうとしました。もっと下を向いた方が出やすいかなと思って、さらに前かがみになって咳を続けたら、とたんに「しゃっくりが」。

私はめったに「しゃっくり」はしないけれど、あれは「横隔膜のけいれん」だ、ぐらいの知識はあったので、さっそく手当てをしてみたら、ほとんど瞬時に止まってしまいました。

やった本人も驚く効果があって、安心したので、直後にむりやり咳を再開したらまた「しゃっくり」が。あわてて手当てをしたら、また瞬時に止まりました。

少なくとも私のしゃっくりは「気功の手当て」が即効です。方法は、「みぞおちの辺りに、手のひらを、上下に並べて当てる」だけ。よろしければお試しを。


(2017.3.12)

今朝こんな夢を見ました。

コンサート会場の受付のような場所で、私はお世話になった多くの方々に、心ばかりのお礼の品を配ろうとしていました。対象者は…はっきり覚えていませんが、素直な女子大生みたいな人たちだったかもしれません。まだ一人も現れていませんが。

お礼の品は、一見普通の「ルーズノート」です。

ただ表紙をめくると、最初のページには「デパートの5,000円商品カード」が、切手シートのようなミシン目で添付されています。このアイディアがちょっと気に行ってました。

私は「これを万年筆を買う足しにでもしてください」と言いながら配ろうと準備していたのです。

すると突然、そこへ頑固そうなおじいさんがやってきて、「なんだこれは、5,000円じゃ、万年筆は買えんじゃないか!」とクレームを付けたのです。

彼は今回の「催事とは無関係な人」です。それを理由に反論することぐらいできましたし、だいいち「5,000円は足しにしてもらおうと思っているだけ」です。

おじいさんには、即座にお帰り頂くことぐらい出来ましたが、黙って彼がすべて言い終わるのを待ちました。なぜか、私はそんな気分だったのです。

言い終わった彼は、わが身を顧みるゆとりが生まれたのか、私が言いたかった反論を自分から言い始め、「あなたの気持ちも分かる…」と自己反省して、静かに帰って行きました。

私は「春一番が吹いたな」と、そんな気持ちでたたずんでいました。


(2017.3.11)

@ あの日は、ビルの上階にある映画館で被災しました。

シートで上映開始を待っていると、突然ガタガタと揺れ始め、ビルがキシミ音をあげたのです。尋常ならざることが起きていると思いました。

しかし支配人の異例のあいさつの後、映画は上映されました。観賞後、街へ出てもいつも通りの風景でした。ケータイも持っていないし、津波で大変なことになっているのを知ったのは、夕方自宅に帰りTVをつけてからでした。

映画に行くたびにそれを思いだします。だから、あのときの自己嫌悪、罪人のような心の痛みは、一年中忘れることがありません。


@ 昔から、人気実力ともに問題のない芸能人の方が、なぜか突然に引退をされることがあります。

それぞれ色々な事情がおありだと思います。いちいち詮索する趣味はありませんが、その中にはLGBTの方もいらしたのではないかと、先日TVの芸能情報と、それとは無関係の映画のエピソードを重ね合わせ、ふと思ったのです。

たとえば女性として芸能活動をされていたのが、どうしてもカミングアウトして男になりたいがために引退される、という様な話が、可能性としてゼロではない気がします。

そして、今は男性として、まったく違う風貌で市井にとけ込み、ひっそりと生活しておられるのでしょう。実際にあったとしたら、たぶん関係者の間では公然の秘密になっているのでしょうね。今頃想像しているのは私ぐらいのものかもしれません。幸せをお祈りしています。


(2017.3.8)

@ 安倍首相の話から「北朝鮮のミサイル脅威が新たな段階に入った」らしい。私の翻訳では「お手上げだから、我々も新たな段階に進みたい」と聞こえる。

つまり「一度に複数の発射基地(例えば2か所)から、同時に複数のミサイル(例えば4発づつ)が飛んでくる」可能性が現実的になったということ。例えば8発同時に日本へ飛んでくるのです。

それは、今までのミサイル防衛網では防ぎ切れないことを意味する。しかし防衛技術的には限界で、現在どうしようもないらしい。

でも「座して死を待つ」わけにはいかないので、「攻撃は最大の防御なり」で、「先制攻撃」も視野に入れた本気の議論が必要になるのだろうか。まだ人ごとのように思っている人も多いようだが。ほんとうは顔面蒼白の事態ではないのか。


@ 「 半ドンにおけるランチまでの仕事とは、『おはぎ』の『あんこ』に入れる『人つまみの塩』のようなもの。 」

景気は「気分」が大。プレミアムフライデーの肝とは、「人つまみの塩がもたらす化学反応的な幸福感・高揚感・開放感」が生む消費であって、時短が生み出す単なる「暇」とは一線を画します。


@ 統計を取った訳ではないですが、高齢者が駐車場などで暴走する理由の多くは、もしかしたら「マニュアルシフトで免許を取ったのに、オートマチック車を運転するから」ではないのか、と思います(もうマニュアル車が少ないのも一因)。

普段は運転楽勝でも、なにかで理性がゆるんだ瞬間、ふと体がマニュアルシフトの動作をしてしまうのでは。だから今は過渡期かもしれません。


@ 税金の差押えをする時、滞納者から「ひとでなし」と罵声を浴びせられても役人が立っていられるのは、法律に基づき正義を行っているという信念もありますが、それよりも真面目な大多数の納税者が味方になってくれている、と思うからです。


@ 運転免許証で、高齢者の認知症検査の枠が広がり、たくさんのお医者さんが検査医に指定されますが、そんな彼らの中は、認知症患者から「ひとでなし」と思われるのを恐れている人もいるようです。でも、事故を起こしたら悲しむであろう認知症患者の家族や、被害者になるであろう罪のない国民は理解を示し、きっと味方になってくれます。貴方はそこに立っていられるのです。


(2017.3.7)

最近「気」は「指でつかめる」ものだと気づきました。

布団の例で説明します。

物干しざおに干してある布団を取り込もうとする時、手のひらをパーにしていては、引きよせることはできても、取り込むことは困難ですね。

指を使ってつかむ必要があります。

空間にある「気」を取りこもうとするときも、ワンアクションで、ゾウさんの首を抱くようにして囲い込んでから、指でもつかむのです。指に弾力というか、手ごたえもあります(フックで引っかける感覚に近い)。

そのとき「気」の大きさがざぶとんだと思えば、ざぶとん程度の気が、布団だと思えば布団程度の気が、それ以上だと思えば、それ以上大きな気が回収できます。

意念は筋肉を動かすのと同じ電気信号だと思うので、人がイメージした場所まで電気信号が飛び、気をコントロールできるのだと思います。

そして、回収した気は下丹田(あるいは、お腹の内臓間にある空間)に溜まり、風船が膨らむような圧力を感じますから良く分かります。夢見て欲張った人がたくさん回収できます。


(2017.3.6)

気功師が治療をするとき、患者さんが「心理的にその治療を拒絶」していると、気功師の「気」が患者さんに入りにくく(輸血できないのと同じ)、治療が困難なことがあるそうです(気功師さんは己の命も削って治療しているのです)。似たような事は私にも経験があります。「意気投合」と「気づまり」という言葉でも表現できます。

これと同じで、公園を散歩している時には、公園の新緑や、快晴の春の空と、自分の体が「一体化」するような気分でいると効果的です。自然とのリズムの一体化。これはプチ「転地療養」です。その瞬間「今、健康とリンクしている」と思えるものです。

