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出木杉のびた さん

出木杉のびたさんのレビュー一覧

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2412件中1-10件

  • 100点 素敵のど真ん中(2)

    2015年5月18日 to 駆込み女と駆出し男

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    軽いコメディかと思われるようなタイトルだが、そこは、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」の原田眞人監督作、笑いあり涙ありの風格ある重厚なドラマに仕上がっている。原案の「東慶寺花だより」というタイトルがかなり良いので使って欲しかったが、映画はタイトル通り、駆込み女の鉄練りじょご(戸田恵梨香)と、駆出し男の中村信次郎(大泉洋)が出逢ってからの成長物語になっている。

    時は江戸時代後期。老中・水野忠邦の天保の改革により、浮世絵や歌舞伎などの娯楽が庶民から奪われた。そんな時代だからこそ、巷では南総里見八犬伝の完成を、多くの人々が待ちわびていた。一見、物語とは関係ないように思える、この曲亭馬琴(山崎努)のエピソードは、鬱屈した世の中での希望の象徴である。南総里見八犬伝自体、基本勧善懲悪ものであるように、悪政に苦しむ人々の心の支えであったに違いない。また、医者と戯作者の駆出し男である主人公・信次郎の、今後の生き方を左右する、重要なファクターでもある。

    滑舌よく、大量のセリフを快適なテンポでしゃべりまくる大泉洋に拍手。粋な言葉の数々、七五調の掛け合いの心地良さ、そしてこの時代の新しき言葉の発見が楽しい。素敵とは、素晴らしくて敵わない様子とは、目からウロコであった。粋とあだっぽさの違いなど、日本の言葉が大切に吟味され、映画に活かされている。

    それにしても全体的にセリフの情報量が半端ない。大泉以外の登場人物たちも、実に饒舌である。時に役者同士のセリフが交錯し、実際にその場で話を聞いているような錯覚に陥る。三代目柏屋源兵衛(樹木希林)、お勝(キムラ緑子)、利平(木場勝己)による会話は、まるでセリフのリレー大会みたいで臨場感溢れる。この脇役たちが皆、適材適所の素晴らしい演技を見せる。

    キャラが立っている作品でもあるが、特に法秀尼が魅力的。寺法は寺の為にあるのではなく、苦しんでいる人の為にあるのだ、という信念に貫かれた生き方が堪らなくかっこいい。演じる陽月華の、宝塚で鍛えた見事な発声。あの一喝する大声は正に素敵。目を合わせてはいけないという件では、大いに笑わせてくれた。

    じょごと共に駆込んで、絆を深めて行くお吟の満島ひかりもいい。眉を剃ったお歯黒の顔は、当初は奇異に感じられるが、そのうち慣れてくる。べらんめぇ口調とあだっぽさが素敵なキャラで、存在感も抜群だ。そして、お吟の駆込みの本当の理由に熱い思いが込み上げる。更に、同時駆込み以来、心を通い合わせるじょごとの絆に涙。

    心地良い涙と感動と勇気をもらえた作品であった。江戸時代を懸命に生きる人々の粋を感じ、優しい気持ちにも浸れる。ラストシークエンスが、また素敵であった。

     

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  • 100点 マーフィーの法則(4)

    2014年11月26日 to インターステラー

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    やはりクリストファー・ノーランは凄い。期待に違わず素晴らしい物語を作り上げてくれた。ノーラン映画の3時間は、全くその長さを感じさせない。意表を突く展開のオリジナル・ストーリーの独創性、映像表現の素晴らしさ、明確なテーマ、どっしりとした重量感ある手応えを堪能できる。SF映画の新たな傑作の誕生だ。

    近未来の地球は、滅亡の危機に瀕していた。地球以外に人類が生存できる惑星を求めて、クーパー(マシュー・マコノヒー)は、未知の宇宙に飛び出す。娘・マーフには、必ず帰ると約束の言葉を残して。起こるべきことは起こるという、マーフィーの法則。娘はこの名前が気に入らない。悪いことに使われがちなこの法則の解釈が前向きで、本作で起こる出来ごとにも関わってくる。計り知れないほど壮大な宇宙を舞台に、地球人類存亡の危機というヘビーな設定。しかし、描かれるのは、父と娘の深い情愛である。

