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映画情報のぴあ映画生活 > 作品 > パッション〈2004年〉 > 掲示板 > あほらし、金返せ!

あほらし、金返せ!

2004/5/4 6:27 by 山オヤジ

映画にする意味がどこにある?!
旧約聖書の創世記、ノアの箱舟は、「科学的説明」が施せるのを知っているのだろうか、メルギブソン。
当然知っているはず、それを信用していなくても、話としては知っているはずだ。日本人の私でもショッキングだったんだから。
ジェレミー・リフキンの書いた「エントロピーの法則T・U」を読めば判る事だ。
911、アフガン、イラク、イスラエル、そんな時にこれか?!クリスチャンだろうがプロテスタントだろうが、根底から揺さぶられてるんだよ。存在意義を。
 しかし、2千年間、「俺たち間違ってた」ってそう簡単にいえるわけが無い。でも間違っている。ヤダヤ人が間違ってたから、キリストが受難したんだ。偶像崇拝もいけないって言うのに、豪奢な教会建てて、バチカンも間違っている。それを批判して宗教改革までやっても、プロテスタントは「科学万能」「人間礼賛」してしまった。あほだらけ。聖書を経典にする資格があるのか、私はあるとは思えない。あいつらだけのものでもないだろうに。よく考えてみれば、映画は「へブル・アラム語」らしいよ、英語でもギリシア語でもない。それにあそこはアジアだ(真ん中ですか?)

 聖書素人の私が、創世記をじっくり読んでみたら、或る事に気がついた。私は飲食業だから、食い物に眼が行く。

「原罪」は「神」が食べるな、と言っていた知恵の木の実を食べたから。それでも「神」は人間を許す。また人間は禁を犯す、「神」は許す。選ばれたものだけ箱舟に乗せて、やり直す。「神」はキレて、もう何を食べてもいい、と言う。
 この繰り返しなんですよ。人間(西洋キリスト教徒、ユダヤ教徒)と神の関係は。
 単純な話だが、もし私なら、日本の古い教えに「聖書」みたいなものが在ったとする、ちょっとだけ敬虔な気分になるとする、そうしたら多くの日本人なら、「禁断の果実」以前に戻ろうとか考えそうなものでしょうに。以前は何を食べていたかと言うと、草と果実。
 欧米には、「ヴェジタリアン」なんて御大層な者がおりますが、聖書を経典にしてるのなら、当たり前じゃないか。しかし、美味いステーキ食っちゃったら、戻れねぇなぁ。
 敬虔な信者の方には申し訳ないが、教会や各宗派はどうもならんよ、はっきり言うが聖書の言葉を捻じ曲げて解釈している。冒涜だ!「汝、殺すなかれ」でしょう?興奮気味です、すみません。また明日ゆっくり考えてみます。

 



  • おはようございます!

    2004/5/4 9:11 by 未登録ユーザザン

    山おやじさん、おはようございます。
    実は私は聖書を勉強していたので、とても
    興味があるのですが・・・
    そうですか、金返せ!の領域でしたか〜
    どうしようかな〜・・・観ようか・やめようか・・
    本当に聖書に忠実な内容なら観たいけれど・・・
    どうですかね? ずれていますか?
    ・・・人それぞれ聖書の取り方は違うと思うのですが。
    またご感想を聞かせてください。
    落ちついたところで・・・。

  • ザンさん

    2004/5/4 15:37 by 山オヤジ

    朝の六本木ヒルズは「バベルの塔」に見えましたね。どんよりした空に突き刺すように。湿気もありましたし、不快感がありました。

    聖書で読んでいれば、別にどうと言う事はないと思うのですが、スコセッシの「最後の誘惑」のようなキリストの心理描写みたいなものはないですね。この映画が話題沸騰であるのなら、つまり、私たち日本人があまり「古事記」に馴染みがないように、米国人には「聖書」に馴染みがないのでしょう、きっと。古英語の聖書で書いてあるものばかりで読むのがかったるいのではないでしょうか。逆に日本みたいに現代語訳の判り易い訳本がないのではないでしょうか。バチカンとしては古英語の聖書の方が都合が好いのではないでしょうか。
    多くの米国人(文盲も結構多いと聞きますが)が理解している聖書の内容は各々の「解釈論」の受け売りに過ぎない、と私は独断的に申し上げます。
    でも、新旧含めた「聖書」は全て科学的説明の付く事実であり、「絶対真理」として受け止める「Believer」と呼ばれる真の「信者」も出て来ているようです。

    >どうしようかな〜・・・観ようか・やめようか・・
    本当に聖書に忠実な内容なら観たいけれど・・・
    どうですかね? ずれていますか?

    是非、ご覧になれば。忠実だと思います、私は。ずれてはいません。

    >・・・人それぞれ聖書の取り方は違うと思うのですが。

    本来、この世の、万物、森羅万象、時間も空間もお創りになった「ヤハウェ」の言葉が聖書であるのなら、人間ごときの「解釈」など存在しないのではないでしょうか。絶対服従のはずです。いや、服従と言う観念すらなくなると思うのです。神は「在り」、故に我が「在る」だけなのではないでしょうか。罪深きはユダヤ人の選民意識による奢り、神の子を神と同位に扱ったバチカンの手前勝手な解釈なのです。プロテスタントもイスラム教も「反バチカン」が自らの存在意義と化してしまい、神の掟を破る事を正当化しているのだと思います。
    聖書を世界最大最強の、最も優れた書物であると言う文学者が多いですが、「面白いですね」私はまだ熟読は「創世記」の半分ですが。

  • 山おやじさん、ありがとう!

    2004/5/4 18:08 by 未登録ユーザザン

    お返事ありがとうです!
    そうですか、忠実ですか・・・。
    私も聖書に書いてあることは、人間の創造から
    ノアの箱舟・十戒・イエスが神のみ子であること・
    イエスの復活・・・などなど全面的に信じています。
    それにキリスト教国が聖書に忠実でなく、戦争を繰り返すこと。
    国連の前にあるイザヤの聖句が虚しいこと・・・
    なども理解しております。

    宗教的な事ですのであんまり深く書き込みますと、
    いろいろのお考えの反感が出てくると思いますので、
    これくらいにしますね。
    今日はクレヨンしんちゃんを観てきました。
    あぁ・・観たいな、パッション。と思いながら、我慢
    しました。

  • 反感もまた、宜しいではありませんか(笑)

    2004/5/4 19:29 by 山オヤジ

    全人類が聖書を絶対真理と捉えたとしますと、教義的に大きく異なる宗教はないのですから、「禁断の果実」以前に回帰する事になるでしょう、きっと。だって異教徒がいなくなるわけですから。こう考えると、嬉しくなってきますが。

    映画は、悲惨です。無残です。心も傷みます。むごたらしいです。今のイラクも、かつての戦場もそうです、きっと。なぜ、人間は判らんかなぁ、と私も思います。でも私も、聖書を絶対の価値として受け入れ難いのです。私が受け入れたら、野菜と果実だけで生きて行くと思います。でも、今決心できません。(弱いなぁ)そんな生活を物理的に可能な状況を現実に見出せないのです。

    (最近、知った事なのですが、今の「栄養学」すらひっくり返るのですって。「カロリー」は理論破綻どころなのではなく、正しく構築されてもいないそうです。
     果実だけは、人間の消化酵素を使用せずに消化吸収できる唯一の食物だとか。野菜もほぼそうであると。動物の寿命は成熟した歳の6倍だそうです。そうであれば、人間は本来120歳が寿命と言う事で、どこかで聞いた事がありますね。果実に必要な栄養素が全て入っているそうです。ビタミンやミネラルだけでなく、たんぱく質や炭水化物も。驚きませんか。病気をする動物は人間と家畜とペットだけで、共通項は「食性」にあるらしいです。
    私の直感的持論(学説としても在るそうですが)「戦争の元は肉食にあり」が証明されるような期待感があります。)

    やはり、真理は一つでしょうか。
    それは、聖書とエントロピーの法則で言えば、
    ”お部屋は生活していれば、お部屋は汚れます。致し方ない。(これ法則)・・神はなんと仰るか。汚れたらお掃除しなさい、しかし汚さないように気をつけなさい。”
    ”木を伐採していたら、森がなくなります。当然(法則)です。(神)きった分、植林しなさい。切った木は無駄の出ないように使いなさい。”
    となります。これ、当たり前のど真ん中ではありませんか。

    ”世界の平和”さんのスレッドお読みになりましたか?
    あの方、お詳しそうですね。興味深い話です。どんな宗教も日本では、相対化され、俗化される事で日本人の宗教観のふしだらさを論う人が多くいますが、先進国(ハイテクノロジーで近代化された)の中では、最も「神の国」に近いと思います。聖書的にも、日本古来の言い伝え的にも。

  • こんばんは〜♪

    2004/5/4 22:25 by 未登録ユーザザン

    こんばんは!
    んじゃあ、勇気を出してかきま〜す!

    山おやじさんはどう思いますか?
    イエスは人間?神?

    私は聖書を読んでこのように解釈しています。
    イエスは「神のみ子」と呼ばれていますが、神が最初に創られた霊者です。そしてイエスは人間マリアを通して、人間としてこの世に来ました。それは何のためか?それは神のみ国についてのべ伝えることと、最初の人間アダムとイブが失った永遠の命をご自分の命と引き換えるために来られました。それはすなわち、全人類のために死ぬために来られたのです。最初の人間が失った全人類の命はイエスの命と引き換えに、取り戻すことが出来るようになりました。そしていまやその日が訪れるのを待っている状態にあります。ですから、この世にいたときのイエスは人間ではありましたが、神のみ子には間違いありませんでした。ご自分でもみ子であることを理解されていた事は聖書の記述からわかります。ですからイエスはもともとは霊者でありながらも、人間の生活をし、人間の感情や弱さを経験したのです。ですからよりいっそう人間の気持ちがわかるのだと思います。しかし、復活後のイエスは人間に復活したのではなく、天で霊者として復活されました。
    霊者ではありますが、神ではないのです。それはイエスご自信がはっきり聖書の中で言われていますので、よく分かります。
    そして、イエスは亡くなる前の晩の最後の晩餐で、パンとぶどう酒を用い、この事を忘れないように・・それは、イエスがなぜ死んだのかと言う事です。それをこの儀式を行うたびに思い出すように・・。そして私が到来する時まで続けなさい。と言われました。ですからイエスがなぜこの世に来て、何のために死んだのかと言う事はとても重要なことなんです。それが理解できれば、神が・・イエスが言われる本当の意味を理解できるのだと思います。
    そしてそのイエスの到来はもう間もなくのことなのです。
    (神とイエスは別々の存在ですが、お考えは同じです。)

    と!! 反論、覚悟で書きましたが〜。
    これが聖書を読んで、私が信じている事です。
           ε- (´ー`*) フッ〜

  • Re: ザンさん、その勇気は神の御心の・・・

    2004/5/4 23:02 by 山オヤジ

    キリスト者、とお呼びしていいのでしょうか?ザンさんを。

    仰る事に異論など御座いません。
    しかし、
    >イエスは人間?神?

    この質問自体がナンセンスではありませんか?
    神と神の御子が同じな訳がありません。
    人間は、偶像崇拝を欲しているのでしょう。本能、生理と言ってもいいのかもしれません。
    旅に出れば、写真をとりたくなるように、また何かにつけ思いでなり絆なりを「物」に託したくなりますから。

    神は創造主であり、イエスはその神が意思、願いを人間に示した聖者・聖霊なのでしょう?
    三位一体説はやはり堕落と思います。
    神は、あくまで唯一の神であり、イエスは神の御子です。創造主では在りません。と思います。

    >そしてそのイエスの到来はもう間もなくのことなのです。

    ヨハネの黙示録ですか・・・。その前にイスラエルに神殿が建設されて、ハルマゲドン、いろいろあるんですよね?
    詳しく教えて下さい。

  • とてもびっくりしています。

    2004/5/5 0:08 by 未登録ユーザザン

    山おやじさん・・・
    とてもびっくりしています。
    大多数の方はイエスを神と同等・・または神と
    しているからです。
    また三位一体を信じている方も非常に多いです。
    う〜〜ん、びっくり!

    ハルマゲドンの前にイスラエルに神殿が建てられる事は
    ありません。 いまある現実のイスラエルと神とは
    もう離たれたものだからです。それはイエスが亡くなったころの事が書かれている聖書を読むと分かります。

    生来のイスラエル人ではなくて、霊的なイスラエル人が
    神の民となっています。
    霊的・・というのは、どこの国の人でもイエスを信じ
    その足跡に見倣う人は霊的なイスラエル人というのですね。
    そしてイエスはすでに天にある神殿に到着されています。
    あとは黙示録にあるように・・順をおってハルマゲドンへと向かって行きます。
    またハルマゲドンとは「メギドの山」もしくは「軍隊の集結の山」という意味があるそうです。でもそれは実際にその場所の事ではないようです。

    なんか説明ヘタですが・・。こんな感じです。

  • Re:ザンさん

    2004/5/5 0:49 by 山オヤジ

    そうですか、キリスト教から見れば私は「異端」ですね(笑)

    物理学者の言う宇宙のビッグバーンは、創世記そのもので、海、空、上空の水、更に上空の水(でしたっけ?)と「水」を3つに分けていますね、神は。オゾン層の上に高熱の水蒸気層があったと仮定すると、気圧が今の2倍、南北両極まで温暖で、化石として発見されている両翼10Mもある空飛ぶ恐竜は、今の気圧状態では飛ぶ事が出来ないが、気圧2倍の環境であれば可能、との事です。
     その水蒸気層を破る隕石があって、ノアの箱舟の大洪水に繋がるそうです。「40日間」で地層が出来、聖書にあるように、大地の隆起と陥没で今の地球の状態になった、と。

    ですから、新約聖書に書かれていることも、「リアル」なのではありませんか?どう解釈するのかの問題で。
    「メギド」も特定できないだけでは?ソドムとゴモラは神につぶされて、塩で清められたのですね?詳しくは判りませんが、当時の状況や発掘資料などから特定した、死海南方は岩塩だらけだったそうですよ。

    わたし、まだ創世記ですから、読んでるのが。黙示録は一番最後ですね。飛ばし読みしちゃおうかなぁ。

    >生来のイスラエル人ではなくて、霊的なイスラエル人が
    神の民となっています。霊的・・というのは、どこの国の人でもイエスを信じその足跡に見倣う人は霊的なイスラエル人というのですね。

    神の民になるには、「洗礼」が条件なのですか?自覚とか主体性とか、聖書熟読とか。無意識に原始的な生活をしているような部族はどうなるんでしょう。

  • どこからそのような知識を?

    2004/5/5 1:15 by 未登録ユーザザン

    >神の民になるには、「洗礼」が条件なのですか?自覚とか主体性とか、聖書熟読とか。無意識に原始的な生活をしているような部族はどうなるんでしょう。


    山おやじさんは色んなことに詳しいですね。
    研究熱心なんですね〜、感心しています。
    ラストサムライのときも・・・。

    大丈夫です。神は不公平な神ではありません。
    「愛の神」なんです・・・・
    そのような人たちにも必ず手を差し伸べられます。
    それからもちろん「洗礼」は大切な条件ですが、
    だからと言ってその人たちの救いが確定されているわけではないのです。
    いくら洗礼を受けていても、その人の生活が神の目に
    かなわないならば・・・それは・・条件を満たして
    いません。
    やはり形ではなく心を見られるのですね・・神は。
    ですから知識を取り入れるもの大切なことですが、
    動機が神への愛でないといけないのですね〜
    ・・・・では今日はおやすみなさい!

  • Re:ザンさんおはよう御座います。

    2004/5/5 7:51 by 山オヤジ

    >動機が神への愛でないといけないのですね〜
    ・・・・では今日はおやすみなさい!

    「愛」ですか・・・。
    私、常日頃思うのですが、この「愛」って言葉の本来の意味ではなくて、流通しているいや〜な軽さがあるでしょう、それがいやでいやでたまらんのです。3回位デートして、(30年前です)ここで勝負!って時にカワイ子チャンが「私の事愛してる?」って聞くんですよ。
     私、心の中で躊躇しながら、更にテレながらうなずいてしまって、その娘を安心させるんですが、どーもウソなんですよ。私の知っている「愛」は、その頃読んでいた三浦綾子(北海道で同郷意識)の小説で出てくる様に、母が我が子へ、ちぎりを結んだ男女が命がけで、というのが「愛」だと思っていましたから。3回目のデートでチューするのに「命がけ」?!って思ってしまう訳です。無理に決まってます。この間も当店に来た米国人の女性、料理に対して、「I LOVE IT」って使ってました。料理をあいしてるってか?!と一瞬思ってしまいます。単に「好き」でいいではないですか、ねぇ。

     うちに来る30歳前後の美しき女性客の多くは(そんなにいません)「愛されたい」「幸せになりたい」と言いますが、私はその都度「愛と幸せの意味が違うんじゃねーか」と言い、お説教が始まりますが、「改心」した方は誰もいません。 
    それこそ「愛」をみだりに使うから、この「受難」も軽く受け止められてしまうのではないですか。イエスは人類の罪を一身に受けて救ってくれた、罪を贖ってくれた、との解釈が目に付きますが、私、聖書素人の分際ではありますが、いささか異論があります。

    アダムもイヴも、イエスも神の子として生まれていますね。人間として。イエスも戸惑い、誘惑を受けながら、そして傷つきながら、確信しますね。その瞬間の描写も映画にはありました。(セリフ忘れましたが、「今私は言えます」みたいな)
     「受難」が、私たち人間の罪をチャラにしてくれた犠牲的精神に対する感動、と取るならば、甚だおかしい事です。
     神の子イエスが人間代表として神の掟を守れるのか、いや、そんなレベルではなく、ザンさん仰るように、神を無条件でこれっぽっちの疑いもなく、神の言葉を受け入れて更に人間にとっての最悪の最低の苦痛(肉体的苦痛だけでなく、屈辱・汚辱・蔑み)を受けてもなお、その苦痛を与える側の人間の為に心から祈る事(これが「神への愛」ですよね)。これって凄い事ですよ。並みの人間には絶対無理だし、完璧な信者にとっても証明のしようのない事でしょう。だから、イエスは聖霊なんです。そうでしょう?

    神の子ではあるが、人間の苦痛、欲望もちゃんと(?)備わった人間でもある訳ですね。イエスを打ち続けるあの兵士と同様の人間であるイエスが兵士を「愛」する事が出来るのかどうかが問題で、残虐な極悪非道の人間も神の子となりうるのか、いやなれると証明して見せたのがイエスなのではないでしょうか。神はイエスを使って人間を試された、と思います。その勝負をイエスは克服した、故に人類は、神に滅ぼされずに済んだのではないでしょうか。ノアの箱舟の時は、8人(?)だけ残して殺してしまったのですよね、神は人間を。イエスが受難を失敗したらどうなっていたのか判らないでしょう?

    多くのキリスト教徒はこの辺を誤解してやしませんかね。
    イエスが神だったら、「受難」の克服はお茶の子さいさいになってしまいます。

    私、間違っていますか?

  • 山オヤジ説

    2004/5/5 9:36 by ぽん

    ハイ。山オヤジ説。ほとんど同意!。

    ただ、ノアの箱舟の解釈は、当時、あの周辺に洪水があったという経験が歴史として記録されたという科学的解釈が正しく、8人残してみんな死んだ。は、種の保存から考えてほとんど現実味がないと思いますよ。

    で、山オヤジ説同意を繰り返しますが、
    洗礼は宗教団体としては必要だろうけど、親鸞よろしく、悪人こそ救われるというのはキリストも変わりなく、ようは自分が悪人と認識すれ救われるんだから、洗礼なんざ、宗教団体のシルシにすぎないから、別に要らないてのが僕の考え。

    僕スレでは語れないから、こっちおじゃましました。
    しつれい。それでは。

  • Re: あほらし、金返せ!

    2004/5/5 10:39 by 未登録ユーザザン

    おはようございます!山おやじさん、ぽんさん

    すみません、私・・笑ってしまいました。
    山おやじさんの「愛」の経験・・・。ふふっ

    >イエスが神だったら、「受難」の克服はお茶の子さいさいになってしまいます。

    本当にそう言えますよね!イエスがあの時、神のみ子でありながら人間の肉体であったからこそ、イエスの死には大きな意味があるのですよね。

    そして「愛」についてなのですが、これがとても奥深いのなのです。私は以前、聖書を学ぶ前までは「愛」というものが、どういうものなのか分かりませんでしたし、私もまた薄っぺらいものだと思っていました。

    この「愛」には、友人間の愛・親子、親族に対する愛・男女の愛・そしてアガペーという無私の愛があります。はじめの三つの「愛」は人間は生まれながらに持っていて、自然と湧き出てくる「愛」です。しかし、このアガペーという「愛」は自分が意識的に培わないといけません。人間的な考えでは愛せないような相手を愛する「愛」だからです。イエスが兵士に示されたのがまさにこの「愛」です。イエスは心の底から思われたのですね・・「この者達をお許しください」。と・・。その者達は真理を知らなかったからだと思います。ですから神の言われる「愛」について学んでゆくと、「愛」という言葉がとても重みのあるものに感じるようになります。

    それから・・「洗礼」ですが・・
    やはりこれは重要なもののようです。
    なぜならばイエスご自身が弟子に手本を見せるために
    洗礼をお受けになっています。そしてその時、「これは私の子」と天から神が言われたからです。ですから「洗礼」は神の子となる、例えで言えば入学式みたいなものだと思います。とはいえ、受けただけでは駄目なのですが・・。ですから形ばかりを重んじた一世紀のユダヤの僧職者たちに対してイエスは糾弾しておられます。
    「あなた方は言いはするが、自分達は行わない」と。

    ノアの箱舟に8人しか乗っていなかったことも事実です。例えば漢字の船という字を見てください。とても興味深いのですが、左に舟 右に 八 と 口 で船と読みます。
    私が思うことは聖書の中のどれ一つでも嘘の記述であるならば、聖書そのももはなんの価値も無くなると思うのです。神の言葉・・ということが全て偽りになってしまいます。ですから、書かれているすべてのことを私は信じているのですよ・・黙示録の最後の聖句を読んでみてください。聖書から言葉を取り去ること、付け加えることを禁じておられます。そしてこの神の書物には何人でも手を出すことは出来ないのです。

    と、こんな感じですが〜。

  • なんてかなあ。

    2004/5/5 11:31 by ぽん

    聖書の知識がないわけではないんです。

    偶像崇拝を禁じ、世俗的なものに価値がないとしたキリストであれば、象徴的行為である洗礼を遵守することを義務付けるとは思いがたい。

    はたして、何かにとらわれる信仰なるものを望んだのか?

    はなはだ疑問なのです。

    今や、聖書の改ざんはカソリックも認める事実であり、ここにあるのは、事実のみではないことは既知のことになっています。

    それはノアの箱舟しかり。

    これは、事実かどうか?ということが問題ではなく、

    僕の中では、

    繰り返します。僕の中では、

    信じるかどうか?

    それのみが指標です。考えてみれば、教えは、聖書がしてくれたのか?教会がしてくれたのか?自分が選び取ったのか?

    飛躍しましょう。

    僕の頭の中は、リチャードバックの「僕たちの冒険」にとてつもなく近い。で、案外、山オヤジさんにも近いってことです。

  • Re: あほらし、金返せ!

    2004/5/5 12:36 by 未登録ユーザ世界の

    山オヤジさん こんにちは。よいスレになってますね。
    ちょっと、遊ばせていただきます。

    「愛」は、もともと日本語では「前後をわきまえず執着すること」を意味しました。ずばり性交をも意味します。16世紀に日本で布教を始めたキリスト教は「愛」ではなくいささか苦しいですが「お大切」と訳したのです。
    鎖国後、政治経済文学など海外文献を訳す為に非常に多くの言葉が作られ漢字の本家中国にも輸出されました。我々が普段何げなく使っている言葉の多くが150年前には無かったのです。やや脱線ですが、古来からと思われている日本の風習も実はこのころより作られました。たとえば結婚式や葬式など元々仏教や神道には無く西欧風習の真似です。驚きました?仏壇は徳川幕府の政策ですけど先祖崇拝はこれまた仏教には本来無い教義です。大衆の要求に応えるのも宗教活動か(笑)
    その中に「愛」もあります。現在の「愛」に崇高なものを感じるとすれば、それはキリスト教が「愛」の意味を変えてきた証です。100年もあれば価値観が変わってしまう礼です。
    古事記や日本書記の訳もそうです。漢文でもなく音当て文書の解読はいまだに困難です。音当て文書といえば仏教典の一部もそうですね。梵語が直接訳せるようになって玄奘三蔵の誤訳なども指摘されるようになりました。仏教には盂蘭盆会経のようなむちゃくちゃな内容の偽経もありますし。ウラボンの語源Urban,Urvanは古代イラク・イラン地方の豊穣祈願祭と考えられます。Urは古代都市ウルのことで、アーバンの語源です。現代世界の法律や宗教はUrから始まったといっても間違いでは無いでしょう。脱線ついでに貨幣はインド洋セイシェル諸島で取れた宝貝が始まりとされてます。
    山オヤジさん、イスラエルの祖アブラハムまで読み進まれましたか?アブラハムの出身地はまさしくウルです。
    とまれ!

    >イエスが神だったら、「受難」の克服はお茶の子さいさいになってしまいます。
    >私、間違っていますか?