力みを解いてリラックスするのです。全身の「気」の通り道から邪気が出ていき、正気(良い気)が入ってくるとイメージします。仕事のことなど考えていてはいけません。それでは足の運動にしかなりません。私はそう思います。


ダイエットはすべきですが、「ビール腹」など、もし自分の体に気にいらない部分があっても、あまりそれを嫌ってはなりません。根をつめれば自分の体に呪いをかけるのと同じです。ときには原因不明の体調不良になりかねません。

だから、ラジオ体操に代表されるような各種の体操は(ヨガや太極拳・気功なども)、体操であると同時に、「自分の体を愛する祈り」でもあると、私は思います。祈りも体を健康にするのです。


(2017.3.5)

かつて私が行ったことのある、タンスみたいに大きなスピーカーを鳴らす本格的なクラシック喫茶、ジャズ喫茶は、地元ではほとんど壊滅状態になりました。ウオークマンな時代だから、これもしかたのない事なのでしょう。

実は私にも喫茶店経営!?の夢はあります。私がやりたいのは、ビル街の裏通りにひっそりとたたずむ趣味のオーディオルーム(兼・喫茶店)。

店の雰囲気は昔ながらのコーヒー専門店風。コーヒーブラウンの壁紙、インテリアで統一します。小さなランプもたくさん置きたいな。提供するものはコーヒー・紅茶、サンドイッチぐらい。

そして看板はありません。いえ、看板代わりに、窓辺に古いステレオセットなどを飾ります。

「なんだろう?」と気にかかり、お店の前を何回も往復したのち、とうとう、がまんできずに入店してくれた人がお客様です。

店の奥には私の趣味のオーディオセットを置くのです。高級品ではありません。ときには買ったばかりのラジカセやミニコンポが鳴ってる時もあるでしょう。趣味だから、ときどき機器は入れ替わります。とうぜんお店の経費で落として。

そこで私は、接客の合間に、自分の好きな音楽を聴きます。AM放送のトーク番組、FM放送の種々の音楽。お気に入りのCD、LP。

BGM的に流れる音楽は、毎日何がかかっているのか分かりません。音楽専門店ではないので会話もOK。

こんなふうに、儲からなくとも毎日たのしく社会参加でき、いつの日かオーディオ好き、音楽好きの、たまり場になっていれば良いなって思います。

追記

でも、これは夢見ているだけ。お金も商才もないし、だいいち木枯し紋次郎のような「道籠り」の私は、じっと店内で生息するなど出来ない相談です。むしろ、もしそんなお店を見つけたら、あきれながら常連客になりたい。

追記U

これを読んで「そんなもん、もうからんやろう」などと言う方がいらしたら、私の説明が適当ではありませんでした。

私は「ただオープンスペースのオーディオルームを作りたい」だけなのです。家賃を払ってでも。

従来の閉鎖的・個人的な自宅オーディオルームではなく、同好の士が自由に集うことが出来る処を。

どこでも友が集まれば主はお茶ぐらいは出しますが、毎日おじゃましては失礼だとか、たとえお茶程度でも毎度では申しわけない、あるいは「ただより怖いものは無い」という客人もいるでしょうから、喫茶店形式にして、見知らぬ人も自由に出入りしてもらい、コーヒー代ぐらいは頂こうという事です。

それには「喫茶店の空き店舗」などを利用し、客席の半分は取っ払ってスペースを確保して、オーディオセットを置こうかと。

実際に、広い自宅で似たような事をされている方もいらっしゃいます。


(2017.3.4)

@ 勝二が定年後の「第二の人生の夢」を追って作った喫茶店ですから、勝二の思うように営業させなければなりません。その「自由こそがすべて」です。

なのに息子の龍一が喫茶店の名前を書いています。自分の店でもないのに無断で店名を変えてしまいます。龍一は多国籍レストランをやりたいらしいですが、それなら、他に自分で店を探すべきで、父を無理やり事後説得してレストランにしようなどとは親不孝なこと。

さらに、すみれたち御一行がやってきたら、入口のドア横にペンキの缶と筆を置いたままにして店に入って行きました。誤って誰かが蹴飛ばしたり、子どもがイタズラして汚したらどうするのでしょう。

このように龍一は「レストランをやりたい」という一心だけで、前後の見境がありません。心は刹那に生きています。

だれかが「子どもだと思っていたのに、みんな大人になったねぇ〜」と言ってましたが、とんでもない話です。「ず〜たいばっかり大きくなって、なかみは、がき」でした。

皆の前で唐突に「○○と結婚させてください!」と言った健太郎も同じです。まずは、すみれと紀夫の二人だけに「○○さんとお付き合いしています」と言うべきです。

当然「いつからだ」という話になるでしょうから、「○年前からです」と答え…結婚話はその後のことです。

答えに「ダメだ!」あるいは「出直して来い!」と言われても仕方ありません。将来社長になるかもしれないのです。それでなくとも、それぐらいで逃げだすような男ではダメです。(コーフンしてタイトルを書くのを忘れていました。本日のNHK朝ドラ「べっぴんさん」の話。)


@ 「 天皇陛下の退位めぐる法整備 与野党 意見集約に至らず

… 公明党の北側副代表は国会内で記者団に対し、「『一代限り』というのは、将来の天皇の退位を一切認めないという趣旨ではなく、特別法であっても重要な先例になる。将来の天皇については、その時の国民の感情や意思、皇室の状況、天皇の年齢などを勘案して、その時の国会が慎重に審査するのが望ましい」と述べました。… 」

( NHKニュース 3月3日 19時34分 より抜粋 )


先日、映画「太陽」の追記でも述べましたが、私が考えていることは北側副代表の話に近いものです。でも一般にはあまり理解されていないようですので、「『一代限り』というのは、将来の天皇の退位を一切認めないという趣旨ではない」という事を、関係者やマスコミはもっと国民に説明すべきだと思います。


(2017.3.3)

10年以上も前の話。ある役所のトイレが突然汚くなった時期がありました。聞いてみると清掃業者に労働問題が起こり、「一日2回のトイレ掃除を1回にした」らしいのです(広義のストライキか)。

でも役所の事務員たちは、事務仕事でそんなことはできません。

たとえば住民税・普通徴収(自営業などの個人払い)の納付は年に4回ですが、これを事務員たちが勝手に年2回に減らす(金額を2倍にして)などと言うことは法律違反になるので不可能なのです。

また事務処理方法も、細部にわたってマニュアル化されているので(映画「県庁の星」にも完璧なマニュアルを作るエピソードがありました。)、事務員が勝手に「はしょる事」はできないのです。

ちまたでは、よく「仕事の20%は大切だが、残り80%は大切ではない」みたいな話が語られますが、役所でそれを実行して事務の合理化をするのが困難なのは、「法律違反をしたり、マニュアル無視をしても、合理をしろ」と言える人は誰もいないからです。

それどころか、ここは学生時代にテストで100点を目指していた人が新人で入り、仕事でも「法律やマニュアルの100%履行」を目指す処なのです。

そして合理化すると、トイレの話のように、多くの場合「住民にしわ寄せが行く」処なのです。はたして皆がそれを甘受できるのか。


(2017.3.1)