    地球存亡が懸かっているとしても、人間は究極的にはエゴである。宇宙船の中で、交錯する乗組員の思い。アメリア(アン・ハサウェイ)が主張するその星にも、意味があった。ある場所にいた博士には驚かされた。クーパーと出会った時の演技がまた素晴らしい。ビッグネームなのに、キャストに名前が出ていない。その意外性と彼のとる行動が、イメージするキャラを逆手に取って、更に観客を驚かせる。

    全てはエゴなのか。いや、それは"愛"なのだ。娘の未来を守りたいという気持ちこそが、人類を救うことに繋がる。砂だらけのマーフの部屋の本棚。ポルターガイスト現象に、マーフが解読したその単語の意味するところ。何故、ここなのか。この謎が解明される時、観客は大いなる宇宙の意思の真実に、心震わされることになる。

    謎の多い、ミステリーな展開だけでも面白く、父娘の確執・愛情にも心動かされるが、映像がまた文句なく素晴らしい。異常気象によって何度も襲い来る砂嵐。青空を侵食し、みるみる忍び寄る黒い影。三つの候補地である惑星が、それぞれに特徴的だ。ある惑星で襲い来る自然の猛威がスペクタクル。

    宇宙の映像も圧巻。ワームホールやブラックホール、ガルガンチュアなど、技術の進歩と、専門家が科学コンサルタントを務めていることにより、真実味のある映像が堪能できる。この壮大な宇宙の旅は、名作『2001年宇宙の旅』を想起させる。更に映画に登場する動くコンピュータTARSは、モノリスを思わせる。それが変形して器用に歩き出したり、機敏に動いて乗組員を救助するシークエンスでは、実に頼もしい働きを見せる。ユーモアもプログラムされているお遊びも、ハードな内容に於いて、心和ませてくれる。次第に人格まで感じられてしまうので、つい感情移入してしまう素晴らしいキャラだ。

    例の部屋の映像には目からウロコ。この世界では、こう見えるのか。今まで頭で考えたことはあるが、その映像化はハードルが高いとは思っていた。それを見事に実現して見せた、ノーランのイマジネーションと、映像作家としての実力を思い知らされた。

    クーパーは娘との約束を果たせるのか。究極のエゴである、娘を愛する気持ちは、果たして人類を救うことができるのか。映画内で繰り返される、印象的な詩。「おとなしく夜を迎えるな」。これも本作の重要なメッセージ。そして、結末に、泣かされた。

     

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  • 100点 キャラバン(0)

    2015年7月2日 to セッション

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    圧倒的なパワーに打ちのめされた。これがデイミアン・チャゼル監督の長編一作目というから驚きだ。アカデミー賞他、数々の主演男優賞を受賞した、フレッチャー役のJ・K・シモンズの存在感が半端ない。これぞはまり役と言えるだろう。

    フレッチャーの鬼教師振りは尋常でない。パイプ椅子は飛んでくるわ、ビンタは炸裂するわで、生徒はとても平常心は保てない。その恐怖を乗り越えた上で、コンマ1秒もの狂いも見逃さない神の耳を持つ男の期待に沿えるような演奏をこなすのは、至難の業だ。繊細さと強靭さを持ち合わせた精神力が必要とされる。しかし、フレッチャーの目に止まっただけでも栄誉あること。ここでの成功は、名声を手にしたにも等しい。何が何でも喰らいついていかねばならない。ニーマン(マイルズ・テラー)が何度もダメ出しされるシーンの緊張感が凄い。

    ニーマンの執念も物凄い。流血するまでスティックを握り続けるには、一体どれだけの時間が必要だろうか。フレッチャーはライバルを登場させることで、競争心を煽る。三人による次々交代のドラム合戦がまた凄まじい。