    よい考えです。実は、ネストリウス派の主張がそうなのです。現在ネストリウス派の考えは異端ではありません。
    キリスト教会は、苦し紛れにインカネーションという言葉を創作しました。また、政治的な都合でネストリウス派を異端として追放しました。おかげで日本に聖徳太子が生まれたんで我が国としてはありがたい事件でしょうけど。すぐ脱線するなぁ。
    三位一体の、神としてのイエスは、復活したイエス。また天地創造で実際に働いたのもイエスということになっているようです。
    また、もう一つの聖霊は、映画風にいえば神のフォースのことで、ローマ帝国が東西に分裂した事により、東方教会では父神から西方教会では父神と子神から出る、とやや違いますが、互いに秘蹟(聖餐=パンとぶどう酒)を交わせる取り決めができています。風習は東方教会には人型の彫刻は一切無く、仏壇のようなものがあったり日本のお寺を思わせるほど東西で違います。日本人のほとんどは西方教会の風習しか知りません。クリスマスも東方教会とイスラム教では1月6日です。イスラム教でクリスマスがあるのは不思議に思われるかも知れませんが、エジプトでは国の休日にも定められています。イエスはイスラム教の重要な予言者とされています。そんなこんなで、3つの宗教がエルサレムを巡って奪い合いを繰り返すのです。

    仏教の発祥地、ガンダーラも人影を見たら銃弾が飛んでくる物騒なところ。どうしてなんでしょうね。

    そうそう、パッションのユダヤ教祭司たちのいでたちが、配色変えると、日本の神官装束なのに気がつきました?古代日本とユダヤの関係はとりざたされていますが、どうしてこうまで似ているのか、古事記のほんとうの訳が欲しいです。
    夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
    (八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を)
    現条訳では意味不明。

    私も「神」は信じるんですよ。
    「神」のしたことつまり自然(天然ともいう)を人の知識に翻訳するのが科学であり、
    翻訳できると人に都合よく再現利用できる。
    しかし、科学者が物事を「神」のせいにしては、もはや科学じゃなくなる(笑)
     科学も最終的には人が表現するものですが、聖書も最終的には人が書いたものです。
    科学が新発見により書き換えられるようには、聖書を書き換えることはできません。

    原理主義者ならいざしらず聖書に間違いが無いなんてお笑いですよ。
    イエス自身は聖書を書きませんでした。他の書き物も残していない。
    人の表現というのは、神を語る究極の正しさなんて無いんです。科学の表現でも同じジレンマがある。
    神話も、お芝居の台本もあの中にはあります。聖書が編纂され始めたのは、ユダヤ人のバビロニア捕囚(アラム語の読み書きができるので、帝国内のいたるところで文書官などに使われたようです。アレキサンダーも第1公用語をギリシャ語ではなくアラム語にしたほどです。)ころからで、正典として全文書がまとまったのは紀元前1世紀です。有名な死海文書には「エステル記」を除く全ての文書が揃っています。現在でも、新発見により修正されたりしているんですよ。現在の日本語聖書、新共同訳はそういう訳で、昨年ページ数も変わりました。
    聖書は神では無いので、偶像にしないように。ザンさん。

    そういうこととは別に、パッションはパッション。

  • ぽんさんへ

    2004/5/5 12:45 by 未登録ユーザザン

    あのお、
    聖書の改ざんとは、どのあたりがされているのでしょう? 私が思うのには聖書が改ざんされているのではなくて、意味が改ざんされているのではないかと思うのですが・・・。 
    それからぽんさんが言われるように洗礼は、重大なことではないと思いますが、しかしその意味は、いったん水に沈み、以前の行き方を捨て、水から上がることによって新しく生まれ変わることを意味しているようです。それで自分自身の神への献身の表明・・献身しましたということを形で表して、忘れないようにするという効果もあるようです。
    献身というのは、自分の生き方を神の言われることと調和した生き方にするということです。
    ですから実際には洗礼自体よりも自己の献身を心で表明した日が大切だと思います。洗礼はそれを形にした日ですね。

    あ・・・山おやじさんの言われたことに戻りますが、
    イエスが全人類の罪を受けて救ってくれましたが、だからと言って全ての罪が許されているわけではありません。・・・ちょっと長くなりそうなので、いったんここで・・・終わります。 

  • ラストサムライでは経験しなかった私のスレッドの扱い(笑)

    2004/5/5 18:22 by 山オヤジ

    >ぽんさん

    私の説って・・・、あの創造主ヤハウェが聖書通り証明されつつあるのならば、ユダヤ教・カソリック・プロテスタント・イスラム教はみんな大間違い、という説ですよ。そこに憤りを持って「ふざけんなーっ!」、と。私も含めた日本人の多くが抱いている漠然とした「神」は、ひょっとすると「ヤハウェ」かもしれないのですよ。

    >ザンさん

    私の恋愛エピソード、ウケて頂けて「救われました」(笑)。
    なんか大変な事になってきました。でもいなくならないで下さい。「反論もまた愉し」ですよ。

    >世界の(平和)さん

    今晩は。それだけお詳しいと質問攻めに遭いそうですね。

    >「愛」は、もともと日本語では「前後をわきまえず執着すること」を意味しました。ずばり性交をも意味します。16世紀に日本で布教を始めたキリスト教は「愛」ではなくいささか苦しいですが「お大切」と訳したのです。

    対象を丁寧に扱う、と言うことですね。私はこっちの方が好きです。「愛」誰がそう訳したんでしょう、福沢諭吉ですかねぇ。
    >古結婚式や葬式など元々仏教や神道には無く西欧風習の真似です。驚きました?仏壇は徳川幕府の政策ですけど先祖崇拝はこれまた仏教には本来無い教義です。大衆の要求に応えるのも宗教活動か(笑)

    これは聞いた事があります。仏教が余りにも死者に対して何もしないと、民衆の不満があるところに中国に大秦景教が入ってきたのですね。鎮魂、弔いの儀式で民衆のハートをがっちりつかんだ、と言うことでしょう。

    >山オヤジさん、イスラエルの祖アブラハムまで読み進まれましたか?アブラハムの出身地はまさしくウルです。

    と、と当然よ読んでいますよ、創世記半分行ってますから・・・アブラハムは元アブラムでしょう?延々と誰が誰を産んだってとこですよね。アブラム・ナホル・ハランの父テラの故郷はカルデヤ人の「ウル」とありました。

    >苦し紛れにインカネーションという言葉を創作しました。また、政治的な都合でネストリウス派を異端として追放しました。おかげで日本に聖徳太子が生まれたんで我が国としてはありがたい事件でしょうけど。。

    脱線の続き、是非伺いたいです。

    >三位一体の、神としてのイエスは、復活したイエス。また天地創造で実際に働いたのもイエスということになっているようです。
    また、もう一つの聖霊は、映画風にいえば神のフォースのことで、ローマ帝国が東西に分裂した事により、東方教会では父神から西方教会では父神と子神から出る、とやや違いますが、互いに秘蹟(聖餐=パンとぶどう酒)を交わせる取り決めができています。風習は東方教会には人型の彫刻は一切無く、仏壇のようなものがあったり日本のお寺を思わせるほど東西で違います。日本人のほとんどは西方教会の風習しか知りません。クリスマスも東方教会とイスラム教では1月6日です。イスラム教でクリスマスがあるのは不思議に思われるかも知れませんが、エジプトでは国の休日にも定められています。イエスはイスラム教の重要な予言者とされています。そんなこんなで、3つの宗教がエルサレムを巡って奪い合いを繰り返すのです。

    なるほど、すると日本の神社・仏閣もその影響下にある、と考えていい訳ですね。太秦の謎がリアルになってきて、ドキドキします。

    >仏教の発祥地、ガンダーラも人影を見たら銃弾が飛んでくる物騒なところ。どうしてなんでしょうね。

    聖地は荒る・・・、?磁場ですか?

    >そうそう、パッションのユダヤ教祭司たちのいでたちが、配色変えると、日本の神官装束なのに気がつきました?古代日本とユダヤの関係はとりざたされていますが、どうしてこうまで似ているのか、古事記のほんとうの訳が欲しいです。

    切実に同感です。

    >夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
    (八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を)現条訳では意味不明。

    仮説も無しですか?

    >「神」のしたことつまり自然(天然ともいう)を人の知識に翻訳するのが科学であり、翻訳できると人に都合よく再現利用できる。しかし、科学者が物事を「神」のせいにしては、もはや科学じゃなくなる(笑) 科学も最終的には人が表現するものですが、聖書も最終的には人が書いたものです。科学が新発見により書き換えられるようには、聖書を書き換えることはできません。

    最古の、或いは原書みたいなものは、バチカンが所有しているのでしょう?ホンとはこうだった、みたいな陰謀はありえないのですか?

    >原理主義者ならいざしらず聖書に間違いが無いなんてお笑いですよ。

    トーラーはほぼ、科学的説明がつくそうですよ。荒唐無稽のおとぎ話ではなく。

    >イエス自身は聖書を書きませんでした。他の書き物も残していない。人の表現というのは、神を語る究極の正しさなんて無いんです。

    解釈論でしかない、と。しかし、仮説、想定の元に調査して、ほぼ、間違いではなかろう、くらいは言ってもいいのではないかと思うのですが。

    >科学の表現でも同じジレンマがある。神話も、お芝居の台本もあの中にはあります。聖書が編纂され始めたのは、ユダヤ人のバビロニア捕囚(アラム語の読み書きができるので、帝国内のいたるところで文書官などに使われたようです。アレキサンダーも第1公用語をギリシャ語ではなくアラム語にしたほどです。)ころからで、正典として全文書がまとまったのは紀元前1世紀です。有名な死海文書には「エステル記」を除く全ての文書が揃っています。現在でも、新発見により修正されたりしているんですよ。現在の日本語聖書、新共同訳はそういう訳で、昨年ページ数も変わりました。

    勉強になります。

    >聖書は神では無いので、偶像にしないように。ザンさん。

    女性は、直感的に究極の判断をしていた、と言うのはありますよ。私は身にしみています(笑)。

  • うわぁ〜!!

    2004/5/5 20:15 by 未登録ユーザザン

    世界のさん・山おやじさん・ぽんさん
    こんばんは〜
    すごいですね〜世界さんっ!
    私は聖書しか詳しく勉強してないので、ものすごく楽しく読ませて頂きました。いい勉強になりますので、どうか引き続き書き込みしてください。

    では〜聖書に対すする私の思いを打ち明けます。私は聖書を神とは思ってませんし、偶像視もしていません。と言っても、もちろん他の本よりも大切にしています。・・・が私の聖書は書き込みだらけです。もしも聖書を偶像視する方がおられたら、びっくり・・というより憤慨されるかも知れません。聖書はイエスが書かれた物ではなく、神が聖霊(神の活動力)により人間に書かせたものと判断しています。そして聖書は神からのお手紙・・または人生の説明書・・みたいなものだと思っています。例えばパソコンを使っていて正常な時にはスイスイできるけれど、ひとたび問題が起きると説明書を見ないことにはどうしたら良いかもわかりません・・し、説明書の通りにするなら、また正常に起動し始めます。聖書もそれと同じで、私たちの歩みにアドバイスをくれる、人生の説明書みたいな感じなんです。

    私は聖書がとても正直なので大好きです!イエスの腹心の弟子達の信じられない失敗も、隠さずに書かれています。神がそしりを受けている事も書かれています。
    こんな正直な神を知ることができて、とても幸せです。

    ぽんさんへ
    私が思うには多分多くの点で、私と山おやじさんとの考えは同じように思われます。

  • ああ、やっぱり、全人類は同根同祖ってこと?

    2004/5/5 21:17 by 山オヤジ

    洗礼は、「禊」(これは神道?仏教?)でもある訳ですね。
    宗教学学説に拠れば、神話が成立する背景には当然、「神」が先に在り、その信仰を元に作られていると言う事。世界各地の神話は、キリスト教、ユダヤ教よりも古いものがたくさん在る、と。神話は一神教であり、また大洪水の話は夥しく顕著にある、と。

    日本に入った三法も古代ユダヤ教や東方キリスト教の影響しているとすれば、日本史もすっきりしますね。取り合えずその仮説で研究してくれたら、幾らかましになるのではないのでしょうか、学界も。九州説、畿内説って読んでみると結局判らん、って事ですもんね、学界ももっと論争しなきゃダメなんですよ、凝り固まっちゃってさぁ。それで世論盛り上げて、宮内庁動かして、天皇陵墓の発掘調査でしょう、最後は。ここでも映画の中の「ヤダヤ教」化してるわけですよ、学界も宮内庁も。ああ、ザンさん、聖書はこれも教えてくれている訳ですね、凄い。
    ちょいと愚痴っぽくなりますが、人間は変わっていませんよ、バカさ加減が。自分の事考えてみれば、全くそうなんだ。

     ん、ザンさん、新たに質問が生まれました。全人類がキリスト教徒になったとします。そうしたらどうなります?
    神は人間に「地上に増えよ」と言っていますよ。

    それで今の地球はエコロジーやら、温暖化やら、経済問題やら戦争はとどのつまりは「人口問題」に帰結する訳です。多すぎる、と。熱力学の法則からの指標としてもエネルギー消費を抑えなければいけないわけです。京都議定書の趣旨から言っても。神はどうされると仰るのか。やはり、ハルマゲドンで減らして、「新世界」へ導くのですか?

  • 。゚+.(・∀・)゚+.゚山おやじさんっ!

    2004/5/5 21:40 by 未登録ユーザザン

    神が地上に増えよ!といわれたのはアダムとイブに対しての言葉ですね。これは程よく満ちよ・・と解釈しています。おそらく神はある程度人口がこの地上に満ちたら、人間の生殖能力を終わらせるのだと思います。なぜそのように思う根拠があるかというと、聖書を通して神を見る限り、とても神には道理があることがわかります。ですから満ち溢れさす事はされないと判断できます。

    と、神はハルマゲドンで全ての人間が助かるように望んでおられます!全員同じ神の子だからです!
    もしも私たちに10人子供がいて、一人が凶悪になり他の9人の命が脅かされたとします。親はどうするでしょうか?どんな凶悪な子でも我が子・・助けてあげたい。しかし、もうそんな気持ちも相手には届かず・・9人に害を及ぼそうとする、、、涙を呑んでその子供を捕まえるか、また凶悪な犯罪を犯した後であれば、死刑にもなるかもしれません。本当に悲しくて悲しくて・・この親の気持ちを誰がわかるでしょうか?・・・ちょうど神のようです。神の悲しまれるお気持ちを誰がわかるでしょうか?

    だから人口調整などは、何があってもされないと思います。とはいえ、ハルマゲドンにおいては沢山の者が滅びるようです。    わたしもカモ。

  • Re:ザンさん

    2004/5/5 22:06 by 山オヤジ

    ザンさんはご覚悟されてるのですね。厳粛な気持ちで聞きます。正座して(心構えです)。

    >だから人口調整などは、何があってもされないと思います。とはいえ、ハルマゲドンにおいては沢山の者が滅びるようです。    わたしもカモ。

    ハルマゲドンが実現して、多くの命が亡くなったら、私はそれを、「神による人口調整」と考えると思います。どう違うのですか?

  • その!違いは!

    2004/5/5 22:29 by 未登録ユーザザン

    神のお心はだ〜れも滅ぼしたくないからです。
    ハルマゲドンで人が滅びるのは、神の責任ではなくて
    滅びる人自身の責任だからです。
    人口調整なら、はじめから人数なんかも決まってたり
    調整される人も決まっていたりしますよね。
    ハルマゲドンで滅びる人はまだ定かではありません。
    もしも人口調整なら、そんなに待たなくても、もうとっくにしていてもいいはずです。でも神はこのときを何千年もお待ちになった。一人でも助かるためなんです。
    ほんとぉ〜なんですよぉ〜・・・
    って、もしかしたら滅びちゃうカモなんて言ってる人の言葉じゃあ、説得力に欠けるですね! ぶはは

  • Re: ザンさん

    2004/5/5 23:27 by 山オヤジ

    いやいや、ザンさんは生き残りますよ、根拠無しですが(笑)大丈夫です。
    私、映画「セヴン」の大罪にはだいたい○が付きますから。

    でも、ハルマゲドン自体は神の意思でしょう?神ならば、人口調整(篩い分け)してもいいんじゃないですか?
    「神」なんですから。誰も文句言えませんよ。ハルマゲドンはいつ頃なんですかねぇ、付け届けも効きませんか、神には。コネないですか、神「系」に。(ふざけすぎました)
    うーむ、そうだろうと思っていましたが、やはりそうですか。西洋キリスト教徒は、私の何倍もビビっていますね、きっと。

  • ほんと〜

    2004/5/5 23:47 by 未登録ユーザザン

    神なんだから何でもアリですよね〜
    と私も思ったりもするのですが、やはりそれは神の望まれるものではないんですよね〜
    なんでもアリになったら、神様なんて誰でも同じジャン!
    ってことになっちゃいますよ〜

    その日は誰もしらない・・子もしらず・・
    ただ神だけがご存知・・・なんですよ。
    だからいつも目覚めていなさい、自分の心を守りなさい
    等など・・ここらへんを勉強すると面白いです。
    いつでも何かを判断する時に「神は愛」と言う事を
    忘れないようにするといいと思います。

    と、案外近いと思います。

  • Re: ザンさん

    2004/5/6 0:16 by 山オヤジ

    参りました(笑)。神には太刀打ちできませんね。

    薄々気が付いてるんですよ、白状すると。科学が聖書を証明して、神道天皇制もその流れだったら、改宗するも何もなく、それが絶対真理って事になる訳ですからね。
    あ〜あ、人類何やってきたんだろ、ほんと。
    でも、カソリックもプロテスタントも御免です。改宗するなら、聖書だけでやっていきますね、私。
    でも、もうちょっとお勉強してからです。

    >ぽんさん、

    ノアの箱舟は4500年前と特定すると(炭素14法で)今の人口を遡って計算すると、全く可能ですってよ。

    >世界の(平和)さん

    邪馬台国の謎、四国山上説、失われたアークの隠蔽工作、空海の工作加担、神道天皇制と古代ユダヤ、平安京・稲荷神社・八幡神社、日本史が流れるように理解出来るんですが、どうなんでしょう。

  • あららー。

    2004/5/6 10:33 by ぽん

    宗教的論争はよそでやってくださいという意見もあるんですね。このスレ、宗教的というより歴史的な話で、ラスサムの日本万歳よりよっぽど建設的だと思うけどなあ。と、ここで書いてみる。

    映画的にこのスレで書きますよ。

    ハリウッドでもイタリアでも、実際今までキリスト映画がつくられてきたことは皆さんご存知で、「奇跡の丘」で共産主義イタリア人無神論監督がはじめて、キリストの「顔」を出したのも有名。

    じゃあ、このメルの映画はなんなのか?

    これまでのキリスト映画は、キリスト人生のダイジェストとキリスト教とはなんぞや?ってやったんだけど、12時間に縮めたので、「キリストとはなんぞや?」ってことを、キリストの息遣いまで感じさせる映画ができたってことなんであって、この映画的意味があるわけですが、

    これは、この表現方法になんで変わったのか?

    という部分に議論する面白さがあるわけですよ。

    で、山オヤジさんが言うとこの、
    創造主たる意志どおりにやってみたら、既存の宗教は、パッションの中でユダヤ教会が否定されるのと同じく、あらゆる教会組織ってもんは、駄目なんじゃないの?っていうメッセージが結果として色濃くなったんじゃないか?

    これが議論の肝になるんであって、「宗教論争?」という反応は違和感ありますね。

    ま、いいや。宗教論争じゃなくて、映画解釈、歴史解釈というつもりで行ってますからね。とりあえず僕は。

    つうことで、
    蛇足の部分なんだけど、ノアの箱舟。
    一つ、炭素による年代。これものすごく誤差があるらしい。
    二つ、ノアの箱舟はあったかも知れないけれど、動物、ツガイだけからすべての種が増えるの無理でしょう?いくらなんでも。でも、ノアの箱舟はあったかもしれないけど、それは、洪水という事象の象徴的なことと思ったほうが理解しやすいってことですね。

    これは、科学者に聞いたほうがはやい。と、いうより、これは科学で解けようが、解けまいが、どうでもいいんじゃないですか?

    で、これは蛇足なんでいいんですが、
    アメリカのオフィシャルグッズが十字架ってので、ばんばん売れてるってのがちょっとがっかり。

    こっちのスレでザンさんの質問に答えるという蛇足しときますよ。(これも宗教論争じゃないですよ。ラスサムで歴史話をするのと同じレベルなんだけど、わからない人がいるかなあ。やっぱり)

    聖書改ざんは、一番膨大な文書を保存しているカソリック自体認めてること。でも、大事なのは事実どおりに聖書ができあがっていなかったということではなくて、いろいろな方面からの記録があり、たしかに事実があったということ。

    有名な死海文書なんかは、実際は枝分かれして地下生活を送っていた一派の文書であって、これが本体と違うってんで大騒ぎになったんだけど、分派と本家が数百年たって中身が変わってしまうというのはよくあること。
    今では聖書学は死海文書は本流ではないということになっているのでいいんだけど、これ以外にもザクザクとあるみたい。

    薔薇の名前で、イタリアの修道会にギリシアの哲学書が隠されているのを主人公が発見するシーンがあるけど、バチカンはそらあ、宝の山みたいですよ。まるで、天皇家の古墳を開けないのと同じような秘密がたくさんあるらしいとか。

    でも、それも本筋の話とは違うんですけどね。あと映画の話からすれば蛇足。
    蛇足だけど、宗教論争でもないよ。
    わかるかなあ。

    あっと、長くなりすぎちゃった。

  • あー面白いなあ!

    2004/5/6 10:54 by ぽん

    ネストリウス派は遠く中国大陸まで到達し、絶大な保護を受けていますね。しかもネストリウス派はキリストが言ったことにわりと近い宗派で三位一体否定派。

    それが当時、遣隋使により大和朝廷にもたらされたと考えるのはとっても自然だ。で、厩殿皇子か。

    まったく面白い。日本の神がヤハウェかもしれないって、とっても面白いですよ山オヤジさん。僕には無理があるように感じられるけれども。

    あと、新渡戸稲造がキリスト教徒であるように、実際、ほとんど表に出てないんだけれども、明治の礎、昭和の礎、戦後の日本の礎をつくった人たちがやたらとキリスト教徒が多いってのもご存知ですよね。

    日本は、一般大衆レベルでは無宗教、無神論っていうんだけど、実際、武士道だって憲法だって、法律だって、やたらとキリスト教徒によってつくられている。これは曲げようがない事実なんだけど、こういう人たちが戦争をしたり、植民地政策を支持したってのもまた事実で、

    実際は、パッションは宗教論争うんぬんってより、日本人にもけっこう身近な話題なんですね。

    だって、太平洋戦争中に、神道をかかげてるのに、キリスト教迫害しないって、そら、政府、財界の中枢がいかにキリスト教徒(戦争を認めちゃう人たちの)が多かった証拠みたいだ。

    (わーーこれはほんとの蛇足。でも面白いや。)

  • 映画の話だけします

    2004/5/6 12:57 by 未登録ユーザたこぽん

    パゾリーニの『奇跡の丘』(1964)が「キリストの顔をはじめて出した」というのは、全然有名な話ではありません。
    1961年のニコラス・レイ監督作品『キング・オブ・キングス』がすでにジェフリー・ハンター演ずるキリストの顔を正面から映し出していますし、同タイトルの『キング・オブ・キングス』でセシル・B・デミルが、H・B・ウォーナー演じるキリストの顔を堂々とスクリーンに登場させたのは、もう1927年にまで遡ることです。さらに遡ればD・W・グリフィスの『イントレランス』(1916)でも、キリストの顔は平気で映っていますし、そもそもリュミエールがシネマトグラフ公開の2年後に製作したという『キリストの生涯と受難』に、すでにキリストはその(顔を含む)全身像を正面からあらわしているのだ・・・そうです。リュミエールといえばメリエスも、キリストの起こした奇跡(のひとつ)を映像化した『水の上を歩むキリスト』という短編を1899年に作っていて、この「水の上を歩く」というテーマからして、おそらくこれもキリストの顔(を含む全身像)が映った作品であることは間違いないでしょう(最後のふたつは未見なので伝聞、推測で書かせていただきました)。
    その他にもジュリアン・デュヴィヴィエの『ゴルゴタの丘』(1935)でもキリストは他のキャラと同様、クローズアップばっちりの普通な撮り方をされていますし、ロベルト・ヴィーネの『キリストの一生』(1923)というのも同様のようです(ヴィーネのものは未見です)。以上、思いついたのだけ書いてみましたが、他にもいろいろあるんじゃないでしょうか。

  • 本当です!

    2004/5/6 13:04 by 未登録ユーザザン

    科学が聖書を全て解明できちゃうと思います。
    というか・・聖書のが早いですよね〜
    地球がまだ象の上に乗っている板のような物、と信じられていた大昔でさえ、聖書の中には「地が無の上に掛けられている」とか、「北を虚しい方へ張り延ばした」とか書かれているんですよ。それに清潔にすることの大切さなんかも書かれていて、各自の排便の後片付けの仕方まで書かれていますし、蟻の勤勉さを見倣え・・なんて言葉まで。これぞまさに説明書ですね。
    あっ!そうだ、ノアの箱舟の造りはすごいそうですよ!
    まさに理想的な安全な船の形ということです。聖書に作り方が書かれています。
    あの時代に〜考えられませんね!

    ぽんさんへ
    ぽんさんもいろんなことにお詳しいのですね!
    皆さんすごいです!