むかし資生堂のTV・CMで、「春の予感‐I've been mellow」など、すごく春らしいウキウキとした歌が流れた数年間がありました。なつかしい古き良き時代です。毎年新曲が流れるのは、たしか2月中ごろから。

最近気づいたのですが、「萌える」気分になるのもやっぱり2月中ごろからなのです。まだ吹く風は冷たいのに、どこかに「春の兆し」を感知して、冬とは違う、ザワザワとした「萌える」気分が胎動し始めるのです。今思えば、あのCMたちはそんな気分を視覚化したものでした。アーティストたちはすごい。

では3月はどうかと言えば、これはもう「狂う」季節なのでしょう。

毎年思いだすのは、井上陽水さんの歌「桜三月散歩道」。


「 …だって君が花びらになるのは

だって狂った花が咲くのは三月 」

        
      ( 「桜三月散歩道」より抜粋 )


(2017.2.28)

@ 30代の頃、多人数の会社で働いていると相手によって「くん」「さん」を使い分けるのが難しくなるので、私はいつも「さん」で統一していました。同期や新人君にも「さん」です。

でも、私が「さん」と呼んでいるのに、年下の友人の中に私を「くん」と呼ぶ人がいて、呼ばれるたびに笑顔で「このやろう」と思っていました。


@ 宅急便の皆様にはいつもお世話になっております。不在連絡票を書いていただくことも度々で申し訳ありません。

でも不思議な事もありますので、それを聞いてください。

けっして不在にしていたわけではないのに、不在連絡票が入っていることが少なからず有るのです。いろいろ理由を想像しましたが、その一部を申し上げます。

今の宅急便の人は玄関先で「○○さ〜ん、宅急便で〜す」などと大声を上げないし、「ノックもしない」のですね。私も外回りの仕事を経験していますが、昔は「ノックして、大声で名前を呼ぶ」のが当たり前でした。でも今は、プライバシーなどのせいで難しいのでしょうか。

ただ無言で「ケータイで電話」して、それで相手が出なければ「不在連絡票」を置いているようですね。

でも「オレオレ詐欺」な現代、おじさん年齢の者は「常時留守電にしている」とか、「一人でお留守番の時は電話に出ない」人もいるのです。

そんな人の場合、誰も訪ねてきた気配がないのに、不在連絡票が入っていてビックリするのです。


(2017.2.27)

仕事をリタイアしたおじさんたちは、趣味の各種講座・教室に申し込んだりします。

何年か前のこと、私は春の講座に申し込みましたが抽選で落ちてしまいました。半年待って再度秋にトライし、やっと当選することができました。中に入ってから分かったのですが、二回も三回も連続して当選している人がいるのです。つまり「彼らが連続当選したために、私は初回で落ちた」とも言えるのです。

さらにこんな経験もしました。私の居る講座を見学に来た人がいました。ちょっと雑談すると、メモまで取りながら私の話を聴き、目をキラキラさせて「次回申し込むんだ!」と言って帰りました。しかし次回の受講者に彼はいませんでした。あの熱意からは、止めたとは思いにくく、惜しくも落選したのだと思っています。

先日、東京マラソンがありました。倍率は10倍以上とのこと。でもTVニュースには「2回目です!」と笑顔で語っていた人が映っていました。

私は自分が落選した苦い経験から、当選が「初回者優先方式」でないことに疑問を持っています。原則として初回者を当選させてあげて、それでも枠が空いていら、2回目以降の人にも順次割り振れば良いのです。

今はコンピューター時代。そんな事は、やろうと思えば簡単なことでしょう。


(2017.2.26)

@ 「シンクロニシティ」=「ライプニッツの予定調和」!?。


@ 梅の樹も、南がわから花が咲く。


@ 映画「サバイバルファミリー」に出てきたエピソードですが、停電になり天の川が見えても、今の若い子は「あれ、なに?」と言うらしい。

そうかもしれない、かく言うおじさんの私も、天の川を見たのは今までの人生で2回しかないからです。1回目は中学生の時、学校行事で行ったキャンプの夜。2回目は30代に行ったケアンズ郊外のパームコーブ。

特にパームコーブのゴルフ場で、夜行性の生き物の鳴き声に怯えながら見た、本当の満天の星空と、そこに、とうとうと流れる天の川には言葉を失うぐらい圧倒されました。まるで宇宙遊泳をしている気分。そう言えば天の川って、英語で「Milky Way」と言うらしい。


(2017.2.25)

@ ぜいたくはすてきだ。


@ 私も一冊ぐらい入門書を読んでおくべきだ思い、昨年末に暑さ2センチの「読まずに死ねない哲学名著50冊」を買いました。

その本ですが、さすが入門書、とても分かりやすく書いてありました。しかし午後の喫茶店で読んでいるせいか、すぐに眠くなってしまい、まだ5ミリほどしか進んでいません。そんな折、昨年末に右肩を痛めた衝撃で哲学も挫折、いや一時中断となってしまいました。

そして肩の痛みも消え、すっかり本の事も忘れかけた頃、先日の新聞に「ライプニッツ」哲学の文字が。意味不明の私は「そうだ、あの本で調べてみよう」と思い、2カ月ぶりに紐解きました。

そうしたら、なんという事でしょう。「栞(しおり)を挟んでいたページ」つまり、2か月前に中断したページが「ライプニッツ」哲学の項だったのです。こう言うのを「シンクロニシティ」と言うのでしょう。

ちなみに「ライプニッツ」哲学は数回読みましたが、「で、なんなの?」と聞かれても答えられません。


(2017.2.24)

@ 「いい旅を、と誰もが言った/片岡 義男」、

そんなプレミアムフライデーな午後。


@ 半ドンにおけるランチまでの仕事とは、「おはぎ」の「あんこ」に入れる「人つまみの塩」のようなもの。


@ 先日タクシー運転手さんと話したとき、運転手さん「まったく気無し」でしたが、今日はもう「プレミアムフライデー」、年が明ければ速いものです。

以前、私は「プレミアムフライデー」発案の深層には、役人の「半ドンへの郷愁」もあるのではないのか、みたいな話を書いたことがありましたが、すでに一部の官公庁や企業などでは、3時退社ではなく、有給休暇を使っての「金曜半ドン」を呼びかけているようですね。

そんな官公庁・会社で働く者は幸せもの。後ろめたさなど不要で、どうどうと半ドンを楽しめます。

開放的な気分で、少し足を延ばし、おしゃれなランチから休日をスタートしましょう。軽くアルコールを飲んでも良いし…。


@ 「プレミアムフライデー」は毎月末の金曜日なので、「月末は忙しくて休めない人も多いから効果は疑問」という話もあります。でも、月末が忙しい人は他の週にチャレンジすれば良いのです。

官公庁も現状では昔の「土曜半ドン」みたいに閉庁にはできませんので、少なくとも2グループ(2週)に分けて実施するはず。

たぶんその後には、「月一回、各自いちばん都合の良い(仕事に支障のない)週末にプレミアムフライデーを楽しむ」という方向へ自然と流れて行くのでは。

ひかくてき有休休暇を取りやすい職場とか、極端な繁忙期がある職場では、閑散期に毎月2回以上実施する人も出ることが予想されます(「金曜半ドン」も)。

つまり、月末の金曜日と言うのは誘い水であって、実際は毎週金曜日は誰かが(民間企業であっても)「プレミアムフライデー」を楽しんでいることになります。だから商店なんかも「毎週お祭り」することになるのでは。