    コンペティションでのトラブルの数々にも関わらず、自分のポジションを守ろうとするニーマンの、取り憑かれたような姿が鬼気迫る。そして、クライマックスのシークエンスに驚愕。フレッチャーの目的に驚かされ、ニーマンの行動にハラハラさせられる。憎しと思いながらも、その素晴らしさを認めざるを得ない天才同士の対決は、最後までスリリングで目が離せない。ラストの演奏は圧巻。語り継がれるエンディングであろう。

     

    共感:3人

     

  • 100点 押しかけヘルパー(0)

    2015年1月13日 to 0.5ミリ

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    鑑賞前は、196分という上映時間の長さに気後れもしたが、観始めたらその面白さに時間を忘れてしまっていた。主人公の山岸サワ(安藤サクラ)が、老人を物色しては、押しかけヘルパーを買って出て、転々とする。それぞれの老人にそれぞれの物語があり、キャラクターや演技陣の素晴らしさもあって、長時間を飽きさせない。サクラの実姉である監督の安藤桃子の演出は、手堅く丁寧に、この愛すべき人々の生活をじっくりと描いていて好感が持てる。サワは介護の経験や、料理上手などの特技を活かして、老人たちの心の中に深く入り込んで行く。老人の抱える淋しさを癒す為の密かな楽しみ、家庭の問題などに触れながら、それでも生を全うしなければならないことの意味を、サワの目を通して模索していく。

    我慢することのできない老人の下の世話も大変だ。肉体的にも精神的にもかなり苦痛が伴いそうな仕事を、不平一つ言わず、淡々とこなす献身的な姿には、たとえ仕事だとしても頭が下がる。そんな映像には、重苦しさが漂わないように、優美なクラシックが流される。安藤サクラが実に自然な演技で、ドキュメンタリーを見ているかのようだ。

    坂田利夫が独り言呟きながら歩き回る姿は、それだけでとてもコミカル。それだからこそ、意地を張っていても、そこはかとなく漂う淋しさが、実に切ない。

    誰に対しても丁寧な言葉使いで接する、教師の抜けない老人を演じる津川雅彦が、味のある芝居を見せてくれる。真面目にやればやるほど、おかしみが感じられて、つい笑ってしまう。そして、老人の淋しさがそこはかとなく漂う雰囲気もいい。いつまでもスケベ根性が抜けきらないところだけは現役だ。これらのシーンのどうしようもないダメさ加減も、男として実に遣る瀬無い。サワが寝たきりの妻の面倒を手伝わせるシークエンスが良い。タイトルの意味は、津川のエピソードで語られていた。

    柄本明もまた、いつも通りの素晴らしい演技を見せてくれる。やがて知らされる真実には、正直驚かされた。安藤サクラの全力疾走に、何とかしてあげたいという感情が迸るようだ。安藤はベンガルに頭突きして逆壁ドンしたり、柄本相手に殴り合い、更にはお風呂場のちょい見せシーンなど、なかなかの肉体派女優である。その迫力と意志の強さは、爽快ですらある。サワとは一体何者なのか。荒療治ではあるが、多くの人の心を開放する、救世主なのかも知れない。安藤サクラがとても美しく輝いて見えることが度々あった。そして、ラストショットの彼女は、まるで天使か菩薩のような神々しさが感じられた。素晴らしい女優である。

     

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  • 100点 ボケも悪くない(0)

    2013年12月4日 to ペコロスの母に会いに行く

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    「ボケるとも悪いことばかりじゃなかかもしれん」と、ペコロスことゆういち(岩松了)は呟く。ゆういちの母みつえ(赤木春恵)は、徐々にボケが進行してきた。映画は認知症の母親と介護する息子の日常を、ユーモアたっぷりに描き、やがて家族への愛情に涙を溢れさせることになる。

