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映画情報のぴあ映画生活 > 作品 > アヒルと鴨のコインロッカー > 掲示板 > どうなってるの?

どうなってるの?

2009/1/27 15:28 by バナバナ2

アヒルと鴨のコインロッカー

掲示板の「気になる」さんのところにも便乗させて頂きましたが、あの「店長」が2年後もウロウロしている説明が全くなかったので、映画の余韻に浸ることができませんでした。

そこの説明がないと、この物語は根底からおかしくなってしまいませんか?

 



  • Re: どうなってるの?

    2009/1/29 11:52 by バナバナ2

    もしかして、彼らが“未成年”だったから、お咎めなしになっちゃったんですかね?
    原作が書かれた当時も、まだ法律も未成年には甘かったでしょうし…。

    でも、それならそれで、台詞でもいいから説明してもらわないと、彼らの悪行があまりにも凄まじかったので、かなりそこに引っかかってしまいました。

    出来ればあの時、警官はまだ来てなくて、日本語がたどたどしいドルジの目撃証言より、相手の言い訳の方が通ってしまった・・・、などとした方が、より悲哀が増し、彼が取った行動もより納得できたと思います。

    監督は盛り上げようと、ちょっと突っ走り過ぎてしまったのでしょうか。

  • Re: どうなってるの?

    2009/1/30 8:00 by 研研

    別スレッドからの引用で申し訳ないのですが、
    以下の部分について僕の思うところを書かせて下さい。

    > 映画では運転していたのは、あの店長なんです!
    故意に轢き殺してるんだから、初犯だとしても最低7年は刑務所に入らないかんのでは?

    映画の終盤、ペット殺しが琴美をひき殺すシーン。“あの店長”がハンドルを握っている様子が、正面からアップで写されます。

    映画を観た観客にとって、運転手が“あの店長”だというのは明らかです。しかし、映画の登場人物にとってはどうでしょう?

    その立ち位置によっては、車の側面、助手席側しか見えなかった可能性もあると思います。その場合、車を運転していたのが“あの店長”かどうか、映画の登場人物が特定するのは、難しいのではないでしょうか?

    ただ、僕自身この映画を劇場で観てから一年以上たっており、映画の登場人物にとって、問題のシーンがどう見えたのか、自信を持って言い切ることが出来ません。特に、現場に居合わせた警察官にとってどう見えたかが問題になるような気がします。どなたかコメント頂ければ幸いです。

    最後に
    > 出来ればあの時、警官はまだ来てなくて、日本語がたどたどしいドルジの目撃証言より、相手の言い訳の方が通ってしまった・・・、などとした方が、より悲哀が増し、彼が取った行動もより納得できたと思います。

    なるほど、と思いました。そういうシーンがあれば良い演出になったなと感じます。

    映画でも小説等でもそうですが、作品を観て全てが解決され明らかになるという事は、あまり無いのではないでしょうか。語られなかったこと、明らかにされなかったものを想像していく事が、観賞の醍醐味であり、映画を観賞するということは、既に創作行為の一部であると僕は思います。その意味で、上記のコメントは、かなり魅力的に感じられました。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/1/31 11:49 by バナバナ2

    研研さん、レスありがとうございます。

    > 出来ればあの時、警官はまだ来てなくて、日本語がたどたどしいドルジの目撃証言より、相手の言い訳の方が通ってしまった・・・、

    上記の考え方も、私にとっては“百歩譲って”なのです。
    というのは、監督は、映像で店長が車外に投げ出され、女が助手席で、もう一人の男が後部座席で死んでいるところも見せてしまっています。
    本当は、警官がまだ来てなくても、ドルジの証言が無くても、ハンドルから指紋を採取しなくても、誰が運転していたかは明白なのです。

    瑛太も濱田岳くんもすごく良い演技をしてるし、全体的な構成も素晴らしいのに、このシーンがある為に、まるでキムタクの「HERO」のような“ご都合主義”に堕ちてしまっています。
    そこがもったいなくて、悔しいのです。

  • Re: どうなってるの?

    2009/1/31 18:43 by 研研

    > 監督は、映像で店長が車外に投げ出され、女が助手席で、もう一人の男が後部座席で死んでいるところも見せてしまっています。

    なるほど、そんなに明らかに車内の様子を写すシーンがあったのですね。やはり、レンタルDVDで確認してからコメントすべきでした。
    助手席と後部座席で一人づつ死んでいたのなら、車外に投げ出された残り一人が運転席にいたはずですものね。

    横レス、失礼しました。

    ただ、僕の個人的感想としては、この点がもったいないというよりも、欠点を補って余りある魅力の詰まった映画だと思っています。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/9 7:46 by としぞ。

    バナバナ2さん、おひさしぶりです。
    スレッドが立ってから3ヶ月以上経ってのレスで、ちょっとどうかな?と考えたのですが、映画生活を覗いたのが年末以来だったものですから(笑)。

    そんなわけで、早速本題ですが。
    バナバナ2さんは原作は読まれたのでしょうか。そこでは江尻が服役しなかった理由がこう書かれています。

    <車の事故が起きた時、後部座席にいた犬のせいで、江尻は、「ペット殺し」の犯人だと認められ、その場にいた警察官に逮捕された。けれど、仲間の二人が死んだのをいいことに、江尻は一貫して、自分が共犯者の使い走りであることを主張した、らしい。そして目一杯の反省を見せ、執行猶予となった。>

    ってことで、事故から2年後、江尻が社会をウロウロしていたのは”執行猶予”が付いたから、でした。
    バナバナ2さんが書かれていたように、映画では確かに何の説明もされていなかったように思います。上記引用したようなことが椎名のナレーションによって処理されたような記憶もないし。ほんのわずかなことかもしれませんが、この描写があるとないのとでは、仰るとおりにストーリーに大きな齟齬が生じると僕も思います。
    で、なぜこのスレッドにレスしたかと言うと、単に原作内容の報告ではなく、バナバナ2さんのスレッドを読んで思い至ることがあって。この江尻の件も含めて、どうもこの物語のところどころに矛盾を感じてしまうんです。

    まず書いておきますが、僕は伊坂作品の愛読者の一人です。彼の小説の特徴は、予め物語の中に散りばめられた伏線をストーリーの終結に向けて回収し、その謎がパズルのようにきっちり嵌った時、読者は大きなカタルシスを得るというミステリー仕立てのエンタテインメント。リーダビリティも高いし、読者を十分楽しませてくれます。だけど、そんな構造を持つが故に、張られた伏線が矛盾を感じさせることも少なくありません。バナバナ2さんが疑問に思われた江尻のこともそうです。服役しなかった理由を”執行猶予”としているけれど、映画でも本屋の女性店員が説明していたように江尻は「本屋の跡取り息子」であり「時々クスリなんかもやってるヤバイ人」にキャラクター設定されています。かなりステレオタイプなイメージで恐縮ですが、いわゆる”ぼっちゃん育ちの結構アブナイ奴”がグループの中で「使い走り」に甘んじていたりするでしょうか。第一、人一人が車に撥ねられて命を落とし、かつ「ペット殺し」の重要参考人でもある三人のうちの二人が死んだ事件で、世界に名だたる日本警察がたった一人生き残った被疑者の言い分をあっさり信用してしまうでしょうか。身辺調査などを進めれば、三人の日ごろの序列などわかるように思うのだけど、よほど優秀な弁護士が付いていたのかな、なんてつい考えてしまいます。
    他にも、例えばペットショップの麗子と椎名が出会うシーン。麗子は河崎(本人)が死んでいることを知っているのに関わらず、椎名の口から河崎の名が出た時にそのことに一切言及していません。こんなことあり得るでしょうか。僕が麗子の立場なら「河崎くんなら知ってるけど、もう亡くなっている」かなんか言うと思うのですが。確かに作者はその前段階で河崎になりすましたドルジに「ペットショップの麗子って女のことを信用するな」と椎名に告げさせてエクスキューズとしていますが、それが麗子が河崎について語ることの抑止力となる合理的な説明がどう考えても見つかりません。
    また、そのドルジが河崎の名を騙ったことについても、「もし俺が日本人じゃなかったら話を聞いてくれたか?」と、ドルジがその説明をしているけれど、琴美の復讐のためにパートナーを欲していたのだったら、他の選択肢などいくらでもあったはずだってつい思ってしまうんですよね。
    要するにこの物語って、RPGに似ている、って感じがするんです。いろいろと伏線は張られているけど、結局は作者が敷いたルートをただエンディングに向かって”歩かされて”いる、作者が用意した結末から外れる展開には目を向けてはならない「お約束」の中で展開されているストーリーだな、と。
    いや、伊坂作品を否定しているわけじゃないんです。彼の小説は事実楽しめるし人気も高い。先に述べたように、僕自身愛読者の一人だし。ただ、バナバナ2さんが中村演出に疑問を感じたように、たとえファンであっても、その小説や映画を総体的に楽しめたとしても、100%を飲み込んで手放しに評価してしまうのはちょっとどうだろと思うんです。
    おかしなところは「おかしい」とやっぱり言わないと。そう、伊坂作品『魔王』の登場人物・安藤が立ち往生するたび「考えろマクガイバー、考えるんだ」と呪文の如く唱えるように、考えることを放棄してしまっては、と思うのです。