そして何年かの後、金曜の午後は…

電話をしても先様が閉庁・閉店していたり、担当者退社の事務所がポツポツと現れてきて、自分だけ働いても仕事の効率が悪いので、制度としての「金曜半ドン」へと舵が切られる!?。

( 上の三つは2017.1.27・29、2.6の記事に加筆再掲したものです。)


(2017.2.23)

@ NHK朝ドラ「べっぴんさん」では、武が明美に振られました。理由は「明美には戦争で家族を失ったトラウマがあり、もう家族を失いたくないから」と言うものです。でも、これにあっさり諦めた武は問題。

往年の人気TVドラマ「101回目のプロポーズ」みたいに、もう少し「ぼくは死にましぇ〜ん!」と迫るべきです。女性もそれを密かに望んでいたはず。

人が本心を打ち明けてくれたということは、ときに「それを承知で、も少し口説いてほしい」という気持ちもあるはず。「え!、あきらめちゃうの?」と、彼女を失望させてはいけません。もちろん引き際は大切ですが、ある程度の押しも大切。武はもの分かりが良すぎるんです。

さらに…

武のお見合いの席に明美も同席し、武を称賛するポエムを読むのはいかがなものか。お見合い相手から見れば「だれ、あの娘」、「武さんと、なんか訳アリなの!?」と勘繰られ、結婚してからもずっと、そんな色目で見られ、その内「むかし武が好いた相手」だとバレて家庭争議の元。

それとも明美自身も自覚せぬうちに「あっさり諦めた恨み」が転じて、(内面の怒りから)「ほめ殺しの刑」にされたのかもしれない。

ちなみに武は「ほめ殺し」について少しも嬉しくない。同席されたらバイアスがかかり、お見合い相手に対する正当な評価の妨げになる。さらに愛するA女子と仲良く仕事をしながら、恋愛感情だけ強制的にA女子→B女子へ移動させる「改宗」は、非人間的であり、不可能なほどの過酷を極める。


@ 以下2点の就職試験にまつわるエピソード。「べっぴんさん」の時代背景を考えると、私の考えはあながち厳しいとは言えないと思います。むしろ普通に近いのかも。

でも、このような甘いシナリオになっているのは、現代の就職戦線の厳しさに疲弊している若者に対する優しさ、いえ「おもねている」のかもしれないと思います。


@ NHK朝ドラ「べっぴんさん」では、「キアリス」への就職試験に落ちた青年が「理由を教えて!」と押しかけました。これ、やってはいけないことです。

でも、それだけなら「若気の至り」で、まあ可愛げもあるかもしれません。ふるえながら、小さな声で、精一杯の勇気を振り絞ってなら。

でも、一人前に「上司を出せ!」と声を荒げるのです。こうなると、ある意味「モンスタークレーマー」。「10年は会社の方針に口出しするな」と言われた私にとって、入社試験の段階ですでに会社の方針に口出しし、モンスタークレーマーになるような人間は「いりません」。

問答無用でお帰り頂きます。


@ NHK朝ドラ「べっぴんさん」では、「キアリス」にアルバイトに来ていたさくらが、ジャズ喫茶のアルバイト・五月も「キアリス」で雇ってほしいと、あろうことかアルバイトの身分をわきまえず、正社員・上司たちの会議中に割り込み、すみれに直談判をしたのです。

私なら問答無用でさくらを摘み出します。

「なぜ摘み出されたのか」、さくらには一般常識としてのそれを、自分で理解させる必要もあります。

私は「会社の方針には就職してから10年間は口出しするな」と言われて社会人になりました。そんな私から見ると、他人の人事という大問題に、アルバイトの身分で口出しした娘や、それを、なんのお叱りもなく「いいわね!」で済ませてしまう上司などありえません。

ただ五月への処遇は、さくらの一件とは別途考えてあげます。あれはあれ、これはこれです。

この時さくらを甘やかしたので、後にすみれたち両親に無断で「キアリス」に就職しようとしたのです。すみれ達は少なくとも事前に両親に説明すべきでした。その説明がなかったことを持って、私なら就職させません。

もしさくら達に10年に一人の才能があったとしても、「まずは他人の釜の飯を食って来い」と言って修行に出します。

さくら達や人事部長に押し切られ、満足な人生修行もさせずに自社に就職させる「才能だけ搾取」は、私の感性ではありえません。

人事部長だって上司の子供が「入社したい」と言ってくれば「世間知らず!」と叱責するわけにもいかないでしょう。それぐらい分からないでは「親バカ」と陰口を言われても仕方ありません。


(2017.2.20)

@ 公園では「水仙」が見頃です。白と黄色の花。ほんのりとした香り。

どんな花でもそうかもしれませんが、香水のようにピーンとした植物性の香りだけでなく、まったりとした動物性の香りも混じっているのですね。

もしかしたら花粉なのか。花のくせに人肌を感じさせるのです。


@ むかし神戸に高速バスで遊びに行ったときの事。せっかくウオークマンを持って行ったのに、マイ音楽を楽しみにしていたのに、車内ではBGMやらTVやらが鳴りっぱなしで使えなかったことがありました。残念無念でした。

むかしハワイへ行ったとき、観光バスに酔いました。それで休憩時間に降車し、新鮮な空気を吸おうとしましたが、島中にあふれる「花の香り」に、さらに気分が悪くなってしまいました(通常は「花の香り大歓迎」ですが。)楽園が地獄に変わった1日でした。

ですから、このニュースを見たときは「マジか」と。

「 名鉄「香りバス」に異論 化学物質過敏症の患者団体 」 ( Yahoo!ニュース 朝日新聞デジタル 2/20(月) 5:04配信  )


@ 庭で体操したら、足元の雑草に花のつぼみを見つけました。高さ3センチ、糸のように細い茎、その先っぽにゴマ粒の1/4ほどの、小さくて白いつぼみが付いていたのです。

毎朝・晩体操していますが、今朝初めて見つけました。早春の小さな、小さな命。でも、一人前に「花」を用意してました。


(2017.2.18)

本当の美を知っているか。

冬木立ってのはツンデレで、

通つめても、

めったに微笑んでくれないが。


(2017.2.17)

「若者は死を美化している」のではないのか。

先日おじさん二人でお茶しました。私が、「今までの人生に苦しい事は沢山あったけど、『留まる、逃げる』の二択だけで『自殺』の選択肢など無かった。そんな事、一度も考えたことすら無かった!」と言ったら、友人は一瞬考えた後「そうだなぁ…たしかに俺もそうだった」と、意外にも「目から鱗が落ちた」ような顔をしました。

映画などを見ると、戦争当時は特攻隊に代表されるように、軍部の情報操作などで、「お国のために死ぬ事が美化された」ようです。今の若者はそれと同じメンタルになっているのではないでしょうか。彼らはきっと「留まる、逃げる、自殺する」の三択主義者なのです。


(2017.2.15)

@ 「夏の汗疹と、冬の神経痛」は堪えます。汗疹は暑さを増幅し、神経痛は寒さを増幅するから。あの時は、まさに凍りつくような痛さに耐えられず、鎮痛を求めて行動しました。こんなことは小学校の歯痛以来。普段の私は「寒さと痛みはコラエルもんだ」主義者でしたから。