    ・・・ところで、今日観に行くつもりでしたが、用事ができて行けませんでした。残念。

  • 科学の子、アトムはヒーローだった。

    2004/5/6 17:22 by 山オヤジ

    「宗教論争」は他でやれっ!て面白いです。
    「イラクでやれっ!」ってことか?と思えて。

    今までの長い長い、宗教の対立、論争、宗教戦争は新旧約聖書とコーラン(最近は「クルアーン」て言うの?)の解釈論争であった訳ですね。
    それでここ数百年はプロテスタントが「科学」的に優位だった訳です。(私もやはり「科学万能主義者」だったと痛感してますが。)しかし、その科学が旧約聖書(トーラー)に科学的説明を施してしまう。地球は何もないところにぽつんと在る、と創世記冒頭に記されている。物理学者の多くはビッグバン理論を支持している。聖書と科学の「絶対真理」が合致した、と言うことでしょう。

    遡って、バチカンの地動説。ここでもう、バチカンの解釈は間違っている。一つ間違うだけで信者の多くは、もう神父の言う事なんか聞く耳を持たない。
    非科学的と言う理由で、プロテスタントはトーラーを軽視する。彼らの「原点回帰」が何故「福音主義」なのか、なぜ、「ヤハウェ」に回帰しないのか、大きな疑問です。

    イタリア人監督がキリストを「キャスティング」して来た事は、単なる、価値相対主義、ポストモダニズムでありましょう?多分、心の中ではビビリながらも近代哲学を尊重したのでしょう、神よりも。

    そこで今回、映画人でカソリック(多分)のM・ギブスンは、理論的には決定的に強力な「科学とヤハウェ」の連合軍に対して、自らとバチカンの「存在意義」をかけて、無意味な戦いを挑んだドン・キホーテと私には写る。いや、単なる「時間稼ぎ」(自分が生きている間くらいは)でしかないのではないか、と。そうM・ギブスンは自覚しているのではないか。

    全人類が、同根同祖だったら「ナショナリズム」なんて言葉は「パトリオティズム」と同義になって、戦争の多くの原因なんかぶっ飛ぶんですよ。完全に「既得権益層」が丸裸、って事になるでは在りませんか。今の世界も、この映画のように、既得権益層=ユダヤ司祭、それに付和雷同する民衆、「パワー」のローマ帝国=アメリカ、・・・・。
    え?こういう事?この映画?

  • Re: いい忘れました。ぽんさんも科学の子?

    2004/5/6 18:52 by 山オヤジ

    >一つ、炭素による年代。これものすごく誤差があるらしい。

    勿論、誤差はありますよ。今までの進化論者の年代特定も「同位元素」も測定法なんですが、(炭素以外の、なんだっけかなぁ?)5億だ6億だってレベルから、地球自体の年齢が最大で1万年強だという事です。考えてみてください、そもそもなま物が長い時間で「化石」する前に「腐敗」します。年代の判っているものの測定では、4000年くらいまでは完全に史実と一致ですよ。

    >二つ、ノアの箱舟はあったかも知れないけれど、動物、ツガイだけからすべての種が増えるの無理でしょう?いくらなんでも。でも、ノアの箱舟はあったかもしれないけど、それは、洪水という事象の象徴的なことと思ったほうが理解しやすいってことですね。

    地上の動物ですからね、海中生物は除きますよ。繁殖力が問題ですか?DNAレベルで何種なんですかねぇ。

    >これは、科学者に聞いたほうがはやい。と、いうより、これは科学で解けようが、解けまいが、どうでもいいんじゃないですか?

    科学で解けた事が大きな問題ですよ。でも科学者に聞け、と言うのは、ぽんさんも「科学万能」と信じている訳です。多くの知識は科学的知識でしょう?どの辺からなのかは判りませんが、デカルト・ベーコン・ニュートン以降の科学理論、その上に拠って立つ哲学思想は、一から見直しなんです。それが今の「科学」が結論付けているのですよ。

  • Re: 十字架の道行

    2004/5/6 22:29 by 未登録ユーザ世界の平和

    連休が終わった。

    >(炭素以外の、なんだっけかなぁ?)
    炭素14法では炭素14の割合が一定ではないのが欠点ですね。億年単位の測定は、CHIME法とかジルコン法とかたくさんあります。代表的なのはウラン鉛法でしょうか。
    どれも似たような数値をたたき出します。太陽系年齢は46億年、地球年齢は40億年くらいだと。

    洪水について、地球科学の立場から見てみましょうか。
    聖書の記述に或る40日40夜は960時間です。なかなか面白い数字。洪水で何メート水かさが増したとするかがそのまま1時間あたりの平均降水量mmとなります。
    ノアが漂着したというトルコのアララト山は標高標高5,156mだそうで、この上15アンマ(約6〜7m)を水が覆ったとすると、一時間あたりの降水量は5000mm以上。こんにち災害をもたらす集中豪雨でも時間100mm代、降り続いて全雨量で1000m超えたら山が崩れますよね。時間5000mmでは山と言う山は削り取られて無くなってしまうことでしょう。
    では、大洪水は無かったか。いや、太陽系の年齢を46億年とする現代の地球科学の説では有ったのです。地球が星になって間もない42億年前頃灼熱の地球にこの雨は降ったのです。大陸が出現するのが25億年前、それまで10億年以上地球の表面は海に覆われていたのです。

    DNAレベルについて、水中に住む原生動物のゾウリムシと人間のDNAの60%は一致するそうです。地球生物みな兄弟!?

    20世紀は、考古学の世紀でした。聖書に科学の目が当てられました。クリスチャンにおいても、聖書に創世記という神話的な部分、ヨブ記という戯曲、ダニエル書というフィクション性を認め、闇雲に信じるのではなく聖書の伝えようとする本意を探る研究が個人レベルでもなされるようになった。
    また、極端なFundamentalismも生まれました。Fundamentalismはプロテスタントでは福音主義と訳しますが、本当は○○、辞書引いた方がいい。Fundamentalismに掛かれば、46億年も6000年になります。

    太平洋戦争時、キリスト教を迫害しなかったか?
    教会(大きな教会は石造りで地下室も有ったから)を取り上げて軍事施設に転用したり、国が定めた2つの教派に属さないクリスチャンは監禁され死者を出してます。



    メル・パッションは、画像品質・音響効果とも高い技術レベル。
    しかし、あの内容は、ローマカトリック教会ならほぼどこにでもある14点の絵画や彫刻・あるいはステンドグラスの「十字架の道行」という作品を、動画にしただけ。
    「十字架の道行」についてはネットで検索してくれ〜。
    聖書には記述の無い聖女ヴェロニカも14点の中に有るし、パッションにも有る。
    だれかが、「動く宗教画」だと言ってたな。
    宗教画に興味の無い人にとっては、パッションも同じだろう。


    さぁて忙しくなるぞ。

  • たこぼんさんへ&プラスワン

    2004/5/6 22:37 by ぽん

    いやあ、失礼しました。
    奇跡の丘より前はいくつか見てるかもしれないんですが、実際記憶ありません。
    ここで奇跡の丘をあげた理由は、はじめて写実的なキリスト表現がなされてということで価値があると評価されているらしい、、、(映画評読んでるだけですから)

    というのと、無神論の立場からキリスト教を描いたのに、ローマ法王から大絶賛されるという不思議な矛盾ということで、パッションとの対比にいいかなあと思ったということですね。ちょっと誇張ありました。

    顔がはじめて、ってのはいいすぎでした。
    ただ、どなたかも言われてましたけど、母子愛やキリスト自身の印象をこれほどダイレクトに観客に訴えてきたのは初めてなんじゃないかなあと思うんで、その前のものと比較してみました。

    何かここらへんにご意見あったら返信ください。

    ところで、メルとカソリックの抵抗ですか。
    ふむふむ。おもしろいですね。
    ただ、僕はメルにその意図があったとしても、結果としては宗派を超越するものになってしまったことに意味があっておもしろいと思うんですね。

    これも蛇足だけど、たとえば、聖書にはキリストは杭にかかったとかかれてはいるけれど、十字架とは書いていない。ここらへんはもうカソリックの解釈が入って、それをそのまま映像化しているし、ちょっと書きましたが、劇場グッズで十字架を売ってしまうと、「おいおいそれって偶像とちがうんかいな」っていきなり、俗っぽくなってしまうわけですが、そのようなノイズがあっても、おもしろいなあと思うわけですね。

    近代哲学って山オヤジさんが言うのはサルトルとかのこと?

    西欧の科学は、聖書の秘密を解き明かそうと進歩してきた、と僕も思っておりますし、これはシュリーマンの情熱なんかと似たようなもんだと思ってるわけで、そういう意味では、科学の面白さもある。

    宇宙物理学やらゲノムやら脳生理学なんかの研究の行方もおもしろそうですね。

    でも、まあ僕はあんまりパッションのような話にそこまで厳密性を求めないですけど。遠くのことは面白いですが、僕の日常とかけはなれていって、現実味がなくなってくるもので。

  • こんばんは〜♪

    2004/5/6 22:48 by 未登録ユーザザン

    山おやじさんにありがとぅ〜です。
    今回このようにやりとりして、とても大切なことを
    思い出しました。それは聖書を読むことです。聖書の中では毎日読むようにと励まされているのです! しばらくそのことをしていなかったので、これから少しずつでも読んでゆこうと思います。

    イエスがおられた一世紀当時にはクリスチャンが増えて、ローマ帝国がその宗教を利用して国をまとめようとし、ローマの国教になったと歴史書で勉強しました。そして3世紀あたりから平信徒と指導者に別れて大きな教会が建つようになりました。その頃のクリスチャンは聖書を読ませてもらえなかったようですね。宗教指導者の教えと聖書に書かれていることが遥かに違ったからです。第一、神のもとに人間には階級はないのです。その点でもキリスト教は、イエスの弟子達が死んだ頃から違う方向へ向かっていた事がわかります。聖書に書かれていることと実際存在するキリスト教は、全く別のものに思われます。そう考えると、どれが正しいキリスト教か?という質問の答えは難しくなってきますね。
    聖書は、戦い・大酒呑み・偶像崇拝・血・淫行など・・をはっきりと禁じています。でも世界中は戦いと淫行で溢れています。ちょうどノアの時代のようですね、今は。
    イエスはこう言われました、「その人が生み出している実で見分けなさい。」・・・・と。

  • せかいのへいわさんへ

    2004/5/6 22:54 by ぽん

    同タイミングで投稿してしまったようですね。

    具体性に富んだ知識で勉強になります。
    ほんとに聖書学されてる方?
    僕のはモノシリ級ですので。

    えっと、たこぽんさんとこと似たような返信になっちゃうんだけど、戦前の様子がおそろしー。という先入観があっても、なぜか戦前の日本はキリスト教徒皆殺しー、にしなかったり、新渡戸や内村みたいな国策支持みたいなことをしてしまったり、ってとこを書きたかったのですね。で、日本人にも縁遠くないよって。

    はい、獄死した人とか、平和主義つらぬいて死んだ人がいっぱいいるのも、知っておりますよ。しかし、そこら中から、体系的にすごい知識ですねえ。

    そうか、宗教画の映像化かあ。これはうかつでした。
    僕もオランダやイタリアの中世の絵画っぽいという連想はあったんですけど、12枚の宗教画の映像化ってとこは気づきませんでした。

    しかし、それにしても神々しく描かない、描き方にはとっても好感もてたんですよ。

  • 忙しくさせるほどの知識なし。すみません。

    2004/5/7 1:00 by 山オヤジ

    >世界のさん

    >ノアが漂着したというトルコのアララト山は標高標高5,156mだそうで、この上15アンマ(約6〜7m)を水が覆ったとすると、一時間あたりの降水量は5000mm以上。こんにち災害をもたらす集中豪雨でも時間100mm代、降り続いて全雨量で1000m超えたら山が崩れますよね。時間5000mmでは山と言う山は削り取られて無くなってしまうことでしょう。

    洪水以前に山が今のものであったかは、判りませんね。元々一つの大陸で、温暖で、地上には一面青草と果実が生い茂る、まさに楽園だった訳です。丘や山はなだらかで、さほど高くないのではないでしょうか(勿論仮定です)。崩れにくいでしょう、樹木がいっぱいだったら。
    大陸は殆ど海に没してしまった、とありますし。
    ですから、山崩れ説は・・・。

    >では、大洪水は無かったか。いや、太陽系の年齢を46億年とする現代の地球科学の説では有ったのです。地球が星になって間もない42億年前頃灼熱の地球にこの雨は降ったのです。大陸が出現するのが25億年前、それまで10億年以上地球の表面は海に覆われていたのです

    進化論ですね。進化論を正当化するには、長い時間が必要ですね。DNAの突然変異の確立は「10の10億乗分の1」ですって。それは、限りなく不可能に近い数値、と判断してますよ。

    >ザンさん
    「その人が生み出している実で見分けなさい。」

    もうちょっと詳しく。禁じてるのは戦い・大酒・淫行、後なんでしたっけ?

    >ぽんさん

    レゾンデートルの危機には、藁をも掴むんですよ。
    四の五の言っても「キリストなんだよーっ!」って事なのでは?映画的にも「今」だから作れたんだと思います。
    米国人の信仰心に「絶対的価値観」の度合いが薄くなって、逆の臨界点(?)を迎えてる、と思います。

  • 世界の平和さん

    2004/5/7 1:37 by 山オヤジ

    ○○に入るのは<原理><根本>くらいしかなかったですね、「アルク」の検索では。でもこの二つだとつまんないですし。

    最後の「忙しくなる」の「連休が終わった」から、お仕事が、という意味ですか、失礼しました。

  • 警告されている事。山おやじ様

    2004/5/7 2:37 by 未登録ユーザザン

    私たちに警告されている事は・・・・
    淫行,汚れ,みだらな行ない, 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄
    から離れなさい。との事です。

    しかしイエスが言われた新しい律法(新約)とは
    私たちが互いに愛し、イエスが私たちを愛された通りに
    愛し合う事です。

    旧約とは古い約束(律法)・新約とは新しい約束(律法)を意味しています。
    旧約の律法はモーセが神から直接与えられた十戒の事で
    神の形をを作らない・偶像の禁止・神の名をいたずらに(むやみに)使わない・安息日を守る・父と母を敬う・殺人・姦淫・盗み・偽証の禁止・強欲の禁止・・の十です。

    しかしイエス以降、モーセの律法は廃されましたが、イエスの言われる「愛」の中には依然としてこれらの事がふくまれます。
    って長くなっちゃいましたね。では、おやすみなさい。

  • シスター・ザン(って呼んでもいいのかなぁ)

    2004/5/7 6:11 by 山オヤジ

    十戒
    >神の形を作らない
    ・・・・OKです。人形も入りますか?
    >・偶像の禁止
    ・・・・OKです。仏像は?

    >・神の名をいたずらに(むやみに)使わない
    ・・・「ヤハウェ」は多用しない、って事ですね。OKです。
    >・安息日を守る
    ・・・日曜日は休め、と。うーん、自転車操業ですからね。強欲な大家で家賃高いし。
    >・父と母を敬う
    ・・・・今ではもう、反抗したりしませんよ。ひたすら健康な長生きを願っています。でも親孝行か、と言うと全くですね。すみません。

    >・殺人
    ・・・した事ありません。が、いざと言う時は、家族とか惚れた女とかを守る時は命がけ、と言い聞かせてましたが、この場合、自分をコントロール出来るかどうか。

    >姦淫
    ・・・これ、どの辺までで、どの辺から?ビミョー(笑)

    >盗み
    ・・・子供の時、3色ボールペンを。あと父の財布から、数度、わからない程度に小銭を。もう、しません。

    >偽証の禁止
    ・・・・「ウソも方便」、丸く収まれば、という時に良く使います。

    >・強欲の禁止
    ・・・・物質欲は大した事ないんです。よく、「お前は欲がない(向上心)」から「えさ」に眼がくらまずに、扱いにくい部下だ、といわれてました。絶対いやだ、となったら、「我」は強いですね。

    「新約」は抽象的ですね。ビミョー過ぎて簡潔な応えは無理です。旧約はわりといい点数なんじゃないかなぁ(笑)(そんな問題かぁ)すみません。

  • 追加しておこうか

    2004/5/7 8:19 by 未登録ユーザ世界の平和

    山オヤジさん
    >進化論ですね。進化論を正当化するには、長い時間が必要ですね。DNAの突然変異の確立は「10の10億乗分の1」ですって。それは、限りなく不可能に近い数値、と判断してますよ。

    進化論とか棲分論とか遺伝子水平移動説とかいう生物問題が関与しない、岩石生成年齢です。ウランと鉛を含まない物質は測定できませんが、例えば42億年と測定される砂粒は他所から流されてきた堆積岩にありこの時期大量の水による浸食堆積があった事を示唆します。また、この測定法は、アフリカにある最大のウラン鉱山で唯一天然の臨界事故(天然原子炉)が有った事を示唆しています。(進化論には好材料かな?)
    遺伝子の水平移動は、狂牛病の原因(食品から遺伝子を摂取する)にもなってますが、ウイルスを使った遺伝子治療や遺伝子組み替え食品も遺伝子の水平移動ですね。進化論のいう子孫に遺伝する仕組みとは違いますけど。

  • ちょっと訂正

    2004/5/7 8:39 by 未登録ユーザ世界の平和

    42億年前の砂粒は、この時期ではなく
    作られた場所はわからないが、少なくとも作られた後に大洪水に会っている。に訂正。洪水の年代は測定できませんので

  • (*´▽`*)朝から、また笑った〜♪

    2004/5/7 10:57 by 未登録ユーザザン

    山おやじさん・・・
    オモシロすぎます! はははっ〜

    わたしったら、ものすんごい大変な事を書き漏らしていました。きゃああ〜! 新しい律法はこうです。

    あなたは、心をこめ、魂をこめ,思いをこめてあなたの神を愛さねばならない』。 これが最大で第一のおきてです。 第二もそれと同様であって,こうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』

    神を愛する・・ということを抜かしていました。スミマセン。
    ですからこれを理解するには、「愛」がどのようなものであるのかを学ぶ必要がありますね。
    そして「愛」は他のどのような特質の中にも含まれるものです。例えば 親切・公正・公平・平和・自制・善良・その他・・・これらが働く時には愛が動機でなくてななりません。「愛」は、これ一つで機能しますが他の特質は愛が必要なのです。 「愛」ってすごいですね!!

    世界の平和さんへ
    も・も・ものすごいことを教えて頂き、ありがとうございます。ビックリヽ(◯0○;)ノしております!

    ただ〜大洪水はそれ程まえじゃあ、ないみたいです。
    しかしまだこの地が形作られる前は全地を水が覆っていたと聖書にもあります。まさに聖書の出だしで、このようにあります。世界さんの言われる水はもしや、この頃のものでしょうか?

    創世記1章1、2節
    初めに神は天と地を創造された。
    さて、地は形がなく、荒漠としていて、闇が水の深みの表にあった。そして、神の活動する力が水の表を行きめぐっていた。

    わたしの大好きな聖句です。

  • 進化論は、リアリティの面でん分が悪いんでしょう?

    2004/5/7 18:51 by 山オヤジ

    >岩石生成年齢!?

    もう、お手上げです。「ザンさんご指摘の通り、また世界の平和さんも創世記の記述(地球全体が水に覆われていた)通りである、というわけですね。
    「創造論」の仮説による、類推は非常にドキドキするんですね。私は、「ラストサムライ」から始まって「パッション」に来ているのですが、それは「神学的」な謎の解明だったのです。そこで、メタ宗教、メタ科学というものと初対面し、創造論に出会い、その頃までは、私自身の日本人としてのアイデンティティは多分「記紀」辺りの解明するところに由来するだろう、と考えていた訳です。漠然と。しかし、仮説であるところの「創造論」から井沢元彦の「逆説の日本史」大杉博の「邪馬台国四国山上説」、トンデモ本扱いの「日本・ユダヤ同祖論」が一本で繋がりを見せて、実に明快な訳です。
     世界の平和さんはその辺り実にお詳しくあるように思われますが、もし何事かのお言葉でを頂ければありがたい事ですが。
     世界平和さんの、前レスも「○○」が地球年齢6000年のクイズが未だに解けません。

  • 地球科学と○○主義

    2004/5/8 0:23 by 未登録ユーザ世界の平和

    ザンさん、
    >初めに神は天と地を創造された。
    >さて、地は形がなく、荒漠としていて、闇が水の深みの表にあった。そして、神の活動する力が水の表を行きめぐっていた。
     ユニテリアンな聖書をお持ちですね。新世界訳ですか。
    創世記では、光りは2度作られていませんか?初日と4日に。
    ザンさんは、この日付順を合理的に説明できますか?
    神話的だと言った私にはどうでもいいことです。答えなくて構いません。
    そんなことで、価値が下がる聖書ではありませんから。

    山オヤジさん、
    > 世界平和さんの、前レスも「○○」が地球年齢6000年のクイズが未だに解けません。もう、解いてらっしゃるじゃないですか。
     福音主義と訳した人は偉いのかもしれません。原理主義者ともなると、聖書どおりに生活しようというのを通り越して、「神に代わっておしおきよ!」と、実力行使で神の国を実現しようとなさる。
    仏教の原点は聖書に有りと見つけたかどうかは知らないが、ハルマゲドンを自ら演出しようと行動に出た物騒な教団、これすなわち原理主義。
    たとえキリスト教を名乗っていても原理主義者は怖い。
    十字架についたイエスとは、程遠いと思いますよ。

  • 世界の平和先生の宿題とダイヘン。

    2004/5/8 1:49 by 山オヤジ

    >創世記では、光りは2度作られていませんか?初日と4日に。ザンさんは、この日付順を合理的に説明できますか?

    初日の光は、「神は光と暗黒との混合を分け、神は光を昼と呼び、暗黒を夜と呼ばれた。」とありますから、これは「自転」を意味し、4日目は「・・・それらの明かりは、しるしとして、季節の為、日のため、年のため役立つであろう。」は地軸のずれを意味します。(どうですか?)

    神話的だと言った私にはどうでもいいことです。答えなくて構いません。
    そんなことで、価値が下がる聖書ではありませんから。


    >ハルマゲドンを自ら演出しようと行動に出た物騒な教団、これすなわち原理主義。

    なるほど、そういう事でしたか。「AUM」はサンスクリット語(?)の真理という意味らしいですね。同じ意味の言葉を並べる「センス」には、美しさは感じませんね。因みに「阿吽」の呼吸もここからと。

    >ザンさん
    「愛」は英語聖書では、やはり「LOVE」なんですか?

  • 岩石生成年齢測定法

    2004/5/8 6:11 by 山オヤジ

    ・・は70通りもあるようですね。カリウムーアルゴン法、ルビジウムーストロンチウム法、アルゴンーアルゴン法、鉛ー鉛法、そして仰るところのウランー鉛法。
     しかし、炭素14法だけは直接「化石」を調べるのに対し、他は「岩石」を調べる方法ですね。だから、炭素14法が、一番信頼性が高く、考古学だけではなく、古美術鑑定などにも重用されているのですね。
     (世界の平和さんは、「煙に撒く」のがお好きなようで)
     70通りの測定方法の中で、「数十億年」の年代を示すのは、「ウラニウム・カリウム・ルビジウム」の系だけだ、とありますよ。やはり、進化論は否定的なのでした、科学者の中で。
     「AUM」の事件だけが取り立たされて、何故彼らはあそこまでに至ったのか、世界のの平和さんのお話で、私は初めて理解する事が出来ました。まさにいま、私が直面している不安、「科学と宗教」の絶対真理の一致を見て、狼狽して不安になり、一気に雪崩のように教祖にスポイルされてしまったのだなぁ、と想像します。しかし、私には運良く、武士道や任侠道があったおかげで(笑)アイデンティティの崩壊を免れているのだなぁ、と大袈裟かも知れませんが、そう思います。
     しかし、世界の平和さんの仰ったところの、原理主義者が是とする、「地球(人類?)年齢6千年」は聖書にも書かれているのですね。(まだ読んでませんが)
     しかし、多くの創造論を支持する科学者(わが愛読書「NEWTON」の編集長である、故竹内均博士も)は6千年の数値は、予測しうる誤差の範囲であると考えているようですよ。

    前レスの
    >>創世記では、光りは2度作られていませんか?初日と4日に。

    ・・・は、核融合する前の太陽とその後の太陽(今の)と言う事ですか?、だとすると、「聖書」凄すぎますね。

  • 岩石年代測定法

    2004/5/8 8:42 by 未登録ユーザ地球の平和

    測定法はそれぞれ得手不得手があります。
     炭素14法は、中性子によってチッソ(14)→炭素14→チッソ(14)と循環する性質を利用した測定法で、便利なことにチッソも炭素も生物の主要構成原子であることから生物の年代測定に適しています。欠点は、ものさしが短い事。
     カリウム・アルゴン法は、ガラス質や水中で固まった岩石には適応できない事。(アルゴンガスが抜けない為、初期値がリセットされない。)
     ウラン系は、ものさしのメモリが粗く、万年単位以下の測定は不向きな事。
     地図の縮尺に例えれば、炭素法は1/5000、アルゴン法は1/50万、ウランは1/500万といった具合でしょうか。ちょっとらんぼうだけど。

    山オヤジさんは、「とんでも系」とわかっていらっしゃるからいいけど、
    創造論=原理主義ではないけれど、原理主義=ガチガチの創造論ではあるようです。

    おっと、チコクする

  • おはようございます♪

    2004/5/8 9:59 by 未登録ユーザザン

    もう難しい言葉や計算で、ビックリですが・・

    光についてですね。わたしの説明で納得出切るかどうかは分かりませんが、一応書きますね。

    創世記 1章1節と3節を創世記 1章14節から16節と比較して、神は創造の四日目に光体を『造って』いるのに、その同じ光体から出たと思われる光が創造の一日目に地球に届いたということがどうしてあり得るのか、という疑問を持たれたのですね?この場合、筆者のヘブライ人は長々しい説明をしなくてすむように、注意深く言葉を選んだのです。創世記 1章1節が「創造する」となっているのに対し、14節から16節では「造る」となっていること、また創世記 1章3節が「光」であるのに対して、14節から16節では「もろもろの光」となっていることに注目してください。こうした点は、すでに存在していた太陽と月が、創造の四日目に地球の密な大気を通してはっきり見えるようになったことを示しています。
    これだけでは説明不足かと思われますので、もしもまだ不足でしたら追って追加いたしますね。
    PS
    3節で「光」と訳されているヘブライ語は「オール」であるのに対し14節の言葉はそれとは違って、光体または光の源を指す「マーオール」でした。

    原理主義=ガチガチの創造論 このガチガチの創造論と言うのは、もう創造論ではないかもしれません。うまく説明できませんが・・・。

  • 山おやじさん!

