異形の愛
2010/11/3 20:51
by
hendazo04
オアシス 批評再考
この後いろいろなレビューを読ませてもらった。結果、ながら鑑賞による3つの、話にならないほど大きな見逃しがあったことがわかった。猛省。
1は、コンジュが隣人のセックスを聞き、涙を流す場面。オレはこれを兄嫁の浮気と勘違いした。兄嫁の、兄に対する裏切りに対する悲しみの涙だと。
しかしあの情事はコンジュになんの関係のない隣人のものだった。そうであるならコンジュの涙はまごう事なきセックスへの懇望、なせぬ自分に対する怒りと自己憐憫の涙だったのだ。‘私も愛されたい‘、口紅を塗る場面がそれを強調している。
生々しい性欲への願望、ギラギラしていようと美しく感じられなくとも、誰がそれを評しえよう・・この直球には脱帽するしかない。
それならコンジュが暴漢に電話したことも理解できる。暴漢はコンジュの身体を欲した‘奇跡の人‘だったのだ。
2つ目は木の枝を切り落とす場面。意味が分からず観ていていらいらして、猟銃で撃ち落とせばいいのにと思ったが、あれはコンジュの部屋に日が差し込むようにしてあげるという好意だった。コンジュのオアシスの改装だ。コンジュはそれにラジオのボリュームを上げて答える、ジョンドォも応えて樹上で踊りだす、珠玉の場面だった。・・汗
3つ目、最後に部屋を掃除するコンジュを、オレは通常の生活描写だと思ったが、あれはジョンドォを「待つ」という、朝日が差し込むような希望に満ちたシーンだった。
と、まあ、こんな重要なメッセージを見落としておいて、いい気になってレビューをした自身を恥じる。
他のレビューに、「監督がこれを‘普遍的な愛を描いた‘」というコメントに激しく反発していた人がいた。‘普遍的な愛を描くのになぜ身障者をモチーフにする必要があるのだ!‘というのだ。
オレもこの意見に賛成だ。原作者や監督の意図がどうであろうとも、この映画は健常者にとって紛うことなき「異形の世界の愛」を描いているのだ。それも、ぼかしをかけずに、いかにも韓国らしいあざとい感性で、さあ、こうだぞ、とドーンと目の前に提示したのだ。
しかし、かといってこの「異形の愛」を知り、日本人の観客は眉をひそめるということはないだろう。ほとんどの観客はこの愛情を(失礼な言い方だが)理解し、そっと後ずさりしながら、二人の幸せを願うだろう。
採点は再考して80点
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