その右腕を痛めたとき(神経痛風に)、まず薬局へ行き、薬剤師さんに薬の相談をしました。近くに病院はありますが、注射は平気でも長時間待つのが嫌で気が進まないから。

薬剤師さんはとても親切に相談に乗ってくださいました。そして湿布薬と関節痛の飲み薬を買い(飲み薬はビックリするほど高価、お医者さんへ行って保険で買った方が…。)ました。

おかげさまで10日間ほどの治療で症状が改善し始め、独断で治療を中止。一か月経過した今は、ほぼ全快です。念のためスポーツは4月以降までお預けですが。

先日のニュースで「癌に詳しい薬剤師さんを養成し、病院を卒業した癌患者さんの便宜を図る」みたいな話がありました。人命にかかわる事、こじらせたら大変になる事などは別ですが、日常生活の中の軽い疾病・怪我などは、薬剤師さんに相談して売薬を買うという選択肢を知っておくと良いと思いました。

ちなみに腰が痛くても、実は内臓の病気だったりすることもあります。また湿布薬も「冷湿布」と「温湿布」があり、間違えると症状が悪化することがあります。

薬剤師さんは問診でそれが見極められないと、責任問題になりかねませんから、「病院へ行ってください」と言い、薬は推薦してくれないこともあります。だから安心。


(2017.2.13)

最近の横恋慕は、包丁ではなくてミサイルになったらしい。


(2017.2.12)

「犯罪人引渡し条約」に異論はないけれど、ときに「おぞましい」と感じるのはなぜだろう。


(2017.2.9)

「終身雇用」がもし「死ぬまで働け」という意味だったとしても、機会を見つけて「もう退職したい」と大声を上げる事はできます。その「大声」が貴方の道を開きます。大変な勇気が必要ですが、貴方にはそれがあります。


(2017.2.7)

トランプさんは大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓しましたが、日本の公務員には「憲法尊重擁護義務」があり、就職時には「宣誓」の儀式も行うのです。

そんな公務員の生きざまは「順法」「公平」の二つでも表されます。あってはなりませんが、もし彼らが「順法」しない時、それは、なにかに「公平」ではないと感じている時かもしれない。


(2017.2.6)

@ 半ドンにおけるランチまでの仕事とは、「おはぎ」の「あんこ」に入れる「人つまみの塩」のようなもの。


(2017.2.4)

いつものように、つまらんことが書けるようになった。やっと右腕の痛みも少しだけ鎮まってきたようだ(まだ、一日中仕事をすることはできないけれど)。こんな痛みは人生初体験。スポーツは桜が咲くまでお休み予定。



(2017.2.3)

あるいは、

社長:「生産性を上げるために労働時間の退縮をする」。

首長:「労働時間の短縮をするために生産性を上げる」。

と言うべきか。


(2017.2.1)

年末に恩義のある友人から、この春、少しだけ仕事を手伝ってほしい旨の依頼がありました。古巣は懐かしくもあり、ぜひ働きたい気持ちが4割ありましたが、もう心身が鈍って働けない気持ちも6割あり…悩んだ末、断腸の思いでお断りしました。

そして、お断りしてからも、それで良かったのかと、何度も思いだしていました。

でも、お断りして良かったみたいです。

正月休み中のスポーツ疲労と、家庭内のちょっとした打撲事故で、10日ほど前から右腕に痛みが走り、湿布薬と内服薬を使っています。ときに神経痛のように、痺れるように痛くて…このタイピングも必死の形相で打っているぐらいですので。


(2017.1.29)

@ 役所(公務員)は「管轄全体の公平を第一」に考え、企業(会社員)は「自社の利益を第一」に考えます。これは在職中に実地教育され、知らぬうちに「その人の人生観」にまでなりますが、お互いの特殊性に気づかぬまま退職後も消えません。

だから、たとえば津波の危機が迫った時、リーダーが役人の場合は「全員が避難できる場所」へ、会社員の場合は「最も安全な場所」へ誘導しようとする。

以前そんな話を書いたことがありました。

でもワンマン大統領のあの人も、支持者もこの違いを知らないのでしょう。企業家として一流であるなら、政治家としても当然に一流だと思っている。だから総合的に見て、すぐに今の彼が悟ることは大変難しい。もし悟れば、そのときは恥ずかしさのあまり引退も辞さないと思うのですが。


@ 「プレミアムフライデー」は毎月末の金曜日なので、「月末は忙しくて休めない人も多いから効果は疑問」という話もあります。でも、月末が忙しい人は他の週にチャレンジすれば良いのです。

官公庁も現状では昔の「土曜半ドン」みたいに閉庁にはできませんので、少なくとも2グループ(2週)に分けて実施するはず。

たぶんその後には、「月一回、各自いちばん都合の良い(仕事に支障のない)週末にプレミアムフライデーを楽しむ」という方向へ自然と流れて行くのでは。

ひかくてき有休休暇を取りやすい職場とか、極端な繁忙期がある職場では、閑散期に毎月2回以上実施する人も出ることが予想されます(「金曜半ドン」も)。

つまり、月末の金曜日と言うのは誘い水であって、実際は毎週金曜日は誰かが(民間企業であっても)「プレミアムフライデー」を楽しんでいることになります。だから商店なんかも「毎週お祭り」することになるのでは。

そして何年かの後、金曜の午後は…

電話をしても先様が閉庁・閉店していたり、担当者退社の事務所がポツポツと現れてきて、自分だけ働いても仕事の効率が悪いので、制度としての「金曜半ドン」へと舵が切られる!?。


(2017.1.27)

今日は1月最後の金曜日、来月の同日はもう「プレミアムフライデー」。年が明ければ速いものです。

以前、私は「プレミアムフライデー」発案の深層には、役人の「半ドンへの郷愁」もあるのではないのか、みたいな話を書いたことがありましたが、すでに一部の官公庁や企業などでは、3時退社ではなく、有給休暇を使っての「金曜半ドン」を呼びかけているようですね。

そんな官公庁・会社で働く者は幸せもの。後ろめたさなど不要で、どうどうと半ドンを楽しめます。

開放的な気分で、少し足を延ばし、おしゃれなランチから休日をスタートしましょう。軽くアルコールを飲んでも良いし…。


(2017.1.25)

女性の社会進出がふえると職場の産休・育休も多くなります。

昔いた職場では3年ぐらい欠員1が続いた時もありました。当然に仕事の負担は増になりましたが、上司も同僚も、誰一人陰口を言う者はいませんでした。皆、産休・育休とは無関係な事のように沈黙していました。下手なことを言うと「マタハラ」と非難されかねないからですね。

本日早朝のNHKラジオで「マタハラ」に苦しみ、戦っておられる女性の方が登場しました。その方は過酷な「マタハラ」の話の後に、「逆マタハラ」についても言及されました。

女性が休んでいる間、同僚に仕事のしわ寄せがあるわけで、その事に対する「対価と評価」をする必要があると、そんな趣旨の話をされました。

残業手当は出るにせよ、上司も同僚も、苦しさを皆が沈黙している状態は、メンタルの上でベストとは言えなかったのだと気づきました。


(2017.1.23)

@ 警察官、自衛官、税務署員などは、強面のするその仕事をしたくて就職します。しかし市町村役場職員の多くは普通の「一般事務」がしたくて就職するわけです。

でも、数年に一度ある人事異動で、好むと好まざるとに関わらず、一定数の人が生活保護担当になります。たとえば昨年まで戸籍係で一日中黙々とタイプを打っていたようなもの静かな人が、今年から生活保護担当になり、カッターナイフで襲撃されたりするわけです。