    本筋とは関係のないことを長々と書いてしまいました。どうも失礼しました。

  • としぞ。さん、お久しぶりです ネタバレ

    2009/5/9 22:12 by バナバナ2

    どうもレス、ありがとうございます。
    本当はレビューの方に書いてたんですけど、1/29ので、掲示板に移動されてしまいました。

    私は伊坂作品は全く読んだことがありません。
    1/31の研研さんへのレスにも書いたのですが、

    >監督は、映像で店長が車外に投げ出され、
    >女が助手席で、もう一人の男が後部座席で死んでいるところも
    >見せてしまっています。
    >本当は、警官がまだ来てなくても、ドルジの証言が無くても、
    >ハンドルから指紋を採取しなくても、誰が運転していたかは明白なのです。

    …と、映像で見せてしまっているのです。
    ここのところをわざわざ見せなかったら、店長が何故シャバをうろついているかも、ここまで引っかからなかったと思います。

    現実の事件で似たような話は、神戸で大学生がヤクザに絡まれ警察に通報し、一度は警察官が現場に来たのに、警察官が帰った直後にヤクザに連れ去られ、殺された事件がありました。
    もう一つは、栃木県だったか、男性が誘拐されてリンチ殺人される事件がありましたが、誘拐された男性の家族が、心当たりのある犯人の事をすぐに通報したのに、その犯人が県警の幹部の息子だった為、警察が動かず手遅れになった事件がありました。
    しかし、その双方とも、事件は起きてしまいましたが、犯人は捕まって裁判を受け、受刑中です。

    だのにこの映画は、現実よりも甘くなっている。

    私は映画の中で、実は本屋の店長は、県警の幹部の息子だとか、知事や有名な国会議員の親族…という説明が出てくるのでは?と思っていたのですが、結局そういう説明も無いままでした。

    事件が事件だけに、しかもそれが警察官の目の前で起こっていたのに、“執行猶予”は無いでしょう。
    ですので私は後から無理やり、「見た目も十分歳とってたけど、もしかして未成年だった?」という説も考えてみたのでした。

    でも私が一番に言いたいのは、「大きな嘘を付くなら、いらんもん見せるな!」ということです。
    これでは、死亡予定通知表を不在者の家のドアに貼り付けていた『イキガミ』の演出と、同レベルです。

    >要するにこの物語って、RPGに似ている、って感じがするんです。
    >いろいろと伏線は張られているけど、結局は作者が敷いたルートを
    >ただエンディングに向かって”歩かされて”いる、
    >作者が用意した結末から外れる展開には目を向けてはならない
    >「お約束」の中で展開されているストーリーだな、と。

    そうですよね。感動したいんだけど『アフタースクール』みたいで(笑)。
    これが『アフタースクール』みたいに、ギミックを楽しむ映画ならいいんですが、本当に言いたいところはもっとシリアスなんだし。
    それを余計な演出でブッ潰しているところが、もったいなかったです。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/10 9:52 by としぞ。

    即レスありがとうございます。

    改めて原作をパラパラと見てみたのですが、琴美を撥ねた車を誰が運転していたかの記述はありませんでした。となると、映画での設定は中村監督の演出なのでしょうね。脚本にも名を連ねているところを見ると、当然のことながら自身が決めたことのようですが、なんでこんなことしたんでしょうね。謎です。
    「研研」さん(初めましてですね。よろしくお願いします)は

    >ただ、僕の個人的感想としては、この点がもったいないというよりも、欠点を補って余りある魅力の詰まった映画だと思っています。

    と書かれていますが、申し訳ないけれど僕には、江尻のことも含めた前レスで書いた引っ掛かりすべてが、単なる「欠点」では無く、物語の根幹を揺るがす致命傷に感じるんです。どんなに優れた演出であっても、どんなに役者が奇跡的な演技を見せていても、それによって相殺されるレベルのミスではないと思うんです。バナバナ2さんも、そういったことを感じてこのスレを立てられたのだと思うのですが、バナバナ2さんが例として挙げていた

    >でも私が一番に言いたいのは、「大きな嘘を付くなら、いらんもん見せるな!」ということです。
    これでは、死亡予定通知表を不在者の家のドアに貼り付けていた『イキガミ』の演出と、同レベルです。

    という指摘はとても重要なこと。
    僕は『イキガミ』は未見ですが、想像するにこの演出は失笑もので、『アヒルと〜』同様、この一点において、物語のテーマをぐらつかせているのじゃないかと感じました。
    概略などの説明によると、無作為に選択された国民に届けられる死亡予定通知表には24時間後には死ぬことが記載されているんですよね。単純に考えたら、届けられた対象者が旅行や仕事で長期間不在だとすれば通知が届けられたことも知らぬまま24時間後には死んじゃうわけで。映画生活の作品紹介には「それぞれの最後の24時間を通して、生きるとはどういうことなのかを問いかける」なんて書いてありましたけど、知らないんじゃどう生きるも何もあったもんじゃありません。仰る通りの「いらんもん」だと思います。それとも、たとえ不在であっても有無を言わさずに命を奪われてしまう、ってことで、管理社会の理不尽さを強調しようとしたのでしょうかね。

    >出来ればあの時、警官はまだ来てなくて、日本語がたどたどしいドルジの目撃証言より、相手の言い訳の方が通ってしまった

    これは「あると思います」的設定ですね。と言うより、中村演出はもちろん、もっと言えば原作よりもしっくりくるような気がします。これなら、事実を語っているのに受け入れられないドルジの感情がより強調されて、琴美の復讐に走ろうとする心情にもよりシンパシーが沸くし、何よりドルジの「俺が日本人じゃなかったら話を聞いてくれたか?」という告白にも、より大きな説得力が付加されたのではないでしょうか。もちろん、物語の細部に調整が必要になってくるし、それでも前レスに書いたように、日本警察の捜査能力に目を瞑らないことには成立しない設定だと思いますが。

    いずれにしても、「ネズミの穴がダムを決壊させることもある」の譬えがあるように、ほんの小さな矛盾が物語すべてをぶち壊してしまうことは、製作者も、またオーディエンスも肝に銘じておくべき事柄なんだ、と、つくづく感じます。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/10 11:13 by バナバナ2

    >いずれにしても、「ネズミの穴がダムを決壊させることもある」
    >の譬えがあるように、ほんの小さな矛盾が物語すべてをぶち壊してしまう

    まさに、そういう風に感じたんです! さすが、としぞ。さん。 的確に説明してくれるので助かります。

    ところで、『アヒルと鴨のコインロッカー』とは全然関係ないのですが、『レッドクリフ Part1』のスレッド、爆笑しました!
    私はパート1はテレビ放映で見たし、三国志演技もほとんど知らないのですが、思わず「共感した」をクリックしそうになりました。
    いつもシリアスなとしぞ。さんの知らない一面を見たような気がしました(爆)。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/10 11:35 by としぞ。

    いやあ、『レッドクリフ』は実質レヴューになっていない与太話なのに多くの方から共感してもらっちゃって・・・・お恥ずかしい限りで。
    「いつもシリアスな」のお言葉にも恥じ入るばかりです。本質は真逆なものですから。
    お恥ずかしい、と言っていながら書いちゃいますけど、映画漫才は『ブラックブック』でもやってるんです。こっちはひどい下ネタなんですけど。
    ともかく、お褒めの言葉としてしっかり受け止めさせていただきます。ありがとうございます。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/11 1:49 by 研研

    としぞ。さんはじめまして。
    この話題に参加するのは話を蒸し返すようで躊躇していたのですが、せっかく名前が出てきたので書き込みさせてください。

    実は、前回の書き込みの後、DVDをレンタルしてもう一度この映画を見てみました。その時、僕が思ったのは「推定無罪」「疑わしきは罰せず」という事と、『それでもボクはやってない』という映画の冒頭にある『十人の真犯人を逃がすとも、一人の無辜を罰するなかれ』という一文です。

    実は、実際に『それでもボクはやってない』を鑑賞した訳ではないので、その内容は想像に過ぎないのですが、おそらくは「推定無罪」が軽んじられ、無実の青年が被告として裁かれる不条理を描いた内容ではないかと思います。

    「推定無罪」が軽んじられれば「冤罪」という悲劇が起きる。では逆に「推定無罪」が重んじられればどの様な悲劇が起こるのか。それが、『アヒルと鴨のコインロッカー』における「江尻」なのだと僕は思いました。

     「十人の真犯人を逃がすとも、一人の無辜を罰するなかれ」を是とする社会と、「たとえ一人の無辜を罰したとしても、全ての真犯人を見逃すなかれ」を是とする社会。僕たちはどちらの社会を目指すべきなのだろうか。重い問題を突きつけられた気がしました。そして、その答えは安易に出る様なものではない。正に『答えは風に吹かれている』のだと。

    そう考えると、バナバナ2さんがおっしゃる
    >監督は、映像で店長が車外に投げ出され、
    >女が助手席で、もう一人の男が後部座席で死んでいるところも見せてしまっています。
    >本当は、警官がまだ来てなくても、ドルジの証言が無くても、
    >ハンドルから指紋を採取しなくても、誰が運転していたかは明白なのです。

    上記の部分、僕はもっと慎重でいたいと思うのです。観客はもちろん江尻が車を運転しているのを知っています。そういうシーンを見ています。しかし、おそらく駆けつけた警官は観客と同じ視点を得ていない。江尻がハンドルを握る姿を見ていない。なのに、事故後の車内の様子だけで、運転席に座っていたのは江尻だと断定しても良いのだろうか。実際に江尻がハンドルを握るシーンという“動かぬ証拠”を観客として見ているだけに、余計その様な疑念が残るのです。ハンドルの指紋を調べれば、江尻の指紋は出てくる。けれど、他の指紋も出てくるかもしれない。日頃の3人の行動を調べれば、江尻が“使い走り”等ではないと分かるかもしれない。けれど、観客が目撃した“動かぬ証拠”以上のものが出てくるのだろうか。そう、僕は考えてしまうのです。