    2004/5/8 10:10 by 未登録ユーザザン

    そうです、聖書でも英語で「愛」は
            「Love」です(*´▽`*)

    英語の方が聖書の言葉の表現がシンプルな感じがします。
    他のいろんな言葉にしても・・・。
    日本語の聖書を読んで英語の聖書を見ると、「え?そんな簡単な表現なの?」と思うことが多いです。日本語という言葉が奥深い意味のあるものだからでしょうね。また繊細な表現力ができる言葉だと思います。英語が繊細じゃあないというのではないですが、日本語は素晴らしいと思います。あぁ、美しい日本語を話すように気を付けよう・・などと反省してしまいました。と、こんな話に・・・。

  • 今晩は

    2004/5/8 19:31 by 山オヤジ

    >世界の(地球の?)平和さん(ドーイツ人物でしょ?)

    土曜日も出勤ですか、ご苦労様です。私もです、嬉しくなりますね、お客さんが増えそうな感じがして。

    おっしゃる事は判ります。それにしても凄い知識ですね。
    その辺をもっと引っ張り出せるような「ネタ」かんがえます、きっと。

    >ザンさん

    ヘブライ語?映画はアラム語(へブル・アラム語っていう言い方もありますね、何の事か判りませんが)らしいですから、早くご覧になって、その辺の感想も伺いたいものです。

  • すいません!的外れな質問です!

    2004/5/9 0:18 by 未登録ユーザmasa*

    物凄く、間抜けな質問をさせていただきます。

    山オヤジさんは質問にご返信して下さっていたのでご存知かと思いますが、
    私は、近々パッションを見ようと思っています。
    しかし、映画をただ単に「気持ち悪い!!!!」で終わらせたくなく、
    何か、得られるものがあればと思い、予備知識をつけてから見ようと思いました。
    そこで、この掲示板で質問したところ、様々なご回答を頂きました。
    その中に、「聖書を読む。」という選択肢があったので、参考までに教えていただきたいのですが、
    簡単に読めるのでしょうか?
    と言うのも、私は高校生です。
    難しい表現ばかりだと、内容が把握できず、
    途中で挫折してしまいそうなので.....。

    とっても、素晴らしく、間抜けで、的外れな質問だとは承知していますが、
    簡潔で全然かまわないので、教えていただければ幸いです。

  • DNAの突然変異の確率

    2004/5/9 13:29 by 未登録ユーザ牛猫

    山オヤジさんへ

    本題からはそれますが・・・

    >進化論ですね。進化論を正当化するには、長い時間が必要ですね。DNAの突然変異の確立は「10の10億乗分の1」ですって。それは、限りなく不可能に近い数値、と判断してますよ。

    10の8〜10乗の分の1です。10億乗ではないですね。

    また、DNAを含めた複製のシステム自体(誤り訂正も含め)は上記のように比較的安定ですが、変異に関してはDNAも紫外線や毒物、放射能の影響により損傷を受けます。

    また高等生物等の場合は、生殖により安全で緩やかな変異を獲得しているでしょう。

    そして、確かにDNA自体は緩やかな変異ということですが、現実にはレトロウイルスによる変異も考慮しなければならないと思います。レトロウイルスはHIVで有名ですが、
    自分の遺伝子の一部をホストのDNAに逆コピーするというもので、人間の遺伝子の中にも猫だかハエだかの遺伝子が混じってるのはそのためらしいです。

    進化の過程で一時期、レトロウイルスが遺伝子の変異に大きな影響を与えたといわれています。

    山オヤジさんが進化論に対してどのようなお立場かは、まだ前後を詳しく読んでないのでわからないのですが、少なくとも私は懐疑的です。

    ニュートンが相対論を知らないのと同じ理由でです。

  • 恐竜時代

    2004/5/9 14:02 by 未登録ユーザ牛猫

    山オヤジさんへ、

    すみません、なんか質問ばかりで・・・
    まだ全部読めて無いのです。
    (まずは山オヤジさんだけ読ませて頂いてます。)
    #御意見を合わせておきたいというのがあります。

    >物理学者の言う宇宙のビッグバーンは、創世記そのもので、
    海、空、上空の水、更に上空の水(でしたっけ?)と「水」を3つに分けていますね、

    ↑ビッグバーンとは無関係なような気もしますけど?

    >神は。オゾン層の上に高熱の水蒸気層があったと仮定すると、気圧が今の2倍、南北両極まで温暖で、化石として発見されている両翼10Mもある空飛ぶ恐竜は、今の気圧状態では飛ぶ事が出来ないが、気圧2倍の環境であれば可能、との事です。

    恐竜時代は地球の自転速度が今よりも速かったということは考慮されてますか?

    自転が速いと遠心力により重力は減少しますよね。
    空を飛ぶ恐竜については、気圧の影響なのかもしれませんが、巨大な地上恐竜の存在は重力の影響の方が大なのではありませんかね?

  • 牛猫さん

    2004/5/9 17:09 by 山オヤジ

    >山オヤジさんが進化論に対してどのようなお立場かは、まだ前後を詳しく読んでないのでわからないのですが、少なくとも私は懐疑的です。

    私は、長らく当たり前に、ついこの間まで万物は「進化」していると、考えていました。「ラストサムライ」版でも書きましたが、熱力学の法則は「進化」を否定しているのでしょう?その上に「創造論」支持の学者は「進化論」が説明できない現象に、多くの合理的説明を施している事に、面食らいました。
    そこで、ここ10数年の世界情勢やいろいろな事件、そして「映画」の流れなどを考えると、どうやらそういう流れなのか、と考えているので、どちらの理論も深い考察のの上で、どうこう判断している訳ではないのです。まだ読まねばならない本が数冊も手付かずです。 

    >↑ビッグバーンとは無関係なような気もしますけど?

    聖書も物理学も「ちり」から始まった、とありましたのでそうかいたのですが。

    >恐竜時代は地球の自転速度が今よりも速かったということは考慮されてますか?
    自転が速いと遠心力により重力は減少しますよね。
    空を飛ぶ恐竜については、気圧の影響なのかもしれませんが、巨大な地上恐竜の存在は重力の影響の方が大なのではありませんかね?

    自転速度に関しては、読んだ事がありません。理系、弱いんですよわたし。ですから「エントロピー」だなんだって、かなりの苦痛を強いられたのですが、気分だけで申し上げれば、こういう事です。
    今まで漠然と捉えてきた(しかし強固な)私の日本人としての自覚やアイデンティティは当然、日本文化に由来するものと思ってきました。その考えが変わるとか、揺らぐと言ったものではないことも、自分自身はっきりしてはいるのですが、私の「父母」をズウイックが「マイ・ダディ、マイ・マミー」と呼んでいるような驚き、そして「お前の親は、育ての親でしかない」と突きつけられているような気分ですね。たとえ「育ての親」だったとしても、私と私の日常は変わらないし、変わりようがないと思うのです。

    さらに、受けた教育は「真実」を知らされていなかったという私の「被害者意識」は、レゾンデートルを失って藁をも掴むような活動の恥知らずな「サヨク」攻撃へ向かい、その延長線に「真理」や「神」を見ずに「教義」に固執し、隠蔽しようとしている様にみえる「進化論支持の学者」、「宗教(信仰ではなく)」もある、と考えています。

  • masaさん、

    2004/5/9 17:15 by 山オヤジ

    このさい、四の五の言わず、映画をご覧になったら宜しいと思います。聖書もなにも、後先なんかどちらでもいいですよ。貴方がこの映画に何事かを感じてしまったのですから、「パンドラの箱」のひもを解いてしまってるんです。
    開けて見ましょう、さ、いま。

  • 聖書やめますか戦争やめますか?

    2004/5/9 19:20 by 未登録ユーザ牛猫

    山オヤジさん、

    >その延長線に「真理」や「神」を見ずに「教義」に固執し、隠蔽しようとしている様にみえる「進化論支持の学者」、「宗教(信仰ではなく)」もある、と考えています。

    全く同感です。

    私は一応理系ですが、科学もほとんど宗教といって差し支えないと思います。
    自己の理論に固執する様はほとんど宗教的です。

    概ね最先端の科学者は神を信じています。というか宇宙や生物の記述について
    神を感じざるをえないわけです。ただ闇雲に自分の利益のために信じるのとは
    違います。

    聖書に関しては、興味深い内容も書かれているようですが、解釈次第でどうにでもなるような内容が多いのではないかと思います。例え過去の現象が解説されていたとしてもです。

    例えばザンさんの

    >聖書は、戦い・大酒呑み・偶像崇拝・血・淫行など・・をはっきりと禁じています。でも世界中は戦いと淫行で溢れています。ちょうどノアの時代のようですね、今は。

    ということは、現代であれば、顕然な人間であれ別段才能がなくても書ける内容です。

    もちろんそれを大昔に書いたという点では評価できるわけですが・・・

    また、戦争が人口調整という話もありましたが、単に人口調整なら疫病で十分でしょう。そのほうが、建物や関係のない動植物にまで被害を及ぼさないからです。

    神は無駄な事はしません。

    聖書以降何千年かは存じ上げませんが、もはや現代では機能しておらず、かえって足をひっぱっているのではないかと思います。

    また、聖書に書いてある事をちゃんと実行してないというのも言い訳にしかすぎません。そういう余地を与えた聖書の責任があります。

    今後、聖書は心ある人々のあいだで、大切に思っていていただけたら一番よいと思います。別に邪魔はしません。

    >聖書も物理学も「ちり」から始まった、とありましたのでそうかいたのですが。

    すみません、聖書は知りませんが、物理学における宇宙の始まりは『無』ではないですか?
    ホーキングの超ヒモ理論もちりといえばちりといえないこともないですが・・・
    一般的にちりからはじまるのは太陽などの恒星だと思いますが?

    >私は、長らく当たり前に、ついこの間まで万物は「進化」していると、考えていました。「ラストサムライ」版でも書きましたが、熱力学の法則は「進化」を否定しているのでしょう?その上に「創造論」支持の学者は「進化論」が説明できない現象に、多くの合理的説明を施している事に、面食らいました。

    熱力学の何番目の法則ですか?

    また進化について申し上げますと、これは神様と物質系生物との織り成す
    一大イベントのようなものだと考えています。

    進化したいから進化しているという宇宙の意思があります。
    この意思はいくら生物の個体を研究しても絶対に見えて来ません。あくまでも
    神や宇宙との共演なのです。

    あまり科学的な視野だけだと本質は見えて来ませんね。

    なにやらケチつけているようですが基本的には山オヤジさんには賛同ですので
    どうかお許しを・・・

    山オヤジさんのスレなので削除させるわけにもいかないですしね(笑)

  • 牛猫さん

    2004/5/9 20:10 by 山オヤジ

    >また、戦争が人口調整という話もありましたが、単に人口調整なら疫病で十分でしょう。そのほうが、建物や関係のない動植物にまで被害を及ぼさないからです。
    神は無駄な事はしません。

    なるほど、牛猫さんの言う「神」は、なんと呼んでいるんですか?

    >聖書以降何千年かは存じ上げませんが、もはや現代では機能しておらず、かえって足をひっぱっているのではないかと思います。

    ユダヤ教、クリスチャン、プロテスタントは手前味噌な解釈論だと思いますよ、ご都合主義というか。ひょっとして本気で誤訳してるのか、とも。

    >また、聖書に書いてある事をちゃんと実行してないというのも言い訳にしかすぎません。そういう余地を与えた聖書の責任があります。

    直弟子たちのボキャブラリー?

    >すみません、聖書は知りませんが、物理学における宇宙の始まりは『無』ではないですか?
    ホーキングの超ヒモ理論もちりといえばちりといえないこともないですが・・・
    一般的にちりからはじまるのは太陽などの恒星だと思いますが?

    「無」と「ちり」(チリ・アクタ説って書いてありましたが)は両方とも共通みたいですが。

    >熱力学の何番目の法則ですか?

    テスト?(笑)エネルギー保存がTですね、エントロピーの増大がUで。えー、(覚えてるかなぁ)物理的に化学的に変化はするが、エネルギーは変わらない、変化したエネルギーは段々質が低下していって、最後は使えなくなる、と。これ「法則」って「絶対真理」って事なんでしょ。故に、人間も含めた「エネルギー体」が低質から高質に向かう事はなく、地球上で新たにエネルギーが、生まれることもない、と。
    だから、石油はもう一回天変地異とかないと、地下で再生産なんかされないわけですね。環境問題も、「ゴミ」という低質のエネルギーは、どうやったって増えるから、減らす努力が要る、という風に理解していますが。

    所謂、地層があって、年代順に進化した動物の化石があって、人間が進化の最先端の「霊長類」だ、と言うのはぶっ飛びなんでしょ?

    >また進化について申し上げますと、これは神様と物質系生物との織り成す一大イベントのようなものだと考えています。進化したいから進化しているという宇宙の意思があります。この意思はいくら生物の個体を研究しても絶対に見えて来ません。あくまでも神や宇宙との共演なのです。

    珍しく、文学的な表現!(笑)進化論はダメだけど、「進化」はあるのですか?「適応」はあるのですね。

    >あまり科学的な視野だけだと本質は見えて来ませんね。

    科学には「信仰」が必要だ、ということですか?

    >なにやらケチつけているようですが基本的には山オヤジさんには賛同ですので、どうかお許しを・・・

    いえいえ、全くけちなどとは思っておりません。いろいろ勉強になります。また、私の気分もくんで頂いてかたじけなく思います。
    しかし、シオニズム、パレスチナ、となっているのに日本の「サヨク」は「およびでない」ですね。すでに「時代錯誤」の感。

  • ザンさん

    2004/5/9 20:18 by 山オヤジ

    理系に強い(もろ理系の)牛猫さんもお目見えです。世界の平和さんも強力な論客ですが、頑張って書き込みしてくださいね、観ましたか?「パッション」。
    「良き対話」が成される事を願っています。

  • こんばんは!

    2004/5/9 20:51 by 未登録ユーザザン

    こんばんは!
    皆さまのお考えが私とは違っていても、それは各自のお考えですので、それで良いと思います。わたしも色んな方のお考えを知れてうれしく思います。
    ただこの点についての、私の思いを書かせてください。

    牛猫さん
    >また、聖書に書いてある事をちゃんと実行してないというのも言い訳にしかすぎません。そういう余地を与えた聖書の責任があります。

    その余地が必要なんです。その余地とは神が人間に与えた自由意志です。もしも、その余地を与えないなら・・果たして人間は神に向かって何と言うでしょうか?それは簡単に想像できます。

    例えば、爆弾は初めから人を殺すために作られたのではありません。飛行機も初めから爆撃機に作られたわけではないように、作った人が悪いわけではないのです。それは使う人間が利用方法の逸脱をしたのであって、そこには人間の自由意志に含まれる良心が関係してきます。それと同じように聖書も書いた人(神)が悪いのではなく、それを読んで当てはめてゆく人間に責任があると思うのです。聖書は読むならば難しいと感じる箇所も沢山あるでしょう。でも今問題になっている、戦争とか人権とか家庭生活の問題・性犯罪・殺人とか・・基本的なことへの助言(命令でもあります)はハッキリと書かれており、特別な能力が無くても理解できます。しかし現実では聖書を真剣に受け入れている言う人の多くでも戦争・その他の問題が全く普通に見られるのが現実なのです。もしもクリスチャンの国がこの聖書を真剣に当てはめるなら、戦争はなくなることでしょう。インドのガンジーでさえ、この聖書の山上の垂訓を世界が当てはめるなら、国家的な問題が解決できるであろう。と言ったことは有名です。ではそれ程、聖書を、聖書の神を愛する・・と言う人たちが・国が・・なぜ出来ないのでしょうか? それともできる人たちもいるのでしょうか? そうした点を考えたいと思います。・・・

  • 答えなくて構いません

    2004/5/10 8:19 by 未登録ユーザ世界の平和

    山オヤジさん、ザンさんへ、
    と書いておいたのに、ご丁寧に。
    このことで、あなたがたが創造論にシンパシーを持たれていることがはっきりしました。
    特に、ザンさんにはベストセラーの日本聖書教会の新共同訳を使っていただきたいですね。
    偏った訳、現代訳聖書というキリスト教立場から訳された聖書も面白いことは面白いですが、新世界訳は更に、対象者が少なすぎ、それを知った相手でないと話題を共有するのが困難でしょう。日本聖書教会のホームページで、書名何章何節などと検索できますので使ってみてください。

    前に申し上げたとおり
    >しかし、科学者が物事を「神」のせいにしては、もはや科学じゃなくなる(笑)
    という事で、創造論は科学ではありません。
    科学には、決定的な説が無い場合、とりあえず有力な説を当てておくという欠点があります。そこは、いろいろな方が付け入るところでもあります。

    私にとって、科学的に聖書を論じるところは他にありますし、科学に対して順当と思える考えの牛猫さんも出て来られたので、このあたりで消えようと思います。

    ああ、創世記の二箇所の光りの件ですが、ビッグバンが150億年とする現在の宇宙論で太陽が光出したのは45億年前くらい。これ4日目に相当する数値です。こういうのも科学する者の秘かな楽しみなのですよ。


    牛猫さんへ
    重力が少ないと、骨密度が減って逆にあの体重体型をあの足で支えられないのではないでしょうか?
    地球自転が遅くなるのは、エントロピー増大から容易に推測され定説化していましたが、1952年に原子時計が使われはじめて、閏秒が挿入され始めた1972年頃から逆に一日が短くなり2000年からは閏秒は入れられていません。この件は現在静観されている状態です。原因についてはいろいろな推測がありますが、今後少なくとも数十年はデータを積み重ねないと次のステップが踏めません。まだその段階です。

  • 映画は見てないんですが

    2004/5/10 11:18 by タコ屋

    ここ、お役に立つかと思って。

    <リンクURL>

  • 世界の平和さん、

    2004/5/10 12:31 by 未登録ユーザ牛猫

    世界の平和さん、

    レスありがとう!(嫌味じゃないよ)

    >重力が少ないと、骨密度が減って逆にあの体重体型をあの足で支えられないのではないでしょうか?

    確かに下記の研究によれば、重力が少ないと骨の形成が抑制されるということだが、
    ただ、重力が少ないっても無重力というわけではないよね。
    それに君が前提としているのは現代の(概ね)脊椎動物だろ?

    ------
    4) 骨芽細胞における細胞内シグナル伝達・遺伝子発現に及ぼす重力の影響
    研究チームリーダ:佐藤温重
    (東京医科歯科大学名誉教授)
    (宇宙環境利用研究システムアドバイザ) 培養細胞
    マウス骨芽細胞 MC3T3-E1
     微小重力によって骨の形成が抑制されることが知られていますが、その細胞レベルあるいは分子レベルの機序については不明な点が多くあります。本研究は骨を形成する役割を持つ細胞である骨芽細胞を用い模擬微小重力、高重力を作用させ重力信号に対応して細胞内に起こる二次信号さらに遺伝子の発現を分子生物学的手法で調べます。この成果は骨生物学に寄与するばかりでなく宇宙飛行士、地上の高齢者に多発する骨粗鬆症の治療・予防に役立つものです。
    -------

    恐竜の骨格形成については、もっと研究しなければ、無理でしょう?
    それに骨の形成には、重力だけじゃないよ、運動すると、必然的にGがかかるため
    似たような効果が得られるのではないか?

    加速度と重力は本質的に区別できないことはご存知だろ?

    事実、同じ地球と言う重力場にいても、運動しないと骨の形成は悪いと思うが?

    >地球自転が遅くなるのは、エントロピー増大から容易に推測され定説化していましたが、1952年に原子時計が使われはじめて、閏秒が挿入され始めた1972年頃から逆に一日が短くなり2000年からは閏秒は入れられていません。この件は現在静観されている状態です。原因についてはいろいろな推測がありますが、今後少なくとも数十年は

    原子時計とかエントロピーとか科学的でかっこいいよね!

    しかし自転の遅れ自体は、19世紀には既に気づかれていたんだよ。
    それに原子時計を持ち出すまでもなく、クォーツ(水晶)時計だそうだ。
    つまりそこらの腕時計や君の携帯の時計機能で測定できたことになるね!

    因に原因は月による影響や潮汐、地球が完全に球でないことなどだと思う。
    単なる運動ネルギーの損失でありエントロピーを持ち出すまでもないよ。

    ハエを撃ち落とすのにバズーカはいらんだろう。(from T3!)


    >データを積み重ねないと次のステップが踏めません。まだその段階です。

    ------------
    1627年〜1976年の月の位置観測のデータから、地球の自転は、100年間で、1日の長さ(自転周期)が0.002秒長くなる程度の遅れを示しています。
    (資料: "Explanatory Supplement to the Astronomical Ephemeris and the American Ephemeris and Nautical Almanac" HMSO 1961)

    <中略>

    1000年で約1時間ぶんも誤差がたまってしまうのです!
    ------------

    君は、自転の遅れを検索したときに、UTC絡みのネタをひっぱってきたんだよ。
    段階もなにもないよ。全然話がズレてるよね。

    多くの学説では、重力による原因は否定的なのは知ってるが、
    山オヤジさんが書いた、飛行恐竜が気圧により飛行可能ということは
    わかるが

    では、

    --------
    アパトザウルスという巨大恐竜の化石から割り出した重量を、重量挙げの選手の筋力を元に最大パワーを算出すると、自身の体重を支えられなかったことになるという。これは二乗三乗の法則といって、体重は身長の3乗に比例するのに対し、筋力は二乗に比例するというものにかなっている(体重は体積であるが、筋力は筋肉の断面積に比例する)という。この法則から行けば、地上生物の体重の限界は30トンになるという。しかしこれ以上の巨大恐竜が存在することが知られており、この謎は現在の生物学の常識では説明できないという。
    --------

    地上恐竜の存在をどう説明するのか?

    という本質的な問いは考えてもらってないようだが?

    ま、しかし、本題は聖書や映画のことなのでこのへんにさせていただくよ。

  • 山オヤジさん,ザンさん

    2004/5/10 13:37 by 未登録ユーザ牛猫

    山オヤジさん、遅くなりました。

    ザンさんへのレスが、別スレになってしまいましたけど、どこで間違えたんだろう。

    >なるほど、牛猫さんの言う「神」は、なんと呼んでいるんですか?

    すみません。戦争をですか?よくわかりません。


    >「無」と「ちり」(チリ・アクタ説って書いてありましたが)は両方とも共通みたいですが。

    そういうちりでしたか・・・

    >物理的に化学的に変化はするが、エネルギーは変わらない、変化したエネルギーは段々質が低下していって、最後は使えなくなる、と。これ「法則」って「絶対真理」って事なんでしょ。故に、人間も含めた「エネルギー体」が低質から高質に向かう事

    エネルギー保存則ですか?

    そうですね、アインシュタインはそれを物質まで拡張しましたが、
    最近の観測では、真空中のエネルギーというものもあるそうです。

    エネルギー保存則はあくまでも人間原理の枠内でのことで神仏の世界まで拡張すると
    当てはまらないと思います。

    なぜならそういう法則なりエネルギーを構築したのが神仏なのでは
    ないでしょうか?

    創造主なんでしょ?

    >>また進化について申し上げますと、これは神様と物質系生物との織り成す一大イベントのようなものだと考えています。進化したいから進化しているという宇宙の意思があります。この意思はいくら生物の個体を研究しても絶対に見えて来ません。あくまでも神や宇宙との共演なのです。

    >珍しく、文学的な表現!(笑)進化論はダメだけど、「進化」はあるのですか?「適応」はあるのですね。

    文学的な表現?終戦時の昭和天皇の御発言みたいですねえ〜、
    でも私は、文学的センスは皆無ですから・・・

    進化というのは、現象ですね。
    進化論というのは、進化の根拠を求めたものだと解釈していますけど・・・

    >あまり科学的な視野だけだと本質は見えて来ませんね。

    科学には「信仰」が必要だ、ということですか?