でも負けてはいられません。周囲から二重人格と言われようとも、押しつぶされそうな心を奮い立たせ、明日からも仕事をしなければなりません。

これは想像ですが、あの過激で問題のあるジャンパーは、深層的には「変身のためのマント」であったのかもしれません。メンタル的に事件直後はそうせざるを得なかったのでしょう。


@ いわゆる公務員の仕事は楽ばかりではありません。

生活保護の仕事は、底辺で生きるたくさんの人々と深くかかわる必要のある大変なものですし、税金・国民健康保険などの徴収・差押えは、まじめに一所懸命にやればやるほど、相手から嫌われトラブルが起きやすいものです。

しかし生活保護の不正受給は税金泥棒の可能性がありますし、税金などの不正な滞納は、ちゃんと納税している大多数の人々を裏切るもの。そのとき公務員は正義を行う砦なのです。世論は非難の矛先を誤ってはなりません。


(2017.1.21)

なにか無性に「カホン」が欲しくなって仕方ない。


(2017.1.19)

@ 昨夜「グレゴリオ聖歌」 ( 聖モーリス及び聖モール修道院ベネディクト派修道士聖歌隊 )を聴きました。

以前にどこかで買った安価なCDで、自己嫌悪に陥った時など、ときどき聴きたくなるものです。「ギンギンのロックとグレゴリオ聖歌の両方を楽しめる人は、情緒に問題がある」みたいなジョーク!?を昔聞いた事がありますが、白状すると私もその一人です。

最近スピーカーを買い増しましたので、その音質チェックも兼ねていたのですが、聴いて驚きました。音質のことではありません。

この聖歌の、厳かな歌のバックには、暗騒音のように静かなオルガンが流れていたのです。ジャケットにも書いてありませんし、何回聴いたCDか分かりませんが、今回初めて気づきました。

あわてて、以前から持っていたスピーカーに切り替えてみると、チャント聴こえるではありませんか。

いったい私は何を聴いていたのでしょう。

見ても見えない、聴いても聴こえない。あわてるばかりです。


(2017.1.17)

そうか、大使館の次は、竹島か。


(2017.1.12)

@ 今一度読みたい「国家の品格」(藤原 正彦 著)。


@ オバマさんが大統領になったとき、「米国に人種差別は無くなった」という人がいました。

トランプさんが大統領になったら、「人種差別は誤りだった」という人が出るのでしょう。


(2017.1.7)

記録的な大ヒットをしている、深層的には在日のヒロインを描いたあのアニメでは、「夫が自分の妻(ヒロイン)を、出征まじかの妻の幼なじみの男性に、娼婦のように一夜あてがうエピソード」があります。翌朝、妻はこの事を夫に怒りましたが。

たしかに日本の戦争映画には、出征まじかの男性と、「女性が未亡人になるかもしれないのに急いで結婚させる」とか、「子づくりだけをする」とか、そんなエピソードはありました。

でも、「夫が自分の妻を娼婦のようにあてがう話」は聞いたことがありません。このエピソードに内包されたものは何だったのでしょう。もしかしたら、私の不勉強であり、日本のどこかにそんな悲話(秘話)があったのかもしれませんが、喉に刺さった小骨のように感じています。

先日よりニュースでは「従軍慰安婦」問題が再燃し始めました。


(2017.1.1)

新年あけましておめでとうございます。 

元旦の朝、上天気です。


(2016.12.31)

@ 今年も、まだやり残したことがいくつもあります。どれも、けっして忘れていたわけではありません。毎日思いだしては「近いうちに」と…でも、とうとう行動できませんでした。お許しください。

そんな今年も、もうすぐ日が暮れます。皆さまの新年が良い年でありますように。


@ いっそ日本中の除夜の鐘が一つも鳴らなければ、今、何が起こっているのか理解できるような気がします。


(2016.12.28)

「 『荒れる』成人式を変えたい! リーゼント姿の新成人が国際通りを清掃 」
(沖縄タイムス+プラス ニュース2016年1月11日 12:09)

かっこいい。

酒を飲んで暴れると顔にボカシが入って報道されるけど、清掃する写真には入らない。

その写真こそ一生の思い出。

ご両親や友人知人、彼女だけでなく、孫子にまで、どうどうと見せて自慢できる。


(2016.12.27)

若いころハワイの「アリゾナ記念館」へ行ったことがあります(古い記憶なのでいけませんが、もしかしたら岸壁にあるビルか、係留されている船だけ、だったのかもしれません)。

ほんとうは別の観光地の予定でした。でも理由は忘れましたが、急きょ、そこへは行けなくなったらしいのです。それで日系人らしいガイドさんに「日本人なら必須学習!」の体で、有無を言わさず連行されたのでした。

わたしたちは「禁・Xサインの記念撮影」を合言葉に、沈痛なおもむきで入館しました。

線香のにおいがした記憶です。ほんとうに線香が有ったのかは分かりません。キリスト教でもお葬式には「お香」みたいなものを焚きますので、そんなにおい有ったとしても不思議ではありません。

息子を亡くした、あるいは戦友を亡くしたような年齢の、米国人らしき善男善女がしんみり写真を見つめていました。

「いたたまれない空気」、それが正直な感想です。

暴言を浴びせられたり、嫌がらせを受けたりはしませんでした。みんな静かでした。

楽園に行くはずが、墓地へ行ったような、結婚式へ行くつもりが、お葬式に行ったような…

黒い日本式の礼服に隠れたいと思いました。


(2016.12.23)

このような事を書いて、良いのかどうかわかりませんが、83歳のお誕生日おめでとうございます。

泊まった温泉は、かつて天皇皇后両陛下も泊まられたことのあるお宿でした。

スポーツ選手や芸能人、作家先生などの色紙が飾られているコーナーがありましたので、気がつくと天皇陛下の色紙を探している自分がいました。

あるわけないですね。

途中でハッと我にかえり気づきました。

ならばツイッターぐらいは…

そんなものも有るわけないし、ブログも無いでしょう。

やっぱり特別なお方なのですね。

追記

でも…もしかしたらH.N.で…。


(2016.12.22)

温泉では夕食前と後、それに朝にもお湯に入りました。

夕食後は少し疲れた感がありましたが、せっかくなので入りました。そうしたら湯上りに立ちくらみがして5分間ぐらい動けませんでした。水で体を冷やしてようやく治まりました。軽度の立ちくらみは毎度の事なのですが、あんな重度は初めてです。

その夜は布団に入ってから喉が乾き、チビチビと朝までの6時間、酒ではなく、1リットルの冷水を飲んでしまいました。それでも朝のオシッコの色は濃い黄色です(失礼)。体調が良い時はほぼ透明なのに。

どうやら重度の立ちくらみの原因には脱水症状もあったのかもしれません。

実は、お昼発のシャトルバスで温泉に行くために、午前中から水分を少し控えていたのです。ランチもサンドイッチにして。その延長で(入浴前にお茶を飲んだのですが足りなかったみたい)水分が不足していたのでしょう。

そう言えば、先日のニュースで「温泉の熱中症」を紹介していました。

追記

ちなみに風呂上がりの軽度の立ちくらみは、湯から出るときに両手に5秒間ほど冷水をかければ治まります。毛細血管が冷水の刺激に収縮し、血圧が上がるからだそうです。

しかし温泉では、あまり湯船のそばに水道の蛇口はありません。しかたなくステンレスの手すりや、湯船脇の大きな石で冷やそうとしましたが足りませんでした。さらに洗い場までやっとのことでたどり着いて蛇口をひねっても通常お湯しかでません。