    実際ボケた人間の世話をするということは、かなり忍耐のいる仕事であると思う。また当人たちにしてみれば、笑いごとではないが、傍から見ると笑ってしまうことも多い。要するにお笑いのボケみたいなもので、認知症は究極の天然ボケと言ったら怒られるだろうか。本作でのみつえの、まるでコントをやっているかのようなボケの連続には、大笑いさせられてしまった。

    電話でお話し中も、そのことを忘れて受話器を外しっ放しで、いつもゆういちに叱られる。叱られる度に「また親を悪者にして」とズレた文句を言うのが可笑しい。また電話の相手が「オレオレ詐欺」なので、ほったらかしにされる犯人側がいい気味だと安心して笑えるのが、エピソードとして楽しい。家の外に出てはいけないと言われた直後にもう外出。駐車場での子どもたちの目撃した怪談噺の真相や、「夜声八町」のことを思い出すゆういちと直後のシーンも爆笑ものであった。

    消えてしまうみつえの下着の真相には、認知症の困った部分が浮き彫りにされる。しかし、受けて立つゆういちの泰然自若な様子に、深刻さも薄らいでしまう。いや、もしかしてゆういちはそんなに深刻に受け止めていないのではないかとも思える。これは演じる岩松了の軽妙な演技に因るところが大きいだろう。認知症の患者との対応には、これくらい大らかな気持ちで接しないと、きっと受けての気持ちが維持できないのだろうことを、暗に示している。

    みつえは、ボケたり記憶が戻ったりを繰り返しながら、徐々に悪くなっていく。ついに息子のことも分からなくなることもあり、涙するゆういちの姿にもらい泣き。自分が泣かせたのだとは気付かないで心配するのが、親の愛情を感じながらも切なさが募る。

    ボケているのか、本当に見えるのか、昔死んだ夫さとる(加瀬亮)や、幼くして死んだ妹、そして幼馴染のちえこがやってくるという。現在のドラマと並行して、みつえが思い出すように語られる過去の物語。みつえとちえこのエピソードにも、涙を流すことになる。若き日のみつえを原田貴和子が演じ、ちえこを原田知世が演じる。この懐かしい姉妹共演というだけでも、映画ファンは涙ものだ。エンドクレジットで、原田知世は“友情出演”ではなく、“愛情出演”となっているのも嬉しくなってしまった。

    若き日のみつえは、酒乱の父親に苦労していた。ゆういちの子どもの頃の不思議な記憶。夜の岸壁に、母親と一緒に立っている。そして二人の運命を変える手紙の存在。ダメな父親でも、愛していたゆういち。どんなに辛いことがあっても、それを乗り越えられる愛情や友情という支えが、胸を熱くする。

    ゆういちがボケも悪くないと感じたのは、母親にとって大切な亡くなった人たちが、ボケたみつえには見えているからである。みつえにとって温かい思い出も、辛い出来ごとも、今となっては懐かく、彼女が生きた証しでもある。こんなに笑えて泣かせた作品を撮ったのが、何と森崎東監督、85歳。まだまだご健在であった。

     

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  • 100点 こういう時は、笑おうよ(0)

    2014年5月26日 to ぼくたちの家族

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    『川の底からこんにちは』でブルーリボン監督賞を獲得、『あぜ道のダンディ』『ハラがコレなんで』と20歳代で順調にキャリアを積み上げてきた石井裕也監督。前作『舟を編む』では、日本アカデミー賞最優秀作品賞他、数多くの賞に輝いた。笑いを交えながらのその作風は、どちらかと言えばユルいイメージも拭えなかった。しかし、本作で見せるその落ち着いた演出は、日本映画の新時代の名作というに相応しい、風格まで纏い始めているではないか。かなり重苦しい雰囲気で終盤まで進むが、それでもフッと笑みをこぼしてしまうようなシーンもある。こういう内容で笑っていいものか、まるでこちらが試されているようだが、そこは原田美枝子演じる母・玲子の「こういう時は、笑おうよ」というセリフに救われる。辛く悲しい時こそ笑って、明るい気持ちを取り戻したい。

