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ダウト ~あるカトリック学校で~ [DVD]

『ダウト ~あるカトリック学校で~ [DVD]』を価格比較。★★★☆(68点)『ダウト −あるカトリック学校で−』に対するみんなのクチコミ情報などもあります。

ダウト ~あるカトリック学校で~ [DVD]
67点
監督 ジョン・パトリック・シャンリィ
出演 メリル・ストリープ,フィリップ・シーモア・ホフマン,エイミー・アダムス,ヴィオラ・デイヴィス
発売日 2009年8月19日
定価 3,990円(税込)

 

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商品詳細情報

販売元 ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント
発売日 2009年8月19日
リージョン 2
ディスク枚数 1
形式 DVD


ぴあ映画生活ユーザーによる「ダウト −あるカトリック学校で−」のレビュー

  • 90点 対照的な役柄を演じた2人の、素晴らしい演技。

    2009-03-26  by lp

    メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムスが出演した、1つの「疑惑」を巡るサスペンス・ドラマの今作。

    ストーリーが面白そうだっただけに、けっこう期待して鑑賞しましたが、期待に違わない素晴らしい作品でした。

    キャストについて。
    1つの疑惑を巡って反目しあう校長と神父を演じた、メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマン。この2人がそれぞれ素晴らしかったですね。メリル・ストリープは、保守・冷徹・堅物・厳格・不寛容などの言葉がこの上なくピッタリ。でも、意外と気配りが上手い一面もあったりする校長を、圧倒的な迫力と、見事な表現力で器用に演じていました。
    もう一方のフィリップ・シーモア・ホフマンは、その校長とは対照的に、進歩・温厚・柔軟・世俗的などの言葉がしっくりくるものの、疑わしい一面も含んだ神父を、時に激しく、時に温かく演じていて良かったです。
    この演技が上手い2人が、対照的な役柄の上で激しく口論する後半のシーンは、今作の中でも最大の見所ですね。
    もしもこの2人が主演(フィリップ・シーモア・ホフマンは助演と言うのが正しいのかもしれませんが、個人的には活躍を称して、主演と言っています。)じゃなかったら、もっとつまらない作品に仕上がっていたかもしれません。

    ストーリーについて。
    まずは上記の通り、主演の2人に支えられた作品だったと思います。そのキャストの演技に負けず劣らず素晴らしかった点は他にもありました。
    その中の1つが見せ方ですね。今作のテーマは、映画のタイトルにもなっているように「疑い」です。「疑い」ですから、真実とも全くの事実無根の出来事とも断定出来ないのですが、その微妙なニュアンスが見事に醸し出されていました。「校長の思い違いだ!」と思って観ていたら、「やっぱり校長の言うとおり真実なのかも。」と思い直してしまったり、逆に「真実なのかも?」から「うーん…。思い違いかなぁ??」と考え直してしまうこともあって、色々と考えながら、ズルズルとラストまで観てしまいました。
    そしてそのラストは、テーマがテーマだっただけに、嫌いな人もけっこういるのではないかと思います。ただ、個人的には「これは罰が与えられたってことなのかなぁ?」って思えて、なかなか気に入りました。
    あと、台詞も上手かったですね。神父による噂についての説教などは、なるほどなぁって納得する部分も多かったです。

    総括すると、緊張感に溢れた見応えのあるドラマでした。

    かなりオススメの一本ですが、サスペンスとしてよりも、ドラマとして薦めます。

  • 80点 あるのは疑いだけ

    2009-05-25  by 出木杉のびた

    シスター・アロイシスは、何故これほどまでにフリン神父を疑うのだろう。

    「悪に立ち向かうために神から遠ざかっても、それは神のためです」とシスター・アロイシス。ここで言う悪とは、フリン神父のしていると疑われる行動であり、神から遠ざかるとは、疑いを抱くこと自体を言うのだろう。しかし、それこそが神のためになるとは?

