浮島の解釈、そして光るもの ネタバレ

2013/2/12 23:51 by 黄金のキツネ

ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日

鑑賞したのは2月10日。
好ましかった話はトラ(リチャード・パーカー)が登場するほう。

以下にもうひとつの話、すなわちパイが逆上のあまり母親を殺害したコックを殺したというストーリーのほうで考えた内容について、ネタバレ多々で記します。長いので根気のある方以外にはあまりお奨めはいたしません。

では……


もう一つの話は倫理的に非常に重たかったが、内容自体は単純な事実の連なりに還元できると思えた。ただ、浮島の意味するところがさっぱり見当がつかなかった。このもう一つの話において、この浮島はいったい何の比喩だったのだろう。その解釈が思いつかず、ボゥ〜っと考えていた。

はじめは浮島の実の形から蓮(ハス)の花を連想したので、仏教に関係があるのだろうと思い、仏教による解釈を試みた。パイの命をつないだ昼間の真水のプールは、夜には強烈に死を暗示する。種があるはずの実の中心に歯があった植物は、諸行無常とも、生者必滅とも、あるいは輪廻転生ともとれる。つまりこの島全体が、死をも含む生命の実相を表しているのだと考えられ、その解釈は一応仏教の解釈にも馴染んでいるように思えた。

だがしっくり来なかった。
なぜならこの映画における仏教の扱いはとても軽いからだ。
船内での食堂のシーンで、若い青年が提案した食事に関する見解は、結局パイの家族には受け容れられず却下されている。それにこの浮島が仏教の教えで解釈されるものならば、序盤において仏教は重要なモチーフのひとつとして登場していなければならない。しかしそのような構成ではない。それではこの島のシーケンスに至って、ようやくはじめて仏教が詳細に述べられたのだろうか。だが初めて脚光を浴びる仏教が、このようなおぞましさ、後味の悪さを残すような描かれ方で終わってよいものだろうか。

そうではあるまい。少なくともこの原作者には特定の宗教を誹謗する姿勢は感じられない。おまけに劇中でのパイは仏教徒でもない。したがってこの浮島のパートは仏教をモチーフとしたものではあるまい。

この島のシーンを観た直後は、なまなましい感覚が残って少々不快だったのだが、この島がパイと彼の分身であるトラの命を繋いだことを考えると、この島が単純に禍々しさの象徴としてとらえるべきものでないことは確かだ。浮島の全景は仰向けに寝ている人の姿であり、なおかつぼんやりと光っており、その絵柄からすればやはり神性を帯びたものととらえるべきだと感じた。

仏教以外でこの映画において神性を感じさせるもの。
それはなんだろう。
パイが信仰していたのはヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教だ。これらの宗教は、本来の仏教、つまり釈迦がその生存時に直接説いた仏教とは異なり、すべて神を必要とする宗教だ。そして嵐の時に祈りを捧げていたのは、ヒンドゥーのヴィシュヌ神だ。ヒンドゥー以外ではどうか。イエスなら、その亡骸は通常十字架の上か、マリアの膝の上であろうし、この島の不気味さとは相いれない。イスラム教ではその教義から言って具体的な姿が映像として表現されることなど到底あり得ない。

では浮島をヴィシュヌとみなした場合、なにか不都合な点はあるだろうか。
こういうときにウィキペディアは便利だ。

調べてみると、
(1)ヴィシュヌの臍(ヘソ)から伸びた蓮の花からブラフマーが生まれる
(2)ヴィシュヌから生まれたブラフマーが宇宙を創生し、それをヴィシュヌが維持・管理する
(3)ヴィシュヌには多くの化身(アヴァターラと呼ばれ、「アバター」の語源とのこと)がある
などの記載があった。

蓮に類似した植物の実の中に歯が入っており、映画にはヴィシュヌと共通のモチーフが使われていると言えよう。またヴィシュヌの役割が宇宙、つまりこの世界の維持であるのなら、生と死、つまり生命の実相にも当然ヴィシュヌは深く関わっていると言ってよいだろう。