倒れそうになりながら、必死で蛇口を冷水に切り替えて水を出してみましたが、今回のように重度のものには即効性はありませんでした。


(2016.12.21)

山奥の温泉に行ってきました。清流の川沿いに遊歩道があったので、さっそく歩いてみると、花吹雪の春ならともかく、さすがに12月では誰も歩いていませんでした。夕暮れ時の寂しい小道。


(2016.12.13)

「プレミアムフライデー」の実現で、かつて役所にあった「土曜半ドンの味」を、多くの方が疑似体験できるようになるのかもしれません。


(2016.11.27)

どうやら映画「この世界の片隅に」には「国旗論争」があるらしい、と言うと、「お前もその一人だろう」と突っ込まれるのが落ちでしょう。

しかし私が思っていることと、世間様で話題になっている「国旗論争」とは少し違う気がするのです。

すでに述べたように、良い映画の多くは「騙し絵的二重構造」になっています。たとえば映画「大脱走」は、表層では戦争映画であり、深層ではベースボールの映画なのです。そんな二重構造の映画の中には、深層に「在日の方へのメッセージ」を込めたものもあるのです。

普通に見れば日本人の物語なのに、在日の方が観るとピンとくる記号を持ちいて、「在日の方を慰める目的等」も持った作品が、「不定期かつ密かに何本も作られている」ようです。そして、その魂は「映画の行間」に宿っているという事です。記号には「国旗」もありますが「国旗」がすべてではありません。

例えて言うと、映画「ローマの休日」のラストの記者会見みたいに。

たとえ第三者がその場にいても真実は分からない。セリフの意味を二人に問いただしても、表面的な回答しか得られない。しかし二人は雄弁に意思疎通を完了するのです。

誤解があっては困りますが、私はけっして、それを非難していません。ただ他の多くの映画とおなじように、「もったいない」から両方味わう努力をしているだけなのです。在日の方が歩んでこられた道にも想いをはせながら。映画「ローマの休日」が好きな人なら誰だってそう思うでしょう。

追記

これもすでに書いた事ですが、映画の解釈はスクリーンにて行わなければなりません。不明な部分を原作に求めても、原作は映画のモチーフにすぎません。言いかえれば「パラレルワールド」です(限りなく似た、しかし決定的な別世界)。だから映画の解釈を完了する前に原作を読むと、情報が混乱し迷宮に入りかねません。原作は映画の解釈が完了した後に別物としてゆっくり楽しみましょう。


UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU
 

「 成長できない者にかぎって、飛躍したがるものである 」
                

             (エリック・ホッファー)

飛躍したいという野心は、実は、成長できない者が破滅していく前奏曲だったのかもしれないのです。
 

UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU


( 映画について )

昔は、人が「面白い」と言えば「そんなに面白いなら観ないわけにはいかない」と、人が「つまらない」と言えば「その、つまらなさ、自分の目で確かめてやろう」と、休日はほとんど映画館に入りびたりでしたが、最近は映画館は月に3回ぐらいになりました。

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( 掲示板について )

思うところがありまして、近年返信をお受けしておりません。あしからずご了承ください

人にものを伝えるのは難しいことです。

対面していても難しい。ましてや掲示板に書き込んだだけで、完全なる意思疎通をするのは困難だと思っています。老若男女、生まれも育ちも違う無数の人たちが匿名で参加しているのですから。

私の書き込みに反感などをもたれた方は、それは私の本意ではないと好意的に解釈してください。どこかに誤解が混じっているかもしれませんから。

ときどき「その解釈は違うと思う・・・」とか、返信を下さる方がいますが、できましたら御自分のスレッドを立ち上げて、返信ではなく、自主的な発表として、あなたの解釈をお披露目してください。その方が嬉しく思います。返信を下さるほどの自信とエネルギーが有る方なら、ご自分のスレッドを立ち上げることは容易だと思います。

議論をしないことについてもご意見をいただく事がありますが「議論をしないための議論」になりかねないため返信できません。どうぞご理解くださるようお願いいたします。

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( お気に入りユーザー登録について )

お気に入りユーザーとして登録してくださる方がいらっしゃいます。心より御礼を申し上げます。

大変恐縮ですが、私自身は現在この機能ボタンを使用しておりませんので、悪しからずご了承くださいませ。でも、私も、心の中で、皆様をお気に入り登録させていだだきました事をお伝えいたします。

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( 映画生活ユーザー登録について )

遅ればせながらユーザー登録をさせていただきました。私の現在の登録HNは2001/5/22から使用している「さくらんぼ」ですが、2000/12/31からHN「街の灯」で、2001/1/7から2001/5/14までは、HN「まちのひ」で投稿しておりました。当時はメルアドの入力も不要な、のんびりとした時代でした。でも入力が必要事項になった時、直後の数日間は、皆さんの投稿数が激減してしまいました。きっと警戒心がわいたんでしょうね。懐かしい思い出です。

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( 私のレビューについて )

子供のころ学校で「本を読んだら次の順序で読後ノートをまとめるように」と教わりました。

@あらすじ、A主題、B感想、の順です。

この中で私がいちばん興味をもっているのがA主題さがしです。私の投稿はおもに「独りよがりな主題探しの打ち明け話」で、レビューとしては中途半端なものです。少なくともBの感想をプラスして初めてレビューの体をなします。Bの感想は何を書いても良いのですが、主題が分からないと的外れなものになりかねないので、こちらもまた難しい。

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( 映画の解釈方法について )

私は映画の解釈をするとき、ふと「映画とはシンフォニー」ではないかと思ったことがあります。たぶん「どちらも小さなパーツが集まって展開し、相似形の全体が完成している」からです。

だから、どこか「小さなパーツひとつを解釈することで、映画の全体が理解できるのでは」と、仮説を立てたのです。

つまり「パーツAの解釈が、パーツBやC、Dなどにも当てはまるか、そして映画全体にも当てはまるか」を考えていくのです。そうすると、だんだん、その映画が解ってくると。

ところで、昨日、新聞を読んでいたら、理論物理学者の方の、面白いコラムを見つけました。

「 …私は、科学者、特に物理学者であることがどういうことか明確な感覚を持っています。観測や実験から得た情報に基づき、初期の理論を組み立てる。うまく行ったら、より多くの現象、より小さなスケール、より大きなスケールに当てはまる数式にまとめていく。常に実験や観測に照らしつつ、さらに異なる現象を統合し、より統一された理論を目指す。それが科学です。… 」

( 2016.6.8 朝日新聞朝刊インタビュー「オピニオン&フォーラム『科学者とは』・アリストテレス 科学の源流でない 実は退屈な詩人 」理論物理学者、米テキサス大学教授 スティーブン・ワインバーグさん より抜粋 )

きっと皆さまは「つまり君の解釈は科学的なのか?」と、お尋ねになりたいと思います。それには「1パーセントぐらいのレビューは近いかもしれません」と、お答えしておきます。「では、あとのレビューは?」とは聞かないでください。「あとは退屈なポエムですらありません」から。

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( 映画、TV、原作本について )