    山オヤジさんのレスにもありましたように、今迄の科学は、全ての現象は
    機械的に独立した事象に還元できるというものでした。

    でも、最近(といっても結構古いですけど)は、人間と言う観測者と
    独立して起るという現象は無い!ということですので、いままでタブーだった
    心理的な分野や神的な分野も受け入れていくのがよいのではと思います。

    簡単に申しますと、今迄は誰が観ても同じという客観性が売りでしたが
    もはやそれは成り立たないので、そんな過去の遺物は捨てて、柔軟な対応が
    必要なのではと思いますよね。

    まあ、信仰はあれば早く研究成果もあがるというものですが、科学には直接関係はありません。

    >なにやらケチつけているようですが基本的には山オヤジさんには賛同ですので、どうかお許しを・・・

    いえいえ、全くけちなどとは思っておりません。いろいろ勉強になります。また、私の気分もくんで頂いてかたじけなく思います。
    しかし、シオニズム、パレスチナ、となっているのに日本の「サヨク」は「およびでない」ですね。すでに「時代錯誤」の感。

    そう言っていただけるとありがたいです。
    とりあえず、お役にはたちませんが、山オヤジさんが文学歴史人ならば、
    こちらは理系面を補佐させていただきたいと思います。

    え?なになに「サヨク」? かばさよ出現ですか?自由と人権と宗教を隠れみのに!
    よくないなあ〜本物の宗教人や本物の理系人はすぐ見破れますよね。誰でしょう??

  • ほんの少し・・。

    2004/5/10 18:02 by 未登録ユーザザン

    世界の平和さんへ

    私はここにNEWTESTMENT日本国際ギデオン協会の聖書と新世界訳聖書を持っています。この二つに言い回しの違いはありますが、内容の違いはないと思うのですが・・・日本聖書教会の新共同訳とはどのように違うのでしょうか?そちらも読んで見ることに致します。
    ありがとうございました。

  • まるで、理系のゼミの講義のようで。

    2004/5/10 19:29 by 山オヤジ

    >世界の平和さん、

    折角、面白くなってきたのですから、抜けるなどと仰らずに、私が付いていけるかどうかは疑問ですが。

    >このことで、あなたがたが創造論にシンパシーを持たれていることがはっきりしました。

    私とシスターを一括りにするのは、如何なものかと思います。聖と俗ですから。
    私の場合は、あえて言えば、反「進化論者」、「仮説」と言いながら、ここ100年はこれでやってきてる事への憤り、とでも言いましょうか。科学雑誌「NEWTON」を時々購読するくらいの人間に批判する資格などないのかもしれませんが、今の資本主義の世の中は、まさに「進化論」に強力に後押しされて来たと言っても過言ではないでしょう。

    ここ100年の「近代」は、地球そのものの危機を招き入れた訳ですね。そして、人心にはベトナムシンドロームを始め、「心の荒み」が顕著になり、「心理療法」や「魂の救済」を強く求められている。その裏づけとしての、911以降の「ハリウッドの大作映画」に於ける”神学性”ということではないでしょうか。

    >しかし、科学者が物事を「神」のせいにしては、もはや科学じゃなくなる(笑)という事で、創造論は科学ではありません。

    仮説である「進化論」では辻褄が合わない事や、説明不能である事柄に対して、これまた仮説の「創造論」はより多く、合理的な説明が可能である、と言うことでしょう?であれば、「進化論」も科学ではない、ということになりますね。それほどの博学の世界の平和さんであるのに、犯罪者が信望していた理論と言うだけで、いささか「ナイーヴ」な反応ではにでしょうか。

    >タコ屋さん

    早くご覧になって、「パッション」における、”タコ屋節”、期待しています。引用有難う御座います。

    >牛猫さん
    >化論というのは、進化の根拠を求めたものだと解釈していますけど・・・

    始めに「進化論」在りき、なのですね。ダーウィンは兎も角、それをベースに他の分野の学問も多く影響されて、今日「常識化」してしまい、私のような者が「え?まじで?きいてないよーっ!」となってるのですね。
    ”その時代に合致した、またその時代を正当化する事を「真理」と呼んできた”とJ・リフキンは言っていました。

    >まあ、信仰はあれば早く研究成果もあがるというものですが、科学には直接関係はありません

    (大笑)私は、牛猫さんのこういうすっとぼけた言い方、好きですねぇ。

  • タコ屋さん

    2004/5/11 19:08 by 山オヤジ

    引用の評論読みました。難しいですね。「創造論」を科学の授業に取り入れるか否か、という論争があるのですね。米国ですね。しかも進化論と同等に「科学」の枠内で、と創造論支持者は固執している、と。

    全く科学素人の私から言わせて頂くと、「創造論」と言うネーミングは、余計な誤解を招く、という気がします。
    例えば、引用文の筆者も「長い年月による地層」に対しては、動かし難い、と言っていますが、「化石化」させる為には、短い時間で一気に乾燥乃至冷凍しないと出来ない訳ですね。この辺にはどうお答えなのか、聞いてみたい事です。あともう一つ、地層を縦断する樹木の化石はどういう説明を施すのか。

    何れにしろ、「仮説」の話ですが、アプローチとしては、聖書の引用だろうが、なんだろうが「科学的」であり得るのではないのでしょうか。

    人間はどう生まれたのか、宇宙の果ては?すこぶるロマンティックではあります。

  • 宇宙の果て

    2004/5/11 21:45 by 未登録ユーザ牛猫

    >人間はどう生まれたのか、宇宙の果ては?すこぶるロマンティックではあります。

    人間や生物はあくまでも物質から生まれました。
    もちろんそのためには神の作用は必須ですが・・・

    宇宙の果ては、膨張宇宙論?でいくと体積は有限ですが果てはありません。
    地球の表面積は有限ですが、果てがないのと同じです。

    参考になればと思います。

  • Re: あほらし、金返せ!

    2004/5/11 22:27 by 未登録ユーザsasu

    ヨコ失礼します。
    僕も映画は見ていないんだけど(迷ってます。グロと暴力描写に弱いので腰がひけている…。)

    >タコ屋さん

    タコ屋さんご紹介のサイト、拝見しました。
    おもしろいですねぇ。
    僕の意見が完全に論者側ということも手伝って(創造説は科学のカリキュラムにふさわしくない説)、すっきりと理解できました。

    僕が理系オンチの文系畑の人間のせいもしれませんが、創世記の説は科学ではないからこそあれほどおもしろいのだし、ここまで人心をつかんでいるのだ、と思っているのです。

    しかしながら、反対の立場の論考の方が読み物としてはおもしろそうなので、ちょっと探してみようかな。

    >山オヤジさん

    こちらでも失礼します。
    いよいよ激しく脱線してしまうことになって恐縮のいたりなんですが、質問です。

    >例えば、引用文の筆者も「長い年月による地層」に対しては、動かし難い、と言っていますが、「化石化」させる為には、短い時間で一気に乾燥乃至冷凍しないと出来ない訳ですね。この辺にはどうお答えなのか、聞いてみたい事です。あともう一つ、地層を縦断する樹木の化石はどういう説明を施すのか。

    この部分は、地質学的記録の化石の連続という物証によって、単純な形態の動植物から複雑な形態の生物へという進化の流れを証明することが可能である とする例の論への反論になるわけですか?

    もし、そうならば、ここについて、もう少し詳しく意見をお聞きしたいです(ここって、反証不可能な進化論の基礎的論拠と書かれているから、ここがひっくりかえるとおもしろくなります!)。

  • sasu さん、

    2004/5/11 22:59 by 山オヤジ

    私なんかが慣れ親しんでいた、例のあの「地層」の絵がありますね。一番下が「先カンブリア紀」となっている絵です。あの絵を「創造論」は長い年月ではなくて、一気にできたと言うのですよ。小さくて下等な動物は早めに洪水に飲み込まれて、逃げられる高等動物は上に上がったのだろう、と言います。先カンブリアとカンブリアの境界線だけでこぼこでその後からは、わりとなだらかであるから、大洪水でカンブリア以降の地層が出来上がった、と書いてあります。その地層を縦断している樹木の化石の写真が掲載されています。

    創造論は兎も角、そういうアプローチもOKでしょう?私はそう思います。そういう事柄が宗教団体が我田引水的に利用している、と言う構造もあるらしいです。
    ま、どちらも「既得権益」の死守、となると醜い争いが始まる訳ですね。

    私の引用の本は、久保有政の「創造論の世界」です。後はネット検索です。

  • 見てないけれど

    2004/5/11 23:43 by タコ屋

    見るつもりは無かったのに、見たくなってきた。しまった。>パッション

    >山オヤジさん
    創造論は考古学として考えるべきだと思います。
    生物学である進化論の否定は、逆に創造論をうさんくさくすると思います。

    あと、これも面白いっすよ。

    <リンクURL>
    <リンクURL>

    上の記事は、創造論的進化論とも言えると思います。
    わたしらのイブは恵美子さんだそうですw
    どうせならイザナミと名づけてほしかったですねえ。

    >sasuさん
    行きましょうかw>パッション
    私も文系の人間だから、sasuさんの意見に同意です。
    リアルなファンタジーの面白みは、現実を越えると思います。

  • Re: あほらし、金返せ!

    2004/5/12 0:02 by 未登録ユーザsasu

    山オヤジさん、早々の返信ありがとうございます。

    久保有政ですか。ちょっと、トンデモ本の臭いが…。
    引用の説は、残念ながら‘科学的’な反証としては、とても弱いと思います。

    山オヤジさんへの返信として、あるサイトを紹介したいんですが、リンクってどうやるんでしょうか?
    URLを直貼りでいいのかな?どなたかご教示下さい。


    >創造論は兎も角、そういうアプローチもOKでしょう?

    OKです。というか、僕は好きです。そういうアプローチ。だた、このアプローチ方法は‘科学的’ではないですよね。

    でもね、別に、科学的であらねばいけない!なんて法はないと思うんです。
    創造論は科学的ではない、科学的でないからこそ刺激的!
    というのが僕の立ち位置です。(タコ屋さん、同意ありがとうございます)
    創造論支持者も、「科学で説明できないからなんだってんだよ!こちとら、もっとスゴイモンなんだぜ!!」ぐらいのスタンスでいっていっただきたい(笑)。

    とはいえ。‘科学的’にひっくりかえったら、すごくおもしろい!とも思っているので、ちょっと残念ですけど。

  • sasuさん、

    2004/5/12 0:41 by 山オヤジ

    「トンデモ本の匂い」ってどんな匂い?
    「反証」ではなく、新しい「仮説」を立ててのアプローチですよ。それが、「聖書」と一致するから、宗教団体は騒いでいるのでしょう。sasuさんの仰りようは、少し「ずれ」を感じますが。私、どちらを支持するか、などとは申し上げていませんし。
    「縦断する樹木の化石は」単なる七不思議でしたら、それでいいのですがね。

    何れにしろ、私がどちら側にいる、と言うような話ではないのですよ。そういう「ムーヴメント」が問題なのです。
    映画(ラストサムライ)を観て、核心に触れようとして辿って行くと、いろいろでてくる訳です。

    故に、「泥縄式読書と付け焼刃式知識」と申し上げているのです。細かく突っ込まれても応えようがありませんね。
    その本にはなんて書いてあるかには応えられますが。
    私は、「科学万能」世代であり、なんだかんだ言いながら、「人類の英知」を信じてきてるのです。

    それが、学者の世界ではどうだとかこうだとか、と言う事ではなくて、「ムーヴメント」(社会現象、政争の具)になっているのではないか、と申し上げている訳です。「AUM」の連中もこの流れにあった、とするならば私はよく理解する、と申し上げています。

    ズウイック、ギブスンたち米国人の感性に触れたい訳ですよ。映画を通じて。

  • 山オヤジさん

    2004/5/12 1:34 by 未登録ユーザsasu

    ???
    ええっ?

    >sasuさんの仰りようは、少し「ずれ」を感じますが。私、どちらを支持するか、などとは申し上げていませんし。
    >「縦断する樹木の化石は」単なる七不思議でしたら、それでいいのですがね。

    山オヤジさんが有本説を支持しているか否かについては、最初から問題にはしていません。
    そもそも、僕の質問は、山オヤジさんが、どちらの側についているか、なんてことには一切関係ないところから出てるんですが…。

    先の発言で、「反証不可能な進化論の基礎的論拠」に異を唱える‘科学的’な意見を御存知のようにお見受けしたので、それについてお訊ねしたのです(化石云々のところ)。
    僕は、最初にこのようにお聞きしました。

    sasu>この部分は、地質学的記録の化石の連続という物証によって、単純な形態の動植物から複雑な形態の生物へという進化の流れを証明することが可能である とする例の論への反論になるわけですか?

    これへの山オヤジさんの返信が、有本説だったわけです。

    それを

    >「反証」ではなく、新しい「仮説」を立ててのアプローチですよ。

    とは、いったい??
    僕は、「これが反論であるならば、詳しく教えてください」とお願いしたはずです。

    僕は、有本説は‘進化論への「反証」として提示した創造説科学論的「仮説」’だと解釈してます。
    進化論を覆すための反証じゃないんですか?
    これは、違わないと思いますよ。

    残念ながら、有本説は、独創的な一仮説としてはおもしろみはあるものの、僕が求めていた(というか、タコ屋さん紹介リンク先での論点となっていた)‘科学的’な論証としてはまったくもって弱く、例の論文への反論の体をなしておらず、よって反証にもはなりえない、というのが僕の判断なのです。

    >それが、「聖書」と一致するから、宗教団体は騒いでいるのでしょう。

    これが、‘科学的’に説明されるとおもしろいんですが、その域には達していないようだ、というのが僕の感想です。

    僕は、はなっから、有本説=山オヤジ説とは思っていないんですから、有本説の正当性を山オヤジさんに説明させようなんて気もさらさらないわけです。

    山オヤジさんに、細かいツッコミをいれた覚えも、これから入れるつもりもまったくないのですが…。
    どこを誤解されたのでしょうか…。

  • 訂正

    2004/5/12 1:59 by 未登録ユーザsasu

    ごめんなさい。誤植です。

    「有本説」は、「久保有政説」の間違いでした。

  • 誤植?sasuさん

    2004/5/12 2:44 by 山オヤジ

    いやいや、久保さんもどこどこ大学の教授の引用で創造論の解説をやってる本です。本屋で数冊立ち読みして、判りやすそうなものを買ってきて読んだのです。

    それで、反証不可能なその進化論の「地層」の説は、土砂の堆積量で長い年月があった、と仮定していくと論理的に反証不可能、と言うことでしょう?違ってますか?

    久保君の本で引用してるのは、地層が一気に短い時間で出来たとすると、と言う仮説です。こちらの方が、進化論のそれよりも、多く説明可能だと、言う訳です。

    これどちらも「仮説」ですね。読み手によってどちらがよりリアリティがあるか、っていう事ですよ。これに関しては、私は、創造論の方が面白いし、よりリアルで在ると感じる訳です。

    どの辺が、「トンデモ」っぽいのですか?

  • タコ屋さん

    2004/5/12 2:58 by 山オヤジ

    エミコ?
    だいぶ前の「ニュートン」に一番最初の人類の母の名を
    「ルーシー」に、って言うのも読んだ記憶があります。

    因みにブルーズギタリストのアルバート・キングのギターの愛称でもあります。BBキングのは「ルシール」。それで私の愛用は、(インドネシアフェンダーの¥12000)
    「スージー」と名づけました。

    パッション、ご覧になるのですか?こりゃまた、どこでその気になったのか、ちょっと心配です。「受難」ですよ。
    「クリエーターズ対ダーウィン軍団」の映画では在りませんよ。

  • あ、そう言えばぽんさん。

    2004/5/12 4:35 by 山オヤジ

    >僕の頭の中は、リチャードバックの「僕たちの冒険」にとてつもなく近い。で、案外、山オヤジさんにも近いってことです。

    この意味を教えて下さい。

  • めぐりめぐってきましたね。

    2004/5/12 6:56 by ぽん

    少しずつ直情型じゃなくなってきて、ネット議論上手になってきているようでなにより。
    なんとなく僕のとこに話がふられるような気がしていましたよ。

    そうですねえ、もうパッションから離れそうなんで、僕の書き込みが嫌な方もいらっしゃるでしょうけど、なるべく文化、芸術って範疇でいくようにいたします。

    で、リチャードバックですが、創造、進化、ノアの箱舟を科学するということは、とくにしていませんね。でちょっと、最近の本読むと、講演活動しちゃったり、ちょっと新興宗教がかってるんですが、それにしても、彼の姿勢はおもしろく、また彼の書く本もおもしろい。

    「かもめのジョナサン」が一番有名ですね。ただ、彼はこの本の収入がいっぺんに入りすぎたせいとかもあって、家庭生活を破綻させています。これ以外の本は、彼自身の体験というか思索というか、その探求になっていまして、もちろん、科学とはという部分もひっくるめて、神とか自分とかを見つめる本を書いております。

    小説というか、自伝というか、エッセイというか、好き嫌いの分かれる作品のようです。哲学から仏教からキリスト教までうろついて、で彼なりの結論はやはり聖書をベースにした神観というものをつくりだしていまして、ここには、○○教会というものをあまり感じられません。
    もちろん、小説というスタイルなので、これが科学的に証明できたり、哲学的に価値があるかというとはなはだ疑問なのではありますが、1970年代にアメリカでスタートした彼の著作が、80年代、90年代と変ってきて、そして、最近の作品「僕たちの冒険」になるわけです。実際は、あたまっからずーっと読み直していくと、疑問に思われているアメリカの精神世界に関心があり、わりあいと支持されている人で、しかも、宗教界とは一線を画している人がどのような考え方をしているかがわかると覆います。
    そういう意味で、「僕たちの冒険」のアプローチは一読の価値があると思いますよ。

    という意味です。

  • 古い話で恐縮です

    2004/5/12 10:28 by 未登録ユーザたこぽん

    ・・・スレの本筋をはずれた書き込み失礼いたします、山オヤジ様をはじめとする皆様。
    というわけでポンさん。古い話で恐縮すが、返信ありがとうございました。
    「何かご意見あったら」ということでしたので、ちょっとだけです。「ご意見」と言うほどのものではありません。

    >ここでをあげた理由は、はじめて写実的なキリスト表現がなされてということで価値があると評価されているらしい、、、(映画評読んでるだけですから)

    「写実的なキリスト表現」・・・。映画は基本的に「動く写真」だから、誰か役者が演じてるキリストの演技をキャメラで撮ってスクリーンに映せば、それだけで十分「写実的な表現」ではないでしょうか? その意味で、スクリーンに映ったキリストはみな「写実的」。いったい『奇跡の丘』のどこが、「はじめての写実」なんだろう? 逆に、映画における「写実的でないキリスト表現」とはどういうのをいうのだろう? ・・・ポンさんご自身は映画そのものはご覧になっておらず、誰かの「映画評」をご覧になっておっしゃっているだけのようですので、以上は質問ではなく感想です。

    >無神論の立場からキリスト教を描いたのに、ローマ法王から大絶賛されるという不思議な矛盾

    『奇跡の丘』(原題は『マタイによる福音書』)がカトリック教会から大絶賛されたのは、「無神論の立場から」「キリスト教」を描いたからではありません。無神論を標榜している人間(=パゾリーニ)が、にもかかわらず、(一見したところ)深い信仰心に裏付けられているとしか思えない、(一見したところ)新約聖書のマタイ伝に極めて忠実な、(一見したところ)非常に感動的なキリスト伝映画を作ったから、大絶賛されたのです。だからカトリック教会に「大絶賛」されたこと自体は「不思議な矛盾」でもなんでもない。むしろそのような(一見)深い信仰心を感じさせる映画を作った「無神論者」パゾリーニのほうに「不思議な矛盾」、というか一筋縄ではいかないものがあったというべきでしょう。・・・そもそもが「無神論の立場からキリスト教を描い」て、「ローマ法王から大絶賛される」わけないではありませんか。それはキリスト教の否定ですから。

    ・・・そういうわけで、『奇跡の丘』についておっしゃっていることに、正直、首を傾げてしまう部分が多いので、そういうスタンスで『パッション』との比較を云々されてもなあ、というのが私の感想でした。意見でなくて感想・・・失礼いたしました。以上で終わります。サヨナラ、サヨナラ。

  • あっと!

    2004/5/12 10:36 by 未登録ユーザたこぽん

    「ポンさん」ではなく、「ぽんさん」ですね。
    お詫びして訂正いたします。失礼いたしました。

  • 奇跡の丘

    2004/5/12 11:45 by ぽん

    申し訳ないけれど、理詰めでいきます。

    写実的が映画は写すから写実的というのは、ジョークとして理解しますね。

    >新約聖書のマタイ伝に極めて忠実な

    を、無神論者の筆致で冷静に描き出したところ、それまでこのような表現がなかったので、法王から思いもよらず大絶賛されてしまった。

    すいません。これ僕の意見じゃなくて、映画評のようですよ。違う意見もあるかもしれないけど、ググってみれば出てくることなので引用しませんね。

    で、
    >、(一見したところ)深い信仰心に裏付けられているとしか思えない、(一見したところ)新約聖書のマタイ伝に極めて忠実な、(一見したところ)非常に感動的なキリスト伝映画を作ったから、大絶賛されたのです。

    というのは、さすがに公開当時の話は僕は体験していないので、このような言い切り型は僕にはできないのですけれど、それはさておき、

    省略して書かれているので、
    「深い信仰心に裏付けられているとしか思えない」がどこにつながるのかわからないのですが、想像して、たとえば、「監督」としましょう。

    「深い信仰心に裏付けられた(としか思えない)監督が、感動的な映画をつくったので絶賛された?」

    僕が紹介しているのは、
    「まったく信仰心がない監督が、感動的な映画をつくった」のに、「絶賛された」
    ところが矛盾があるという、評価が映画評論家からなされている。

    ということですけれど。

    おそらく、

    「無神論の立場から映画を作った」という僕の文章が未熟で伝わらなかったのかもしれませんが、「無神論の立場にいる監督がつくった映画が法王から絶賛された矛盾」と言い換えればご理解いただける?

    とにかく、これは僕の意見ではないのですよ。

    それ以前の映画については、たこぽん氏指摘のとおりなんでしょうけど、百科事典のような議論をしたいわけではないので、なんともしようありませんが。

    で、いかに写実的(これを説明するようなら、もう議論にはならないので省略いたします)に描こうとも、キリストの一生をフィルムで見せたのが奇跡の丘。

    12時間に密度を高めて、時間の流れも現実に近いような速度で見せたのがパッション。

    この二つの違いについて、「どうお考えですか?」
    との僕の問いかけでした。

    残念ながら、冗談であればさておき、フィルムに写っていれば写実的と「本気」でおっしゃるなら、まったく議論にならないし、

    信仰心があろうが、なかろうが感動できる映画をつくることは可能であると考えるのが自然であると思うのが僕であります。

    ここらへんの基本線について、物知り知識意外の見識が伺えないというのがはっきりいたしました。

    ポンだろうがぽんだろうが、僕にとってはどうでもいいのです。しかし、ここまで書くのは僕の親切心というものですが、何ゆえ、僕にからんでこられるのか、意図がよく見えません。僕は、ひっぱってきた映画評の知識を紹介したにすぎないのです。

    見識を出すのはその上の話でしょう。残念です。

  • 素数ちゃん

    2004/5/14 19:58 by 山オヤジ

    「科学」そのものが「聖書」から始まってるんだよ。
    学問そのものがさ。進化論も仮説なんだよ。
    進化論よりも創造論が先に在った訳だ。違うのかい?

    それでいま、進化論よりも「合理的説明」が多いのは、
    反・進化論なんだろ?これも違うのかい?

    更に、俺がラスサム以来主張してる事は、その事にインスパイアされた映画制作者たちがいて、その「作品」があるってことなんだよ。それに対して俺はどう応えるのか、って話だ。

    素数ちゃんの「ラスサム」解説は見事だったよ。刺激も受けたし、勉強させられた。これは認める。しかしな、その後の卑劣な冷血漢ぶり、なんとかならねぇか。

  • では問題です。>山オヤジさん

    2004/5/14 20:35 by 最大素数

    > 進化論よりも創造論が先に在った訳だ。違うのかい?

    後先(あとさき)はなんの「証明」になっているとお考えなのですか?