    妻夫木聡演じる長男の浩介は、真面目で本音の言えない性格である。対して池松壮亮演じる次男の俊平は、かなりいい加減な若者に感じられる。母親の病気を知らされても、場の空気を読めないような軽率な発言が目立ち、こいつはダメな奴だと思わせる。真剣に物事を受け止めてしまう浩介の気持ちも考えろと観ているうちに、次第にその価値観が自分の中で逆転してくることに驚かされる。

    浩介は引き籠りだった過去を持つ。呼びかけても応えてくれない息子を持った母親は、さぞかし心労の毎日だったことだろう。そんな辛い過去は真っ先に封印してしまいたい。それで浩介が最初に忘れられる存在にされてしまう。一方、俊平は玲子にとって唯一心が許せ、何の屈託もなく話をすることができる。

    本当に家族とは、長く一緒に暮らしているだけに、面倒くさい。返ってなかなか本音が言えないこともある。これまで心の中に隠していた本心を、全てさらけ出してしまう玲子の告白が強烈だ。夫・克明(長塚京三)も浩介も、身に覚えがあるだけに何も言えない。それが病気のせいであれ、玲子の本音には間違いはないのだ。その上で、夫に対する気持ちには、ホロリとさせられる。

    重苦しい物語も、ある人物との遭遇から、僅かな光が差し込んで来る。医者もまた人間。完璧ではないし、同じ病気でも個人差はあるだろう。医者の見立ても異なることもある。それにしても医者ははっきりとはものを言わない。何か奥歯にものが詰まったような言い方で、家族たちはその意味が分からず途方にくれてしまう。

    転機を生んだのは、悪あがきしてみると決意した浩介の母に対する過去の償いと、今日の運勢をも味方に付けてしまう、俊平の開けっぴろげな性格であろう。このどちらか片一方だけでは、こうはいかなかったと思う。この両極端がうまく混ざり合ってこそ、新たな可能性が見えてくる。世の中、中庸が重要なのだ。

    家族とは、実に面倒だ。こんな重大な出来事でも起こらないと、一致団結できないものか。頼りない男共三人の、ジョギング・シーンが良い。これは当の昔にそれと気付かず壊れてしまっていた家族の絆の、再生の物語である。ラストショットが、印象に残る。それはいつもその振りだけをしていた男の、本当の想いから湧き出た感情であろう。

     

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  • 100点 血か時間か(0)

    2013年9月30日 to そして父になる

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    野々宮家と斎木家は、生活水準も子供の育て方も極端に開きがある。良多(福山雅治)は一流企業に勤め、高学歴の高収入。しかし、仕事に明け暮れる毎日で、子供と接触する機会はほとんど持てない。雄大(リリー・フランキー)は町の寂れた電気屋で、家はボロボロだがいつも家にいるので、子供と触れあう時間も多く、自由奔放笑いの絶えない子煩悩な家庭である。

    映画は良多を、父親の悪いお手本のように描く。社会人としては確かに勝組であるが、こと子育てや妻に対する態度は、褒められたものではない。雄大にも指摘されるが、ずっと勝ち続けて負けを知らない男は、頑張ってもできない人間の辛さが分からない。子供の取り違えが発覚してから、良多が車の中で怒りに任せて口走ってしまった言葉の意味を、みどり(尾野真千子)は気付いてしまっていた。

    両家が川原で交流するシークエンスが印象に残る。慶多が小学校の面接の時についた凧上げの嘘。それを現実にしたかったのに、この場所ではできない。もしかしたら、それが慶多のこうあって欲しいという理想の父親像だったのかも知れない。凧上げは、後にもその象徴として、さりげなく描写されることになる。

    みどりの女性としての苦しみを、一番分かってくれたのは、夫ではなくゆかり(真木よう子)だった。泣き出すみどりの哀しみと、そっと抱きしめるゆかりの優しさにホロリとさせられる。はすっぱな印象のゆかりであり、最初は慶多も怖がっていたが、その本質は母親としての強さと愛情だった。

