学生さん、いらっしゃ〜い
2007/10/9 20:24
by
月踊り
またこのテのエンディングでしたか、はあ〜。
父親と思しき不思議な男と過ごした二人の子供の不思議な一週間(今となってはですよ)を描いた作品です。この父親が何者であるのか、何故12年もの間家を空けていたのか、思わせぶりをするワリには、最後まで教えてはくれません。
最後まで謎のままであることにこの作品の意味があるというレヴューもありましたが、要はこの父親が子供のことを愛してはいなかったという事のと同様に、この映画作家は観客の事なんか気にしていないという暗示なんでしょう。
映像美とか、象徴の描写とか、非常に映画的な技巧に長けた作品だと思いました。映像などを学んでいる学生さんたちには熱狂的に支持される、お手本のような作品なんでしょうね。
同時にウッディ・アレンの映画なんかによく出てきた、「ベルイマンは所詮キェルケゴールよ」などと弁わる鼻持ちならない連中に絶賛されるような映画なんだと思いました。
少なくとも安居酒屋で、「あの映画よかったよね〜」といったシチュエイションで語られることはないでしょうな。
とにかくボクにはもう勘弁願いたい映画でした。
ヴェネツィア映画祭で大喝采だったそうですが、それを聞いても「ああ、そう、変わったんだね」ってのが感想です。
『父帰る』などというタイトルから、もっとコミカルでハートウォーミングな作品かと思って観たのですが、逆に創り手と観客との間隔がここまで拡がってしまっているのか、という認識を持つに至った、心暖まらない秀作でしたね。
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Re: 学生さん、いらっしゃ〜い
2007/10/10 16:22 by
カイタカケンこんにちは、月踊りさま。
> 要はこの父親が子供のことを愛してはいなかったという事のと同様に、この映画作家は観客の事なんか気にしていないという暗示なんでしょう。
↑ココが少し気になったもので、ご迷惑かもしれませんが(笑)お邪魔しました。
月踊りさまの指摘のように、12年ぶりに現れた父親の過去、背景は全て謎のまま放置されています。
無人島には何が埋められていたのか、父親が接触する人達の素振りから、何らかの非合法な仕事に関わっていたのでは?とも想像できますが、本作品は長期間『不在』であった父親を正に異物のように見る兄弟(←特に弟)の視点が中心になっているので、子供の理解の範疇を超えたものは語られない様に思えました。
母子一体の安定した関係性、蜜月のような母子関係は子供の成長に不可欠な冒険への『出立』を阻害しやすい。
本作品でも、通過儀礼となる父との小旅行を提案し3人を送り出したのは、海岸の櫓から海に飛び込めずに震えていたわが子を優しく受け入れてしまう母親でした。
父親は高圧的で、子供の気持ちなど微塵も考えていない人物に見えますが、彼が子供達に教えようとしたのは、女ではとても難しい『大人の男』が生きていく為に不可欠なスキルであり、ルールです。
父親の存在は不条理そのものでしょうが、父親は終盤、彼に反抗していたイアンを“ワーニャ”の愛称で呼ぶようになりました。
コレは、無骨な父親のせめてもの愛情表現であったと私は受け取っていたんですね。 -
Re: 学生さん、いらっしゃ〜い
2007/10/10 21:15 by
月踊りレス有難うございます。概ねカイタカケンさんの見解には同意できます。親子関係に関する見識も素晴らしいと思いました。
自分の乱暴な文章を読み返してみて、確かに言葉足らずであったと反省しております。
>この父親が子供のことを愛していなかった
ここに「それほど」という言葉を入れたいと思います。この父親はそれほど子供達を愛してはいなかった、これは確かだと思います。そしてこの旅も妻に促され、「まあ、しょうがないか、仕事のついでだ。イザとなったら帰せばいいし」というそんな動機だったんじゃないでしょうか。それが下の子のイワンに「12年後かよ!」という思わぬ反撃を食らって、いささかのたじろぎと良心の呵責も覚えたんだと思いますよ。
皮肉なことにイワンの敵対心とは逆に、その父親の方がむしろ少しずつ父性を取り戻していったんですね。ただ救い難い不器用さ故に溝は埋まらないまま話は淡々と進んでゆきました。イワンがブチ切れて死をちらつかせた時、初めてこの男は息子への愛情を自認しました。そこで起きてしまった悲劇、ボクはこの男とフェリーニの『道』におけるザンパノがダブりました。
こういった心の揺らぎを描いた映像は確かに特筆に値します。素晴らしい力量を持った映像作家であることに疑念はありません。しかしながら、あの箱です。どなたかがここで書かれた文章に、この監督はインタヴューの度に箱の中身を訊かれてウンザリしていた、とありました。
でもそんなの当たり前でしょう。思わせ振りをしておいて、そんなの訊くなはないでしょう。このエピソードを読んだだけで、この監督が観客を見下ろしたお芸術作家だという認識に至ったのです。
ごめんなさい、また問わず語りになっちゃった。 -
やはり秀作
2007/10/11 16:25 by
キリギリスのバイオリン月踊りさんのおっしゃることは、よく分ります。皆多かれ少なかれそういう感想ももったと思います。でもそれだけでもないようにも思います。
芸術は「虚実の皮膜」といったのは近松だったでしょうか?