    観客はメリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマンという二人の名優の火花を散らす対決から、その真実を模索しなければならない。しかし、僕は観ているうちに、この映画はそんな真実を暴くのが目的ではなく、その疑惑を持つという恐ろしさ、そしてその疑惑が信念に変わってしまう、不可解な人間の心理を描くことこそが目的なのではないかと思えてきた。

    メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、共にアカデミー賞俳優らしい堂々とした、突っ込む余地のない、見事な演技だ。それを支えるエイミー・アダムスも『魔法にかけられて』とは打って変わって、見事な悩めるシスター振りを見せる。

    電話、ブラインド、お茶、電球といった小道具も、彼らの演技に巧みに入り込んで来て見事だ。脚本・演出・演技と三拍子揃った見応えのある心理ドラマであった。

  • 80点 演技バトル

    2009-08-03  by バグース

    トニー賞最優秀作品賞とピュリッツァー賞演劇賞をダブル受賞した傑作舞台劇の映画化で、正に監督・原作戯曲・脚本をしたジョン・パトリック・シャンリーの一人舞台と言いたい処だが、ドッコイ主演のフィリップ・シーモア・ホフマン(フリン神父)が曲者振りを発揮、メリル・ストリープ(シスター・アロイシス)がチョッと嫌味な校長を好演、2人の会話による丁々発止のバトルが見ものになっている。

    若き純真な新米教師シスター・ジェイムズ役にエイミー・アダムスを宛て、狂言回しにしているが、清楚な感じを良く出していた。

    ミッションスクールを舞台に、疑惑に対する司祭と校長の対立は迫力があり、意味ありげな司祭の説教も深読みさせられ、引き込まれる。

    事実がどうであったかは、ある程度観客に任せた様な作りであるが、自分としては校長の弁の方に理があると思う。

    舞台劇なので、脚本の出来は文句無しで、大きな盛り上がりと云うものは無いが、落ち着いた映像と音楽とあって好ましい出来上がりで、二人の名優の演技とストーリーを十二分に楽しめる作品である。

    蛇足: 名優フィリップ・シーモア・ホフマンには申し訳ないが、日本でも僧侶の稚児好みは江戸の昔からあり、彼はその体型や雰囲気が如何にもヤリソウナ雰囲気がしてしょうが無かった。

  • 80点 疑惑の十字架

    2009-06-14  by クラリス2号

    トニー賞と、ピューリッツアー賞を同時受賞した舞台劇の映画化。 

    あるカトリック学校での出来事。
    保守と改革の対立は、やがて人の矛盾を暴き出す。
    聖なる祈りを忘れた疑惑の目は、さらなる疑惑の海にうねりをあげ全てを飲み込む。
    その結末に勝者はいるのか。

    じっと見守る眼、荒立てる声、顔の筋肉のわずかな動き、指の先まで演者の命が宿る。
    修道女メリル・ストリープと牧師フィリップ・シーモア・ホフマンの迫真の演技合戦に圧倒される。私は映画館の席に座って観ていることを忘れ、ふたりの脇で固唾をのんで立ち会っているような錯覚を覚える。

    子供のころ物語の内容はよくわからないまま、とにかくふたりの演技に呆然としてしまった、キャサリン・ヘップバーン、ピーター・オトゥール「冬のライオン」の時の緊張感が蘇ってきました。

    恐るべし・・・

  • 60点 何を信じるべきか

    2009-04-17  by すずらん

    厳格な校長メリル・ストリープとカトリックの教えを説きつつも新しい時代に対応していこうとする神父フィリップ・シーモア・ホフマン。エイミー・アダムス演じる若いシスターが感じた小さな不安がやがて大きな疑惑となってきます。
    先に、この「疑惑」の真実は最後まで明らかになりません。これが明らかにならないからこその流れであり、演技合戦でもあると思いますが・・・やはり少しもやもやする気持ちが残るのも確かです。
    校長の恐ろしいほどの思い込みは非常に危ういものの、自分への疑いを否定しつつもはっきりとしたことを述べない神父に対して彼女が疑心暗鬼の心を強めていくのはわからなくもありません。しかし、彼女が確信を持てないことも事実で、二人のやりとりには手に汗を握ります。
    一体真実は?
    そこで、絶賛したいのがエイミー・アダムスです。若く、まっすぐなゆえに「疑わず」に「信じよう」と揺れる様子はすばらしく、彼女の存在があってこの疑惑は本当なのか?嘘なのか?というハラハラ感を更に高めて、最後まで校長と神父のどちらの側にも気持ちが傾くことなく見れたのだと思います。
    何を信じるべきか・・・最終的には自分なのかもしれません。そう考えるとあのラストシーンはとても苦しいものだと思いました。