このように考えたので、この浮島はヴィシュヌ自身、あるいはその化身と理解して良さそうに思えた。この考えをもとに、さらに漂流のできごとについて考えてみた。


さて劇中の浮島のエピソードから少し前に遡る。

パイの生命維持の根幹にある原初の凶暴な本能としてトラは活動している。パイは理性、あるいは表層上の自我であろう。そのトラがハイエナを殺す。そのあとパイはトラを飼い馴らしはするが、トラが恐怖の対象として、さらには慙愧の象徴として存在することに変わりはなかった。

そんなときに、ヴィシュヌが稲妻として顕現した。そのヴィシュヌに、パイがトラに見せたがったのも道理だ。彼は己が思うにまかせないでいる本能を神に直接見てもらい、神からの言葉、あるいは承認、あるいは赦しを得たかったからだ。

嵐の後で、パイは救命ボート上でトラの頭を膝の上に乗せる。残念ながら神からの赦しの件はわからなかった。大切なところを見逃したのかもしれない。ひょっとしたら本能とはある程度の共存協定が整ったのかもしれないし、あるいは単に飢餓と渇きでパイの理性も本能も疲れ切っていただけなのかもしれない。ここのところの考察は不十分なまま残っている。

そして場面は進み、浮島、つまりヴィシュヌへ漂着する。

ヴィシュヌの体内で、パイは、「生きることは殺すこと」、という生命のありようを知る。昼間が生命で満ちあふれていても、夜として象徴される死の世界が、生の世界のすぐ隣に存在し、その両者が織り成す構造こそが、生と死のあるこの世界、この宇宙の実相だと深く理解するに至る。

長期間の漂流という極限状況にあっては、それが凶暴な本能であろうと、人倫にもとる人肉食であろうと、それらすべてははじめからヴィシュヌにより赦されている。なぜならすべてはヴィシュヌがつかさどること、つまりヴィシュヌの体の中でのできごとであり、ヴィシュヌが維持する世界の摂理のひとつの現われに過ぎないのだから。原初の世界での生命のありようは、食べて、そして死ぬことの二点に尽き、そこに形而上学的価値観が入り込む余地はない。そのような世界をヴィシュヌから生まれたブラフマーは造りあげ、その世界をヴィシュヌは偉大なる神として維持し続けている。したがって原初の世界のように、生か死かの二者択一を突きつけられる状況では、パイの救命ボート上でのさまざまな行為は、はじめから、無条件で赦される。なぜならパイも生きて、そして死ぬ身であるから。この世界の一員として、ヴィシュヌから生命と、そしていずれ死すべき運命とをその身に備えさせてもらった存在なのだから。

これがこの寓話で語られた信仰の本質のように思う。
実際のところ、この島を出発するときにはまだパイは死に対する恐怖だけが気持ちの上で勝っていたようにも思う。だがその後で、上で述べたような内容を理解し、自分の信仰として身に着けたのだろう。


浮島の後の話に進む。

メキシコの海岸で、トラはパイの願いも空しく振り向かず、さよならも言えず、森に消える。

パイには自分の分身であったトラ(通常の食欲、性欲、睡眠欲よりもさらに深いところにある原初の本能)に深い感慨があったことだろう。しかしその上で漂流期間では必要だったトラは、文明世界に戻ったパイ(理性)にとって今後は制御したい、支配下に置きたいと切望するものともなった。だからこそ、もうろうとした意識の中でも別れを告げたかったのだろう。パイの理性はそのために、本能にはっきりとした決別を告げたかったのだ。

だが、そうはならなかった。本能は、本能のまま、原初の姿を保ったまま森へ消える。本能は理性のコントロール下にはいることを拒絶した。パイは泣いたが、極限状況を生き延びたパイには分かっていたはずだ。理性が望んでも、本能に別れを告げることなどできないことを。