    かなり長くなってしまいましたが、最後にひとつだけ。
    >おかしなところは「おかしい」とやっぱり言わ>ないと。そう、伊坂作品『魔王』の登場人物・>安藤が立ち往生するたび「考えろマクガイバー、考えるんだ」と呪文の如く唱えるように、考えることを放棄してしまっては、と思うのです。

    この部分は全く同意です。そして僕は「おかしい」と思ったところ。それは本当に「おかしな」ところなのか。ただ、安易に答えを出して思考停止に陥っているのではないか。自問自答を繰り返していきたいと思っているのです。『言うは易く行なうは難し』ですが・・・

    長文、失礼しました。

  • 研研さんへ

    2009/5/11 10:40 by としぞ。

    研研さん、こんにちは。
    最初の一文に僕の名があったので、主に「としぞ。」宛のレスと判断してこの場を使わせていただきます。バナバナ2さん、お借りしますね。

    まず、
    『それでもボクはやってない』を挙げておられました。僕はこの映画を観ており、そのテーマである"冤罪”については少なからず興味があり自分なりの見解などもあったりするのですが、それはバナバナ2さんのスレッドから始まった話とは違ってくるので、また別の機会にでも意見交換ができれば、と思います。
    ただ、

    >「十人の真犯人を逃がすとも、一人の無辜を罰するなかれ」を是とする社会と、「たとえ一人の無辜を罰したとしても、全ての真犯人を見逃すなかれ」を是とする社会。僕たちはどちらの社会を目指すべきなのだろうか。重い問題を突きつけられた気がしました。そして、その答えは安易に出る様なものではない。正に『答えは風に吹かれている』のだと。

    について言うなら、僕の答えは明らかです。目指すべき社会、という条件に即するなら「全ての真犯人を見逃してはならないし、一人の無辜も罰してはならない」です。
    『それでも〜』の「十人の真犯人を逃がすとも、一人の無辜を罰するなかれ」というのは一種のアフォリズムであり、正義について説いた”真理”ではないと思います。真理ではないからこそ、研研さんが書かれているような「一人の無辜を罰したとしても、全ての真犯人を見逃すなかれ」という裏、というか、対を意味する論理もある意味容易に想定することができる。これは、一頃流行した「究極の選択」のようなもので、対立している(ように見える)テーゼにについて、それを突きつけられた人間がどうして悩むのか、というと、どちらにも一点の"正義”が含まれているからなのでしょう。だけど、「目指す”べき”」という条件ならば、何もどちらかの正義を選択する必要はないんです。双方の正義を選んでしまえばいいんだ、と僕は思うのです。だから答えは「全ての真犯人を見逃してはならないし、一人の無辜も罰してはならない」。理想論なのかもしれないけれど。
    とは言え、概ね理想論というものは、わかっていても実行できなかったり選択できなかったりするから、人間は二項対立やグレイゾーンの中で心を揺らし、思いを煩わせたりするのでしょう。その意味で言うなら、研研さんが書かれているように「答えは風に吹かれている」のかもしれません。
    しかし、忘れてはならないことがあります。何か問題に対峙したときの答えは人様々だし、その問題の端緒となった事象も、見る角度や相対する距離によって違った形に見えるかもしれないけれど、そこにあるものの真の姿はたったひとつだということ。使い古された言い方で恐縮ですが、ひとつの事柄についての事実は星の数ほどあっても、真実はひとつなのではないでしょうか。コナンくんもそう言っています。

    と、つい前置きが長くなってしまいましたが、本題です。
    研研さんは、再度『アヒルと〜』のDVDをご覧になったようですから、バナバナ2さんが言及していた「江尻が車を運転していたこと」は確認されたのだと思います。
    そのことについて、

    >観客はもちろん江尻が車を運転しているのを知っています。そういうシーンを見ています。しかし、おそらく駆けつけた警官は観客と同じ視点を得ていない。江尻がハンドルを握る姿を見ていない。なのに、事故後の車内の様子だけで、運転席に座っていたのは江尻だと断定しても良いのだろうか。

    前フリの部分で書いたことに準じて言うなら、映像によって観客の視点が認識した「車を運転していたのは江尻」という情況は「事実」でしょう。そして、駆けつけた警官が観客とは別の視点で見た情況もこれまた「事実」だと思います。だけど、ひとつだけ「真実」を語っている視点があります。スクリーンに映し出された映像を切り取る「カメラ=中村監督」の視点です。
    例えば『潜水服は蝶の夢を見る』のように、カメラワークが主人公の目線とシンクロしているのが明らかならば、映し出される映像はその人物の主観によって切り取られたものだとわかります。しかし『アヒルと〜』の場合、そんな約束事は存在せず、大げさに言うならカメラによって提示される映像は神の視点にも等しいもの。究極の客観の目であり「真実」を示すものではないでしょうか。
    その目が、車を運転する江尻を映し出したのなら、それは間違いなく江尻が運転していたことを観客に知らしめるためのものに他ならないのではないでしょうか。

    おそらくバナバナ2さんは、あの事故の場面にこうした感覚を覚え、「江尻が琴美を撥ねた真実」を提示しているのにも関わらず、しかしその後の展開で、江尻が服役するにしてもシャバを闊歩するにしても、自らが提示した「真実」をしっかり補完することをしない怠慢と無責任に疑義を呈しているのだと思います。そこに個人的意見を付け加えるなら、前レスに書いたように、原作には琴美を撥ねた車を誰が運転していたかの記述はありません。しかし中村監督は、この映画で江尻にそれをさせています。後々、河崎=ドルジの復讐の対象となり、また主人公の椎名とも関わりあう重要なキャラクターに原作とは違う行動をさせているのですから、そこに何らかの意味を感じたり求めたりするのは当然と言えば当然のこと。それを放ぽったままで物語を進行させているのですから、全編見終えた後に、バナバナ2さんでなくても「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ」と物申したくなります。
    研研さんは、

    >事故後の車内の様子だけで、運転席に座っていたのは江尻だと断定しても良いのだろうか。

    と書かれていますが、この映画に於いてカメラが映し出しているなら、それは観客や劇中のドルジや警察官が断定する・しないに関わらず、究極の客観が提示する、江尻が運転していたことを示す以外のなにものでもない真実である。僕は、そう考えるのです。

    まあ、ここまでが研研さんのご意見に対する僕の見解なのですが、前レスに書いたように僕は、バナバナ2さんが疑問に思うこと以外にも、映画、原作を含めて、この物語には致命傷たるミスが多々あると思っています。それは「安易に答えを出して」いいものかどうかを考える以前の「明らかな矛盾」です。それだってひょっとすれば「僕の主観」であり「僕だけの事実」なのかもしれませんが。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/11 12:43 by バナバナ2

    研研さん、またまたレスありがとうございます。

    >事故後の車内の様子だけで、運転席に座っていたのは
    >江尻だと断定しても良いのだろうか。

    とのことなんですが、
    中村監督は映像で、この悪人3人がシートベルトしてなかったもんだから、店長なんかフロントガラスを頭からかち割って、路上に飛び出してしまってますよね。
    それで、骨折もしているのか、地面に這いつくばって立ち上がれずにいた。

    もし、警察官が後から来たとしても、これでは店長が他の仲間の座席位置を移すなんて、不可能ですね。
    彼らとぶつかったトラックの運ちゃんも、一部始終を見てる筈だし。

    >「十人の真犯人を逃がすとも、一人の無辜を罰するなかれ」を是とする社会と、
    >「たとえ一人の無辜を罰したとしても、全ての真犯人を見逃すなかれ」を是とする社会。
    >僕たちはどちらの社会を目指すべきなのだろうか。
    >重い問題を突きつけられた気がしました。

    きっと研研さんは、正義感があって、お優しい青年なのだと思います。
    ですが、私のようなオバさんになると、こんな悪い奴は「死刑じゃ!」と、結構すぐに思っちゃうのです。

    >そして、その答えは安易に出る様なものではない。
    >に『答えは風に吹かれている』のだと。

    『答えは風に吹かれている』演出をするなら、それだとやはり、中村監督はこのシーンの見せ方をもっと考えるべきだったと思います。
    「見せ過ぎ」です!


    としぞ。さん。『ブラックブック』のレビュー拝見しました。
    元々この映画、第二次世界大戦が舞台、ハニーとラップを仕掛けるスパイ物、ユダヤ人の復讐劇…と、見たい要素が重なり見たくて堪らなかったのですが、としぞ。さんのレビューを読んで、余計見たくなりました。

    としぞ。さん、あなたの職業は、
    ズバリ、漫才の構成作家ですね! そうでしょう(決め付け)!