芸術が実人生の単なる描写だけのものではないととすれば、効果を狙って様々な仕掛けを張り巡らせるのが芸であり術というものともいえるでしょう。そういう効果を出すためには現実にはありえないようなことも捏造?するのが芸術だとすれば、父親の色んな不可解な行動も劇的効果を高めるための「芸」だったと私は解釈しています。この無骨な父親はやはり子供を彼なりに愛していたのだし、愛情表現が下手なだけなのです。(或るいは、いつも傍にいる父親より深く切なく愛していたかもしれない。)親子3人で食事が終わって子供がレストランの前でチンピラに財布を盗まれるのを父親が窓越しに見ていて後で車で追っかけて取り返す場面は印象深く、この場面だけでもうこの映画のとりこです。こんな映画は初めてです。父として自分の愛する息子達にこれが社会の現実だと身をもって教えたかったのでしょう。こういう愛情表現もあってよい。でも12年というブランクは幼いイワンには受け入れがたかったでしょう。平素、愛と信頼関係があっての上での厳しい教訓なら素直に受け入れられたでしょうが、それもないのに突然父親面されて一方的に厳しくされてもそれは無理というもの。
でも、それにも係わらず、全編、香り高い優れた文学作品を読んでいるような感じを受けました。ただ、遺体となった父親が湖に沈んでから、兄弟二人が車で云々という場面は要らなかったような気がします。最期の終わり方が少し稚拙で不満を感じています。この映画に相応しく突如終わって欲しかった。(ただ、やがて父親の突然の事故死を知ることとなる母親を想うと辛いです。でもそれが人生というものなのでしょう。人が生きるって大変です。そういう映画だと想います)稚拙な感想で申し訳ない。ほんのひとつの意見です。 -
Re: 学生さん、いらっしゃ〜い
2007/10/11 22:03 by
月踊りキリギリスのバイオリンさん、レスありがとうございます。カイタカケンさんと同様に、真剣な書き込みには襟を正す気持になりますね。ですからボクも真剣に口ごたえしたいと思います。
>この無骨な父親はやはり子供を彼なりに愛していたのだし、愛情表現が下手なだけなのです。(或るいは、いつも傍にいる父親より深く切なく愛していたかもしれない。)親子3人で食事が終わって子供がレストランの前でチンピラに財布を盗まれるのを父親が窓越しに見ていて後で車で追っかけて取り返す場面は印象深く、この場面だけでもうこの映画のとりこです。こんな映画は初めてです。父として自分の愛する息子達にこれが社会の現実だと身をもって教えたかったのでしょう。こういう愛情表現もあってよい。
う〜ん、そうなのかなあ?もちろん子供たちに対する自責の念はあったでしょうが、その時点で深い愛情があったとはどうも考えにくいんですよ。
車で追っかけて行くのは自分の財布だったからという事実の方が強いと思います。ただカイタカケンさんの指摘にもあったような、母性に包まれて育った二人を見て、「こりゃ何とかせにゃならんな」という危機感が生じたんだと思います。チンピラを殴れと命じたのはまさにその一環でしょう。
皆さんはこの父親を、武骨ながらも静かな愛情を秘めた男臭い人間として好意的に解釈しておられる(方が多い)と感じました。ボクはそこは皆さんとちょっと違います。確かにそういう素養のある人間なのかも知れませんが、あくまで彼にとってこの旅行は仕事が優先であって、最後まで明かされなかった例の箱は、子供達と父親が交わることがない象徴のようにも思えました。
とまあ、素直に皆さんの意見を受け容れない、何てイヤなオールドファンなんだろうと自責していたのですが、こうして書き込みを重ねているうちに初めの感想よりも映画の深みを感じてきました。不思議なモンですね。でも監督はイケズですね、この認識は逆に強まりました(笑)。 -