    裁判での、取り違えの張本人の看護師(中村ゆり)の、発言には驚かされた。更にこんな母親でも、必死に守ろうとする男の子の姿がある。良多はこんな母親にも、子育てでは負けている。

    琉晴の家出。向う場所はそこしかない。一方慶多は、良多が呼んだ名前にショックを受ける。その後のセリフから、如何に心の傷が大きいかが窺い知れる。更に琉晴の描いたパパとママの絵。そして流れ星への願いごと。良多は、子供たちの気持ちは一切考えずに決断していたことを、改めて思い知らされる。

    子供が持つには大き過ぎる立派なデジカメ。それをあげるといわれても、断った慶多。しかし、撮られた画像に映し出される、おとなしい彼の本心が伝わってくる演出がお見事。そして、慶多の作ったバラの花の行方が、良多の父親失格を決定付けていた。

    父と子を捉えた、平行移動のカメラのカットバックが素晴らしい。二人の間には障害物があって、それがそのまま二人を隔てていた障壁を意味している。道が一つに繋がった時、初めて父になる。

    ラストシーンについては、人によって捉え方は違うだろう。親と子の繋がりは、血なのか時間なのか。少なくとも愛情を注ぎ込んだ時間が長い程、その絆は深まっていることに間違いはあるまい。

     

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  • 100点 昔ある所に国があった…(0)

    2013年5月2日 to アンダーグラウンド

    「昔あるところに国があった」。祖国を失うとはどういうことなのだろう。映画は三章仕立てで語られる。第一章「戦争」。第二次世界大戦。第二章「冷戦」。第三章「戦争」。旧ユーゴスラビアは内戦状態。結局ずっと戦争なのだ。地下生活から解放されて、ようやく日の目を見ることができたと思ったら、そこにもう自分の国はなかった。

    1941年、ベオグラードはナチスから空爆を受けていた。動物園の動物たちが騒いでいる。爆撃で炎上する家屋、血まみれの動物たちの描写がショッキングだ。クストリッツァは人間ではなく、動物が被災する姿を描き出す。これは人間が起こした悲劇の始まり。そんな非常時にも関わらず、主人公マルコ(ミキ・マノイロビッチ)とクロ(ラザル・リストフスキー)がやっていることといったらSEXと食事だ。これは性欲と食欲という、生存本能の現れとも受け取れる。爆撃をものともせず、無視して平然と生活しようとする、襲撃者に対する軽蔑の視線かも知れない。

    マルコはクロや一族を集めて地下に避難させ、そこで銃などの武器を作らせる。クロの息子ヨヴァンが地下で生まれた。ここから長いアンダーグラウンド生活が始まる。そしてナチス将校フランツ(エルンスト・ストッツナー)から奪ったナタリア(ミリャナ・ヤコヴィッチ)とクロ、マルコのトライアングル・ラブの物語。ミリャナ・ヤコヴィッチが実に美しい。

    ドイツ軍から解放されてもマルコはいまだに空襲があるように見せかけて、ファシストが支配していると仲間たちに信じ込ませている。地下の住民は戦車までも作り、祖国解放のその日が来るのをずっと待っている。クロは祖国解放戦争で英雄的な死を遂げた人物ということになって銅像まで立っている。マルコがそんなクロを主人公にした映画を撮っているのだが、これがグダグダで笑わせる。

    動物園時代からずっと一緒のチンパンジーのソニが戦車の中に入ったので、何やら嫌な予感がする。それは偽りの世界の破壊か。決心して地上に出たクロが遭遇するのが、映画撮影隊というのが実に巧くできている。

    その後のクロは、クロアチアでもセルビアでもない、自分自身として戦っている。上官はいるのかとの問いの答えから、失われた祖国への強い哀惜の念が伝わって来る。それと知らずにしてしまう復讐。それを象徴するかのようなショットが衝撃的だ。