  • やはりこの物語は・・・

    2009/5/11 20:33 by としぞ。

    バナバナ2さん、研研さん、こんにちは。

    えーと、漫才の構成作家、ですか。はは・・・(^^;)んー、当たらずとも遠からず、ってことにしておきましょう。

    さて、ご存知かも知れませんが、今日、小室哲哉被告に執行猶予付きの有罪判決が出されました。
    で、気付いたのですが、江尻も執行猶予ですよね。ってことは、小室サンと同様、有罪判決ありきの執行猶予ってことですよね。いや、要するにこれは、江尻も被告として裁判を受けたってことに他ならず、だったら、その事件の当事者であるドルジが裁判に出廷していないことは常識的にあり得ないし、麗子さんにしても、裁判の傍聴には行くのじゃないでしょうか。そこで、改めて原作の記述を見ると、引っかかる部分があるんです。
    再度引用しましょう。

    <車の事故が起きた時、後部座席にいた犬のせいで、江尻は、「ペット殺し」の犯人だと認められ、その場にいた警察官に逮捕された。けれど、仲間の二人が死んだのをいいことに、江尻は一貫して、自分が共犯者の使い走りであることを主張した、らしい。そして目一杯の反省を見せ、執行猶予となった。>

    江尻が逮捕されて執行猶予処分になった経過が原作で触れられているのは上記のわずか4行分。(※原作上で)。この4行は椎名の叙述ですから、ドルジ、または麗子さんから聞いたことになります。ここで注目すべきは「使い走りであることを主張した」の後に続く「らしい。」です。
    もし、ドルジが裁判に出廷していたり、麗子さんが傍聴していたなら、この「らしい」はおかしい。ドルジや麗子さんから話を聞いての記述だったら、例えば「〜だったのだそうだ」とかになりませんかね。
    つまり、何が言いたいのかというと、作者である伊坂幸太郎も、江尻の「執行猶予」は無理がある、と考えたのではないでしょうか。だから、意図的に裁判シーン等をはしょり、思わぬ疑問が噴出するのを封じた、と。
    基本的に原作は、現在部分は椎名(過去の部分は琴美)の一人称で語られています。この手法だと、本人たちが見たもの、或いは聞いたことしか書くわけにはいきません。要するに、語り手が見ていない「裁判」を書くわけにはいかないということですよね。だけど、かと言って、ドルジが証人として法廷に呼ばれていたり、麗子さんが傍聴に出かけたりしていたなら、その描写を読者に伝えなければなりません。そこで「らしい」という一文を加え、どうにでも取れるような表現にしたんじゃないでしょうか。
    琴美を撥ねた車を誰が運転していたかの記述が無いのも、具体的な描写を避けることによって責任の所在を曖昧にし、江尻の「執行猶予」に多少なりとも説得力を与えるため、なのかも。実際にはそうなっちゃいませんが。
    「らしい」なんて書かれてしまうと、読者の立場でちょっと考えるとすごい矛盾なんだけれど、それを語っている椎名の気分としては「これ以上のこと、僕にはわからない」という意思表示のようなものですもんね。
    つまりは、確信犯、だったんじゃないでしょうかね、作者は。江尻が執行猶予ってのはだいぶ無理がある、って百も承知の上での。

    だけど、中村監督にしてみたら、文章とは違って映画は、描写じゃなくて、実際に「画」で見せなければならない。琴美の事故のシーンも、原作のように曖昧に処理するわけには行きません。で、何故かわかりませんが、よりによって江尻を運転者に設定してしまい・・・・と。
    本来ならば、作者が疑義が生じることを封じるために曖昧に処理していた部分を具体的にしてしまったわけですから、その後の展開に原作とは違う何らかのケアをしなければ、バナバナ2さんのような「ちょっと待てぃ、それおかしいんとちゃうか!」という声が上がるのは当然のことですよね。

    まあ、単なるひとつの読みにすぎませんが、こうしていろいろ思いを巡らせていくと、やっぱりこの物語は、映画以前に原作自体が破綻しているように、僕は思うんですけど。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/11 22:03 by 研研

    としぞ。さん、バナバナ2さん返信ありがとうございます。僕の書き込みが結構、失礼なものだったので、返信頂いたこと自体が素直に嬉しいです。どうもありがとうございます。お二人の返信を読ませて頂いて、もう少々、僕なりに考えてみました。

    >>としぞ。さんへ
    要するに、お二人の意見と僕の意見の一番の相違点は以下の部分だと思いました。

    >「江尻が琴美を撥ねた真実」を提示しているのにも関わらず、しかしその後の展開で、江尻が服役するにしてもシャバを闊歩するにしても、自らが提示した「真実」をしっかり補完することをしない怠慢と無責任に疑義を呈しているのだと思います。(としぞ。さんは、バナバナ2さんの疑義として書かれていますが、としぞ。さんも同意見と考えてよろしいでしょうか?)

    確かに、この作品内でカメラは「江尻が琴美をひき殺した」シーンを描くと同時に、にも関わらず「江尻がその後ものうのうと生きている」シーンを描いています。そして、その二つの間にはなんの説明もない。
    これでは観客は「なぜなんだ?どうしてあいつがのうのうと生きてるんだ」と疑問に思ってしまいます。
    けれど、この疑問はドルジの心情にも通じるのでは?と僕は思うのです。
    恋人を無慈悲な事件で奪われた怒りや悲しみ、不条理な世界に対する懐疑や煩悶といった感情に襲われるドルジ。
    そんなドルジに対し、何の説明もされない方が観客は感情移入し易くなるのではないでしょうか。



    要するに、
    >「真実」をしっかり補完することをしない
    のは
    >怠慢と無責任
    からではなく、「あえて」ではないか?「あえて」二つのシーンの間を補完しないことで得られる演出効果もあると思うのですがいかがでしょうか?
    「江尻が琴美をひき殺した」事がはっきりすればするほど、観客は「江尻のその後」に「何故なんだ!」という思いが強くなる。「何故なんだ!」という思いが強くなればなるほど、ドルジの煩悶に感情移入しやすくなる。
    なぜ、江尻がのうのうと生きていられるのか、何らかの説明がされ、何らかの納得を得てしまうと、ドルジの心情から離れてしまう気がするのです。
    何か、僕の最初の書き込みからはずいぶん離れてしまい、単なるあとづけの様で申し訳ないのですが、としぞ。さんからの返信を読んで、今はこの様なことを検討中です。

    >>バナバナ2さんへ
    とてもとても、僕は人並みの正義感なんて持ちあわせない人間でして、友人からは“考えすぎのひねくれ者”と揶揄されています。
    僕が今回、改めて書き込みさせていただいた理由がもう一つありまして、それは“和歌山毒物カレー事件”です。
    報道された内容によると、林真須美被告の死刑が確定したらしいのですが、やはり僕は「むむむ、ちょっと待てよ」と思ってしまうのです。なので、僕の書き込みは偏見が非常に強いです。

    という訳で、事故後の車内の様子について僕は「江尻が車外に放り出される程の衝撃があったのだから、車内もかなり非道い有様じゃないのかな」とか「助手席にいた様に見えるあの女は、実は運転席にいて、事故の衝撃で助手席まで吹っ飛んだんですよ」的な主張があったりしたのかな、と思っていました。かなりのこじつけです。

    江尻の事を許せないという気持ちは僕も同じです。しかしそれ以上に、最近の社会は「簡単に人を有罪だと決め付けてしまう」傾向が強いような気がして何となく恐れを感じてしまうのです。

    とこんな事をつらつらと書いていたら、としぞ。さんに先を越されてしまいました。

    僕としては、今後もお二人と議論(になってますかね?)を続けたいと思っているのですがいかがでしょうか。もちろんご迷惑でなければで構いませんので。

    その場合、スレ主であるバナバナ2さんの意図とは若干異なる内容になるかも知れず、新しいスレッドを作ったほうが良いのだろうか、とも思うのですがいかがでしょうか?

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/11 23:46 by バナバナ2

    原作では、誰が運転していたのかは書かれていないのですね。
    それに、裁判にドルジや麗子が立ち会ったのかもはっきりしない。

    >つまりは、確信犯、だったんじゃないでしょうかね、作者は。
    >江尻が執行猶予ってのはだいぶ無理がある、って百も承知の上での。

    私はこの原作が、ミステリー調なのか、あくまで青春の暗い部分を主題に書いた物なのかは分かりませんが、そもそも作者は、「最初からこの事件の部分に関心がなかった」という事は分かりました。

    冤罪とは、「目撃者が誰もいなかった」「物証が何一つなかった」というところから発生すると思います。

    和歌山毒物カレー事件は、砒素が林真須美被告の家の物と同一のものであるというのはハッキリしてますよね(薬剤証文?とか言って、どこのメーカーの砒素かまで突き止められたとか)。
    林被告が、夫や元従業員たちに、家にあった砒素を食べ物に混入して保険金詐欺を行ったた事件に関しては、もう有罪が確定しています。
    ただカレー事件では、林被告が鍋の蓋を開けてかき回していたところは目撃されているが、砒素を入れる瞬間を見た人は誰もいない。
    ここからは一説ですが、林被告がカレー事件でも犯人だとして、鍋に砒素を入れたのは、これまで夫や従業員たちに砒素入りの食べ物を食べさせても誰も死ななかったので、あくまで「嫌がらせ」のつもりで入れたのではないか。それが致死量だった為、本人の予想外に死人がたくさん出たのではないか。…という見解もあります。
    私も、和歌山毒物カレー事件は、この説に一番納得してしまうのですが、こちらは実際の事件なので、裁判長がどう判断するのか見守りたいです。

    で、この映画の事故に関する箇所ですが、実際に交通事故があった場合、鑑識が普通に仕事をすれば、車がスピードを何キロくらい出していて轢いたのか、は分かります。
    しかも映画では、かなり田舎の、しかもガラ空きの駐車場、というところも画面で見せています。
    まだ道路だったら、「琴美が急に飛び出してきたから」という言い訳も通用しそうですが、人が轢き殺された事件の場合、普通なら鑑識がブレーキ痕も調査します。
    この映画の場合、あんなだだっ広い駐車場で、琴美がどこから急に飛び出してきた、と言えるでしょう。
    しかも、ブレーキ痕も無く、轢き殺したのは明白。つまり、物証はあります。
    (車の中の遺体についても、血痕から判断して、最初はどこに座ってて、ココにぶつかってコッチに吹っ飛ばされた、なども鑑識は分かると思います)