かりにまたパイが危機にさらされることがあったなら、この荒々しい原初の本能はパイの表層の意思や理性とは無関係に、パイの生存を維持している生命活動そのもののために再びその凶暴な姿を現すだろう。振り向きもせず、唸り声すらたてずにただ消え去っていったトラの姿に、実はこの理性とは完全に独立した本能の働きが担保されていたのではないだろうか。私にはそう思えてならない。

劇中現在において、パイはこの凶暴なるトラの件を引きずってはいない。自分に凶暴な本能が潜んでいることを自覚している。そうでなければトラの登場しない第二の話を他人に語ることはできない。パイはトラが潜む自分自身を怖れてもいないし恥じてもいない。その凶暴さを含めて自分は自分であると考え、しかもその考え自体が信仰で赦されていると自覚し、かつ満足もしている。

落ち着いて訪問者に話ができること、そして幸せそうな家族の存在がその証左だと思う。


最後に、
光るものが神性の表現だと考えた場合、稲妻や浮島以外にも神は現われていたのではないか。この観点からすると、クジラは間違いなく神の化身であろうし、その直前の光るクラゲの群れもまた神性を帯びたものだっただろう。

これらのように、夜間のシーンでは光るものは分かりやすいが、それでは日中のシーンではどうなのだろう。筏(いかだ)の直下で採れた大きな魚(シイラかな?)も緑色にキラキラ輝いていたので、神のひとつの顕現であった可能性がある。トビウオやそれを追いかけてボートに飛び込んできたマグロはどうだろう。これは夜のシーンだが、星空を映した鏡のような海面のシーンも、実は神によるおだやかな見守りだったのかもしれない。

この映画には私が気づかなかった神性を示すシーンやモチーフがあったのかもしれないなと、今になって思っている。それらの神性を汚さないためにも、この映画は美しく撮られたのではないだろうか。もう一度観る機会があれば、それらをひとつひとつ探してみたい。

いい映画だと思います。
再見したい気になりました。
あ、ちなみに我が家での実験では
バナナは水に浮きました。

 



  • Re: 浮島の解釈、そして光るもの

    2013/2/13 16:11 by 未登録ユーザうさきち

    はじめまして。

    ブラフマンの解釈とても参考になりました。ありがとうございます。

    この映画で気になったのは船です。名前がTSIMTSUM(ツィムツーム)号、救難ボートにも同じ名前があります。これは縮小の意味で、世界の縮図というメタファーがこめられています。

    つまり、貨物船はノアの箱舟で、ボートは個人の心でしょう。この船名はカバラ思想からきていますから、ボートは「生命の樹」を象徴していて、シートがかかった部分が陰で、シートが無い部分が陽なのでしょう。
    パイの理性が陽で、野生や本能が陰かと。それでトラはシートの中にいました。

    トビウオなどの食料を奪い合ったパイ(人類のメタファー)が、次のシーンでは食料を分け合います。シートの境界を巡ってオシッコを掛け合い縄張り争いしますから、シートの境は国境線をめぐって争う人類も象徴しているのだと思います。

    こんな印象を持ちました。

  • Re: 浮島の解釈、そして光るもの ネタバレ

    2013/2/15 22:44 by 黄金のキツネ

    レス、ありがとうございました。

    日本の貨物船にしては変わった船名だなぁと思っていましたが、
    カバラに関係があったのですか。
    カバラは、その名称だけは聞いたことがありましたが、内容までは知りませんでした。いちおういくつかのサイト(ウィキを除けば、『ヘブライの館2』が良かったかな)を覗いてみましたが、とても理解したと言えるほどの知識は身につけておりません。

    ですが、ボートを「生命の樹」ととらえて陰と陽とに分け、おのおのが「理性」と、「野生」あるいは「本能」の比喩であるという考えは、たいへん示唆に富むものでした。実はこの作品の鑑賞後に、テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』を観た後のような気分になっていたのですが、この作品にも「生命の樹」が隠れモチーフとしてあったなんて思いもよらなかったです。