    終盤の大集合。彼らはどこへ向かっているのか。抗うことのできない運命の流れに身を委ねるしかない。その隔絶され、限られた土地の上で…。彼らは飽きることなく延々と乱痴気騒ぎを繰り広げている。賑やかな演奏が、これほど虚しく辛く感じられたこともなかった。

     

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  • 100点 昼のない夜、夜のない昼 (0)

    2013年3月9日 to レディホーク

    公開当時大ファンになってしまった作品で、久し振りに観直したがやはり素晴らしかった。今回ブルーレイでレンタルしたが、その画像が実に綺麗だった。全編に亘り、美しい大自然の風景が堪能できる。タイトルバックのタカと太陽をあしらった、映画の内容を象徴するような映像がスタイリッシュで、バックに流れるロック調の音楽がかっこいい。この作品、音楽も素晴らしく、当時僕はサントラを毎日聴いていたものだ。

    物語がまた切なくロマンチックだ。愛し合う二人が呪いにかけられて、イザボー(ミシェル・ファイファー)は昼間タカに、ナバール(ルトガー・ハウアー)は夜オオカミに変身してしまう。二人が人間同士でいられるのは、日の出と日の入りのほんの一瞬、つまり全く会えないといってもいい。タカとオオカミでいる間は記憶がなく動物として生きるので、自然界での危険も一杯だ。この呪いはどうすれば解けるのか。彼ら二人を手助けすることになるのが、スリのネズミと渾名されるフィリップ。演じるのはマシュー・ブロデリック。『ウォーゲーム』で人気が出て、本作では名前がトップに来ているので彼が主役か。物語の最後には成長しているのが主人公だと考えると、確かにフィリップは逃げ回るだけのネズミから、自分の意志で行動する立派な男への成長を見せている。

    本作で特筆すべきは、やはりミシェル・ファイファーの最盛期とも思える美しさだろう。映画内でも誰もが惚れてしまう女性としての魅力を持った役で、これに納得出来るほど素敵だ。その碧い瞳を見た途端、吸い込まれそうに彼女に惹きつけられてしまった。中世の時代なので、衣装は単色で地味なものばかりだが、毎回画面に登場する度に衣装チェンジしている。これが地味なりにミシェルの着こなしだけで美しく感じられる。タカでいる間は服はいらない訳で、人間になる時毎日服を用意しなければならないので、時にその場で調達しなければならず、この衣装チェンジは必然なのだ。

    ルドガー・ハウアーは『ブレードランナー』のレブリカント役で、強烈な印象を残していた。敵役でも深みのあるキャラが演じられる役者である。本作ではイザボーに対しては直接に愛情表現が出来ないので、想いを秘めた男の孤高の騎士振りが実にかっこいい。ナバールは自分でイザボーを助けることが出来ないので、その苦しみが痛いほど伝わって来る表現が巧みだ。地面に突き立てられた剣が十字架に見える。今の彼に出来るのは、祈ることだけだ。

    ほんの数秒、ナバールとイザボーがお互いの人間の姿を確認するシーンが、実に切ない。求めあうような目と目、愛し合う二人の指が絡み合いそうになる。邪魔をする太陽。表情が愛おしくも辛い。オーバーラップを重ねた画面が感情を盛り上げる。叫び声がタカの鳴き声に転じる変身シーンも実に巧い。ナバールの叫びもまた、オオカミの遠吠えだ。

    呪いの解き方が分からず、希望を失いかけている二人に対して、時に嘘の言葉で勇気づけるフィリップが良い。人間でいる時の相手へのメッセージを伝える役目になるのだが、相手の言っていないことまで、自分がこうなって欲しいという願いを込めて愛を伝える。それで弱気になりそうな二人は愛を信じることが出来たのだ。そんなフィリップもまた、イザボーに心奪われているのが分かる。ダンスをする束の間のひとときを楽しむ場面が、叶わぬ想いが表現されていて良かった。その後タカが誰の腕に留まるかで、ちょっとした三角関係を匂わせるのも巧い。