    その前に、「進化論」は仮説であるとしても「進化」と名付けられた現象は科学的事実として認められているということぐらいはちゃんと理解して下さい。
    「科学的事実」というのは、科学的方法論に基づいた検証によって認められた事実と言う意味です。
    科学的方法論とは、大局的には、何時でも何処でも誰にでも、という「客観性」の立場を踏まえる考え方のことです。
    この場合「考え方」と、それによって得られる「考え」は別ものであることに注意。
    なお、ここでの「大局的に」、とは「大まかには」とか「大ざっぱに言えば」という程度の意味で、実際の検証の際には「条件」が課せられます。
    ふーっ。これで中学生レベルになっているかどうかは不安ですが、もう目一杯でやんす(笑)。

    さて問題です。“「進化」と名付けられた現象は科学的事実として認められている”ということはすでに話題にのぼっています。どれのことでしょう。
     

  • ぽんさんへ

    2004/5/15 13:04 by 未登録ユーザたこぽん

    こんにちは、ぽんさん。僕です、たこぽんです。
    もしよろしければ、また、おつきあいください(いやなら結構です)。
    こちらの板に書き込みするのは、毎度、気が引けるんですけどね・・・。

    さて、どういう意図で僕はこういうものを書いているのか? この点に疑問がおありのようですので、最初にお答えしておきます。これは単純な話で、自分の偏愛する映画の一本『奇跡の丘』について、あんまりいい加減なこと言わんで欲しいなあという動機からです。嫌いだとかダメだとか、写実主義だとか象徴主義だとか、観た上で評価なさる分には全然オーケーなのですが、どうもご覧になったとは思えないのに(「以前に見たことはあるが、地震の場面は以外覚えていない」ということを後に明らかにしてくださいましたが・・・まあ、それは観てないのと同じですね)、どこぞやの「映画評」を引っ張って、『パッション』との比較に持ち出してどうのこうのといったスタンスに、見過ごせないものを感じたからです。別に他の映画だったらどうぞご勝手にと通り過ぎる話ですが、単にその対象が私の好きな『奇跡の丘』だっただけに、ちょっと黙過できなかったのですね(笑)。単純に、それだけです。

    で、今回は「写実的なキリスト」について述べてみますね。僕も理詰めで行きます。

    前回、「『奇跡の丘』は、「はじめて写実的なキリスト表現がなされた映画」との仰りように、「映画というのはそもそも『写実的』なものなのだから、すべてのキリストは(画面に映っている限り)『写実的なキリスト』であって、『はじめての』はナンセンスではないか?」との疑問を、感想として控えめに述べさせていただいたところ、「それはジョークとして理解する」とのお返事でした。・・・自分はジョークとしていっているつもりは全然ないのですよ。

    「写実」というのは文字通り、「実際のままに写すこと」ことです(岩波国語辞典 第四版より)。ならばそもそもが「実際のままに写す」のが身上の「写真」の連続体である映画が「写実的」であるのは、自明の理ではありませんか。 写真は「写実的」でしょう? 映画は「動く写真」でしょう? そのことのどこにジョークがあるでしょう? 無いと思うんですけど。ゆえにぽんさんの「映画におけるはじめての写実的なキリスト表現」という仰りようはナンセンスなのです。 

    ぽんさんはおそらく「写実的」を「写実主義的」と混同していらっしゃると思う。「映画におけるはじめての写実主義的なキリスト表現」というつもりで、「写実的なキリスト表現」と言ってしまっていると思う。「写実主義的なキリスト表現」なら分かるのです(あくまで文章レベルとしてですが)。「写実主義」というのは「客観的な現実をありのままに描こうとする芸術上の立場」のことだからです(岩波国語辞典 第四版より)。「客観的な現実」とは「目に見える現実」のことです。絵画における写実主義の創始者クールベが「私は天使など描かない。見えないからだ」と言ったのは有名な話ですね。英語で言えばリアリズムとなります。基本的にイズム、つまり志向性の問題です。「客観的な現実、つまり目に見えるものしか認めない」そういう立場、志向性で描こうとしたキリスト、言い換えれば「リアリズムで描いたキリスト表現」なら意味が通ります。おそらくそのつもりが、「写実」と「写実主義」の区別が出来ていないため、ナンセンスな文章になってしまったのでしょう。

    ではそもそも『奇跡の丘』がリアリズムの映画かというと、そんなことはないのです。なにしろ始まって何分もたたないうちに、クールベが描かないと言ったまさしくその天使が、堂々と画面に登場するのですから。もちろんそれは「写実的な天使」です(笑)。したがって、そのような映像世界(言ってみれば、「神話的な映像世界」)の中に描かれるキリストが「リアリズムで描いた(=写実主義的な)キリスト」であるはずもありません。ゆえに「写実主義的なキリスト表現」も的外れなのです。要するに、「はじめて写実的なキリスト表現がなされてということで」というぽんさんの文章は、大間違いということです。

    このように書くと、「いや、それは『映画評』を紹介しているだけだから」と言い訳されると思います。しかし、たとえ他人の書いたものの「紹介」であれ、誤りは訂正されてしかるべきでしょう。ましてやぽんさんは、その「映画評」とやらを直接引用せずに、自分の言葉で解釈しなおして言っておられます(つまり正確な意味では「引用」していない)。そして自分流に意味の不明瞭な文章を作ってしまっておられる。その部分に関して責任(ヤな言葉です、まったく)はあるのではないでしょうか。・・・だから、一方で「映画評」を受け入れ、それを不確かに引用(?)しながら事実上観てない(観たけどほとんど覚えていない)映画について分かったふうを言い、一方でそこを突かれると、いやこれは(自分の見解ではなくて)「映画評」で言っていることだから、と言いぬけするのは、どうもあまり感心した振る舞いとは思えないのですが、どうでしょうか?
    ・・・そんなにムキにならなくても。

    では今回はここまでとします。またいずれ。

  • 進化論>最大素数さん

    2004/5/15 20:09 by 未登録ユーザ牛猫

    山オヤジさんへのレスだが、理系部分と判断したので補完させて頂くね。

    >その前に、「進化論」は仮説であるとしても「進化」と名付けられた現象は科学的事実として認められているということぐらいはちゃんと理解して下さい。

    科学は進化の全てを実際に観測したわけではないよね。
    多くの断片的な観測事実から、そういう学説(セオリー)を結論付けたにすぎないんだよ。
    科学的事実という言い方自体に君の科学に対する考え方の未熟性を見い出すことができるけど。
    科学という限られた判断基準が進化というものを結論付けたにすぎないといえるね。
    このことは、間違わないで欲しい。

    まさか君は科学教の信者?

    で、科学の定義は、

    >「科学的事実」というのは、科学的方法論に基づいた検証によって認められた事実と言う意味です。

    なるほど、自分の言葉に酔いしれてるようだけど、
    しかし、それは、国語辞書によくある、

     左、それは右の反対
     右、それは左の反対

    的な記述と同じではないだろうか・・・

    論理学では確かトートロジーとか呼ぶそうだけど?
    同じ事を何度も言い換える!これも君の最大の魅力なのかもしれない!

    >科学的方法論とは、大局的には、何時でも何処でも誰にでも、という「客観性」の立場を踏まえる考え方のことです。

    これは失礼、答えはここにあったわけだね。
    しかし上の記述は無駄以外の何者でも無い。

    そして、大局的?

    近似的の間違いだろ?

    真なる客観性は、存在しない。
    ハイゼンベルクの不確定性原理くらいは当然ご存知だろ?

    #何時でも何処でも誰にでも

    そんなものは、幻想にしかすぎないのだよね。
    古典力学、つまり概ね高校生以下の世界観でのみ存在できる概念だ。

    科学は現象の説明はできてもその理由は説明できないのです。

    もし、そうでないと主張するのならば生命について考えてみればいい。

  • たこぽんさんへ

    2004/5/15 23:49 by ぽん

    あらあら。
    大削除があったので、追加で書いた部分をごらんになってないのかしら。
    ムキになって書いてゴメンナサイってやつですけど。

    もう一度書いておきますけど、
    写実的と、写実主義的が違うという、そんな揚げ足取りなどどうでもいいのですが、奇跡の丘、について批判して、パッションが良い。という書き方をしていないのですよ。

    単に、時間の流れの話。
    一生か、12時間か。
    けっこうあたりまえの話。

    奇跡の丘がお好きとのことであれば、その対比において、たとえば、監督観や、僕が例示した時間の話、などなどで、ご意見を聞きたいと、申し上げたのです。

    まあ、どちらでもいいのですけど。

    もとより、文章でやりとりしていて、互いにわかりにくいところや、伝えにくいところがあるのですから、お互いに揚げ足取りはやめましょう。

    国語辞典まで引用されれば情けなくなってきますよ。

  • 「科学」と掲げちゃうと拡がり過ぎてしまのですけどね>牛猫さん

    2004/5/16 4:31 by 最大素数

    数学の基礎は集合(論)なのだから「さんすう」の授業を足し算ではなく集合論から始めるべきである、とお考えでしょうか。それほど極端ではなくとも、教育課程のかなり早い時期に「集合論」を取り入れたことがありましたが、結局その試みは失敗に終わりましたね。
    牛猫さんの目にどう映ったかはともかく、義務教育課程における「科学的事実として認められた「進化」と名付けられた現象」をどう説明すべきかの結果という事情を無視したとしか思えない論評にはなんの意義も有効性も認められません。

    > 真なる客観性は、存在しない。
    > ハイゼンベルクの不確定性原理くらいは当然ご存知だろ?
    >
    > #何時でも何処でも誰にでも
    >
    > そんなものは、幻想にしかすぎないのだよね。
    > 古典力学、つまり概ね高校生以下の世界観でのみ存在できる概念だ。

    せめて「真なる客観性」「ハイゼンベルクの不確定性原理」を義務教育課程レベルではいかに説明すべきか、を述べてみせて欲しいですよ。勿論、こうした「映画評のためのBBS」で、という条件でですよ。当然「無駄以外の何者でも無い」記述は無しですよね。あと、もう少し具体的なことを言えば、例えば字数は、こういう場でも読む気を持続させうる文章力との兼ね合いでお考え頂きたいのです。
    ではあらためて、義務教育課程レベル云々とは離れてお話しましょう。

    > #何時でも何処でも誰にでも

    とは、「科学的事実」の説明のための「客観性」を説明するための立場について述べたものです。「大局的」とか「大ざっぱ」という言葉を使いましたが、より正しくは「原則としては」、本当は「理想条件」というような表現を使いたかったのですが義務教育課程レベルの概念としてよいかどうか自信がありませんでした。それに、元々「進化」という具体的なテーマを踏まえているので直ぐに「実際の検証の際には「条件」が課せられます」とのことわりを入れるつもりでしたので、結局あの言葉で済ませてしまいました。また、この辺の言葉使いがひっかかるような理系の人には、この言葉選びの当否は大きな問題では無いと判断してくれるだろうとも思いました。
    実際、牛猫さんはその不適切性については「近似性」だろ?との、より「適切」な(と思われた)言葉の指摘に留まりましたね。
    さて、「何時でも何処でも誰にでも」検証できるのが、科学的事実の理想的なあり方であることは「幻想」でもなんでもないのです。ただし、勿論、例えば「誰にでも」といっても、生後間もない乳幼児でも、というような話しではありません。
    更に言えば、特に「理想」というわけでもないのです。こうした、条件という制約無しの「環境」での検証に耐えうる「事実」でのみ構築されているのが「数学」です。「数学的事実」という言葉の一般性はともかく、そういう概念はご理解頂けると思います(念のため申し添えておきますが、制約は100%無い、とも言い切れないのですけどね)。あ、数学は科学の内ですから。

    では、牛猫さんの投稿の冒頭部分に戻りまして順次まいります。

    > 科学は進化の全てを実際に観測したわけではないよね。

    これ、「実際に観測」したかどうかの重要性に言及していると受け取っていいのでしょうか。とすると「ハイゼンベルクの不確定性原理」を少々勘違いされてはいらっしゃいませんか。「真の客観性」についての言及の際に援用されていますが、「真の客観性」という概念に対する疑義のもとは、「不確定性原理」によれば純粋な意味での「観測」は不可能であること、なのです。
    「不確定性原理」を持ち出すのでしたら、「実際に観測」したかどうかの重要性をどういう立場で論じるおつもりなのかを明らかにしていただきたいものです。
    が、ま、いいです。「実際に観測」したかどうかが重要だとしましょう。
    とすると、冥王星の公転周期約248年は科学的事実ではないし、これへの言及は科学の範疇を逸脱しているということになりますか?内燃機関の動作が吸気爆発排気の繰り返しに依っているということは科学的事実ではありませんね。また、牛猫さんの頭の中に脳があることは恐らく、未だ科学的事実ではないと言わねばならないのではありませんか。

    引用文に拘って念押しすれば「全てを」などという限定は、いっそうナンセンスなわけです。

    > 多くの断片的な観測事実から、そういう学説(セオリー)を結論付けたにすぎないんだよ。

    ああ、牛猫さんをもってしてもご理解叶わないのですね(涙)。
    「そういう学説(セオリー」の当否はともかく(当否とは関係なく)、「観測事実」はあるのだ、という話しをしていたのです。そして、その「観測事実」が「事実」であることの根拠が科学的方法論に拠ったものなので「科学的事実」というのだ、という話しなのです。「観測」とは、科学の方法論に基づく方法の一つです。(方法論と方法は別モノということは説明しなくて良いですよね)

    で、ま、それはそれとして。この引用部分は義務教育課程レベルでざっくり言ったのなら容認できる程度の内容ですよね。(承知の上でしょうか?)
    もう少し正確に言えば、「進化論」のもとになった「観測事実」と、「科学的事実として認められた「進化」と名付けられた現象」は同じではないのです。

    > 科学という限られた判断基準が進化というものを結論付けたにすぎないといえるね。

    こういう言い方ってどうなのかなあ。
    誤謬のポイントは「結論付けた」というご理解にあると思います。これが正解と決めた、というようなニュアンスが窺えるのですが勘違いでしょうか。
    それと気になるのが「科学という限られた判断基準」という言い回しです。「非科学的な判断基準」という概念はありますか?なにかを基準にして判断すること自体は広い意味での「科学的」な考え方なのではないのですか。その基準の「質」とか判断に至る「過程」とか、実際の方法になるとまた別な話しになりますが。

    > 科学は現象の説明はできてもその理由は説明できないのです。

    「理由」とはなにを指すのか、でしょう。

    > もし、そうでないと主張するのならば生命について考えてみればいい。

    「生命」に限らずたいていのものについて、例えばその“存在「理由」”は科学では説明できません。
    ついでに言えば、説明できていない「現象」だってたくさんありますよ。とは言え、わたしがいまのところ「科学」を信用しているのは、その説明できない理由を、科学で説明できるからなのです。

    ま、この話題はいくらでも拡げられるのでどこで終えても中途半端感は否めず、打ち切り所が難しいのでいつもこまってしまいます。(途中、ネット検索で検証できる問題については詳しく述べていませんが、それはそういう理由によります)

    最後にちょっと。
    牛猫さんの投稿を再読三読、ひょっとすると、なぜ「科学教」という言い方があるのかをご自身が理解されてないのではないかとの疑念をうち消すことができません。(「盲信」という概念とは別ですよ)
     

  • 創造説‘科学’論について

    2004/5/16 12:13 by 未登録ユーザsasu

    >>しかし、科学者が物事を「神」のせいにしては、もはや科学じゃなくなる(笑)
    という事で、創造論は科学ではありません。

    既に世界の平和さんが「答えなくて構いません」[ID:i81171]で明言されているこの部分が、今回の僕の書き込みの主旨です。
    世界の平和さんは、この後の展開を予想されたのか、
    >あなたがたが創造論にシンパシーを持たれていることがはっきりしました。
    という判断の結果、このスレッドを去られたようですが、僕が久保有政説を「トンデモ本」と評したことをきっかけにして、山オヤジさんの創造科学論主張がヒートアップしてしまいました。
    この発言の理由を僕に求めた山オヤジさんのコメントは削除されてませんし、僕も山オヤジさんに対してというよりも、むしろ、創造論について何の予備知識も持たないでここを読む方に対して、僕の意見をのべたいと思います。

     久保氏の本の内容には後ほど触れるとして、久保有政という人物については、ネット検索等から次のような情報が入手できます。
     科学には素人のプロテスタントの牧師さんで、自らが代表をつとめるキリスト教関連書籍出版社から、いろんな本を出してますね(ていうか、この出版社はこの人の本しか出してない)。いろんな本というのが、オーパーツの研究とか日本ユダヤ同祖説を強力に主張したのとか、山オヤジさんが紹介してる創造科学論のテキストとも言うべき『創世記の世界』とか。著作や活動内容から判断するに、筋金入りの創造科学論者であり、聖書原理主義者とお見受けします。

     創造説科学論〈創造科学〉というのは、「今や進化論を科学的に否定し、創造論に立つ科学者が増えつつある。健全な科学の証拠は、進化論ではなく、創造論を支持している。」等の久保さんの本のコピーにあるようなこと(山オヤジさんが本スレッドで繰り返し主張されていること)を提唱している一派のことです。聖書原理主義者は、説明が長くなるので興味がある人はワード検索してみてね。(ちなみにここが肝心ですが、厳密に言って「創造論者」と「創造‘科学’論者」は違います。僕がここで問題にしてるのは「創造‘科学’論者」の方です。)

    ここまででもわかるように、久保有政氏は宗教者です。僕は、信者の方の信仰に対して口を出したくはありませんので、キリスト教徒の方が久保説を信奉することについては、何も申し上げるつもりはありません。

    ただし、キリスト教徒ではない方が久保説の「創造説は科学的に合理性がある」という主張をされた場合(つまり、今回ですが)、同じく、信仰を持っていない者の立場から、宗教論争とは全く別なものとして異論を申し立てたいと思っているのです。信仰を持たないのに久保説に傾倒しているのならば、「あれ?「トンデモ本」を本気にしちゃったのね…。」ということに他ならないと僕は判断します。

    ちなみに、トンデモ本ってなあに?という問の答えは、『トンデモ本の世界』(と学会編)というトンデモ本と言う言葉を世に送り出した著書(僕の愛読書です)から引用します。
    「著者の大ボケや、無知、勘違い、妄想などにより、常識とはかけ離れたおかしな内容になってしまった本」「トンデモ本の著者達はみんな大まじめであり、読者を笑わそうなどとはこれっぽっちも思っていない。しかし、常識ある人間が見れば、その内容は爆笑するしかない代物なのである」

    僕の言葉で言い換えると、次のようにまとめられます。
    間違い・勘違い・曲解を重ねた結果、これまでの常識・定説を誤りであると断定し、検証や論理的な考察といった地道な研究手続きをすべてすっとばして自己流の新説を立て、自信満々に大真面目にこれを主張する本、つまり‘エセ科学本’です。

    久保さんの本は、プロテスタント信者以外の人間にとっては、この条件にあてはまる「トンデモ本」といえます。で、彼の説ですが、僕が知識・情報として持っている久保説への反論を紹介します。

    >久保君の本で引用してるのは、地層が一気に短い時間で出来たとすると、と言う仮説です。こちらの方が、進化論のそれよりも、多く説明可能だと、言う訳です。

    久保氏がどこかの大学の教授を‘引用’しているという「地層が一気に短い時間で出来た」説ですが、まともな地質学者でこんな説を唱える人はいません。これは「すべての地層はたった一回の世界規模の洪水(ノアの洪水)できた」というアメリカのICR(Institute for Creation Research創造調査研究所)の創造科学論者の説です。ICR というのは、聖書原理主義・創造科学論者の総本山。つまり、仲間内の説を引っ張り合っているだけです。
     現在、創造説‘科学’論者は、科学者として見られていませんし、進化論や地質学を専攻している学者の中で、進化論を否定して創造説を科学的仮説として主張している科学者はいないというのが現実のはずです。(専門外の科学者の中には若干そういう方も見られるようですがね。)

     しかしながら、科学盲信を批判しながらも、その一方で、「創造論に立つ科学者が増えつつある」などと科学者の権威にすがるような喧伝を繰り返すのは、いかがなものかと思うのですが…。

    以下の説も全て、「すべての地層はたった一回の世界規模の洪水(ノアの洪水)できた」とする「洪水地質学」と呼ばれる創造科学論者‘だけ’が唱える説から生じたこじつけの主張です。そもそも、世界規模の大洪水の存在自体がこれまでの科学的検証の結果否定されているのですが(これも、既に世界の平和さんが紹介済み)、とりあえず、このスレッドに提示された説については検証してみたいと思います。

    >小さくて下等な動物は早めに洪水に飲み込まれて、逃げられる高等動物は上に上がったのだろう、と言います。

    逃げ足が早い動物は上層、逃げ足の遅い動物は下層とおっしゃりたいようですが、では、決して逃げることのできない植物の化石は、下層でしか発見されないのですか?また、人間が使っていた道具類や家屋は逃げられないわけですから、下層で発見されるはずなのに、そうした報告はありませんよね?石器や住居跡のひとつくらいは見つかってもよさそうなものです。  
    >先カンブリアとカンブリアの境界線だけでこぼこでその後からは、わりとなだらかであるから、大洪水でカンブリア以降の地層が出来上がった、と書いてあります。その地層を縦断している樹木の化石の写真が掲載されています。

    文脈から判断するに、「その地層を縦断している」とは、先カンブリアとカンブリアの境界を縦断しているということですか?そうだとすると、僕の知らない説ですので、詳しくお聞かせ願いたいです。
     だだし、創造説科学論者が、自説の証拠としてよく使用する複数の地層を貫通する樹木の化石の写真についておっしゃっているのであれば、これは既にあちこちで論破されています。地層を縦断する樹木の化石が洪水によって押し流された木片と考えるのであれば、複数の地層が一気にできあがったことの証拠になるようにも一見思えるのですが(実際はそう簡単ではありませんが)、それらの樹木の化石の多くは、細かい根っこや枝までくっついた状態で見つかっています。つまり、これらの樹木の化石は、押し流された木片ではなく、そこの地層に根ざしていた生きた木であって、その上を洪水による土砂がおそったことになります。とすると、木の化石は最下層でしか見つからないはずですが、実際は…?

     参考までに、創造科学論者の総本山IRCにおいても、さすがに現代の地質学の常識を根底から覆すような説を、地質学者や科学者の検討も経ずに(経たら、笑い飛ばされるに決まってるし)唱え続けることに少々恥じらいを感じた人もいるらしく、これまでの創造説科学論の根幹であった「すべての地層はたった一回の世界規模の洪水(ノアの洪水)できた」説を翻す創造科学論者も出てきたそうですよ。

    何をリアルと感じるかというのは、個人の感じ方の問題で「ご自由に」という範疇なのですが、「進化論は、リアリティの面で分が悪いんでしょう?」といった発言を立て続けに提示された場合、「そんなことはないと思います」という僕の意思表明は当然許されるはずです。
     僕の知識や情報も、泥縄式読書・情報収集の結果であり付け焼き刃にすぎません。ですが、久保さん達の創造科学の論に触れた際に、「なんか、おかしいこと言ってない?」というひっかかりがあったわけです。そのひっかかりを、他の本やネットやそちらに明るい人たちから知識を仕入れることで確認してきました。そして、創造科学と、創造科学を批判する立場を両方比較した結果、「創造科学の方がおかしなこと言ってる!」という判断に至ったわけです。
     その最大の理由は、自説を批判された創造科学者の側からの反論がほとんどないこと、あったとしても、まともな説得力を持っていないこと、です。僕は、文系の人間ですから理科系の専門分野には暗いのですが、そういう専門知識以前の問題でも、そもそも彼らの前提の置き方、論の組み立て方・論法が根本から間違ってないか?と思えて仕方がないのですよ。

    >それでいま、進化論よりも「合理的説明」が多いのは、反・進化論なんだろ?これも違うのかい?

    違うと思います。
    僕は、反・進化論(つまり、創造科学論です)が、何かを「合理的に説明」してくれたものを読んだことがありません。「進化論よりも「合理的説明」が多いのは、反・進化論だ」という主張は、反・進化論側が自画自賛で言っているのしか聞いたことがありません。いったい何を「合理的」に説明してくれているのかを、はっきりと提示して欲しいと思っています。
     確かに、現在、進化論が不完全な理論であるという認識は広く持たれています。しかし、だからといってこの前提から、創造科学論が進化論に取って代わる説に成り得るという結論が単純に導き出されるわけはないのですから。

    というわけで、現時点では、僕にとって創造科学はトンデモ説です。
     しかし、僕の常識をくつがえす反論・反証があるならば、是非知りたいのです。だって、そっちのほうがおもしろいから。創造科学者側のまともな反論というのがあるのならば、それを知りたいです。今回、もしかして、それが見つかるかなぁ、と思ってしまったのです。

    この場で、「進化論VS反・進化論」「創造科学VS反・創造科学」論争を始めるつもりは、一切ありません。僕は、本スレッドで創造科学の側の説が断定的な事実であるかのように受け取れる表記をされたのを受けて、反対の説をあらためて提示したにすぎません。
     これらの創造科学批判についてのサイトは、いくらでもネット上にあります。僕がここに示した反論も、そうしたサイトでより詳しく読むことができます。興味を持たれた方は、創造科学の紹介のサイトとそうした批判サイトを両方読み比べてみて、ご自身で判断されることをお勧めします。

    繰り返しますが、僕が異を唱えたいのは「創造‘科学’論」です。『創世記』を貶めるつもりも、キリスト教徒の方の信仰を軽んじる意図もないことを、改めておことわりしておきます。

    最後に、トンデモ本に興味を抱かれた方へ
    僕が好きなトンデモ作家にコンノケンイチ氏という人がいます。「相対性理論は自分がわからないから間違っている!」「四次元なんてもんは、どこを見渡しても見えないから存在しない!」という力業で、現在の宇宙物理論を一蹴しまくる好人物。「私に理解できないものは間違いなのだー!」が、コンノ理論の真骨頂です。『ホーキング宇宙論の大ウソ』(徳間書店)は、お勧めですよ。

  • sasuさん

    2004/5/16 18:53 by 山オヤジ

    どこかで「映画」に結び付けていかないと、議論になりませんね。

    ラスサムの謎解きから、パッションに来て、私なりの感想なんです。
    映画の背景には、こうこう、こういうものがある。と言うことですね。

    誤解から始まった、sasuさんとの売り言葉に買い言葉」には私にも当然、半分責任はあります。

    私は、「トンデモ本」には興味がありません。
    久保氏の著した「創造論の世界」のどの部分がトンデモ(荒唐無稽)であるのか、ご指摘頂けませんか?