    ただ、この物語が人間の社会全体としての争いまでをもその比喩の中に含んでいるのかについては、私は否定的な見方をしています。なぜなら国境をめぐる争いは、国家間や部族間の利害、経済問題、歴史といった言わば世俗的な事柄で決められていることが大半でしょうし、純粋に信仰や宗教だけで決められているものは少ないのではないかと思っているからです。

    せっかくのレスに、ちょっと反論しましたが、うさきちさんのお考え自体を否定しているわけではありません。私はまた別な立場にいる、という表明だとご理解ください。私は多様な考えに接するのが好きなので、うさきちさんのレスはうれしく思いましたし、ほんとうに参考になりました。ラストで家庭を持ったパイが語ったように、物語を聞いた後は、聞いた人自身の、個人の物語になるのだと思います。ですのでご容赦いただければと思います。

    実は今、美しい夜空の下で海の底に横たわる船まで視点が移動し、光りを帯びた母親の顔が現われたシーンを思い返しています。このあたりからトラがおとなしくなっていたような気がしていますが、これはトラがこのイメージを見せたのか、それともトラも同じイメージを見ていたのか、いまだ結論をくだせないままでいます。本能こそが真の信仰へいざなうのか、本能もまた理性と同じように信仰を望むのか。母親のイメージも、ヴィシュヌの化身と考えるべきか、あるいはヒンドゥーではなく、聖母マリア信仰?? もちろん単に母親への想いが生み出したものなのかも…などなど、いろいろな想像が湧き上がってきます。ベンガルタイガーの耳の裏が、紺色のような色合いだった点とともに、記憶に残ったシーンの一つでした。

  • Re: 浮島の解釈、そして光るもの ネタバレ

    2013/2/27 22:16 by 黄金のキツネ

    監督賞などのアカデミー賞の栄誉、
    まずはなによりです。
    二度目の鑑賞で気づいた点がありました。

    @ヴィシュヌ神は、少年時代のパイが教会を訪れた直後に、小さな寝姿の像として劇中で登場していたことに、今回初めて気づきました。

    A恋人が踊りの動作で表現したものが、「森の中の蓮」であったということ。一回目にも聞いていましたが、完璧に失念していました。

    これらから改めて浮島のことを考えると、やはりあの島はヴィシュヌ神と考えて間違いはないと思います。

    さらに、

    B最初に捕まえた大きな魚のシイラについて、パイは映画の中で「ヴィシュヌ」と言明していました。一回目は聞き逃していました。

    C嵐の後、夜空を見るトラから始まり、海のそこに沈んでいる舟へと至るイメージの奔流の中に登場した光る文様(母親の顔の直前に出現)。
    ……これは初見時には花か蝶々のように思ったのですが、今回は母親がクリシュナ神をパイに教えたときに地面に描いた模様のように見えました。

    Bは確実であり、Cも私の勘違いでないとすれば、この映画におけえるヒンドゥー教の扱いは大変大きいものだと思います。


    まあ日本人に生まれたせいで日頃から多神教になじんでいるので、ヒンドゥーのいろいろなモチーフに共感しやすかったのかもしれませんが、あまりキリスト教のにおいは感じずに済み、うれしく思いました。それでも西欧社会で評価が高かったということは、キリスト教信者もそれなりの満足を得たのでしょうから、各宗教に関するアン・リー監督の描き方の「さじ加減」が、絶妙にうまかったのでしょうね。

    普段神などは信仰していないにもかかわらず(今後も信仰する気はないのですが)、率直に「祈り」について思いを馳せることができた映画でした。
    原作を読む気はないのですが、映画はさらにもう一度観たいなと思っています。

満足度データ

ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
100点
18人(6%) 
90点
70人(24%) 
80点
75人(25%) 
70点
70人(24%) 
60点
33人(11%) 
50点
10人(3%) 
40点
9人(3%) 
30点
1人(0%) 
20点
2人(0%) 
10点
2人(0%) 
0点
0人(0%) 
採点者数
290人
レビュー者数
105
満足度平均
76
レビュー者満足度平均
78
ファン
29人
観たい人
181人

 

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