Re: 学生さん、いらっしゃ〜い
2007/10/12 14:52 by
カイタカケンネタバレに注意していたつもりだったのですが、掲示板移動になりました。本当にごめんなさい。
これを幸いと言ったら何ですが(笑)少し具体的に書いていきますね。
兄アンドレイは高圧的な父に内心では反発しながらも、父の圧倒的な存在感や熟練したサバイバルスキルに憧れ強烈に惹かれていきます。
無人島の展望台に登った兄は、幼さを残しながらも『大人の男』の片鱗を見せ、高台でしか体験できない空間を父と共有していましたが、母性に守られた安寧の世界から踏み出せないでいる弟は、眼前に広がる広大な『世界』、まだ見ぬ世界の存在を体感することが出来ない、既に思春期に差し掛かりより大きな世界を受け入れる準備が出来ていた兄と違って、幼いイワンはそれを求めても、地上からでしか仰ぎ見るしかなかったんですね。僅か数年とはいえ、この年齢の開きはとても大きい。
その後、父へ怒りと恐怖を爆発させたイワンは一人で展望台に登っていきますが、その後を追いかけた父が始めて息子の名をイワンではなく愛称“ワーニャ”と呼んだのは、彼は展望台から落下する直前でした。
これは、父の亡骸をボートにさらわれ、なす術もなくその後を追いかけていたイワンが、父に反抗して決して口にしなかった言葉“パパ“と叫んだ瞬間と鮮やかに対比されています。
その後、兄弟が父から教え込まれた『大人の世界』を生き抜くスキルは、父の遺体を子供達だけで運んでいく、葬送の儀式に早速、役立ってしまうと言う皮肉な形を取るんですね。
>その父親の方がむしろ少しずつ父性を取り戻していったんですね。ただ救い難い不器用さ故に溝は埋まらないまま話は淡々と進んでゆきました。
↑月踊りさまの指摘のように、この父親は余りにも不器用で性急でした。
父性は母性のように、原初の姿のまま当たり前のように存在するのではなく、それを獲得するのに艱難さや葛藤が常に付き纏うのではないでしょうか。
終盤、兄弟は父の車の日よけから落ちてきた一枚の写真を目にします。
それは、突然帰還した父の顔を確かめる為に兄弟が探していた家族のスナップ写真と同じ日時、場所で撮られたもので、写真は2つに折られ、何度も見開いたように草臥れていました。
父はずっとこの家族写真を大切に保管していたんですね。
私はこの写真で号泣しました(笑)
映画序盤、突然帰還した父の寝姿は、既に他の方も指摘されていますが、アンドレ・マンテーニャー作『死せるキリスト』と非常に良く似た構図です。そして、この構図は、父の遺体を乗せたボートのシーンでも反復されていましたね↓
<リンクURL>
12年にも及ぶ『不在』の父は、子供達の記憶には殆ど残ってはいませんでしたが、短い旅の後、不在であった父は『喪失』の痛みを潜り抜けて二人の子供達の記憶にしっかりと根を張ります。
父性はその喪失によって、初めてその存在の重さ、尊さが記憶されるというアイロニカルな構図、ソ連崩壊、その後の激動の時代、国民のアイディンティティが大きく揺れた時期に、父=神の不在を通して『大文字の他者』の喪失を巡る物語が描かれたのは決して偶然ではないでしょう。
物語は母性原理の家族からの出立、父の喪失を経て回帰して行く暗示へと向っていきますが、一度大人の世界に足を踏み入れたアンドレアは、無邪気な子供時代とは決別し『大人の男』を獲得していかなければなりません。イワンはその兄を指標として(←既にその片鱗は窺えますね)、いつの日にか、怒りや恐怖によって追い詰められるのではなく、自分の力で高台から見る広い世界を手に入れて欲しいと、心から願いたくなる作品でした。
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