    あの本に「久保説」などは思い当たりませんが。
    たとえば、ニュートンの編集長で物理学者の竹内均氏は
    こう述べた、他のだれだれはこう言った、とあります。
    私には、「竹内均」の言動のウラを取る事は不可能です。

    何れにしろ、創造論と進化論の対立構造があり、米国にあっては、非常に重大な問題であるのでしょう。
    911があり、今イラクがあるわけですから。その上でパッションもあるのだと思いますが。

    「科学」そのものに対する疑問など感じた事はなかったですから、いいきっかけになりました。その点はお礼を申し上げます。

    しかし、進化論の成り立ちの概要を知り、創造論を少し知ると、私は進化論よりも創造論の方にリアリティを強く感じます。3月の末に久保氏の「創造論の世界」と日本文芸社の「おもしろいほどよくわかる 進化論の不思議と謎」を一緒に買ってきて読み比べた結果です。更にその前に、ジェレミー・リフキンが書いて、上記の竹内均氏が訳した「エントロピーの法則 T・U」(推薦文は糸川英夫)を連続的に読んでの、このスレッドの感想文です。

    糸川英夫、竹内均、とくればミーハー科学ファンの私にとっては、もうブランドイメージですから、「即・買い」なんです。

    「進化論」の専門学問分野は無いそうですから、判りやすい「進化論」みたいな本は難しいのでしょうね。

  • Re: あほらし、金返せ!

    2004/5/17 2:08 by 未登録ユーザsasu

    >山オヤジさん

    返信をいま書いてます。
    次のレスで、参考になりそうな本をいくつか紹介できたら…と思っています。
    今日中(日付代わったからね)にアップできると思います。

    >最大素数さん

    拝読いたしました。
    とりあえず、そのご連絡まで。

  • 今回も長文。

    2004/5/17 15:31 by 未登録ユーザsasu

    [ID:i81978]sasuさん への返信になります。

    >どこかで「映画」に結び付けていかないと、議論になりませんね。

    最初にお断りしたとおり、僕は「パッション」は見てませんから「映画」に結びつけての返信はできません。「脱線」であることをお詫びした上で書き込みを始めてます。ご了承下さい。

    >久保氏の著した「創造論の世界」のどの部分がトンデモ(荒唐無稽)であるのか、ご指摘頂けませんか?

    山オヤジさんが述べた「地層が一気に短い時間で出来た」という久保さんがどこからか‘引用’してきた説のあやしさについては既に指摘したとおりです。それから、山オヤジさんが、久保氏の本から引用されたという2つの説、

    >小さくて下等な動物は早めに洪水に飲み込まれて、逃げられる高等動物は上に上がったのだろう、と言います。
    >地層を縦断している樹木の化石の写真

    これらについても、具体的にその誤りを指摘しました。

    >あの本に「久保説」などは思い当たりませんが。

    もしかして、山オヤジさんは、久保氏のオリジナルな説は無く引用だけしかしてないから、単なる紹介書である『創世記の世界』はトンデモ本ではないとおっしゃるのかな。
     いくら引用が中心だと言っても、何を引用するか選ぶのは久保さんです。久保さんの本なのですから、久保さんの意図・主張は如実に反映されてますよ。当然、この本から彼の「自説」ははっきりと浮かび上がってきます。久保さんは、自分が知っている説を引用することによって、自分の考えの正当性を主張しようと考えているのです。
    彼が何を主張していたかというと、「創造論は科学である」という「創造科学説」です。つまり、久保説とは
    「進化論なんて嘘っぱち!創造論こそが、真に正しい科学的な論なのだ!!」
    というものです。彼の引用した説や物証は、この主張を多くの人に納得させるがための材料として使われてます。「竹内均」という名前もそうです。

    僕は、久保さんの提示した材料は非論理的に引用されていて極めて信憑性に薄いと判断しました。創造科学は「エセ科学」だと考えますので、エセ科学をまるで科学的学説のように紹介した『創世記の世界』にトンデモ本の評価を下したわけです。

    >たとえば、ニュートンの編集長で物理学者の竹内均氏は
    >こう述べた、他のだれだれはこう言った、とあります。
    >私には、「竹内均」の言動のウラを取る事は不可能です。

    竹内氏の言動に限らず、引用されている論説や文章には慎重にならなくてはダメです。つまり、できる限り、ウラをとる努力をすることです。
     場合によっては、引用者に都合がいいように文の前後が省かれている場合もあり、原文と全く意味が変わってくる場合もあるからです。著者の誤解・曲解・勘違いによって引用説の元の意味ががゆがめられている可能性も高いんですよ。

    例えば、久保さんの著作を始めとする創造科学本では、
    「進化論では、Aという事象はあり得ないと述べているがそれは大きな間違いである。Aは存在する。このような間違いを平気で主張し続ける進化論はいいかげんなものなのである。」
    といった表記がよく見られます。
     しかし、Aは確かに存在するものの、そもそも、進化論では「Aという事象はあり得ない」なんてことを主張してはいないんですが…、という間違った進化論批判がよく見られます。つまり、相手の主張を間違って理解した上で、これを「お前間違ってるぞ、やーい」と批判する、という2段階の間違いです。進化論側としては、言いがかりもいいとこで、「そんなぁ、こっちが言ってないことについて責められても…」って感じでしょう。
     これは、創造科学が進化論を批判する際にものすごく多く見られる、トンデモない論の展開方法です。

    僕は、引用元(書籍や論文名とその著者名、出版社等)が明示されていなければ、まず疑ってかかります。また、引用されている人物の学説の傾向を調べてみるのも、その引用の信憑性を調べるのに有効です。

    >糸川英夫、竹内均、とくればミーハー科学ファンの私にとっては、もうブランドイメージですから、「即・買い」なんです。

    あちらさん(久保さんたち)は、それが狙いなんだと思います。そういう先入観は、思考能力を止めてしまいますから。

     ちなみに、僕の認識では糸川氏は、かなりイイ線いってるトンデモ博士です。もちろん、ロケット工学の分野では素晴らしい業績を残された方なんでしょうが、他の分野では結構むちゃくちゃなことを言ってますよ。『般若心経と最新宇宙論』(絶版かな?)、読んでみたらいかがでしょうか。かなり、トンデモない事を言ってます。
     竹内均氏は、「学問の名を借りた巧妙な反知性的プロパガンダの書」(グールド『嵐の中のハリネズミ 』)と批判された 『エントロピーの法則(II)』という創造科学本の訳をされてるし、創造科学寄りの立場なのかな、とも思うんですが、別の創造科学本の批判をしてたりするんですよ。だから、いまひとつその意図を掴みきれないところがあるんです。ですが、科学的には全くナンセンスだとされている説を、「おもしろい説」として紹介することも多かった方のようなので(見るからに茶目っ気があるし)、そうした流れのひとつに、久保氏に引用されたような言動があったのかもしれないと考えてます。

    ある一分野に秀でた人であっても、全てにおいて正しい見解を示しているとは限りませんよ(というか、そんなことはありません)。
    既存の説・定義の盲信が危険なのと同じように、権威ある学者の言ったことだからと簡単に信じてしまうのも、とても危ないと思います。

    >「進化論」の専門学問分野は無いそうですから、判りやすい「進化論」みたいな本は難しいのでしょうね。

    進化論は、現在も議論が続けられている不完全な理論で修正・拡張も絶えず行われているようなので、素人がその全容を理解するのは難しいのかもしれません。僕もよくわかってないし。ただ、その基本を押さえることは可能ではないかと思います。
    (誤解しないでほしいのですが、「進化論」の‘中’で論の修正・拡張が行われ続けているわけで、これは、「進化論」そのものをぶちこわすような‘科学的’な説が新しく生まれてきているという意味ではありません)

    >何れにしろ、創造論と進化論の対立構造があり、米国にあっては、非常に重大な問題であるのでしょう。
    >911があり、今イラクがあるわけですから。その上でパッションもあるのだと思いますが。

    こうした山オヤジさんの興味と直接結びつくかはわかりませんが、現代社会に生きる人々にとって、創造説や進化論がどのような意味を持っているのか、という問題については、僕も多少興味を持ってるので、その点で参考になりそうな本を紹介します。

    ・長谷川寿一・長谷川眞理子著 『進化と人間行動』 (東京大学出版会 )
      「進化論」というよりもむしろ「進化」という概念についての本。「現代の病巣の原因は進化論にあるのではないか?」という考えを少しでもお持ちだとしたら、その疑問の答えになるかもしれません。内容的にもわかりやすい本です。

    ・ナイルズ・エルドリッヂ著・渡辺政隆訳『進化論裁判』(平河出版社)
      『エントロピーの法則(II)』を読まれたなら、今度はこちらを読んでみてください。絶対に比較が必要です。前述した『嵐の中のハリネズミ』(グールド)は、 『エントロピーの法則(II)』を名指しで批判した本なのでこちらでもいいんですが、ちょっと難解なんで『進化論裁判』の方をお勧めします。今回も話題に上った地質年代や化石などの創造科学説が主張する物証についても、詳しい検討があります。また、この本では、山オヤジさんが興味をお持ちのアメリカでの反進化論運動がどういう問題をはらんでいるのかがよくわかります。

    ・鵜浦裕著 『進化論を拒む人々 現代カリフォルニアの創造論運動』(勁草書房)
       アメリカでの反進化論運動についてならば、これもわかりやすいです。創造科学や進化論の内容にはそれほど踏み込んではいませんが、社会の事象・傾向としての「創造論」「反・進化論」派の動きを掴むことができます。

    ・大谷順彦著『進化をめぐる科学と信仰』 (すぐ書房)
      これはイチオシです。クリスチャンからの「進化論」考察です。久保さんの『創世記の世界』と比較されることを是非お勧めします。方や牧師、方や信徒ではありますが、その考察の深さの差は比較になりません。キリスト教信徒が、自分の信仰の中で、進化論という科学とどのように折り合いを付けていくのか?宗教と科学の意味など、僕のような信仰を持たない人間にとっても、深く考えさせられるテーマです。

    >しかし、進化論の成り立ちの概要を知り、創造論を少し知ると、私は進化論よりも創造論の方にリアリティを強く感じます。

    失礼にならないような言い方が出来ず恐縮なのですが…
     これまでのやりとりから察するに、はっきり申し上げて、山オヤジさんは、「進化論の成り立ちの概要」についても、「創造論」についても、まだ不十分な知識しかお持ちではないように思えます。
     ある本が、真の知識を伝えてくれている価値ある書なのか、それとも、偽物をもっともらしくセンセーショナルにぶちあげただけのエセ科学本なのか、これを見分けるのは実は大変なことです。
     こうした偽物にひっかからないためには、基礎的な科学の知識とともに、科学的な思考が絶対に必要だと思います。山オヤジさんが、今後も本物の知識を求めて読書を続けるつもりならば、この点を是非もういちど考えてみてください。

     「基礎的な科学の知識」は、高1までしか理科はやってない、数学は赤点の僕程度でもなんとかなってますんで、高い専門性は求められないでしょう。高卒レベルで充分かと。
     おそらく、より大事なのは「科学的な思考」の方です。思考のトレーニングとでも言うのでしょうか。理屈が通っていない、筋道だっていない文章や論に対して「あやしい!おかしい!」というアンテナがちゃんと反応するか、これは重要ですよ。

     この二つのスキルを身につけずに手当たり次第に情報だけを詰め込むと、オカルトに傾倒したり、カルト宗教に魅せられてしまうということにもなりかねません。つまり、魅力的な「偽物をもっともらしくセンセーショナルにぶちあげただけのエセ科学本」に出会ったとき、その真の姿に気がつかないまま、夢中になってしまうんです。
     オウム信徒の中には、既存の価値観や常識では満足できず、あらゆる方向に、自分自身が納得できる真理を求めた結果、あそこまで行き着いてしまった…という人も多かったのではないでしょうか。

    くだくだと書きましたが、本も科学者も論理も学説も、玉石混交なのです。今はインターネットという情報ツールも手伝って、自分次第でこれらのほとんどを手に取ることができます。問題はその次の段階です。これらを、正しくより分ける眼識を身につけることが、これだけ情報が氾濫する現代においては何よりも重要なことではないか、と僕自身、自戒しています。

    紹介した本の1冊でも手に取っていただき、その上で、あたらめて「進化論」と「創造論」というものについて、直感的な「リアリティ」以外の感想、つまり論理的な考察を経て導きだされた判断をしていただけたら、僕のこの長い書き込みも意味があったと思えるのですが…。

    とにかく、紹介した本を読んでみてください。
    この段階にいたって、僕に言えるのはそれだけです。

  • sasuさん

    2004/5/17 19:19 by 山オヤジ

    ご丁寧に有難う御座います。

    ご推薦の図書も、仰る方向で読んで見ようと思います。

    社会的、政治的な意味に於いて、両論の立場の争いは何となく理解するのですが、地層の化石(地質学の範疇ですか?)の年代特定に関しては、世界の平和さんとの対話にも在りましたように、70通りもあるのであれば、70通りの「仮説」もあるのでは無いか、などと考えてしまうわけです。この辺も「科学的」にものを考えると言う事も合わせて、勉強していきたいと思います。

    同じ本を読んだ上での対話に、上手に表現できなかった自分を大いに反省するところではありますが、「創造論の世界」の120P〜122Pの記述に関して、sasuさんにもう一度お読み頂いた上で、また新たな対話がなされる事が出来れば、と思います。

  • >山オヤジさんへ

    2004/5/19 23:49 by 未登録ユーザsasu

    僕と山オヤジさんしか(おそらく)読んでいないと思われる本についての話を続けてしまうのは、掲示板を閲覧している多くの方に対して、気が引けるのですが、とはいえ、このままでは僕も気になるので、あとちょっとだけ続けましょう。
     でも、この話はキリがないし、「進化論VS反・進化論」論争になってしまうと僕にとっても負担が大きいので、「創造科学」についての返信は、これを最後にしたいと思います。(あとは、紹介した本に直接あたってください。)

    >「創造論の世界」の120P〜122Pの記述に関して、sasuさんにもう一度お読み頂いた上で、また新たな対話がなされる事が出来れば、と思います。

    「地層を縦断している樹木の化石の写真」についてですね。
    僕は先のレスで、樹木の化石が流木ではなく自生していた木だった、いう例を挙げ、久保さんの主張に矛盾が生じることを指摘しましたが、久保氏はこれらの木の化石を全て押し流された流木だとして論を進めていますね。(そういう木ばかりではない、という事実を無視している時点で、ズルをしてる訳ですが…)
     では、とりあえず、久保さんのこの主張を受け入れることにしましょう。

    120頁4行目「…それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈している。こうした事実は、進化論で言うように、地層が非常に長い年月をかけてゆっくりできた、という考えでは説明できない。これは、大洪水〈*〉によって急速に地層が形成されたことを示す、一つの強力な証拠である」
       
    〈*〉前段の記述から、この「大洪水」とは、世界的規模の大洪水、すなわち「ノアの洪水」という特定現象をさす。

     「おいおい、証拠になんてなんないよ!!」と思わずツッコミを入れたくなるスゴイ論理展開です…。
    まず、一番大事な点ですが、進化論が「地層は、常に非常に長い年月をかけてゆっくりできる」と言い張っているというのは事実無根です。進化論者は、台風とか川の氾濫や洪水などで急速な堆積が起こり地層が短期間に形成されるという現象があることをちゃんと認めています。
     確かに、「急速に堆積層が積み重ねられた」という地層観測から、「その時期に台風や洪水があった」とする予測は可能です。
    かといって、どうしてここに挙げられた樹木の化石が、「ノアの大洪水」という一度の世界的大洪水でできた化石だ、と断言されるのか?

    「地層を縦断している樹木の化石」がある、この化石が発見された地層は、急速な堆積で短期間に形成された地層と考えられる。
    ここまでは、まぁ、いいでしょう(これについては、別の方面からの反論も可能のようですが)。
    でも、だからといって、この洪水や台風を、即「(世界規模の)ノアの大洪水だった」と結論づけてしまうことが、どれほど飛躍しているかということは、ご理解いただけるのではないでしょうか。

     だいたい、この木の化石を「一つの強力な証拠」として提示するのであれば、【オーストラリアのニューキャッスルのもの】なんてアバウトなキャプションだけで済ませるってのは、どういうこったい。せめて、どのあたりの地層にまたがっているのかぐらいは明示してくれよ。比較的下の部分の地層をまたがっているのか、上層部をまたがっているのかで、話はまた全然かわってくるんだぞー、なんてことも言いたくなります。

     創造科学論者たちは、グランドキャニオン他地球上の地層は、全世界的な一度の大洪水によって出来あがった、と言ってます。
     しかし、久保さんは一切ふれてませんが、ノアの洪水と見なせるような世界的な大洪水が発生した可能性は、すでに19世紀前半の段階(ダーウィン以前)で、創造科学者達自らによって否定されてます。その見解は、検証を深めつつ、科学的な分析結果として現在も支持され続けています。「なんらかの洪水はあったと考えられる。しかしながら、かといって、それは『創世記』に書かれたような世界規模の洪水ではありえない。」これが、現在、広く支持されている見解だと僕は解釈しているし、これに賛同しています。

    久保さんは、進化論を過小評価してるというか、本当の意味で理解できてないんだと思えます(というか、理解するつもりがないんでしょう)。「進化論では、こういってるが…」としている部分が、ほとんど間違ってるもの。彼の言う「進化論者」って、いったい誰?という感すらあるのです。
    ちなみに、この本で随所に出てくる「○○という現象は、進化論では決して説明できないのである。」って感じの表現は、信じてはダメですよ。そんなことないから(苦笑)。

    120頁7行目「また、進化論によれば、下の古いとされる地層からは、単純で下等な生物の化石のみが発見されるはずで、より高度な形態を持つ生物の化石が下の地層から発見されることはないはずである。しかし、実際には、より高度な形態を持つ生物の化石が下の地層から発見されることが、しばしばある。」

    このあたりでだまされてはいけません。「進化論では、…はないはずである。しかし、実際には…、しばしばある」僕が指摘したトンデモ論理展開そのまんまではないですか。
     だいたい、「より高度な形態を持つ生物の化石が下の地層から発見されることが、しばしばある。」というならば、その「しばしば」発見された内容を明示してくれないと。この文章からだと、なにもわからないですよ。この本では、恐竜と人間は同時代に共生していたとも主張してますが、恐竜の化石よりも下層で人の化石が見つかったとでもいうんでしょうか。どういう高度な生物の化石がどこの国のどの地層に見つかり、その下層の地層からどういう下等生物が確認されたのか、一つの例示もないのはどうして? 明らかに、詳述することを避けてますよ。「ある」と言い張るだけ。怪しさ満点。

    さらにいえば、進化論は化石という物証だけに頼った論ではありません。化石は進化論の裏付けになりますが、万が一化石がなくても、進化論が破綻するわけではないんです。化石は生物進化の絶対的条件である、これをくずせば進化論は破綻する、という主張が創造科学者にありますが、これは嘘ですからね。

     それから、僕は山オヤジさんに、引用元をたどれ、と言ったけど、この本では無理ですね。引用は、別の本(当然、創造科学本)に引用されたものの孫引きばっかり。それでも、ちゃんと原拠をしめしているんならまだいいけど、まったく表示無し。出典をたどれないようになってる。そういう姿勢の本を、信用できますか?

    先に紹介した本をしっかり読めば、久保さんの書いていることがいかにあやしいかは、明白です。

    まぁ、僕がぐだぐた書くよりも、まともな書物から答えを得た方が、確実です。僕が今、山オヤジさんにしている話だって、いわゆる又聞きの引用の引用にすぎないかもしれません。いわば、ネットにあふれる不確定情報のひとつです。いろんな説を、慎重に吟味してくださいね。

    まず、1冊目としては『進化論裁判』が、よいのではないかと。

  • >最大素数さんへ

    2004/5/19 23:53 by 未登録ユーザsasu

    とりあえず、書きたいこと・書くべきだと思ったことは書いたので、このあたりで退場したいと思います。

    先日の僕宛のコメントには、感謝してます。おかげで、冷静に事に対処できました。
    憎まれ役をさせてしまい、すみませんでした。

    …なーんて、もちろん、楽しんで演じられていたのだろうなぁということも、察せられるのではありますが(笑)。

    なんにせよ、感謝の気持ちに変わりはありません。
    遅くなりましたが、お礼申し上げます。

  • 「トンデモ」が判りました。ありがとうございます。

    2004/5/20 4:17 by 山オヤジ

    >久保氏はこれらの木の化石を全て押し流された流木だとして論を進めていますね。(そういう木ばかりではない、という事実を無視している時点で、ズルをしてる訳ですが…)

    「流木」なんて書いてありませんよ。(笑)
    ”木の化石の中には、ときには幾つもの地層にわたって、貫いて存在しているものがある。いまだにまっすぐ立ったもの、また斜めになったものや、上下がひっくりかえったもの等いろいろあるが、樹幹が幾つもの地層を貫いているのだ。それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈している。”(120P 1行目から)

    これが、「全部、流木だと言っている」となりますか。
    時間が無かったので「立ち読み」してきたのですか?慌てて。

    兎に角、貴方がとても根強く「創造論」に反対している事は判りました。私と貴方(sasuさん)と最大素数(sosuさん)さんのやり取り、随分疲れましたが、大いに無駄な時間を過ごさせて頂きました。

    でも、もうすでにそういうお仕事されているのかもしれませんが、トンデモ本はこう作れ、或いはこう作られる、と体現してくださったのですね。有難う御座います。
    もう、お二人の名前も見かけることも無いと思います。
    どうぞ、「お仕事」頑張ってください。「職業に貴賎なし」ですよね。


    私の貴方に対する疑問は、何故同じ本を読んでいると言い張るのに、そんな質問をするのだろう?

     では、とりあえず、久保さんのこの主張を受け入れることにしましょう。

    120頁4行目「…それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈している。こうした事実は、進化論で言うように、地層が非常に長い年月をかけてゆっくりできた、という考えでは説明できない。これは、大洪水〈*〉によって急速に地層が形成されたことを示す、一つの強力な証拠である」
       
    〈*〉前段の記述から、この「大洪水」とは、世界的規模の大洪水、すなわち「ノアの洪水」という特定現象をさす。

     「おいおい、証拠になんてなんないよ!!」と思わずツッコミを入れたくなるスゴイ論理展開です…。
    まず、一番大事な点ですが、進化論が「地層は、常に非常に長い年月をかけてゆっくりできる」と言い張っているというのは事実無根です。進化論者は、台風とか川の氾濫や洪水などで急速な堆積が起こり地層が短期間に形成されるという現象があることをちゃんと認めています。
     確かに、「急速に堆積層が積み重ねられた」という地層観測から、「その時期に台風や洪水があった」とする予測は可能です。
    かといって、どうしてここに挙げられた樹木の化石が、「ノアの大洪水」という一度の世界的大洪水でできた化石だ、と断言されるのか?

    「地層を縦断している樹木の化石」がある、この化石が発見された地層は、急速な堆積で短期間に形成された地層と考えられる。
    ここまでは、まぁ、いいでしょう(これについては、別の方面からの反論も可能のようですが)。
    でも、だからといって、この洪水や台風を、即「(世界規模の)ノアの大洪水だった」と結論づけてしまうことが、どれほど飛躍しているかということは、ご理解いただけるのではないでしょうか。

     だいたい、この木の化石を「一つの強力な証拠」として提示するのであれば、【オーストラリアのニューキャッスルのもの】なんてアバウトなキャプションだけで済ませるってのは、どういうこったい。せめて、どのあたりの地層にまたがっているのかぐらいは明示してくれよ。比較的下の部分の地層をまたがっているのか、上層部をまたがっているのかで、話はまた全然かわってくるんだぞー、なんてことも言いたくなります。

     創造科学論者たちは、グランドキャニオン他地球上の地層は、全世界的な一度の大洪水によって出来あがった、と言ってます。
     しかし、久保さんは一切ふれてませんが、ノアの洪水と見なせるような世界的な大洪水が発生した可能性は、すでに19世紀前半の段階(ダーウィン以前)で、創造科学者達自らによって否定されてます。その見解は、検証を深めつつ、科学的な分析結果として現在も支持され続けています。「なんらかの洪水はあったと考えられる。しかしながら、かといって、それは『創世記』に書かれたような世界規模の洪水ではありえない。」これが、現在、広く支持されている見解だと僕は解釈しているし、これに賛同しています。

    久保さんは、進化論を過小評価してるというか、本当の意味で理解できてないんだと思えます(というか、理解するつもりがないんでしょう)。「進化論では、こういってるが…」としている部分が、ほとんど間違ってるもの。彼の言う「進化論者」って、いったい誰?という感すらあるのです。
    ちなみに、この本で随所に出てくる「○○という現象は、進化論では決して説明できないのである。」って感じの表現は、信じてはダメですよ。そんなことないから(苦笑)。

    120頁7行目「また、進化論によれば、下の古いとされる地層からは、単純で下等な生物の化石のみが発見されるはずで、より高度な形態を持つ生物の化石が下の地層から発見されることはないはずである。しかし、実際には、より高度な形態を持つ生物の化石が下の地層から発見されることが、しばしばある。」

    このあたりでだまされてはいけません。「進化論では、…はないはずである。しかし、実際には…、しばしばある」僕が指摘したトンデモ論理展開そのまんまではないですか。
     だいたい、「より高度な形態を持つ生物の化石が下の地層から発見されることが、しばしばある。」というならば、その「しばしば」発見された内容を明示してくれないと。この文章からだと、なにもわからないですよ。この本では、恐竜と人間は同時代に共生していたとも主張してますが、恐竜の化石よりも下層で人の化石が見つかったとでもいうんでしょうか。どういう高度な生物の化石がどこの国のどの地層に見つかり、その下層の地層からどういう下等生物が確認されたのか、一つの例示もないのはどうして? 明らかに、詳述することを避けてますよ。「ある」と言い張るだけ。怪しさ満点。

    さらにいえば、進化論は化石という物証だけに頼った論ではありません。化石は進化論の裏付けになりますが、万が一化石がなくても、進化論が破綻するわけではないんです。化石は生物進化の絶対的条件である、これをくずせば進化論は破綻する、という主張が創造科学者にありますが、これは嘘ですからね。

     それから、僕は山オヤジさんに、引用元をたどれ、と言ったけど、この本では無理ですね。引用は、別の本(当然、創造科学本)に引用されたものの孫引きばっかり。それでも、ちゃんと原拠をしめしているんならまだいいけど、まったく表示無し。出典をたどれないようになってる。そういう姿勢の本を、信用できますか?