    それに目撃者は、ドルジに、警官二名。
    そして、犯人の車が事故を起こした状況についても、相手のトラック運転手からも事情聴取をするでしょうから、江尻たちの車が(轢き逃げして)慌てて道路に飛び出してきたから衝突したのだ、と言うでしょうし、とにかく目撃者が大勢います。
    こうして「轢き殺して逃げた」ことがハッキリ分かるのに、どうして「執行猶予がつくのか?」「なぜコイツが娑婆でウロウロしているのか?」と、とっても大きく思ってしまうのです。

    冤罪事件や今も未解決の事件は、目撃者がいない事が第一の原因でしょうから、監督はこの部分に配慮してほしかったな、と思うのです。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/12 0:11 by バナバナ2

    …続き

    小説は、琴美の事故の部分を曖昧にしているようですが、としぞ。さんみたいに鋭敏な方でなかったら、まだそれ程気にせずに読める人は読めると思うんです。

    ですが、『キサラギ』でもそうでしたが、舞台では如月ミキのマンションが燃えるシーンは、五人のファンの回想で台詞によって説明されているだけですが、映画では映像で見せてしまっていますよね。
    だから「如月ミキがかわいそう」というスレッドが立つと思うのです。
    何事も映像で見せられると強烈すぎます。

    ドルジの行動(心情)は、やはり琴美の死のところはあまり露骨な演出はせず、「自分はちゃんと証言したのに無視され、江尻の言い分が通ってしまった」とした方が、一番しっくりきますね。

  • 長くてスミマセン

    2009/5/12 10:15 by としぞ。

    >私はこの原作が、ミステリー調なのか、あくまで青春の暗い部分を主題に書いた物なのかは分かりませんが、そもそも作者は、「最初からこの事件の部分に関心がなかった」という事は分かりました。

    最初からこの事件の部分に関心が無かった、というよりむしろ、深入りしちゃマズい、と感じたんじゃないでしょうか。
    実際、別事件の容疑者がその事件の目撃者の命を、故意かあるいは過失かはわからないけれど奪い、その事故時に容疑者の仲間二人も死亡。それを目撃したのは被害者の恋人で、しかもその恋人は外国人である、なんて設定だったら、その事件の裁判だけでも一本の映画になり得る素材だと思いませんか?それを、ある程度の具体性を持って物語りに組み込むとしたら、おそらくは作者が『アヒルと〜』で描きたかったものとは大きく乖離してしまう、という危惧を感じたんじゃないでしょうか。
    さらに、結果的に江尻が"執行猶予”にならなければならないプロットに於いて、事故現場に警察官まで来させている流れの中で裁判を具体的に描くのは相当にリスキーなことです。だからたった一言、「らしい」という言葉を使うことによって全ての可能性に曖昧さを施し、ストーリーの主軸を(作者の考える)本筋に引き戻したのではないでしょうか。その嗅覚とテクニックは、流石流行作家、って感じがします。感心はしませんけど。

    そういう意味も含めて考えたいのですが、研研さんは映画の演出について、敢えて提示した"真実”を補完しなかった、と書かれています。そうしたほうが、江尻の罪に向けられる観客の視線がより深いものになり、ドルジに対するシンパシーも強まるのではないか、と。
    この時の観客の感情の発露を研研さんは「何故なんだ!」という言葉で表現されていますが、真実を補完していない場合に現れる「何故なんだ!」は、やはり僕は、ストーリーにあるべきものが抜け落ちていることに向けられるのではないか、と思います。
    基本的なドラマツルギーで言うなら、ストーリーの中の欠落感から感じる理不尽よりも、例えば先にバナバナ2さんが書いていた「実は江尻は警察幹部の息子」とか「国会議員の二世」のようなエクスキューズを挟み込んだほうが、向けるべき怒りの対象が見える分より観客の感情は高揚するだろうし、ドルジとの関係性に於いても、「弱者VS強者」の対立軸が鮮明になり、寄り添う心情も強くなるのではないでしょうか。プロット上では江尻は"執行猶予”にならなくてはならないことが決まっているわけですから、ドルジに感情移入させたいならば、より理不尽さを観客に喚起させる具体性をもった"情報”を与えるほうが効果的だと思います。ごくありがちな方法論ですが、いまだにこうした対立軸が様々な物語で使われているのはそれなりに大きな力を持つものだからでしょう。何より、わかりやすいし。何か"目的"がある場合は、やはり一番効果的な方法を選択することが鉄則だと思います。だけど中村演出は、一番効果的どころか、その"目的”さえもわからない中途半端なものに感じられます。この点は、おそらくバナバナ2さんも同意見だと思います。
    これはあくまで私見ですが、原作者である伊坂幸太郎は、具体的表現を挟み込むことに対して危険とリスクを感じ、一方中村監督は無自覚だった、ということではないでしょうか。

    >「江尻が琴美を撥ねた真実」を提示しているのにも関わらず、しかしその後の展開で、江尻が服役するにしてもシャバを闊歩するにしても、自らが提示した「真実」をしっかり補完することをしない怠慢と無責任に疑義を呈しているのだと思います。(としぞ。さんは、バナバナ2さんの疑義として書かれていますが、としぞ。さんも同意見と考えてよろしいでしょうか?)

    についてですが、改めて『アヒルと〜』について考える端緒となったのはバナバナ2さんのスレッドでしたが、僕は元々原作に違和感を持っていた者で、こうしてレスを重ねるうちに、その違和感が次第にはっきりしてきた、というのが正しいところ。ですから、バナバナ2さんと"同意見”ではあるけれど、原作を読んでいるという意味に於いて、この物語に向ける疑いの視線は、バナバナ2さんよりも広く、かつ深いと思います。

    >ですが、『キサラギ』でもそうでしたが、舞台では如月ミキのマンションが燃えるシーンは、五人のファンの回想で台詞によって説明されているだけですが、映画では映像で見せてしまっていますよね。
    だから「如月ミキがかわいそう」というスレッドが立つと思うのです。
    何事も映像で見せられると強烈すぎます。

    まさか『キサラギ』まで出てくるとは!
    流石バナバナ2さん、よくご覧になっている。でも、まさに物語の構造で言えば、『キサラギ』も、前のレスに書かれていた『アフタースクール』もこの『アヒルと〜』と同じですね。
    ちょうどこの2作品の名前が挙がったので書いちゃいますけど、『アヒルと〜』のレビュー一覧の中で僕の感想に最も近しいのは「iroha1234」という方のものです。この方もレビューの中で『アヒルと〜』と『キサラギ』『アフタースクール』を同列に置いて論じています。
    あそこまで厳しくはないけれど、見解はほぼ同じ。『アヒル〜』にしても『キサラギ』にしても、あまりにも"伏線”にこだわるが故に、何というか、「策士、策に溺れる」みたいになってる感じなんですよね。確かに"伏線”の回収は納得のいくものではあるんだけど、じゃあ、全体のストーリーの中での整合性は?と考えると、とたんに破綻が見えてくる。前にバナバナ2さんが書かれていたように、そのギミックを楽しむ趣旨ならばそれほど目くじらを立てなくても良いのだけれど、そのギミックが作者の意図する訴えたいテーマに深く関係しているとなるとやはり話は別です。ギミックを楽しむのが「流れとしてのストーリーを見せる」ということであるのに対して、ギミックとテーマに深い関連性を設定していることは「ギミックによってドラマを際立たせたい」という意図ですから。ならば、その物語の構築はしっかりやってもらわなくては映画そのものが成立しないと思うんです。当然ながら『アヒル〜』は後者に属するスタイルですから、部分的ではあっても、そのポイントに無自覚だった中村演出が批判されることは仕方ないことだし、当然なのではないでしょうか。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/12 22:22 by 研研

    >>バナバナ2さんへ
    >和歌山毒物カレー事件は、砒素が林真須美被告の家の物と同一のものであるというのはハッキリしてますよね(薬剤証文?とか言って、どこのメーカーの砒素かまで突き止められたとか)。

    確かに、カレーに入れられた毒物と林被告の家にあった砒素は同一の物らしい。けれど、それだけでは林被告がカレーに毒を入れたという物的証拠にはならない。なぜなら、林被告の家にあった砒素と同一の砒素は、他の人も購入することが出来るからだ。
    確かこういう理由で、この事件には物的証拠がない、と報道されていたと記憶しています。

    ある人には決定的な証拠に見えるものが、他の人にはそう見えない場合もある。こんな事態は割りと起こり得るのではないでしょうか?

    僕はバナバナ2さんがおっしゃる“事故の箇所”にことごとく違和感を感じてしまいます。

    >で、この映画の事故に関する箇所ですが、実際に交通事故があった場合、鑑識が普通に仕事をすれば、車がスピードを何キロくらい出していて轢いたのか、は分かります。
    →果たして鑑識は“普通”に仕事をしたのだろうか?車がスピードを何キロくらい出していて轢いたのか本当に分かるのだろうか?