映画の解釈に迷ったとき、原作本を読んで答えを知ろうとする人もいますが、あなたはどうしてますか。

正しい解釈に早く辿り着きたいのなら、読まないほうが良い、と申し上げておきます。

なぜなら、映画と原作本は、近似の、しかし別々の物語(パラレル・ワールド)だからです。この二つの情報を同時に頭に入れることは混乱を招きやすく、解釈の情報処理に得策ではありません。

数ある映画の中には、細部に仕掛けをして、一見原作と同じに見えながら、実は逆の結末を用意したものも在るようです。

どこかワンシーンの描写、ひと言のセリフで解釈がひっくり返る仕掛けを映画に仕込むのです。現実でもフロッピー・ディスクの改ざん事件がありましたが、あの現実の示すとおり、ほんの少しのことで結末はひっくり返るのです。

原作本に心酔し染まってしまうと、それは映画を冷静に観ることにはマイナスに作用します。監督は観客が騙されるのを遠くから「してやったり!」と、ほくそえんで見ているのかもしれません。

映画の解釈は原作本から離れて静かにすべきです。映画の補足説明ですら原作本に求めるべきではないと考えます。映画の事は画面の中だけで完結してください。(TV版ドラマも同様です。)そして、めでたく解釈が完了してから原作を楽しみましょう。別物として。

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( 映画の記号について )

津波と水素爆発で破壊された原発の映像がニュースに流れていましたが、その映像に私は違和感を感じました。バックの空がとてもきれいな青だからです。破壊された原発の残骸から受ける悲惨なイメージに打ち勝つほどに強く美しい青でした。それはワイキキの浜辺に似合うほどです。

もし、これが映画なら、空は少なくとも曇天でなければなりません。嵐の時のような真黒な雲ならお似合いです。逆に言うならば、映画で不穏な雲がでてきたら、その後には悲劇が起こると言う記号でもあります。

私のレビューには記号の解釈がいくつか出てきます。もちろん真面目に書いていますが、どれも私の独断と偏見で解釈したもですので話半分で読んでください。ご質問を頂いても多分お答えできません。

かつて私は「映画の記号辞典」を手に入れたいと思い、本屋さんで探した事がありましたが、売っていませんでした。

その時に立ち読みした本(タイトルは忘れました。)によると、記号というのは、ある程度の普遍性があるにしても、映画によって、また時代背景によっても変化するので、完全なる記号辞典は出来ない、というような事が書いてありました。

結局、映画の記号を解釈するには、多少の知識は必要だとしても、最終的にはその映画文脈の前後から動的な判断をするしかないのでしょう。学術書や原作に拘りすぎる静的な判断は間違いのもとです。一本の映画と言うものは、それだけで唯一無二の完結した世界、であることを忘れてはいけないのです。

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( その他 )

@ 「共感覚」についてお話しします。レビューやブログの中にときどき余談として出てきますので。

自慢話をしていると思われると困るのですが、私はおじさんになって初めて「自分には音→形が見える」(正確には、音を聴覚・視覚・触覚で味わえる)ことに気づきました。たぶん生まれつきなので、当たり前すぎて自覚すらしなかったのです。誰でも同じだと疑っていなかったのです。

ところが中年になり酒席で、なにげなくオーディオマニアの友人に話したところ、友人が「オカルト話は嫌いだ」と機嫌を損じたので、もしかしたら違うのかもと、気がついたわけです。

その特殊な感覚はオカルトではなく、まっとうな科学であり、一般に「共感覚」と呼ばれています。

しかし当時(10年近く前)ネットで調べても「文字に色がついて見える人」が一般的で、「音→色が見える人」ぐらいはあっても、「音→形が見える人」についての記事は皆無と言ってよい状態でした。だから「私のは本当に共感覚なの?」と疑問がふくらんだのです。

そんなある日、図書館で「ねこは青、子ネコは黄緑・共感覚者が自ら語る不思議な世界」(パトリシア・リン・ダフィー/石田理恵〔訳〕)という本を見つけて、救われました。

その中の「6章 作曲家マイケル・トーキーと音楽の色」で、音楽から視覚と触覚が刺激されるとして、「フレンチ・ホルンの音は丸」、「トランペットの音は先が尖った感じ」、「フルートは綿のような音」、「クラリネットは滑らかな音。まるでヒョウの毛皮のような感じ」と、そしてこれは「比喩」ではなく「知覚」だと書いてあったからです。

オーバーに言えば、私は「不安と孤独」の世界で、やっと「仲間に巡り合えた安心」を感じました。

今日、あらためてネットで「音 形 見える」で検索すると、わりと多くの情報がヒットするようになりました。日本にも多数の仲間がいそうです。これもある意味カミングアウトなのですが、自己紹介であると同時に、誰かを救えるとしたら必要なことだと思いました。


@ 「気功」、「オーラ」についてお話しします。レビューにも時々出てきますので。

おじさんになってからの事です。雑談中に友人から「あなたはオーラが見えますか?」と質問され、後に試してみたところ、自分にも「少しだけ見える」ことに気づきました。友人も「オーラ」が見え、同類の人はなんとなく判るのだそうです。

「オーラ」を一口で言えば、「仏像の背にある光背(こうはい)と呼ばれる放射状の後光」です。生身の人間にもそれはあります。光背みたいに放射状に鮮明に見えるのは希で、たいていは「体を包むぼんやりとした光」として見えます。私には。

見えることが何か役に立つのかと言えば、「うつ状態」の人からは「黒いオーラ」が出ている場合があり、それが見えることがあるのです。

「黒い光なんて矛盾する」と思われるかもしれませんが、「昔の家庭用の、黒いゴミ袋を膨らませたような、『テラテラ黒光りする膜』みたい」と言えば分かってもらえるでしょうか。そんな光に包まれているのです。オーラが見える友人も同じものを見たことがあると言っていましたし、ネットにも書いてあります。

そのとき偶然に「気」も見えることが分かったのです。「気」を一口で言えば、「全身から立ち上る白っぽい煙・湯気のようなもの」です。「煙・湯気」との違いは、「煙・湯気」は光を当てるとより鮮明に見えるのに対し、「気」は明るくても見にくいし、反対に暗闇でも見にくいのです。「気」を見るには「ちょうど良い加減の薄暗い場所」で、「暗色を背景」に手のひらを見ることです。私には手からモウモウと立ち上る「気」が見えます。

こんな「自分に起こっている現実」を無視するわけにはいきません。私はその「オーラ」と「気」をもっと知りたくて関係本を探しました。そして「気功」と出会ったのです。

「気功」を学ぶことで「気」を健康に役立てることができました。今の私は「気」が見えるだけでなく、手のひらで触れることも、多少操ることも出来ます。今の私にとって「気」は神秘であると同時に、「空気や水」と同じような「日常生活の一部」なのです。

他の人にも尋ねてみると、「臨死体験」みたいな事があった人、生まれつき日常的に「オーブ」が見える人などがいました。見えるのに私と同じように気づいていないだけか、あるいは気づいていても人目を気にして「秘密」にしている人は意外に多そうです。


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以上です。

さくらんぼ さんがファンになっている映画

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さくらんぼ さんのレビュー投稿

見出し 満足度 作品名 投稿日
長く見つめ合うと誤解されるよ(0) 0点 俺たちの勲章 2015/09/16
刑事ドラマで謳ったフォークソング(0) 100点 俺たちの勲章 2015/08/12
愛をプログラムに織り込んではならな...(0) 100点 ネットワーク・ベイビー 2014/07/28

さくらんぼ さん


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