    先に紹介した本をしっかり読めば、久保さんの書いていることがいかにあやしいかは、明白です。

    まぁ、僕がぐだぐた書くよりも、まともな書物から答えを得た方が、確実です。僕が今、山オヤジさんにしている話だって、いわゆる又聞きの引用の引用にすぎないかもしれません。いわば、ネットにあふれる不確定情報のひとつです。いろんな説を、慎重に吟味してくださいね。

    まず、1冊目としては『進化論裁判』が、よいのではないかと。

  • お疲れさまでした>sasuさん

    2004/5/20 10:23 by 最大素数

    いやあ、そこまで「察せられ」ておられたということでしたら、いえいえそんなあ、と、白を切らざるを得ませんねえ(笑)。
    「退場」の前に、一つだけお聞かせねがえませんか。
    「流木」についてです。

    [ID:i82395]「>山オヤジさんへ」での、

    > 「地層を縦断している樹木の化石の写真」についてですね。
    > 僕は先のレスで、樹木の化石が流木ではなく自生していた木だった、いう例を挙げ、久保さんの主張に矛盾が生じることを指摘しましたが、久保氏はこれらの木の化石を全て押し流された流木だとして論を進めていますね。

    から、久保氏が、自生しているかいないかには触れず、単に「樹木」として扱っていることに対して、ちゃんと「自生」している樹木と言わないのはズルイ、と仰っていると理解しました。つまり、自生していた樹木では都合が悪い(*1)ので曖昧にしているとしか思えないのだが、ならば、あの樹木は全て「流木」だったと言い張っていると受け取って良いか、もしそうならば・・・、という論立てでの「流木」発言と理解しました。

    ところが、[ID:i82424]「「トンデモ」が判りました。ありがとうございます。」ではこれに対して、

    > ”木の化石の中には、ときには幾つもの地層にわたって、貫いて存在しているものがある。いまだにまっすぐ立ったもの、また斜めになったものや、上下がひっくりかえったもの等いろいろあるが、樹幹が幾つもの地層を貫いているのだ。それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈している。”(120P 1行目から)

    との引用をもとに

    > これが、「全部、流木だと言っている」となりますか。

    と、「流木」という言葉のみにこだわった反論(論?ま、いいか)があるだけですね。「自生」とも言っていないことには言及していないのですが、sasuさんの議論はまさにそこ(「自生」とも言っていないこと)から始まっているように読めたのですが、なにしろわたしはこの本を読んではいず(*2)、ひょっとするとわたしの読み違いかとも思い、確認させて頂きたく思う次第です。

    (*1)これについては先に[ID:i81934]「創造説‘科学’論について」2004/05/16で具体的に言及されていますね。更に[ID:i82101]「今回も長文。」2004/05/17で、この件については既に述べた旨の指摘があります。
    (*2)今後も読む気はありません。創造科学説って、基本的に地球の年齢はせいぜい長くても1万年、というところから始まるでしょ。で、その根拠はとてもマジメな考えとも正気とも思えなくて、真っ当な考察の対象にはなりません。
    が、トンデモ本ということでは例えば『灼熱の氷惑星』のような“トビスギ”本にはハマッてしまったりしますねえ(笑)。「信じる」のではなく、あまりの面白さに、バカバカしいことに気がつきたくないという心理が働き、ハナから否定論を無視したくなってしまうのですね。
     

  • ぽんさんへ・・・その2

    2004/5/21 0:45 by 未登録ユーザたこぽん

    こんにちは、ぽんさん。僕です、たこぽんです。
    少し間が開いてしまいましたが(これで結構忙しいです)、もしよろしければ、また、おつきあいください(いやなら結構です)。

    >大削除があったので、追加で書いた部分をごらんになってないのかしら。

    拝読しました。で、それがなぜか削除になったので、こうして書いてる次第なのです。
    そうでないと話が中途半端なかたちになってしまうので。

    >互いにわかりにくいところや、伝えにくいところがあるのですから、お互いに揚げ足取りはやめましょう。

    同調いたしかねます。「わかりにくいところや、伝えにくいところがある」からこそ、意思疎通がうまくいくようにと、互いの言わんとする語義や表現を確かめ合う必要があるのではありませんか? おっしゃることが逆だと思うのですが。日常生活でならいざ知らず、こういう場では必要なことかと。

    >写実的と、写実主義的が違うという、そんな揚げ足取りなどどうでもいい
    ・・・ダカラ、マチガウンデスヨ。

    >奇跡の丘、について批判して、パッションが良い。という書き方をしていないのですよ。

    『奇跡の丘』を批判したからあなたが気に入らない、なんて書き方、僕がどこにしましたか? デタラメ書くのもいい加減にしてください。もしそういう箇所があるなら、具体的に指摘してください。・・・出来ないでしょう? 「ご覧になってあれこれおっしゃる分にはなにをおっしゃっても全然オーケー。観ていない(観たけど覚えていない)のに、あれこれおっしゃるのでノー。」と申し上げているのですよ。分かりませんか?

    と、前置きはこれくらいにして・・・。
    前回、私の書いた内容について特にぽんさんのほうからの実質的な反論は見当たらないので、ぽんさん同意ということで話を進めます。よろしいですね?(「揚げ足取り」については上述の通り)。

    ちなみに、僕の意図は、ぽんさんのお書きになったもののおかしさを指摘することにあるのであって、ぽんさんのおっしゃるような『奇跡の丘』VS『パッション』談義がしたいわけではありません。
    で、今回は、前回の続きの「無神論の立場からキリスト教を描いた」についてやろうと思いましたが、思い直しました。せっかくなのでぽんさんお望みの「時間の流れ」の話を先回しにすることにしました。特別サービスです(しかし、なぜ私がぽんさんにサービスせにゃあかんのか)。・・・では、今回も理詰めで行きますね。

    さて、ぽんさんの問いかけは、前回の言い方で言い直すと、

    >キリストの一生をフィルムで見せたのが奇跡の丘。
    12時間に密度を高めて、時間の流れも現実に近いような速度で見せたのがパッション。
    この二つの違いについて、「どうお考えですか?」

    ・・・ですね。さらにこれを遡ると、

    >これまでのキリスト映画は、キリスト人生のダイジェストとキリスト教とはなんぞや?ってやったんだけど、12時間に縮めたので、「キリストとはなんぞや?」ってことを、キリストの息遣いまで感じさせる映画ができたってことなんであって、この映画的意味があるわけですが、

    これは、この表現方法になんで変わったのか?

    という部分に議論する面白さがあるわけですよ。

    ・・・ですね。そして「これまでのキリスト映画」の例として『奇跡の丘』を挙げたということですね。

    つまり、ぽんさんの問いかけのポイントは、こうなると思います。

    (A)かつてのキリスト映画は「一生」をダイジェスト風に描くものであったが(『奇跡の丘』はその一例)、『パッション』において、その流れが「一生」から「12時間」に変わった。そこに映画的意味がある。
    (B)それでは、『奇跡の丘』の「一生」と、『パッション』の「12時間」という「時間の流れ」の映画的意味の違いとはなにか? ほれほれ、答えてみんかい。

    ・・・結論から言ってしまうなら、ぽんさんの問いかけは、映画に関する「知識」の不足と「見識」の不足からくる、ナンセンスな問いかけだというのが、僕の考えです。以下、順を追って述べます。

    (A)について。

    ぽんさんはこうおっしゃいます。
    >これまでのキリスト映画は、キリスト人生のダイジェストとキリスト教とはなんぞや?ってやった

    いったい、この見解はどこから手に入れたのだろうか? と疑問に思います。単なるぽんさんの先入見ではないかと。 というのは、ちょっと調べてみれば分かりますが、過去のキリスト映画は決してワンパターンに「一生」を扱ったものばかりでなく、様々なアプローチが昔から取られているからです。「一生」を扱っている映画は確かにたくさんあります。『キング・オブ・キングス』(1961)、『偉大な生涯の物語』(1964)、『ナザレのイエス』(1977)、『ジーザス』(1979)。・・・しかしそれと同様に、(主として受難にスポットを当てて)キリストの生涯の一場面を切り取った映画も多数存在するのです。『キング・オブ・キングス』(1927)、『ゴルゴタの丘』(1935)、『ジーザス・クライスト・スーパスター』(1973)、『最後の誘惑』(1988)、『キリスト最後の日』(1980)・・・最後のものは、キリストの最後の(12時間ならぬ)24時間を扱ったテレビ映画で、時間の流れが現実に近いという点では『パッション』に似ています。日本でも1991年(だと思う)に放送されました。もちろん、観ていますよ。

    というわけで、すでにこの時点で、ぽんさんの拠って立つ前提が誤りであることが分かりました。つまり「一生」から「12時間」への「変化」などないのです。したがって、

    >これは、この表現方法になんで変わったのか? 

    という問いかけ自体も、意味をなさないことになります。
    それぞれの作品が、それぞれのアプローチをとって、さまざまなキリスト映画を昔から作っているのです。ですから、先入見を捨てて、個々の作品に虚心に接することがまず必要なのです。そういう基本的な検証が、ぽんさんの立論には欠けているのです。

    ・・・以上、「知識不足」についてでした。

    では、次に(B)における「一生」と「12時間」の対比という問いかけについての見解を述べます。
    これはもう、ナンセンスそのものです。
    なぜならぽんさんが『奇跡の丘』を、ご覧になっていない(観たけどほとんど覚えていない)からです。
    観てない映画と観た映画を並べて、その「映画的意味」を比較するって、なんでしょう、それ?
    観ていない映画について、その「映画的意味」を云々することが、なぜ出来るのでしょうか?
    映画そのものを観ずに言う「一生」っていうのは、単なる概念としての「一生」じゃありませんか。

    映画のなかで「一生」が、どういう意図の元に、どういうふうに表現されているか、それが分かって初めてその「映画的意味」が云々できるわけでしょう? 例えば語り方ひとつにしても、時系列に誕生から死までを描くとか、臨終の場面から始めて回想で一生を描くとか、フラッシュバックでアトランダムにパズルのように描くとか様々なやり方がありますよね。他にも演技とか、撮影とか、他の様々な表現要素がそこに関わりあいます。そうした様々な表現要素の照応関係を読み解くことが、「映画的意味」を知るということでしょう? 実際の作品を観ていなければ、そんなこと、わかりっこないじゃありませんか? そういうもの抜きにして「一生」という概念だけを取り出して、なにをしようというのでしょうか? 

    『パッション』はご覧になってるから問題ないけど、『奇跡の丘』は、ほとんど忘れてるんでしょう? それをどこぞやの怪しげな『映画評』から引っ張って、その受け売り(しかも恣意的な)で比較対象にしてるだけなんでしょう? 映像そのものの体験ぬきで、概念だけを云々する映像論なんて、タワゴトに過ぎないですよ。まずは現物をご覧になって、それから立論してください(結局のところ僕が言いたいのは、それです)。

    ・・・というわけで、(B)におけるぽんさんの問いかけは、タワゴトであり、意味がないというのが、私の見解です。

    ・・・以上、「見識不足」についてでした。

    以上により、ぽんさんの問いかけはナンセンスなので、お答えできない、というのが僕の見解です。
    どうでしょうか。

    ・・・それでは(長くなりましたので)今回はここまでとします。ではまたいずれ。

  • 正直、お手上げですが、>山オヤジさん

    2004/5/21 1:16 by 未登録ユーザsasu

    最後にもうひとがんばりしてみましょう。

    山オヤジ>「流木」なんて書いてありませんよ。(笑)

    山オヤジさん、笑ってる場合じゃありませんよ。
    真面目に考えてくださいね。

    あなたは、[ID:i81934]「創造説‘科学’論について」で僕が指摘する以前に、久保さんの書いている「地層を縦断している樹木の化石」が、「自生していた木」の化石であるかもしれないという可能性をちょっとでも考えましたか?
    答えは、否でしょう。あなたは、「地層を縦断している樹木の化石」が、流木だったのか自生していた木だったのかなんてことについては、考えてもみなかったはずです。ま、あなただけでなく、普通の人はそんなところに頓着しません。

    そして、僕が初めて、「自生していた木」の化石である場合には久保氏の説が破綻する、と、その木が「流木」ではないという可能性を山オヤジさんに提示します。しかし、山オヤジさんは僕の説明に納得することなく、再度「地層を縦断している樹木の化石」についての僕の見解を求めてきました。

    これはつまり、他でもない山オヤジさん自身が、久保氏の本に書かれた「地層を縦断している樹木の化石」は「自生していた木」の化石ではない、と判断したからでしょう?
     だから、「自生していた木」の化石である場合について述べた僕の説明では納得しなかったのでしょう?
     「地層を縦断している樹木の化石」は、「流木」「木片」であると、あなたが判断したんでしょう?

    確かに、久保さんは「流木」なんて書いてません。
    しかし、あなたは現実に、こんなにも強固に、自生した木ではなく「流木」だと思いこんでいるではないですか。
     そして、自分がこういう思い込みをしている、という事実に、あなたは全く無自覚なんです。そりゃもう、見事に。

    それは、なぜでしょう?

    引用>”木の化石の中には、ときには幾つもの地層にわたって、貫いて存在しているものがある。いまだにまっすぐ立ったもの、また斜めになったものや、上下がひっくりかえったもの等いろいろあるが、樹幹が幾つもの地層を貫いているのだ。それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈している。”(120P 1行目から)

    「それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈している」なんていうのは、明らかに、樹木の化石が、洪水によって押し流された木であると読める表現です。 こんな書かれ方をされて、さらに、ここにいたるまでにも、さんざん「世界規模の大洪水で、世界中のものが押し流された」ってな文章を延々繰り返し刷り込まれているわけですし、「大洪水で、木も沢山おし流されちゃったんだろうなぁ」くらいの解釈が一般的でしょう。

    あなたを責めているわけではありません。久保さんが狡いんです。文章を論理的に読めない人・基礎的な知識が不足している人が誤解するような文章を、わざと書いてるんですから。要するに、あなたは、久保さんのインチキ論理に、思いっきり騙されてしまってるんです。

    さらに細かいことを言うと、僕は、「全部、流木だと‘言っている’」なんて書いてません。これは、山オヤジさんの誤読・曲解です。正しくは、

    sasu>久保氏はこれらの木の化石を全て押し流された流木だとして論を進めていますね。

    「流木だとして論を進めていますね」。つまり、「全てが流木であるという前提で、論を進めている」です。
    そして、そうではない木(つまり、自生した木)の化石が発見されているという事実について、久保氏は全く触れていない。この時点で、彼の論立てはアウトです。

    もしわからなかったら、この化石の話から離れて、言葉のやりとりというものについて、もう一度考えてみてください。
     
    例えば、この部屋の中に誰かいるのか?という質問に、「男がいる」という答えが返ってきたとします。
     しかし、その部屋にいたのは、お母さんと赤ちゃんでした。
     つまり、問の答えにあった「男」である「赤ちゃん」に加えて、女である母親もいたのです。
     確かに、その部屋には男(赤ちゃん)がいます。ですから、答えはまちがっていませんし嘘でもありません。とはいえ、「部屋の中に男がいる」という表現だけでは、情報伝達としては全く不十分でしょう。だって「赤ちゃん」という属性にも言及してないし、「女がいた」という情報も省いてあるんだもの。

    僕がいってるのは、あえて「赤ちゃん」という一般的に「男」という属性よりも特徴がある表現を避けたり「女がいる」という情報を省いて、「男である」なんていう偏った情報だけを教えた人を、誠意がある情報提供者として信用できますか?というお話ですよ。
    さらに、「男‘だけ’しかいないなんて言ってないじゃん。年齢については聞かれてないしー」なんていう言い訳に納得できますか?ってこと。

    自生した木の化石という情報を提示しないという点が、久保氏の論のずるさなのです。つまり、自生した木の化石は、久保氏にとっては、都合の悪い情報なのです。
    自分にとって、都合の良いものだけを声高に語り、不利な情報・事実は全く紹介しない。これって、どうよ!?というのが、先のコメントで僕が批判した点なのです。
     久保氏は、繰り返し「進化論者は、自分たちに不都合な証拠を隠し続けている」と、進化論者批判をします。そういうお前はどうなんだよ!!と、言いたくなりませんか?


    山オヤジ>時間が無かったので「立ち読み」してきたのですか?慌てて。

    相も変わらず、失礼な方ですね(ため息)。
    僕も、一度激してしまったという負い目がありますから、双方に誤解があった、という言い方でこれまで謝罪もしてきましたが、実際に、誤解を重ね喧嘩をふっかけてきてるのは誰なのか、相手を「中傷」してるのが誰なのかっていうのを、自らはっきりさせてしまってますね…。
    なんというか、ちょっと見ているのがつらい感さえあります。

    山オヤジ>兎に角、貴方がとても根強く「創造論」に反対している事は判りました。

    僕も、時既に遅く、山オヤジさんが、完全に「創造科学」というトンデモ論に魅了されてしまっていて、もうどうしようもないのだ、ということがよくわかりました。まだ、入り口のあたりにいるのかな、だったら…と思ったんだけど。(最初は、「どちらも支持してない」なんて見栄を切られていたのにね。もしかしたら、僕への反感や敵愾心が、あなたの暴走を助長してしまったのかもしれないですね。)

    山オヤジ>私と貴方(sasuさん)と最大素数(sosuさん)さんのやり取り、随分疲れましたが、大いに無駄な時間を過ごさせて頂きました。

    この辺りの勘繰りもね…(ま、おもしろくもありますが。sasuとsosuかぁ。笑)。まぁ、創造科学というトンデモ論の信者さんだったとしたら、確かに、このやりとりは無駄だったことでしょう。

    山オヤジ>でも、もうすでにそういうお仕事されているのかもしれませんが、トンデモ本はこう作れ、或いはこう作られる、と体現してくださったのですね。有難う御座います。

    ん?おっしゃることの意味がよくわかりませんが、僕の方こそ、「トンデモ本によって、トンデモ信者がこうつくられる」という過程を体現されている方に出会えて、とても参考になりました。初めて出会ったので。ありがとうございます。

    >もう、お二人の名前も見かけることも無いと思います。

    え?この掲示板を去られると言うことですか?それは、ちょっと残念な気がしますが、どうぞお元気でお過ごし下さい。

    また、「中傷だ!」とかいって激高するのは無しにしてくださいね。
    僕は、自分の発言には責任を持ちたいですから、誤読や誤解をされた以上、そこははっきり指摘します。「あなたは、こんなにも間違っている」という指摘は、僕にとっては正しておかねばならない事であって、普通これを「中傷」とは呼びません。
    それに、あんまり、自分ばっかり棚に上げてると、そのうち棚が落ちてきますよ。

    では、これにて失礼します。

  • おっしゃるとおりです>最大素数さん

    2004/5/21 1:21 by 未登録ユーザsasu

    というわけで、あなたのご理解で間違い有りません。
    流石に疲れてきました。もう、最後だと思って、書きましたけど(笑)これ以上は無理ですね。

    ちょっと付け加えると、トンデモ本としては、『創造論の世界』は、ぜんぜんつまんないんですよ。既刊のトンデモ本の焼き直しにすぎないんで。
    創造科学については、まぁ、確かに真面目にとりあうものではないんでしょうが、宗教からんでいるあたりがコトをめんどくさくしてますね。このあたり(宗教)には絡みたくないんですが、今回は、プロテスタント信徒以外で信じている人を初めて見たんで、軽いショックを受けてます。

    僕は、この手の本を前にする時はいつでも、(勿論、冷やかしで手に取るんですけど)心のどこかで、「ひょっとしたらひょっとして、この本で、常識がひっくり返されちゃったらどうしよう(ドキドキ)」と少しだけ不安を覚えるのですが、一度として「ひょっとした」ことはありません(笑)。

    いいかげんに学習すべきだとは思うのですが、同じ事を懲りずに繰り返してしまうんですよ。今回もでした。反省。

  • あー、これだけは言っておかないと。>山オヤジさん

    2004/5/21 11:36 by 未登録ユーザsasu

    追伸。

    >私の貴方に対する疑問は、何故同じ本を読んでいると言い張るのに、そんな質問をするのだろう?

    ああ、[ID:i82424]「「トンデモ」が判りました。ありがとうございます。」のこの部分、引用に紛れてたんで読み落としてましたよ。

    この「そんな質問」っていうのは、僕が最初にあなたに質問した[ID:i81328]のことでしょう?僕が、知っていることをわざわざあなたに質問してきた(だから、アラシだ)、って思ったんですか。あなたの僕への異様な敵愾心はここからですか。(もっと、前からかもしれないが…)

    既に削除された僕のコメントにはっきりと書いておいたけど、僕は、山オヤジさんが[ID:i81313]「タコ屋さん」に書かれた例の論文への感想を、『創造論の世界』から引用した説とは、判断できませんでした。「化石を縦断する木の化石」は知ってましたけど、僕が反応したの別の部分です。

    >「化石化」させる為には、短い時間で一気に乾燥乃至冷凍しないと出来ない訳ですね。

    このあたりは、僕にとって新奇なお話に感じられたわけで。だって、一般の化石の常識とはちがうでしょう。それを「出来ない訳ですよね」と自明の理のように語られたことで、僕の知らない説なのか?と、反応したわけ。

     そしたら、確かに、久保さんも根拠レスにそんなことを書いてましたね。後に本を読み返して確認しましたが。
     別に、僕は『創造論の世界』を常に座右の書としてるわけでもないし(読んだのはもう何年も前だし)、本の内容を細部まで全て覚えているわけないです。即座に山オヤジ引用説を、久保説に結びつけることができなかったのを、そんなに疑われてもなぁ。

    ま、早い話、
    もっと、まともな説を紹介してくださるのかな、と期待してしまったというだけなんです。勝手に期待してごめんなさい。

  • 世界の平和さんへ ^^;

    2004/5/25 0:44 by 未登録ユーザtako

    >特に、ザンさんにはベストセラーの日本聖書教会の新共同訳を使っていただきたいですね。
    >偏った訳、現代訳聖書というキリスト教立場から訳された聖書も面白いことは面白いですが、

    takoと申します
    舊新約聖書+新共同訳と新世界訳聖書ザッとですが
    読み比べてみましたが、偏った訳ってことは無かったですよ
    ただ読むときに詩的でないというのは感じました。
    舊新約聖書はやっぱり日本人なら誰でも(?)
    詩的に読む事が出来ると思うのですが、、、(歳ばれ?)
    ただ新共同約は ヱホバ が 主 に置き換わっていて
    舊新約聖書を主体としていた者にとって
    一体誰について言っている箇所なのか分かづらく感じます。
    新世界約聖書は内容重視という感じだと思います。

    評価として
    舊新約聖書
    読んでいて、詩的さを感じ心を和ませる(人によっては眠らせる)
    私が一番好き!!
    新世界訳聖書
    じっくりタイプ。とことん勉強せい!
    読んでいて疲れない
    新共同訳
    とにかく早く読んで、聖書全体の内容を知るにはもってこい!
    舊新約聖書を読んでいる者として、私が買ってまで読むに値する
    本かと言うと不合格ですね。(あくまでも私ね)
    でもわざわざ買っちゃたんだよねー。
    あほらし、金返せ!(ちょっと冗談よ)

    こんな私のレビューでした。

  • 素晴らしい映画です。

    2019/1/20 17:11 by 未登録ユーザ品川 仁

    私たちの罪のために 神様御自身がこんな目に会い 私たちが再び 天の王国に戻れるように道を備えてくださったことに感謝しなければなりません。 亡くなられ 大地が揺れ動き 兵士が ひれ伏し ひざまずいたシーンがとても主の権威 神聖さの象徴となったシーンです。 私たちすべての者は 「神​を​畏れ、とこしえ​に​いつまで​も​御座​に​着いて​おられる​神に​栄光を​帰し​なさい。神​の​裁き​の​時​が​来た​から​で​ある」と​言う​とき​に、すべて​の​耳​が​それ​を​聞き、すべて​の​ひざ​が​かがみ、すべて​の​舌​が​告白​する​から​で​ある。 との聖句を思い出す。 すべての者は 主イエス・キリストを賛美し 悔い改め 末日聖徒イエス・キリスト教会で 罪の赦しのための 水に沈められるバプテスマを受け 神権者による按手によって聖霊の賜物を受けて 戒めを守り 最後まで堪え忍び 救いにあずかることを望みなさい。 このことをイエス・キリストの御名によって証します、アーメン。

満足度データ

パッション〈2004年〉
100点
23人(10%) 
90点
21人(10%) 
80点
39人(18%) 
70点
35人(16%) 
60点
36人(17%) 
50点
21人(10%) 
40点
13人(6%) 
30点
1人(0%) 
20点
4人(1%) 
10点
12人(5%) 
0点
5人(2%) 
採点者数
210人
レビュー者数
107
満足度平均
65
レビュー者満足度平均
67
ファン
4人
観たい人
44人

 

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