  • 70点 “非”のないところに煙を立てる

    2009-03-09  by ハナミズ

     「疑わしきは、罰せず。」これは裁判においての原則。
    しかし、人の心は弱いもの。とかく先入観で見てしまいがち。もしも前科などがあったらなおのこと。
    いったい「正しい」判定とはなんだろう。

     舞台でヒットした作品が映画化されるのは珍しくない。これもその一つ。
    とあるカトリックの学校での《生徒》《神父》《シスター》の関係をめぐるドラマ。

     なんとなく“先入観”で、ラショーモン・シチュエーションみたいな話かと想像していた。
    実際どうだったかは、興味を持った人が各人で判断していただきたい。

     ともかく話題の的は、“大人の事情”でキャスティングされたというメリル・ストリープやフィリップ・シーモア・ホフマンらの実力派俳優による演技バトル。
     冒頭、一向に爆発しない展開にいささか苛立ちを覚える。…いやいや待て待て、“急いてはことを仕損じる”と昔から言うではないかと…心の中でつぶやく。
    おりしもその頃、スクリーンの中での“あるつぶやき”から《静けさ》は破られる。

     一気に堰を切ったように、息をもつかせぬガチンコバトルの幕開け。
    《呼吸》《視線》《間の取り方》《互いの距離感》そういったものから魂が伝わってきて、演者の鼓動と自分のそれがシンクロするかのようだ。

     先の大物二人ばかりがクローズアップされがちだが、若いシスターを演じるエイミー・アダムスの《オボコちゃん》ぶりや、黒人の生徒の母を演じるヴィオラ・デイヴィスも見事!
    実際に最も心に残ったのは、この黒人の母親のセリフかもしれない。

     映画は学校の中の小さな事件を取り上げながら、歪んだ社会への痛烈な批判にもなっている。
     原作が舞台モノのためか、形式的でやや硬さを感じるのが残念であるが、役者の芝居の質には「疑う」余地は無い。

  • 70点 役者達の迫真の演技

    2009-01-10  by 豊作

     カトリック聖職者達による児童への性的虐待疑惑でアメリカのカトリック教会が揺れた2年後にニューヨークで上演されたお芝居の映画版。役者の演技で見せる映画の評価はストーリーのシンプルさにもかかわらず、僕の評価は高い。

     尼僧としてカトリック学校の校長を務めるメリル・ストリープは、古くからのカトリックの伝統である、厳格さと規律を重んじる教育を実践する。シーモア・ホフマン扮する教区の司祭は、ひとあたりのよい優しい性格で彼も関わる学校の教育に自由な気風を持ち込もうとする。時代は60年代前半の設定。
     ある日、若い先生が、校長に司祭の奇妙な行動を報告する。当時一人しかいなかった黒人の男子生徒が、司祭の部屋に呼ばれて行って、教室に帰ってきたらアルコール臭かったというのである。
     それで、司祭とその黒人生徒との「特別な関係」と司祭の「行為」をメリル・ストリープは確信する。とはいえ、司祭の行為を事実として確認しようがない。ここが「疑惑」とタイトルの付いた映画の肝である。

     この2人の激しい演技がみものだ。メリル・ストリープはいかにも厳格そうなカトリックの先生を演じていて、その憎々しさといったら。それに加えて黒人生徒の母親役−−校長の「あんた、何て母親なの?!」という詰問に、要は「ほっといてください」「そっとしといてください」というのだが−−の演技もすばらしかった。