    >しかも、ブレーキ痕も無く、轢き殺したのは明白。つまり、物証はあります。
    →そう、轢き殺したのは明白です。しかし、運転していたのが江尻だと果たして断定できるのだろうか?(ここが最も、バナバナ2さんと意見の分かれる所だと思います。)

    >車の中の遺体についても、血痕から判断して、最初はどこに座ってて、ココにぶつかってコッチに吹っ飛ばされた、なども鑑識は分かると思います
    →本当に鑑識は分かるのかどうか、僕には判断できない。

    >それに目撃者は、ドルジに、警官二名。
    そして、犯人の車が事故を起こした状況についても、相手のトラック運転手からも事情聴取をするでしょうから、江尻たちの車が(轢き逃げして)慌てて道路に飛び出してきたから衝突したのだ、と言うでしょうし、とにかく目撃者が大勢います。
    →江尻達の乗った車が琴美を轢き殺したのは、多くの目撃者にとっても明らかです。ただ、その車内の様子まで“目撃”出来ただろうか?運転手が江尻だったと証言出来る人はいるのだろうか?仮に証言出来る人がいたとして、その人はどこから事件の様子を見ていたのか?ドルジに警官2名、それにトラックの運転手に見えていた視点はどのようなものだったのか?

    普通に考えれば、バナバナ2さんのおっしゃる通りなのでしょうが、僕はそこで「ちょっと待てよ」と思ってしまう。考えすぎのひねくれ者と揶揄される所以です。

    >こうして「轢き殺して逃げた」ことがハッキリ分かるのに、どうして「執行猶予がつくのか?」「なぜコイツが娑婆でウロウロしているのか?」と、とっても大きく思ってしまうのです。

    この一文は、作中におけるドルジの感情にかなり近いのではと思います。おそらくドルジも「なぜコイツが娑婆でウロウロしているのか?」と、とっても大きく思ったことでしょう。
    先の書き込みで、としぞ。さん宛てに書いた内容は、ようするにこういう事なのです。
    ただ、今回僕は、バナバナ2さんの書き込みを都合の良い様に切り刻んで引用していますので、「決してそんなつもりはない」とバナバナ2さんはおっしゃるかも知れませんが・・・。

    毎度毎度、単なるこじ付けのような書き込みで申し訳ありません。

    追伸、和歌山毒物カレー事件については、僕も今後の経過を見守っていきたいと思います。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/12 23:12 by としぞ。

    うーん・・・一度整理して考えた方がいいかも知れませんね。
    まず、研研さんの意見を読んで強く思うのは、観客である我々と、ドルジや江尻や駐車場に駆けつけた警官ら映画の登場人物を同一視してはならないってことです。
    前のレスで、僕は「事実」と「真実」の違いについて書きました。その意味で、観客である我々がスクリーンを通じて見せられているものは、例えばミステリー小説に於ける叙述トリックのような仕掛けを中村監督が仕掛けていない限りすべて「真実」だと判断すべきではないですか?
    研研さんも再度DVDで確認されたように、琴美を撥ねた車を運転していたのは江尻だったはずです。
    監督がその映像を提示し、その映像を観客が見ている以上、それは物語の中で起こった「真実」でなければならず、そうでなかったら、物語以前に、この映画が中村監督と観客の間をつないでいる”メディア”として成り立たないのではないですか?

    >ある人には決定的な証拠に見えるものが、他の人にはそう見えない場合もある。こんな事態は割りと起こり得るのではないでしょうか?

    和歌山カレー事件を導入として、研研さんはこう書かれ、今回の議論のエクスキューズとしていますが、その議論で言うなら、これはあくまで映画に登場する人物たちの"視点”のみの論理。『アヒルと〜』を見たすべての観客は、監督が提示した「真実」としての「江尻が車を運転していた場面」を見て(或いは、見せられて)いるわけです。それなのに、何の説明もなしで2年後に普通に社会生活を送る江尻がスクリーンの中にいるから、バナバナ2さんは「ちょっと待て」と疑義を呈しているんです。
    鑑識や現場検証についても同様です。
    バナバナ2さんがレスで書かれていたのはもちろん想像です。だけれどそれは、単純に言えば「映画の中で描写されていない」から、の、想像です。しかし同時に、「真実」を目撃した者が当然考える「リアルな想像」なんじゃないでしょうか。
    研研さんはこの点についても

    >江尻達の乗った車が琴美を轢き殺したのは、多くの目撃者にとっても明らかです。ただ、その車内の様子まで“目撃”出来ただろうか?運転手が江尻だったと証言出来る人はいるのだろうか?仮に証言出来る人がいたとして、その人はどこから事件の様子を見ていたのか?ドルジに警官2名、それにトラックの運転手に見えていた視点はどのようなものだったのか?

    と書かれていますが、これもまた、観客=バナバナ2さんの視点と映画の中の人物の視点を混同したものでしょう。
    この点は、まず整理した方が良いのではないか、と思うのですが、いかがでしょう。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/12 23:52 by 研研

    >>としぞ。さんへ
    >この時の観客の感情の発露を研研さんは「何故なんだ!」という言葉で表現されていますが、真実を補完していない場合に現れる「何故なんだ!」は、やはり僕は、ストーリーにあるべきものが抜け落ちていることに向けられるのではないか、と思います。

    おっしゃる事は非常に良く分かるつもりです。僕も、ここはちょっと弱い部分だなと思っておりました。要するに、僕の言ったような演出では、ドルジへの感情移入というよりも、作品への批判を招きやすいという事でしょうか。

    >プロット上では江尻は"執行猶予”にならなくてはならないことが決まっているわけですから、ドルジに感情移入させたいならば、より理不尽さを観客に喚起させる具体性をもった"情報”を与えるほうが効果的だと思います。ごくありがちな方法論ですが、いまだにこうした対立軸が様々な物語で使われているのはそれなりに大きな力を持つものだからでしょう。何より、わかりやすいし。

    この部分もある程度うなずける部分はあります。確かに、具体性をもった“情報”を与えるほうが効果的で、なにより“わかりやすい”と僕も思います。ただ、この“わかりやすい”というのが曲者だと思うのです。なにか、具体性をもった“情報”を与えられれば、観客は自分の抱いた感情に納得してしまう。「あぁ、こういう理由で自分は理不尽さを感るんだな」と思ってしまう。納得済みの理不尽さというか、理不尽さを納得した状態というか・・・。しかし、わかりやすく納得出来れば出来るほど、ドルジの感じる理不尽さからは離れていってしまうのではと思うのです。ドルジは自分の感じる理不尽さについて、納得など出来はしないと僕は思うので。
    故に、あえて効果的な演出をしない。わかりやすい演出をしないという方法も、場合によっては“有り”なのではと考えています。

    ところで、今回のとしぞ。さんの書き込みを読んで思うのは、僕ととしぞ。さんの作品の評価には根本的なところで大きな食い違いがあるのではという事です。

    としぞ。さんは
    >確かに"伏線”の回収は納得のいくものではあるんだけど、じゃあ、全体のストーリーの中での整合性は?と考えると、とたんに破綻が見えてくる。

    とおっしゃっている。
    しかし、僕はまさに「数々の伏線が回収される中で、物語のテーマが強調されると同時に、ストーリーの整合性も保たれている。」と考えているのです。僕はこの作品のテーマとは「ドルジが如何に琴美や河崎を愛し、三人で過ごした日々の思い出を大切にしているか」だと思うのですが、としぞ。さんはどの様にお考えでしょうか?

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/13 0:56 by 研研

    >>としぞ。さんへ
    またもや、書き込み途中で先をこされてしまいました。なので、この書き込みが5/12の「Re: どうなってるの?」への返信となります。

    >観客=バナバナ2さんの視点と映画の中の人物の視点を混同したものでしょう。

    この部分、むしろ僕は、観客の視点と映画の中の人物の視点を厳密に分けるべきだとして書き込んだつもりだったのです。

    >『アヒルと〜』を見たすべての観客は、監督が提示した「真実」としての「江尻が車を運転していた場面」を見て(或いは、見せられて)いるわけです。それなのに、何の説明もなしで2年後に普通に社会生活を送る江尻がスクリーンの中にいるから、バナバナ2さんは「ちょっと待て」と疑義を呈しているんです。

    この“何の説明もない”状態を、どの様に考えれば説明できるかというのが僕の主張でして、「真実」を目撃した観客にとって、江尻が殺人犯なのは明らかであるが、「真実」を目撃していない(と思われる)作中の登場人物にとっては、江尻が殺人犯なのは明らかではなかったかもしれない。故に殺人罪で立件できず(ペット殺しの件のみで裁判を行い)、2年後、江尻はのうのうと社会生活を送っている。という風に説明できないだろうか、というのが独断と偏見に満ちた僕のこじつけです。

    >バナバナ2さんがレスで書かれていたのはもちろん想像です。だけれどそれは、単純に言えば「映画の中で描写されていない」から、の、想像です。しかし同時に、「真実」を目撃した者が当然考える「リアルな想像」なんじゃないでしょうか。

    この部分も、バナバナ2さんの書き込みが「真実」を目撃した者が当然考える「リアルな想像」というのは同意です。しかし、作中の登場人物は「真実」を目撃していない。ならば、「リアルな想像」とは異なる事態が起こっても、不思議ではないのではないか?これが僕の考えです。

    映画で描かれた真実は「江尻が琴美を轢き殺した」と「しかし、江尻は2年後、のうのうと生きている」の2点。なぜそんな理不尽な事が起きたのか、観客は“映画のなかで描写されていない”部分を想像するしかない。しかしその際は、「真実」を目撃した観客の視点からではなく、「真実」を目撃できなかった、登場人物の視点から想像しなくてはならない。これが僕の主張です。

    稚拙な書き込みで、いらぬ誤解を招いてしまった様です。申し訳ございませんでした。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/13 1:45 by バナバナ2

