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日本が貧しかった頃
2019/12/3 10:03
by
odyss
BSにて。
以前一度見ていますが、たぶん20年以上前で、どこかの名画座だったか、それともTV鑑賞だったかも記憶にありません。
今回BSで見てみて、昭和30年代の映画だなあ、と改めて思いました。
「三丁目の夕日」みたいに平成になってから作られた「昭和30年代」映画とはやはり違うんですよね。
例えばヒロイン・ジュン(吉永小百合)の父。
昔気質の鋳物職人で、工場で怪我をしたこともあって首になるのですが、職務中の怪我には当然雇用側にも責任があるのに、そういう責任追求はせず、また組合所属の社員たちが募金して届けてくれたお金も突き返してしまう。組合が嫌いなんですね。「職人気質」というと何となくいいイメージがありますが、ここでの父はちょっとお金が入ると家族(赤ん坊が生まれたばかり)に入れずに飲んでしまったり、妻や子供たちにはやたら威張り散らしたりして、どうにもいただけません。せっかくジュンの友人の父親が職を斡旋してくれたのに、年下の人間に指図されるのが嫌だと言って一日で辞めてしまう。家で威張るからには、逆に家族を養う責任があるはずですが、そういう責任感に乏しい。今なら「ダメ男」のレッテルを貼られてそれでおしまい・・・なんだけど、この頃の「男」はこれでもなんとかやっていけた。楽な時代だったんだなあ、とつくづく思いますね。
NHK-BSでの放送の前と後に、「注意すべき用語や表現がありますが、作品のオリジナリティを尊重してそのまま放送します」という断り書きが出る。この映画には在日朝鮮人が登場しており、「北鮮」「南鮮」(いずれもワープロで打つと漢字変換しませんね)という言葉が使われているからですが、何で北鮮や南鮮が「差別語」なのか理解に苦しみます。ドイツなら「西ドイツ」「東ドイツ」で何の問題もなかったし、ヴェトナムだって統一以前なら「北ヴェトナム」「南ヴェトナム」で問題がなかったのに、こと朝鮮に限っては差別語だとされてしまう。NHKが、北朝鮮が日本人拉致を認める以前は、ニュースで必ず「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言っていたのは、今では一定以上の年齢の人しか覚えていないでしょうが、要するにNHKは一部の在日朝鮮人の声に従っていたということです。「北鮮」などについては今でもそういう声を恐れている。NHKって、ダメですよね。
(なお、「朝鮮」を略すときに前の「朝」ではなく後ろの「鮮」の字をとってきているのは朝鮮人をバカにしているから、だから「北鮮」は差別用語なのだ、という噴飯物の意見があります。実にアホらしい。前の字をとって「北朝」「南朝」としたら日本の南北朝時代と区別が付かないんですよ。だから「鮮」のほうを取っているので、そんなことも分からない在日の言い分に耳を貸すNHKは救いようがありません。だいたい、そんなことを言ったらアメリカだって、略すときは「米」で、これは亜米利加の略であり、冒頭じゃなく二番目の字を取っているから「差別」ということになってしまう。むろん、そういうバカな主張をする亜米利加人はいません。)
この映画はそういうわけで在日朝鮮人が登場し、また彼らの北朝鮮への「帰国」も描かれています。現在の観点から、この映画は北朝鮮への帰国事業を肯定的に描いているという批判があるそうですが、今回この映画を見た限りでは別段そういう印象は受けませんでした。ただ淡々と、帰国する在日朝鮮人の様子を描いていると思います。
この映画は昭和37年、1962年の公開ですが、作られたのはその前年ですし、原作の小説(私は未読ですが)は昭和34年から雑誌に一年間連載され、昭和36年に単行本として出ている。北朝鮮への帰国事業は昭和34年(1959年)に始まり、その年と翌年が「帰国」する人数のピークでした。それ以降、帰国者は激減しています。つまり、北朝鮮はヤバいらしいという情報が在日朝鮮人に流通したからです。この映画の原作はそういう情報が流通する以前に書かれていますし、情報が日本人にも或る程度共有されるようになるのはそれよりずっと後のことです。ですから、この映画が「帰国事業」を危険なものとして描いていないと批判するのは無い物ねだりでしょう。
そのほか、色々見どころの多い映画です。
吉永小百合の映画出世作であることもよく知られていますが、このときの彼女は撮影時点で満16歳。作中では中学3年生として出ていますが、すでに後年の美貌はしっかりとできあがっています。
作中、彼女の同級生役として、在日朝鮮人の女生徒と、裕福な家庭の女生徒が出てきますが、いずれも容姿の優れた女の子を使っている。
それに対して、ヒロインの弟(小学生)や、その友人である在日朝鮮人の少年は、長じてもイケメンになりそうもない男の子が使われている。
おそらく、貧しい人々を描くのに、少年の場合はあまり眉目秀麗な子だとウソくさくなるのに対して、少女の場合はやはり映画では美貌の子を使わないと、ということなのではないでしょうか。
この映画には鉄道がよく出てきます。舞台となっている川口は、東京から東北や北陸方面に向かう東北線・高崎線(高崎から先が上越線・信越線)が通る町ですが、大宮と違って優等列車は停車しない。しかし客車や気動車や電車、さらには貨物列車などさまざまなタイプの列車がヒロインたちのそばを通過していく。国道を走る自動車も、今とは比べものにならないとはいえ、それなりの数です。この映画に描かれているのは貧しい人々ですが、日本が高度成長期に入っている、その様子をもしっかりと捉えているのです。
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