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人生は他人の想い出になって完結する
2006/6/16 15:15
by
さくらんぼ
松子には一人の妹がいました。なんでも話し合える、仲の良い姉妹です。でも妹は病弱らしく、家からは出られない生活なのです。妹にとっての世界とは自宅の中だけ。妹が交わる人とは家族だけなのでした。
そんなある日、ふとしたことから、松子は妹を殺さんばかりの大喧嘩をし、暴力まで振るい家出しました。残された妹は、姉から捨てられた事を大そう哀しんだ事でしょう。やがて何年かの後、孤独の中で死んでいきました。
でも、本当は松子と喧嘩できて、少しだけ幸せだったのかも知れません。もし妹が一人っ子だとしたら、どうだったでしょう。本気で喧嘩してくれる程の他人もおらず、誰にも知られずにこの世に生まれ、誰にも知られず死んでいったとしたらどうでしょう。そんな人生はさらに悲しい。悲しすぎます。
他人様とは仲良くできるのが一番ですが、他人様と喧嘩できるほどの力強い人生もまた、幸せの内かも知れません。世間様に果敢に挑んだ松子も晩年には力尽きて孤独な生活に入ります。そこで、ふと、妹の事を想い出し、彼女の髪を切ってやるシーンがありました。
波乱万丈な松子の人生模様のすべては、妹に再会するために在るかの様に、あのシーンに集束されました。今、孤独な松子が孤独な妹を理解したのです。やがて松子は天国で待つ、妹の元へ帰ります。
花はどこで咲いても花ですが、蜂や人に見られて、初めてその命が価値有るものとなります。一人で咲き、一人で散っていく花なんて、なんと悲しいものなのでしょう。人生もまた然り。他人の想い出になって初めて完結します。松子が出会いのたびに自分の半生を語り、また誰かに似たアイドルに、長い長い手紙を書いたシーンがありました。同様に、松子と喧嘩までして喜びと哀しみを共有した妹にとっては、松子が、かけがえのない生きた証だったのです。
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追記 ( 満開の桜 )
2012/5/4 22:31 by
さくらんぼ
> 花はどこで咲いても花ですが、蜂や人に見られて、初めてその命が価値有るものとなります。一人で咲き、一人で散っていく花なんて、なんと悲しいものなのでしょう。人生もまた然り。他人の想い出になって初めて完結します。
ニュースで、去年までにぎわっていた桜の名所に、今年は花見客が誰も来ない、と言っていました。放射能に汚染されて人々が避難してしまった、とある東北地方の話です。
ニュースはさらに語りました。誰も花見客がいないのに今年も満開の花を咲かせている桜が本当に不憫だと。
映画「嫌われ松子の一生」のレビューを書いていた時、まさかこんな話がTVで流れるとは想像すらできませんでした。
満開の桜の中、5月5日「こどもの日」に、日本のすべての原発が運転停止します。子供たちの将来のためにも、この運転停止が意味深いものになるように願いたいものです。 -
追記U ( 友だちは )
2016/7/31 7:11 by
さくらんぼ
どこかで「屋外/野外映画館」みたいな記事を見つけました。
そう言えば、私も子どもの頃に一度だけ観たことがあります。あれは小学校・低学年の頃でした。夏休みの夜、校庭に大きなスクリーンを張って。
プログラムは邦画のドタバタ喜劇でした。ドリフターズのTVコントみたいな。面白かったですね。家にはまだラジオしか無かったかもしれないし、映画館では親父好みのチャンバラばかりでした。そんな中で観た初体験の喜劇です。子供にとっては遊園地にでも行ったような興奮。
夏の蒸し暑さと、少し怖い夜の闇、イスに座らずにいた疲労感。校庭のどこから観ても良い自由さと、そして帰宅して母親に長々とその面白さを話した記憶。母は炊事をしながら聴いてくれました。あの頃の私はまだ母に無邪気だったのですね。
でもなぜか、ひとりぼっちで観たような。
友だちはいなかったのかしら。 -
追記V ( 今日は桜の開花日 )
2019/3/22 22:00 by
さくらんぼ
「 おじさんたちは、無理に読書する必要はない。今までの人生経験を語りなさい。その方が有益だ 」。
( どこかで読んだ言葉 )
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