    今日、図書館をうろついて原作を借りようと思ったのですが、貸し出し予約がいっぱい入っていたので諦めました。

    私がレビューで一番近い意見は、OUTSAIDERさんですね。
    >作品のテーマとは「ドルジが如何に琴美や河崎を愛し、
    >三人で過ごした日々の思い出を大切にしているか
    …思い出を大切にしているというより、それをブッ壊されて、何もかも無くなってしまった深い絶望感。
    そういう部分を撮りたかった、というのは分かるので、としぞ。さんの言う通り「ギミックによってドラマを際立たせたい」という意図に破綻があるとしても、そこそこ評価したいと思うのです。

    私が「ブレーキ痕から分かる」と書いているのは、よく柳沢慎吾さんがマネしてる『日本警察24時』などの特番で、交通事故における鑑識の仕事が紹介されているのを見てのことです。

    >→本当に鑑識は分かるのかどうか、僕には判断できない。

    元ダイアナ妃のパリの交通事故時の車内の様子を、各ニュース番組がCGを使って再現していましたが、あれも、シートベルトを締めずに後部座席に座っていたダイアナさんやアルファイド氏の遺体の傷などから、事故時に運転席と車の天井に挟まれて強打したとか、鑑識や警察が調査し発表した報告が世界に伝わり、再現されたものです(でも、運転主が何故車の操作を誤ったのかは謎のままですが)。

    いったん琴実が江尻らの車を止めようと飛び出した時は手前で止まったのに、そこからアクセルをわざわざ踏み込んで轢き殺したというのは、現実にはタイヤの痕から分かってしまいます。
    ただの交通事故と、故意による殺人では刑の重さが変わってくるので、そこは警察は丁寧に調べるところです。
    でも、もし地方の警察故に、捜査をいい加減に終わらせていたと言うのなら、その「いい加減な警察」の伏線も、映画で見せておかなければいけなかったでしょう。

    >>「轢き殺して逃げた」ことがハッキリ分かるのに、
    >>どうして「執行猶予がつくのか?」
    >>「なぜコイツが娑婆でウロウロしているのか?」
    >この一文は、作中におけるドルジの感情にかなり近いのではと思います。
    >おそらくドルジも「なぜコイツが娑婆でウロウロしているのか?」と、
    >とっても大きく思ったことでしょう。

    観客は映画の初めから、狂言回しの濱田岳君の目線でこの映画を見ているのですよ。
    どうして観客が、ここだけドルジ目線にならないといけないのでしょう。
    東京から地方に引っ越してきたばかりの、事件のことや三人の関係のことは何も知らない「第三者」に、だんだん謎が分かってくるのですから。

    濱田君の役のキャラクターはボーとした子なので、原作では「…らしい」だけで納得しちゃってますが、観客は若い子から年配の方まで千差万別です。
    若い観客は「コイツ捕まらなかったんだ」で流せるのでしょうが、自分を含めて年配者は「おいおい、そこの説明ちゃんとしてもらわんと」と、引っかかるんですよ。

  • Re: どうなってるの?

    2009/5/13 3:29 by としぞ。

    研研さま

    まず、感情移入に関わる情報の提示についてですが、誤解をしないでください。僕は、それが方法論として正しいと書いたわけではありません。研研さんが書かれていた「ドルジに感情移入させる」に答えて、
    わかりやすい情報を提示することが、多くの感情移入を呼び込むには効果的だ、と書いたのです。

    >具体性をもった“情報”を与えられれば、観客は自分の抱いた感情に納得してしまう。「あぁ、こういう理由で自分は理不尽さを感るんだな」と思ってしまう。納得済みの理不尽さというか、理不尽さを納得した状態というか・・・

    仰ることはわかります。

    >あえて効果的な演出をしない。わかりやすい演出をしないという方法も、場合によっては“有り”なのではと考えています。

    これも仰る通りです。しかし「わからない」では、やはりそれは駄目な演出だし、それが今回の「駐車場の事故現場〜江尻の(映画では説明されていませんが)執行猶予」に於ける中村演出でしょう。
    結局、「わからない」んです。最初にバナバナ2さんがこのスレッドを立てたように、観客は「江尻が車を運転」し、「琴美を撥ね」て「死なせた」にも関わらず、なぜ2年後に「普通に生活している」のか、一切の説明がされていないんです。監督の"視線”によって江尻が琴美を死なせた「真実」を見せているのにも関わらず、示談があったのか、裁判があったのか、江尻が実は大きな権力に庇護されていたのか、それとも何らかの形で罪を償ったのか、何の説明もされていないのです。
    それは「わかりやすい演出をしないこと」とは違いますよね。どう考えても「わからない・わかりようがない演出」でしょう。何しろ、何の手がかりも無いのですから。だから「理不尽」なのです。それは,「どうして江尻が2年後に普通に生活してるの?」という物語に即したものではなく、ドルジの感情に自分を重ね合わせたものでももちろんなく、観客を置き去りにしている演出に対してのものなんです。

    と、ここで研研さんの次のレスが届いたようです。

    >映画で描かれた真実は「江尻が琴美を轢き殺した」と「しかし、江尻は2年後、のうのうと生きている」の2点。なぜそんな理不尽な事が起きたのか、観客は“映画のなかで描写されていない”部分を想像するしかない。しかしその際は、「真実」を目撃した観客の視点からではなく、「真実」を目撃できなかった、登場人物の視点から想像しなくてはならない。これが僕の主張です。

    ごく単純に質問します。
    なぜこの映画は、というか、中村監督は、なぜ「2年後にのうのうと社会生活をしている理不尽の理由」を物語の中で描かないのでしょうか。なぜその理由を観客は登場人物の視点から想像しなければならないのでしょうか。
    原作では、現場検証も目撃者の証言も取調べも警察官の捜査も、そして裁判も描かれてはいませんが、少なくとも「執行猶予」という江尻の処分だけは明示しています。たとえばドルジに言わせてもいい。椎名のナレーションでもいい。観客に「執行猶予」という"真実”が伝われば「演出上の理不尽」は消えるのです。そこから「えー?なんで執行猶予なの?」と疑問に思う観客が現れるかもしれませんが(当然現れると思いますが)、研研さんが主張するように、観客に想像させたい、委ねたいのであれば、それはこの時点からスタートすべきものなのではないですか?
    例えば、それを語るドルジの表情を極めて悔しさに満ちたものにすれば、観客は「ドルジが忸怩(って、ダジャレじゃありませんが)たる思いをした何かがあったんだ」と、それこそ「想像力」を働かせるでしょう。それが「演出」だと思います。

    前後しますが、

    >しかし、作中の登場人物は「真実」を目撃していない。ならば、「リアルな想像」とは異なる事態が起こっても、不思議ではないのではないか?これが僕の考えです。

    については、登場人物の立場に立てばそういうこともあるでしょうが、その「リアルな想像とは異なる事態」を描かない必要があるのでしょうか。また、仮に想像とは異なる事態が起きたとしても、基本的にこの物語は、SFでもファンタジーでもホラーでもありませんから、それが「リアルな想像」を超えるとも思えないのです。

    あ、バナバナ2さんのレスが。
    それについては、また。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/13 23:07 by 研研

    バナバナ2さんへ

    ようやく、僕とバナバナ2さんの根本的な違いが分かった様に思います。

    >若い観客は「コイツ捕まらなかったんだ」で流せるのでしょうが、自分を含めて年配者は「おいおい、そこの説明ちゃんとしてもらわんと」と、引っかかるんですよ。

    この部分僕は、説明がないのであれば、自分で考えれば良いのだ、と思っているわけです。映画に限らず、作品を鑑賞するということは、ただ説明が与えられるのを待つような受身の行為ではなくて、もっと創造的なものだと思います。
    作品中に分からないシーンや納得できない場面があるのなら、「このシーンをどういう風に解釈すれば良いのか」とか「シーンとシーンの間に何か読み取れるものはないだろうか」とか、考えれば良いと思うのです。そうやって想像を膨らませていくのも、作品鑑賞の醍醐味だと思います。

    そういった意味で、バナバナ2さんが以前書き込みされた
    > 出来ればあの時、警官はまだ来てなくて、日本語がたどたどしいドルジの目撃証言より、相手の言い訳の方が通ってしまった・・・、などとした方が、より悲哀が増し、彼が取った行動もより納得できたと思います。

    という解釈は本当に素晴らしいと思いました。この作品の奥に隠されていた宝石を、発見した様な思いでした。
    バナバナ2さんにとっては、上記の様なシーンがなかったために作品の評価が下がってしまったようですが、僕は逆に、上記の書き込みを見て作品への評価が上がりました。やっぱり、きちんと考えれば納得のいく答えは見つかるのだなと思いました。ばなばな2さんは、上記の書き込みも“百歩譲って”とおっしゃってますが、僕にはかなり納得できるものに思えました。

    >観客は映画の初めから、狂言回しの濱田岳君の目線でこの映画を見ているのですよ。
    どうして観客が、ここだけドルジ目線にならないといけないのでしょう。

    この部分は少し異論が有ります。映画の序盤から中盤にかけて、この映画は確かに椎名(濱田岳)視点で描かれています。しかし、映画の中盤あたり、2年前にドルジが新幹線に乗って仙台に来るシーン(白黒のシーンが少しずつカラーに色づいてくる場面です)からは、ドルジ視点で描かれていると思うのです。琴美が悲惨な死を遂げるシーンは、まさにドルジ視点のクライマックスとも呼べるシーンです。なので、この場面、ドルジに感情移入するのがむしろ自然なのではと思うのですがいかがでしょうか?