     カトリック教会の中で児童虐待が行われていたというのは、なにも今に始まったことではないようだ。僕はカトリックというシステムが欺瞞の上に成り立つ楼閣のようなもの、ひとつの擬制とみているから、問題そのものを我がごととして引き受けることができない。そもそもなんで神に仕えるプロフェッショナルだったら、妻帯したらダメなのか。あるいは極端な性的禁欲を求められるのか。全く理解できない。それに彼らは世俗の司法権力に問題の解決を絶対ゆだねようとはしない。告白し懺悔すれば赦される、と考える。むろん映画は教会の構造的問題としてとらえる視点も可能だ。とはいえ、そりゃね、あんたらの考え方、やり方がそもそも根本からまちがってるのよ、と思って、終わってしまうのである。

  • 60点 もっと映画としての表現を

    2009-03-20  by odyss

    もとは演劇作品だそうです。映画として、悪くはないけど何かもう一つ、という印象が残ったのはそのせいでしょう。

     この映画では雨風が吹き込む窓を閉めるシーンが何回か出てきます。
     1960年代、アメリカが公民権運動などで大きく変わり始めた時代、厳格な戒律によって営まれるカトリック教会とその配下にある学校も、時代の波に合わせる形で変わらなければとする考え方と、いやあくまで戒律や規則は神意なのだから厳守しなければ、とする考え方の対立がこの作品の根底にあります。
     演劇の場合、表現手段が限られているので、雨風が吹き込む窓を閉めるという動作が象徴的な表現としての意味を持つことは納得できます。教会や学校に流れ込む時代の変化こそが雨風だということですね。
     しかし、映画ではどうでしょうか。時代の変化をもっと直接的で多様な手段で表現できたはずだと思う。映画は、演劇のような表現手段の乏しさ故の緊密さは持ちづらい代わりに、より写実的な手段で観客に物事を伝えることが可能なジャンルなのですから。

     そうした齟齬は、このお話の舞台が教会と学校という、或る意味閉じられた空間であることにも表れています。演劇ではそういう条件がプラスに働きやすい。しかし映画だと逆で、舞台の幅が狭くて物足りないという印象を呼びやすいのです。

     主役二人はいずれも適役。特にメリル・ストリープはこういう役のためにあるような女優で、『マンマ・ミーア』と比べると格段によかった。若い尼さん役のエイミー・アダムスもいい。しかし役者たちの健闘が本当に活かせるような作品になり得ていたか、わずかながら疑問が残る結果となったように思うのです。

  • 90点 優れたサスペンス

    2009-03-12  by 未登録ユーザ匿名男

    主要人物が少なく、物語も学校内での出来事のみなので、全体的に地味な作品ですが、メインキャスト個々の演技が光っていました。
    特にメリル・ストリープ扮するシスター・アロイシスとフィリップ・シーモア・ホフマン扮するフリン神父の口論のシーンには目を見張るものがあります。
    流石は主要キャスト全員がアカデミー賞にノミネートされただけはあると感じました。

    また、この作品の優れている点は俳優の演技だけではなく、意図的に答えを提示しないという点です。
    従来どおりに答えを提示すれば、単なるサスペンス映画ですが、観客に答えを委ね、考えさせることで、その枠から見事に脱却しています。

    監督のジョン・パトリック・シャンリィはイラク戦争から影響を受けて、この作品を作り上げたそうです。
    この映画に当時のアメリカとイラク重ねてみてもまた面白いと思います。

  • 90点 信じることは疑うこと、疑うことは信じること

    2009-03-21  by サトちゃん

     キリスト教文化圏らしい映画だ。校長役のストリープと神父役のホフマンの火花を散らすやり取りが見所だが、同性愛それに60年代前半のアメリカの人種差別問題が重ねあわされ、まことに見応えのあるものになっている。信じるということは、素朴な人のよさではなく、疑うことでなお疑いきれない何ものかをあぶり出すことあるなら、疑うものは、疑われるものと重なりあうものをすでにゆうしていることにもなる。これがラストシーンに繋がっていく。
     とくにこのラストシーンは、ひときわ印象的だ。
     多くの人に見て欲しい映画だ。

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