    やがて二人の呪いを解く方法が提示される。しかし信憑性は薄い。その地はフィリップにとっても鬼門で、これが彼のこれからの人生を取り戻す為の、険しい試練の道のりなのだ。過去の罪からの脱却、逃げ回るばかりの人生からの脱出。

    これまで二人を隔てる原因であった太陽の光こそ命の恵み。生きていること、愛し続けること、信じることの素晴らしさ。神は神そのものではなく、自分たち自身を信ずる者に救いの手を差し伸べる。運命を切り開いた登場人物たちに、テーマ曲が力強く美しく高らかに奏でられるのであった。

     

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  • 100点 次々にいろんなことが起こりますよ(0)

    2010年2月21日 to 稲妻〈1952年〉

    この作品を観ながら、ずっと考えていた。それはタイトルの「稲妻」のことだ。どうして、この家族の物語に、「稲妻」という題が付いているのだろう。

    清子(高峰秀子)の家族は、特殊だ。四人兄妹全員とも、父親が異なる。どうしてそうなったかは、映画では詳しく語られない。離婚したのか、死別したのか、はたまた私生児なのか。どうしてそうなってしまったのか、母親(浦辺粂子)に尋ねても「だって、そうなっちゃったんだもの」と、どうにも運命に流されてしまっている印象だ。

    しかし、この母親からは、何の屈託も感じられない。それで一体何が悪いの、という感じさえ受ける。母は強し、だ。

    清子は問題ばかり引き起こす家族に嫌気がさしていたのだろう。母親や姉たちの暮らしぶりを見ていて、結婚なんてしたくないと思っているようだ。

    しかし、冒頭では、バスガイドをしている清子が、仲の良い老夫婦を見て、好ましく感じているとも言っている。彼女の本音は、やはり、幸せな結婚生活を送り、あの老夫婦のように過ごすのが、理想のはずなのだ。

    それにしても、身近な夫婦のサンプルが悪過ぎた。

    清子には、憧れる生活があった。それは自分の家に下宿していた同じ年頃の女性の生活だ。家庭教師などをして生計を立てている。本棚にはたくさんの書物が並び、壁には彼女が描いたかもしれない、画が飾られている。時折、レコードをかけてはクラシックを聴いている。

    とにかく、自立した女性だ。何の曲か判らないが、ここから、このクラシック調の旋律が、何かとバックに流れる。実際にある曲なのか、この映画の為に作られた曲なのかは不明だ。この曲は、この後の清子の行動の動機となる重要なものだ。どこか物哀しくもあるが、美しい旋律だ。

    結婚したくないなどと言いながらも、やはり良い男が現れると、乙女の心は、素直に反応する。清子には、これまで良い出会いがなかっただけである。

    ピアニストを目指す妹(香川京子)を助けて生活している兄(根上淳)。これまで、利害や打算で生きていたり、無気力に生きていたりする姉妹しか見ていなかった清子に、この兄妹の生活振りは、どんなに素敵に映ったことだろう。

    その兄に綺麗な瞳だと言われて、清子が嬉しくない訳がない。

    ここで、この兄弟がピアノで弾く曲は、当然、あのメロディだ。

    終盤の清子と母親の対話が良い。これまで胸にしまっていた感情を、一気に爆発させる二人。これで、本当の親子関係が築けたのではなかろうか。しみじみと胸に沁みるシーンであった。

    そして、当然のように稲妻は光る。

    それで、僕は「稲妻」を、清子の希望とみることにした。暗闇を明るく照らし、幾筋もに伸びていく、光。暗くて切ない出来事ばかり一家を襲うが、こんな闇を照らす光が存在している。清子は、それに人生を賭けてみる気になったのではないだろうか。

    辛い出来事ばかりの人生だからこそ、明るく生きていきたい。そして、彼女にとっての「稲妻」は、やはり隣家から聞こえてくる、あのピアノのメロディのことだろう。

     

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出木杉のびた さん

50代後半 男性
誕生日 : 9月30日
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