  • バナバナ2さん、研研さん

    2009/5/13 23:48 by としぞ。

    どうも研研さんは、この議論の肝だと僕が考える疑問には答えていただけないようなので、ここらで引っ込みます。あとはバナバナ2さんにお任せします。長い議論、面白かったです。では。

  • 超ネタバレ! 未見の人は読まないで! ネタバレ

    2009/5/13 23:52 by バナバナ2

    椎名は、麗子と湿原で鳥葬されている江尻を発見するまでは、誰からも過去のことは教えてもらえなかったんですよね。
    あの江尻を発見した時は、「こんな事に俺を巻き込みやがって、冗談じゃねえよ。俺も手を貸したことになるじゃないか」と、ドルジを恨んだことでしょう。
    だが、麗子に2年前のことを教えてもらったことによって、椎名=観客は「ドルジってかわいそう。こんな事したのも分かるよ」と、たいがいの人がドルジに共感します。

    しかし、麗子の話による再現映像は、
    1.琴美とドルジが動物虐待の現場を目撃し、警察に通報。その時、琴美の身元が分かる物を落とす。
    2.琴美、三人に拉致されかけるが、寸でのところで河崎に助けられる。河崎が警察に電話(これで、この件は警察の記録に残っている筈)。
    3.琴美の家に度々脅迫電話がかかってくる(留守電にして電話を取らないことから、それが分かる)。
    4.また脅迫電話がかかってきて、バックの音から琴美とドルジはボーリング場へ急行。
    そこで奴らの車を発見。車の中に動物がいるのもチェック。警察へ通報。
    5.三人組の車が琴美を轢く。ドルジと警察官2名がその現場を見ているショットも映す。
    6.場面変わって1年後か? ドルジと河崎が新聞から江尻の所在が分かり、復讐に行こうと店まで行ったが、河崎が倒れる。

    1〜5は、これらの事件に直接かかわっていない麗子から説明された映像だから、麗子は裁判を傍聴したと思われる。

    6で、河崎も復讐に行こうとした事から、琴美が車に轢かれて死んだ裁判は終わっていると思われる。

    椎名はそれと知らずに拉致、殺人未遂の片棒を担がされたのだから、全てを知る権利がある。
    麗子は1〜5までを椎名に説明できたのだから、裁判の結果、江尻に「執行猶予」が付いたことも、椎名に話した筈。
             ↓
    しかし、観客にはこの部分の映像や、台詞での説明は提示されない。
             ↓
    観客(私)は、江尻が普通に働いている理由を想像してみる。1〜5から、
    a.被害者・琴美が動物虐待を通報したことがあるのは、警察も記録で分かる筈。
    b.琴美はこの三人組に拉致までされそうになったが、河崎がその直後に通報したので、警察はその件も知っている筈。
    c.その琴美が、ボーリング場で車に轢かれて死亡。轢いた車に乗っていた人間が、動物を虐待していた犯人という事が分かる。
    d.a〜cにより、普通だったら警察は、被疑者が被害者に対して殺意を持っていたのではないか、と疑う筈。
    e.河崎は琴美轢き逃げ事件の裁判中はまだ生きていたし、琴美拉致未遂事件を防いだ当人なので、この裁判で証言した筈。
    …と推察する。
              ↓
    ひかり市母子殺人事件の犯人は、未成年だったけど死刑求刑中。
    闇ネットで知り合って、帰宅途中のOLを殺害した犯人たちは、計画して仲間を集った主犯格の男は自主したから無期懲役。それに従った残り二人は自主しなかったから死刑の一時判決。
              ↓
    実際の事件でも、上記の様な判決が出ているので、誰が車を運転していたのかハッキリ分からなくても、もし江尻が使いっ走りだったとしても、
    “どうして服役してないんだ!?”と疑問大全開!!!

    私の場合、江尻に対する具体的な情報が与えられなかった為、このようにして、この映画の後読感が損なわれてしまったのです。

  • アラアラ ネタバレ

    2009/5/14 0:16 by バナバナ2

    私が一生懸命に書いている間に、研研さんととしぞ。さんから、またレスがありましたね。

    今研研さんのレスを見て、映画を見直していたんですが、結局麗子は「聞いてごらん、ブータン人に…」って、自分が2年前の話をしたのではなく、ドルジが椎名に直接話してたんですね(この部分、忘れてました)。

    しかし私は、ドルジ目線の映像情報からでも、江尻が娑婆にいる理由が何の説明もなかった為に、a〜eまでの事を考えてしまって、映画の余韻に浸れなかったのです。
    それって、すごくもったいないと思うのですが。

    私も自分が感じたことは書きつくして、これ以上書いても堂々巡りになると思うので、このスレッドはこれにて終了させて頂きます。

    研研さん、としぞ。さん、最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

  • Re: どうなってるの? ネタバレ

    2009/5/14 2:06 by 研研

    としぞ。さんへ
    ばなばな2さんへの返信と重複する点ございますが、ご了承ください。

    >結局、「わからない」んです。最初にバナバナ2さんがこのスレッドを立てたように、観客は「江尻が車を運転」し、「琴美を撥ね」て「死なせた」にも関わらず、なぜ2年後に「普通に生活している」のか、一切の説明がされていないんです。

    わからないならば考えれば良い、一切の説明がされていないならば、自分で説明を考えれば良い、と僕は考えています。

    >それは「わかりやすい演出をしないこと」とは違いますよね。どう考えても「わからない・わかりようがない演出」でしょう。何しろ、何の手がかりも無いのですから。

    それは本当に「わからない・わかりようがない演出」なのでしょうか?手がかりは無いのではなく、ただ気付いてないだけではないのでしょうか?そもそも「わかりようがない演出」は理不尽さを表現するのに不適切なのでしょうか?僕はこういった事を考え続けたいと思うのです。それこそ、伊坂作品『魔王』の登場人物・>安藤が立ち往生するたび「考えろマクガイバー、考えるんだ」と呪文の如く唱えるように。

    >なぜこの映画は、というか、中村監督は、なぜ「2年後にのうのうと社会生活をしている理不尽の理由」を物語の中で描かないのでしょうか。

    この部分、改めて考えてみましたが、今の時点でとしぞ。さんに納得頂けるような答えは出せませんでした。ただ、「理不尽の理由」を描いてしまうのは単なる蛇足ではないか?と僕は思います。どうしてそう思うのかは上手く説明できません。はぐらかす様な答えで申し訳ないのですが、この問いはまだまだ考え続けたいと思います。

    >なぜその理由を観客は登場人物の視点から想像しなければならないのでしょうか。

    これは、僕の言葉が足りなかったかも知れません。ここは「理不尽の理由」を「理不尽をもたらした状況」と置き換えさせてください。「理不尽をもたらした状況」(≒ストーリー)を作りだすのは登場人物達だと思います。観客はそうした状況(≒ストーリー)に介入する事は出来ません。僕が言いたいのは、登場人物達の行動は、観客の先入観にとらわれるべきではない、ということです。

    >原作では、現場検証も目撃者の証言も取調べも警察官の捜査も、そして裁判も描かれてはいませんが、少なくとも「執行猶予」という江尻の処分だけは明示しています。たとえばドルジに言わせてもいい。椎名のナレーションでもいい。観客に「執行猶予」という"真実”が伝われば「演出上の理不尽」は消えるのです。そこから「えー?なんで執行猶予なの?」と疑問に思う観客が現れるかもしれませんが(当然現れると思いますが)、研研さんが主張するように、観客に想像させたい、委ねたいのであれば、それはこの時点からスタートすべきものなのではないですか?
    例えば、それを語るドルジの表情を極めて悔しさに満ちたものにすれば、観客は「ドルジが忸怩(って、ダジャレじゃありませんが)たる思いをした何かがあったんだ」と、それこそ「想像力」を働かせるでしょう。それが「演出」だと思います。

    この部分には少々思うところがあります。としぞ。さんのこの書き方だと、「執行猶予」という処分の明示がなければ、「ドルジが忸怩たる思いをした何かがあったんだ」と「想像力」を働かせる事が出来ないともとれます。
    作品の終盤、河崎が死んだ後、公園で一人うなだれるドルジが河崎のジャケットを羽織るシーンや、ドルジが部屋の中でボイスレコーダーを聞いているシーンは、ものすごく想像力を掻き立てられる場面だったと個人的には思います。ドルジの抱える煩悶や苦悩、過去への郷愁など様々な感情が痛いほど伝わってきました。「想像力」を働かせるのが演出だとすれば、見事な演出が施されたシーンだと思いました。「執行猶予」という処分の明示が無くても、十分想像力を働かせる演出は可能だと思います。

    >登場人物の立場に立てばそういうこともあるでしょうが、その「リアルな想像とは異なる事態」を描かない必要があるのでしょうか。

    これは、最初の問いとほぼ同じ内容だと思いますが、描かない必要については、現在のところ十分な答えを出すことが出来ません。ただ、描く必要はあるのか?といえば、やはりそれは蛇足のように思います。結局、満足に答える事は出来ません。申し訳ございません。

    あらら、としぞ。さんへの返信は間に合わなかった様です。たいした答えにもなっていないのに返信に時間がかかってしまい、重ね重ね申し訳ございません。こちらこそ、お付き合い下さり有難うございました。

    バナバナ2さん、突然お邪魔して申し訳ございませんでした。これまで長々とお付き合い下さり有難うございました。

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